第15話

 015



「こんばんは、鵜飼さん。これ、今月分の10万円です。確認してください」

「おう、よく頑張ったな」



 夜。



 俺は、闇金の鵜飼さんに金を返すため町家繁華へ来ていた。



 まぁ当然というかなんというか。幼い俺と貧乏で病気だった婆ちゃんでは最低限の暮らしもできず、あの頃は彼の会社であるトリカイローンより生活費を借りて生きていたのだ。



 今返しているのが利子なのか元金なのか、実はよく分かっていない。中1から少しずつ返し始めているのに完済には高校卒業手前くらいまで掛かると言うし。きっと相当な額をカッパがれているのだろう。



 けれど、俺は彼の言うことに従うつもりだ。



 どうせ、調べたって流石にアウトローの本職相手に俺程度の小細工が通用するとも思えない。むしろ、返済期限まで払い続ければいいという温情に感謝しているくらいなのである。



 ……いや。



 世間の言いたいことは分かるよ。本来は払う必要ないんだろうし、仕方なかったんだから弁護士に相談しろってことだろ?絶対にダークなロンダリングの片棒を担がされてるって、そういう話だろ?



 でも、これは義理というかケジメというか。



 鵜飼さんから金を借りていなければ、婆ちゃんは間違いなくもっと早く死んでいた。老人ホームも使えなかったし、ともすれば彼は俺に思い出を作る機会をくれたワケで。そんなことを自覚すれば、頭ではわかっていても心では感謝を禁じ得ないワケで。



 ……うん。



 何よりも、金を稼げなかった弱い自分を戒める意味もあったりするんだよ。俺がバカ真面目に金を払っているのはそのせい。



 弁解するけど、世の中には確かに証拠や法律よりも優先すべきこともあるのだ。俺の場合は、それがこの人に生かしてもらったって自覚と婆ちゃんとの思い出ってワケ。



 もちろん、俺が既に洗脳されてる可能性も否めないけど。高校生なんだし、それくらいのバカさ加減は大目に見てくれると助かるよ。



「おい、どうしたよシンジ。オメー、なんか元気ねぇな?」



 街の喧騒をBGMに出してもらったお茶を飲みながら窓の外を眺めていると、鵜飼さんは自分のデスクから立ち上がって俺の目の前のソファに座りタバコに火をつけた。



 やたらと豪華なデュポンライターだ。事務所に響いたキィンという音が心地よい。



「そう見えますか?」

「見えるから言ってるんだよ。オメーのそんなツラ、婆さんが死んだ時以来なんじゃねぇか?」



 そんなに落ち込んでいたのか。自分じゃ分からないモノだな。



「聞いてやるから話せよ、オメーは最近のクソガキに比べてガッツがあるからな。ほっとけねぇ」

「らしくないですね、闇金がパンピーの悩みを聞きたがるなんて。利子分の仕事ってヤツですか?」

「バァカ、俺ぁオメーを気に入ってんだよぉ。グダグダ言ってっと利子上げんぞ」

「か、勘弁してくださいよ」



 そして、俺は鵜飼さんにことの発端からすべてを話した。長い時間を過ごしたが、その間彼はただの一言も口を挟まず黙って頷いてくれるだけだった。



「……だから、俺は月野をフったんです。もう、二度と話すこともないでしょう」

「そうか」

「これで話は終わりです、ありがとうございました」

「なるほどなぁ。いいなぁ、なんか青春しやがってよぉ。俺にはしょうもない女しか寄ってこないってのによぉ」



 それは、あなたが自分で悪を選んだからでしょうに。俺にとっては恩人でも、世間的には最低のクズなんだから羨ましいなんてナメたこと言わないでください。



 ……なんて言ったらぶっ殺されそうだから、俺は黙って彼の言葉を待った。



「月野って子、かわいいのか?」

「はぁ。まぁ、下手したらこの街で一番かわいいんじゃないですか?」

「そんなにか!?」

「月野以上に整ったツラをした女を、俺はテレビ以外で見たことありません」

「マジかよ、だったら俺が食っちまおうかな。おい、家教えろよ」

「バカ言わないでください。あいつ、ただでさえ幸薄いのに。鵜飼さんに絡まれたら地獄の釜の底一直線ですよ」



 すると、鵜飼さんは天井へ向け紫煙を吹き上げた。



「へぇ。言うじゃねぇか、シンジ」

「あいつ、まともな家に生まれたのにバカで運まで弱いんで、悪い方へ悪い方へ流れていってしまって。ここらで誰かが修正してやらないと、不安定な月野なら本当に夜に流れかねないです」

「それはお前も一緒だ。ナマ言ってんじゃねーよ、クソガキ」

「少なくとも、俺には善悪を判断するアタマがあります。心配しなくてもアウトローなんかにはなりません」

「クク。なら、お前が受け止めてやるのが筋だろ。せっかく、街一番のかわい子ちゃんが惚れてくれてんだからよ」



 更に二つのグラスへ琥珀色の液体をトプトプと注いで一つをグイッと煽ったあと、鵜飼さんは俺にもグラスを差し出してきた。毎度恒例の未成年飲酒だが、付き合わないワケにもいかない。



 ビンを見る限り、きっと今後の俺が口にすることのない高級な酒なのだろう。ブランデーだか、ウィスキーだか。もちろん、俺には味の区別なんてつかないんだろうけど。



「ゴク……っ。ぐぼっ! ゴッホゴッホ!! な、なんすかこれぇ!?」

「マリエラ62年。ボトル一本で、人の命が買える酒だ」

「えぇ!?」



 こんなにマズくて辛いモノが命と同等だって?マジで信じられない、なんで大人はこんなモノを喜んでいるんだ?バカなんじゃないのか?どう考えてもコーラの方がおいしいんじゃないか?



 頭の中が沸騰して、地についてるハズの足がフワフワと浮いているみたいな感覚になってくる。

 つーか、人の命の値段ってなんだ?臓器売買的なことか?それとも命を奪って得る報酬のことか?それだけの価値がこの酒にあるのか?



 ならば、残したりなんてしたらどんなバチが当たるのか想像するのも怖くなる。俺なんかじゃ絶対に手の届かない、これは世界最強の酒なのだから。



「かくなる上は……」



 俺は、グラスを一気に煽って指2本分くらい入っていた液体をすべて体の中へ流し込んだ。男らしい飲み方など知らないが、西部劇のガンマンはこうやってゴクリと一口で飲み干していた。



 多分、正しい。



 高校生的にも、鵜飼さん的にも。



「あ〜ぁ、もったいねぇ飲み方しやがって」

「ず、ずびばぜん。ケホ……っ。贅沢な体験を、あ、ありがとうございましゅ」

「カカッ、許してやらぁ。オメーは価値を知ってから飲み干したんだ、俺をよく理解してるのも伝わったよぉ」

「は、はひ……っ」



 呂律が回らない。頭もまともに働かない。俺の唯一の武器である脳みそが機能していない。



 あぁ、これは相当にヤバいな、と直感で分かった。



 今までに一度だって頼ったことも助けられたこともないが、今日ばっかりは不幸に出会わないよう神様に願うことにしよう。17年間も我慢したんだから、一度くらいは助けてくれたっていいだろう。



 なぁ、頼むぜ。



「んでよぉ。なんで、オメーは月野ちゃんとは付き合えねぇんだよ」

「だって、裏切れないです」

「サオリって子か?」

「……はい」

「小学生の時から、ずっと好きなのか?」

「正直、分からないです。あの頃、どんな気持ちで惚れてたのかも思い出せません」

「カカッ、イカれてんなぁ。一途に憧れちまうと不自由過ぎて参るねぇ。終わったモンを裏切るとか裏切らねぇとか、オメーは底なしのバカだな」



 その通りだ、客観的に俺が俺を見たら鼻で笑って見下すに違いない。



「確かなことは、サオリちゃんは生まれて初めて尊敬した女ってことです。俺がどれだけ感謝してるかなんて、あなたにだってわかりませんよ」

「でも、オメーはその女のせいでヒデぇ目に遭ったんだろ? リコーダーをパクっただなんてクソみてぇな罪を背負わされて、だからネジ曲がっちまったんだろ? 罪と恩、オメーの天秤はキッチリ測れてんのかぁ?」

「わかりません」

「なら、分かってること大切にしろよ。パンピーのクソガキが、頭ん中で捏ねた理屈に縋ってんじゃねぇ。シャキッとせんかい」



 ……負けた。



 今、俺は明確に言い負かされた。それなのに少しも恥ずかしくなくて、不安もちょっぴり消えていて。けれど、迷ってしまったから俯き言葉を必死に探した。


 

 それにしても、幾らサオリちゃんや鵜飼さんの頭がキレるからって1日に2度も負ける奴があるだろうか。何だか自分に自信がなくなって不貞腐れてしまいそうだ。



「……な、なんすか」



 その時、鵜飼さんはなんの前触れもなく俺の頭をガシガシと不器用に撫でた。明らかに人を殴りなれた、俺とは明らかに違う凶器じみた形をしていた。



「下向いてんなよ、頑張ってこい」



 いつもいつも寄り添って、闇金のクセに優しくしないでくださいよ。そんなんだから、俺はずっと約束を破れないでいるのに。



 本当、悪党ってズルいよ。



「……分かりました。それじゃ、また来月来ます」

「おう」



 そして、俺は鵜飼さんの部下の方からもらった500ミリリットルのミネラルウォーターを二本飲み干して事務所を後にした。



 スマホには新しいラインの通知。どうやら、既に近くに来ているようだった。

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