第13話

 013



「棺が211、棺が212、棺が213」



 翌日、つまり月野の告白の日。



 俺はといえば、学校をサボって近所の自然公園の丘の上にいた。何をしているのかと問われれば、芝に寝そべって空を見上げ棺の数を数えているに他ならない。



 ところで、眠れない時に羊を数えるのは英単語の『sleep』と『sheep』が似ているからだそうで。つまり、日本人的には『睡眠』と似ている『睡蓮』の数を数えるのが道理的な筋ってワケで。



 けれど、それでは俺が棺を数えている意味の説明に全然なっていないという個人的な悩みを抱えつつ。

 結局、あっさり溺れた策士を誰か埋葬してくれという投げやりな気持ちが連想的に棺へ繋がっていると結論づけるしかないのであった。



「分からん」



 空を見ても、まるで俺の気持ちなんて関係ないってくらいの爽やかな青色。こういう時、晴田が同じ事をすれば神様も同情して雨の降りそうな曇天なのだろう。



 相変わらず世界ってのは気の利かないモノだ、もう少しくらい寄り添ってくれてもいいのに。



「……ふぅ」



 分からないのは、当然昨日の月野のことだ。



 答えは既に知っている。ならば、俺が考えるべきは恋愛的ハウダニットというヤツだろう。



 現状思い浮かぶのは『なぜハーレムが存在していたのか』といったところだろうか。『昔の俺と月野の間になにがあったか』、『心変わりの正当性』なんてのも或いは。



 もしかすると、全部が俺の勘違いなんてこともあったりして。晴田をコケにした復讐として『ドッキリでした!』と大きな看板を持ってヒロインズが陰から出てくる可能性も考慮しておくべきだろう。



 ……いや、どうもしっくりこないな。



 つくづく現実は理不尽だ。これは推理モノなんだから、せめて問題くらいは確定していてくれないと困るってのに。



「クソ」



 どうやら俺は、淡い断片でなく、過去の月野の確かな輪郭を掴まなければならないみたいだった。考えるべき謎を考えるのは、それからでも遅くないだろうさ。



「今日はなに考えてるの?」



 ……突然のその声には、聞き覚えがあった。



 いや。正確に言うと覚えているのはもっと幼気で高い声だったから、そのからかうような口調に覚えがあったというのが正しい。


 

 俺は顔を上げて後ろを振り返る。そこには、忘れたくても忘れられない面影を多く残した、知らないセーラー服姿の女子が立っていた。



「もしかして、サオリちゃん?」

「ぷっ。あはは! さ、サオリちゃんって! 男なのに、高校生にもなって女の子の名前に『ちゃん』付けなの!? あははっ!」



 藪から棒にバカにするなんて無礼だろ。



 なんてウィットに富まないツッコミが、軽く吹っ飛ぶくらいの衝撃だった。どうしてこいつがこんなこところにいるんだ?月野に居場所を伝えているワケでもないし、知る術なんて無いハズだ。



「そんなことを、思ったのかな?」



 ……相変わらず、心の中を透かすのが得意らしい。なぜかは知らないが、昔からサオリちゃんは俺の考えている事を見事に言い当てる。



 知っているのは、そこに俺のような下準備や確固たる根拠などないということ。漠然と予測したことが正しいというオカルティックな方法でブチ抜いていくるから、分かっていても防ぎようがないのだ。



「予測可能、回避不可能ってヤツだね」

「なんだそれ、負けイベントかよ」

「レトリックは任せるよ」

「じゃあ、バタフライ・エフェクトとでもしておくよ」

「それいいね、あたし好みだ」



 それにしても。



 これほどまでに『不思議な奴』という雰囲気が全身から溢れ出ている女も珍しい。とても小柄で、長い栗色の髪はフワフワで緩くクセがついていて。知的さと幼さが混在しているのが、雰囲気の大きな要因なんだと思った。



 相変わらずの極端な垂れ目が今の俺にやる気のなさを連想させるが、嘗ての俺のようにかわいらしいと感じる男も多いだろう。異常な肌の白さは、もはや不健康の領域だった。



 つーか、マジで小せぇ。ひょっとすると小5くらいからちっとも成長してないんじゃなかろうか。思い出の中からそのままの形で出てきたようで不思議な感覚だ。



「先に挨拶を終わらせようぜ、サオリちゃん。久しぶり」

「そうだね。こんにちは、シンちゃん。久しぶり」



 改まって、彼女も当時の呼び方で俺を呼んだ。



 相変わらず、俺を下に見た甘やかすような呼び名だと思った。



「それで、何で俺がここにいるって知ってたんだ?」

「なんであたしがここに来たのか、じゃなくて?」

「教えてくれそうな方を聞いただけだよ」

「それもそっか。でも簡単だよ、ミチルのお手伝いは今日で終わり。だから、その達成感を噛み締めるためにここに来ると思ってた。キミは、喜びや悲しみを人と分かち合わないタイプだからね」



 そういえば、連絡を取り合ってると言ってたっけ。俺が思っている以上に二人の仲はいいのだろう、すべては女子のネットワークに出回ったあとというワケだ。



 ただし。



「残念だけど外れてる、そういう理由で黄昏れてるんじゃない」

「なら、失敗したんだね。どんな失敗をしたのかな?」

「どうせ分かってるんだろ。わざわざ確認するなんて趣味が悪いぜ、サオリちゃん」

「あはっ。相変わらずシンちゃんは驚いてくれないね、かわいくないなぁ」



 ――かわいくないなぁ。



 あの頃に何度も言われた言葉だ。思い出がリフレインして、なんとも言えない妙な気持ちになった。



「けどよ、サオリちゃんがここにいる理由にはなってない。だって、今日は平日で学校じゃ授業をやってる時間だ。サボってまで俺に会いに来るなんて、まったく筋が通ってない」

「そこまで言い返せるようになったんだね。あたしビックリだよ」



 言って、彼女は隣に体育座りすると俺の二の腕に体をコツンと当てる。いつだって相手の少し上に位置したい、彼女の性格が現れた褒め方だった。



「誤魔化さないで納得させてくれ」

「ん〜、そうだね。例えば、実はシンちゃんに酷いことをした罪悪感で自室に引きこもっちゃって。ずっと、どうしても謝りたかったから勇気を絞り出して家から出てみたっていうのは?」

「ボツ。その制服は毎日着られてるモノだって分かる。あと、お前は俺の家を知ってるんだからいつだって謝れた」

「あぁん、強くなり過ぎだよぉ。怖〜い」

「キモいよ、サオリちゃん」



 すると、彼女は唇に人差し指をあてて考えた。やがて、頭の中で数えていた棺がいくつ柵を越えたのかを俺がすっかり忘れてしまった頃。



 サオリちゃんは、妖しい瞳で微笑みながら口を開いた。



「まぁ、ミチルの変化はだったからかな。彼女の過去、調べたんでしょう?」

「全貌は知らない。断片的なエピソードと、それを繋いで考えた陳腐なストーリーを俺の中の真実と仮定してるだけ」

「『俺の中の真実』ね。ふふ、それが事実と違っていたこと、多分ないんだろうね。もしも自信がないのなら、それはただ『未完成』ってだけなんじゃないかなぁ」



 妙にしっくりくる表現だった。なるほど、一理ある。



「けど、そんなに買い被るなよ。本当に大したモンじゃない」

「買い被ってなんかないよ。だって、あの学級裁判からシンちゃんは一度だって間違えたことがない」



 ……俺たちは小学校を卒業してから一度も会ってもいない。つまり彼女はさっき再会してからたった今までに、ここで交わした会話だけですべてを見通したということだ。



 本当に恐ろしいが、しかしそこまでお見通しならば逆にここへ来た理由に察しが付く。



「お前は、俺がこれからどうするのか。そこに興味があるから会いに来たのか」

「その通りだよ。この謎に比べれば、学校の授業なんてお刺し身のツマみたいなモノって感じかな」



 俺はすべて食べるのだが、今はツッコむべきでないだろう。



「それじゃ納得には足りねぇよ、サオリちゃん。お前はそんなに俺に興味がない」

「シンちゃんの尺度で測れる程、あたしの中のシンちゃんへの興味は薄くないんだよ。その意味、分かるよね?」

「なに? サオリちゃんって俺に惚れてたの?」



 瞬間、風船のように頬を膨らませると小さな唇から一気に空気を吹き出した。



 サオリちゃんは、あの頃のように無邪気に笑った。笑って、グッタリ疲れるくらいに笑って。あまりにも天真爛漫な姿に、俺がなぜ棺を数えていたのかすら分からなくなった頃。



 彼女はようやく、小さく俺の肩を叩いて深く息を吸い込むと。



「それは、キミの方でしょう? シンちゃん」



 まるで、悪魔のように甘い声で囁いた。



 堪らず目を逸らし、跳ねた心臓を無理やり落ち着けるとすぐに彼女に向きなおる。



 彼女は、既にさっきまでの誂うような笑顔に戻っていた。



「あたしの通ってる学校、知ってる?」

「知らねぇ」

「秀雲学園だよ、入るの難しかったんだから」



 秀雲学園は、県下一の偏差値を誇る優秀な私立高校だ。サオリちゃんの言う通り入学試験が引くほど難しい代わりに、校則や出席はすべて生徒の自主性に任されている。

 


 要するに、テストの点さえ取れれば何をやってもいいということだ。



「なるほど、そもそも授業に出る必要もないワケか」



 つまり、ただの偶然だ。



 なんなら、サオリちゃんの普段の散歩コースに俺が邪魔をしたといった方が正しいのだろう。声をかけたのも、たまたま月野と連絡を取り合って話題に上がっていたから。



 やはり、彼女の興味は俺じゃない。月野のラブストーリーの行く先に俺がいたから声をかけたのだ。



「因みに、この制服は古服屋さんでカワイイのを選んで勝手に着てるだけ。指定のモノはないんだよ」

「いいね、頭がいいと自由にやれて」

「でしょでしょ? 存分に羨むといいよ?」



 ……こういう、自信満々で何一つ間違って無いって確信していて。それでいて誰かに褒めてもらいたいって気持ちを全身で表現する、どこかか弱い彼女の仕草が好きだった。



 変わってないな、サオリちゃん。本当に、お前はあの頃のままだ。



「それでさ、実際のところどうするの?」

「どうもこうも、月野の願いは晴田って男と付き合うことだ。俺は関係ない」

「だから、ミチルを別に好きじゃない相手と無理やりくっつけようっていうの?」

「好きかどうかはさて置き、そういう約束だよ」

「ふぅん。なんか、残酷だね」



 残酷?



「きっと、シンちゃんが『説得』をすればミチルはその男と付き合うと思うよ。キミの弁論を躱せるほど、彼女は強くないからね。なんか言いくるめられて、なんか成功するのでしょう」

「問題があるか?」

「大アリだよ。貴族でもないのに、誰かに勝手に決められた相手と恋人にならなきゃいけないなんてさ。それって、新しい形のイジメなんじゃないかな?」

「その言い方は、流石に晴田に失礼だろ」



 サオリちゃんは、咳払いをして小首を傾げた。なぜ彼女が失言するくらい答えを焦っているのかが分からない。



 もしかして、俺が月野の好意を認めることに、何か彼女が得をすることがあるのだろうか。



「シンちゃんはさ、どれだけ悪者ぶっても正常位でしかイけない男なんだよ。キミには、不幸な女の子を見捨てることなんて絶対に出来ない」

「秀才の捻り出した文句にしては、些か下品過ぎるんじゃねぇかな。答えにもなってねぇしよ」

「我ながら、シンちゃんをよく言い表したモノだと自画自賛したいけどね。相手が喜んでいる顔を見ていないと、シンちゃんはちっとも気持ちよくないでしょう?」

「童貞には分かりにくいぜ、チクショウ」



 ケラケラと誂うサオリちゃんは、やはり大人の階段を幾つも登っているのだろうか。嫉妬心は、ほんの少しだけあった。



「大丈夫。あたしだって、まだヴァージンだよ」

「う、うるせぇよ! お前マジでなんなんだよ!?」

「そんなに大きな声で喋ってないでしょう?」

「分からねぇ奴だな! クソッタレ!」



 そして、俺は立ち上がると彼女の元を離れて丘を降る階段に足を踏み入れた。



「あれれ、どこに行くの?」

「学校だよ! 俺はお前となんて会いたくなかったんだ!」

「ツレナイなぁ」



 麓へ向かう途中、俺は一度だけサオリちゃんの方を振り返った。



 彼女は、ずっと俺を見ていた。目があって、小さくを手を振って。そして。



「またね、シンちゃん。今度は、もっとゆっくりお話しよう」



 本当に勘弁して欲しいよ。



 嫌な汗をかいたから、もう二度とこの時間にここへは来ない。そう誓って俺は駅へと向かった。



 ……結局、なぜ俺の居場所を知っていたかの、正しい答えを彼女は教えてくれなかった。

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