如何にしてこの物語をミステリとするか

第1話

 001



 夏休み明け学力テストが終了し、クラスメートたちの脳から排出された熱と気怠さで陽炎が立ち上りそうな空気の中、俺は先程まで解いていた現代国語の学力テストの問題用紙に赤ペンで◯とレ点の記号をピッピと書き連ねていた。



 長いバケーションをアルバイトばかりして過ごしていた俺だが、これだけ◯印が多いのはこのテストが発想や応用を確かめるモノでなく、あくまで夏休みまでの総復習を意味しているからに他ならない。



 授業をそれなりに真面目に聞いていれば、何となく黒板の板書と問題文の類似点を読んで正しそうな答えが閃くモノだ。この調子で解けるのなら、後期の授業にも置いていかれず済みそうで一安心といったところか。



 ……しかしながら。



 明確な答えが存在する他の科目ならいざ知らず、先生の答えを得ていないこの状況での現国の自己採点に果たして意味があるのだろうか。



 時計の秒針が三回動くだけの時間を思考に当て、明らかな徒労を覚え辟易したから、俺は問題用紙を静かに二つ折りにして机にしまうと椅子に深く腰掛けた。



「ふぅ」



 甘いミルクコーヒーが飲みたい。そんなことを思ったとき、机の隣に立った山川がインテリ風のメガネをスチャと人差し指で抑えて言った。



「シンジ、お前に客が来てるぞ。なんでもとあるカップルの痴話喧嘩に巻き込まれたらしくてな。相談に乗ってもらいたいそうだ」

「彼女?」

「あぁ、隣のクラスの子。少し派手だけど結構かわいいぜ、ほら」



 言われて廊下の方を見る。確かにかわいい、緩そうでモテそうな雰囲気を持つ、何となく同性には彼女を快く思わない者も多いだろうといった風体の女子生徒が立っていた。



「ダメだ、女は助けない事に決めた。高槻シンジの人助けは男子限定なんだよ」

「で、でた〜! シンジ、お前ホモかよ〜っ!?」

「ホモ。ホモサピエンスとは現生人類が属する種の学名である。ヒト属で現存する唯一の種であり、旧人類と区別する場合には狭義のヒトを指す」

「脳死ウィキ棒読みモードで乗り切ろうとするのホント草生える」



 そんなワケで、隣のクラスのかわいい女には帰ってもらった。申し訳ないが、あれだけかわいい女なら俺じゃなくても真剣に相談に乗ってくれる男子もいるだろう。



 気にすることはない。極僅かな可能性とはいえ、前回の過ちを繰り返さない為に必要なことだ。



「しかし、あっちぃなぁ」

「だなぁ」



 夏休みが明けて秋になっても、日本はまだまだ暑すぎる。残夏のジメジメした嫌らしい気候が絡みついてきて不健康な汗が吹き出し不快だ。暑がりな俺にはとても堪える。



 何より面倒なのは、制服の白いシャツの首や脇を念入りに手洗いしてからコインランドリーへ赴かなければならないこと。洗濯する前に一手間あると、ルーチンワークを邪魔された気になってすべてが怠く思えてくるから厄介だ。



 とにかく、暑い季節は貧乏人の一人暮らしにも面倒な季節である。婆ちゃんの時代からの大ベテランである冷蔵庫だって最近は嫌な稼働音を響かせるから、料理の作り置きだってままならないしな。



「でも羨ましいぞ、一人暮らしなんてさ」

「かーちゃんのご飯より羨ましいモノなんてこの世に存在してねぇだろ」

「お前がそれ言うと言い返せねぇだろうがっ!」



 東出のツッコミに、俺は愛想笑いを返して窓の外を見た。何かを訴えているかのような蝉の声が耳に馴染みだして、そういえばもっと暑かった先月にはあまり聞こえなかったと思った。



「けどよ、なんで夏休み明けから男子オンリーになったんだ?」

「意味なんてねぇよ、山川。男子高校生は意味もなく生き方を刷新したくなるモノだろ」

「お前が意味のねぇことをするガラかよ」

「買い被り過ぎだってのに。じゃあ聞くけど、浜辺。お前が休み中に髪を染めた理由は?」



 俺は輪の中でずっと黙っていた浜辺に話を振った。虚を衝かれたのか、それともどこかを見ていて聞いてなかったのか、ハッとして俺の方を向いた彼の髪を指さして質問の復唱を省略する。



「……あ、あぁ。いや、べっつにぃ? 意味なんてないけどぉ?」

「ほらな」

「ぐぅ、相変わらずつえぇ」



 といった風に誤魔化したが、ご存知の通りこれにはちゃんと意味がある。言うまでもなく、夏休み前の出来事とサオリちゃんの告白で自分の行いを改めたからだ。



 もう二度と月野のような被害者を出すワケにはいかない。



 冷静になって考えてみれば、異性への献身なんて類義語が『プロポーズ』になりそうなくらいのアプローチだ。これからも続けるとなれば、何のために俺が一途を信じているのか分からなくなってしまうだろうさ。



 ただし、別に俺は女を惚れさせたくないワケじゃない。ハッキリ言っとくぞ。



 ふとしたきっかけで恋にこともあり得るし、なんならきっと楽しんだろうなって妄想も寝る前に少しはしたりする。

 だから、仮にそんな状況が訪れたとき、気持ちに嘘をついて女を突き放すようなことはしない。つーか、むしろカノジョになってもらいたいと頑張るだろう。



 ただ、人助けから派生するのがフェアじゃないと思ってるのだ。



 ピュアな恋心に横槍を入れて、膨らんだ好意の塊を丸ごと横取りしているような気がする。嫌いと好きが転換可能なように、誰かと誰かの好意も差し替えられてしまうような気がしている。



 だから、そういうモノを受け取らないように、俺は出来得る限りの防衛行動として女子を助けることをやめたのだった。



「でもよ、俺たちはやっぱりお前が理由を隠してるのは分かってるんだ。その気になったら教えてくれ」

「……仕方ねぇな。もう少し上手になったら伝えるよ、山川」

「おう」



 ところで。



 同じクラスだけならまだしも隣のクラスから来客なんて、いつから俺の役割が学校のお悩み相談室になったんだろう。これはマジに、俺の噂を流している容疑者Yを探さなきゃならないかもしれんな。



「浜辺くんが髪を染めたのはモテたいからでしょ?」



 突如として一人の女子が男の会話の中へカットインしてきた。もう少し前触れを用意してくれれば、気の利いたセリフの一つも考えられたのに。



「あっ、月野」

「おつかれ。浜辺くん、それカッコいいと思うよ。似合ってる」

「そ、そうかぁ? いや、月野に言ってもらえると自信つくなぁ」

「ちょれぇ……」

「モテねぇ男の性だよな、グスン」



 あんな目に合わせたというのに、学校が始まってから月野が無駄に構ってくるようになっていた。きっちりフッた気になっていたのは俺だけか? まるで気に留める様子も無くて俺の夢の中の出来事だったんじゃないかって勘違いしそうだ。



 ……今度は何を考えているのだろう。彼女の笑顔は太陽を向いて笑うひまわりではなく、夜を見上げて憂う月来香のような妖しい魅力を秘めていた。



「んふふ」



 月野は、夏休み明けの時点で長く綺麗な黒い髪の毛を肩の辺りまでバッサリとカットしてしまっていた。そのイメチェンのせいで、こいつの天上天下な美人顔がハッキリ見え過ぎる。



 何だか大人っぽさが強調されていて以前とは別人のようなイメージだ。他クラスから覗きに来るファン的なサムシングも、夏休み以前より相当数増えたように思えるし。



 ただ、ムカつくぜ。こういう美形な人間を見るとよぉ。



「男子の内輪ノリに入ってくるの、迷惑だからやめてくんねぇかな」

「今日はそういうつもりじゃないよ、シンジくん。私、ちゃんと用事があって話に来たんだから」

「なんだよ」

「助けて欲しいの、シンジくんの力を借りないとダメみたい」



 ……このバカ女。



「噂を聞いてきたんだろうけど、ごめんね月野。実は、シンジの奴は女の子を助けないってんでさ。こいつの頑固な性格、君も知って――」

「分かった、聞いてやる」

「はぁ!?」

「ありがとう。んっとね? どこから話そうかな……」

「人前で話せるような内容じゃねぇだろ、他行くぞ」

「あぁ、待ってよぉ」



 そして、俺は月野を引き連れて校舎裏の自販機が並んでいる謎スペースへ向かった。夏休みまではあそこでタバコを吸っていた教員たちも、新たに設営された喫煙スペースに移っていることだろうしな。

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