第6話 「薬物は取扱注意」

 グーテとフェリシアが村の外に出てから、四年の月日が流れた。

 フェリシアは相変わらず天真爛漫、自由奔放であり、グーテもまた、それに付き合う苦労人の振りをした自由人だった。


 しかし、この頃、どうにも体調が優れないことをグーテは憂いていた。

 特に、頭痛や吐き気が酷かった。また、体調が悪い際は、必ずと言っていいほど眠気も酷く、農作業の手伝いをしていた途中、農具を杖代わりに、立ちながら転寝うたたねを始めてしまったほどである。


 また、体調不良とは別に、グーテは奇妙な噂を耳にした。

 曰く、暮夜になると、森周辺で人影が現れる。

 曰く、それは、暗闇では良く目立つ純白の頭髪と瞳で、グーテと似た容姿である。


 これらのことから、一部の者は、またグーテが村の外に出ているのではないか、と噂し、グーテもまた、自分に悪魔が憑いてしまったのではないか、と疑心した。


 度重なる体調不良と村人から向けられる妙な視線、それは凡そ十四歳が耐えられるものではなく、精神に異常を来す寸前で、グーテは踏みとどまっていた。

 何か病気を患ってしまったのではないか、悪魔が憑いたのではないか、そんな不安の声を胸に、グーテは今日も農作業の手伝いに勤しんでいた。




「此方の薬草は⋯⋯ってこれ明らかに毒草じゃねぇか! ったく、暗くて何も見えやしねえ」


 二つの月明かりのみが暗闇を照らす中、忙しなく動き回る影が一つ。


 ──男だ。


 グーテが就寝後、体の主導権を得た男は、日々、森周辺で薬草の採取を行っていた。


 男は、薬草を見つけると、手当り次第引き抜き、麻袋に投げ入れた。

 当然暗闇の中、的確に薬草だけを選別することは出来ないので、毒草や雑草も入っている。中でも、慈亡嫷昇シニタガリ草は凶悪だ。一見、花畑の中に生えていても違和感を感じない、美しく可愛らしい外見をしているが、触れば最後、皮膚から即効性の毒素が入り、天にも昇る夢見心地で死ぬという。何よりこの毒草の恐ろしいところは、その入手方法の容易さにある。近辺の森や林、植物が生えている場所には大体生えている。


 この毒草に関しては、植物関係の専門知識を持たない男ですら知っているほど、広く認知されている。それもそのはず、危険過ぎる毒草が我が子を殺すかもしれないと考えれば、親は何度でも教え込むだろう。その為、要人の暗殺等には向いている。誰でも知っていて、誰でも入手可能となれば、犯人の特定が困難になるからだ。


「あっぶね! これ慈亡嫷昇じゃねぇか! ふぅぅ、死ぬとこだった⋯⋯」


 男が薬草や毒草を集めている理由は多くあるが、現状一番の理由は、強壮剤の原料となるミナギリ草の採取だ。

 体の主導権を得る為には、宿主が意識又は意思を手放す、若しくは低下させる際に限る。意思能力の低下に関しては、自警団に自分の姿を故意に見せたり、自分から噂に尾ひれをつけて流したりすることで、順調に成果を上げることが出来ている。

 しかし、失神には期待出来ない。そもそも、一日を農作業と食事と睡眠にしか使わない平均的な農民には無縁である。

 そうなると、宿主の就寝時しかない。しかしこれは多用出来ない。何故なら、男が体の主導権を得て活動するということは、宿主が不眠状態になる。そうなれば体調不良になるのは必然と言える。そして体調不良の体を使うことは男も本意ではない。

 その為の強壮剤だ。強壮剤は、高頻度の使用による多少の吐き気や頭痛等の副作用に目を瞑れば使い勝手の良い良薬だ。

 これを用いて、男は夜間の薬草採取を二日に一回の進度で勤しんでいた。


「⋯⋯ん? これは⋯⋯あった! 漲草だ! 流石は私だな。最早天才の域と言っても不足はないだろう」


 男は、麻袋一杯に薬草や毒草、ついでに雑草を詰めると、素早くその場を後にした──。







「⋯⋯さて、粗方準備は整ったかな? 宿主こいつの性格や為人、歩んできた人生──、全部記憶を通して把握出来たし。⋯⋯うん、それじゃあ行こうか」


 男は漲草を調合して作った強壮剤を使用し、白昼堂々と村の門から立ち去った。

 どこか容姿が成長したように感じる男は、自警団の一人が所持していた鉄槍を片手で持ち、背には麻袋に紐を通した簡易的な背嚢を背負っていた。背嚢の中には、村の僅かばかりの備蓄や金銭、数々の薬草と毒草が入っている。


「いやあ、全く参ったよ。高々一人の民兵にあそこまで手間を取られるとは⋯⋯まあ、この鉄槍が手に入ったからいいけどさっ⋯⋯えぇと、確か名前は──あぁ、そうそうユーグだっけ。強かったなあ。催涙剤と、即効性の毒をたらふく食らわしてあの動きだもんなあ」


 村の中は、涙が止まらず痛みに喘ぐ者や息をすることすら忘れて眠りにつく者、白目を剥いて口から泡を出す者、目が見えず混乱する者、体中が麻痺して動けない者等、阿鼻叫喚で満ちている。


「でもでもっ、あの民兵が可笑しいだけで、井戸に毒を投下する作戦は大成功だったな! 皆して地面に転がっちゃってさ! ふふっ、面白かったなあ⋯⋯」


 仮令、この地獄のような空間から生還した者が居たとしても、確実に何かしらの後遺症が残っているだろう。

 それに、村の僅かばかりの備蓄は、根刮ぎ男に強奪され、村唯一の井戸は男の手により毒で汚染されている。

 最早村での生活は今後数年は不可能だろう。となれば、村を出るしか道はない。しかし、村から一番近い町は他国領であり、徒歩では辿り着くのに最低三週間はかかるだろう。一体それまで、どうやって飢えを凌ぐというのか。後遺症の残った身体での狩猟では、成果を期待出来ない。


「後はパトロシア──じゃなくて、お母さん⋯⋯かな? この場合はなんて言ったら良いんだろう? ま、いっか。⋯⋯うーん、あれはちょっと可哀想だったなあ。折角の綺麗な金髪が土やら灰やら煤やらで汚れちゃって⋯⋯勿体なかったなあ。遺髪として切って持ってくれば良かったかも」


「お父さんの金髪は⋯⋯なんというか、燻んでたし、要らないかな。それよりも、フェリシアの僕を見るあの翡翠色の瞳⋯⋯あぁ、あれは興奮しちゃったなあ。やっぱり、お母さんの髪と一緒にくり抜いて持ってくれば良かったかなあ⋯⋯あ、でももう無理か。全部燃やしちゃったし。残念」


 かつての帝都、あの日の再現のように、村では炎が燃え盛っていた。

 それが、男の心の中で燻った黒い炎が齎した火種なのか、それとも男の気まぐれで起こした惨劇なのか、それは分からない。


 只、唯一確信を持って言えるのは、男はもう、後戻りが出来ないほどに変質してしまったということのみである。

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