11.どうしてこうなったんでしょうねぇ……
翌日にはカーレ港を出発し、一行は船旅で北へと向かうことになる。
「うごおごごご……気分悪いですぅ……」
内陸に住むエルフであったステラは、海の上が苦手な様子である。
「船なんて久々だ。故郷を出た時以来だな」
ジロは遠い目をして海を眺めている。
ログレス王国。ブリソニア島南部を支配する人類種の国である。南の対岸に位置する魔族の国、魔王国の存在により、長年大陸との交流が途絶えていた。しかし20年ほど前、魔王国第26代魔王"尊厳者アドリーヌ"の即位により魔族と人間の争いに終止符が打たれた。そもそもここ一世紀は惰性で争っていたようなものであり、これは双方にとって歓迎すべきことである。これにより長年存在を放置され続けていたグレートランド諸島との交流も再開されることとなった。
「ちょっとジロさん! 口開けてください!」
「嫌だ」
「いいから!」
「人にゲロを食わそうとするな」
頭のおかしいエルフが甲板に虹色の何かを放出しているのを尻目に、アカネは船の行く先を眺める。水平線の向こうにかすかに見える陸地。あれが目的地であるブリソニア島である。
(待ってて、サヤカ……すぐ助けに行くから!)
彼女の脳裏には、恋人と共に笑う親友の姿があった。彼らは今も生きているのだろうか? それとももう……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ログレスの首都、キャメロットの王城は緊迫した状況が続いていた。半年前のトウヤによる政変以降、中央集権化に伴う貴族たちの不満は高まっており、各地で不穏な動きが見られるようになっていた。
「また反乱……王権は絶対じゃないのか」
王城の寝室で、国王の代理であるトウヤは頭を抱えていた。国が思うように安定しない。知識チートなどままなるはずもない。彼は単なる高校生であった。好いた女が取られたので癇癪を起こしたのが、この有様である。
「無敵の能力を持っているのに、これじゃあ何の意味もない」
彼の能力は戦闘や謀略では無双できるが、内政に関しては何の役にも立たないのだ。政治の知識があるわけでもない。そんな彼には、国家の運営は困難を極める。そして何より、今の彼に頼れる人間は誰もいなかった。配偶者さえも強権で得たものであるから。現代日本にいた頃の彼はこうではなかった。少ないが友人もいたし、完全に満たされてはいなくともそれなりの暮らしであった。だがこの世界に転移する時に、あまりにも強い力を手に入れたのである。以前から、ほんのちょっとだけ持っていた他人を見下す心が肥大化し、増長したのだ。
「こんなはずじゃなかったんだ……」
トウヤは力なく呟く。このままではいけないことは分かっているのだが、どうすればいいのか見当もつかない。素直に謝罪し王権を返還しても、もはや処刑は免れないところに来ている。かといってこのまま無策に時間を費やしても、いずれ破綻を迎えるだけである。
「くそっ、何か手はないのか?」
その時、部屋の扉を叩く音がした。入ってきたのは、一人の少女だった。彼女の名はマティルダ、トウヤの妻の一人であり、ヘンリー王の娘である。彼女もまた、強引に彼と婚姻を結ばされていた。
「お、お呼びでしょうか……」
彼女はおどおどとした様子で言った。元々内気な性格なのだろう。
「また、ひどいことをなさるのですか……?」
「……え!? そんなこと一度もしたことないけど!? ていうか妻でもないし! 地の文も嘘吐くなよ!?」
マティルダは別に彼の妻にはされてはいなかった。が、軟禁状態にあるのは事実である。
「しかし、サヤカお姉様は……」
「ぐっ……そ、それは……そうだけど……」
バツの悪そうな顔をするトウヤ。確かに彼女との結婚は合意があったとは言えないし、初夜も無理矢理襲ったようなものだ。しかしそれでも、彼なりに愛していたつもりだった。今となっては全てが遅いわけだが。
「あなたは、素晴らしいお方です……やはり人間は内面が一番大事だという大切なことを思い出させてくれる」
「めちゃくちゃ言うなこの子……違う、そういう話のために呼んだんじゃなくて、その、落とし所を探りたくて」
「えっと……そ、それでしたら、いい方法があります」
「本当かい!?」
目を輝かせるトウヤ。藁にも縋る思いとはまさにこのことである。
「あなたの首を差し出すのがよろしいかと」
「いやそうだろうけど、そうじゃなくて……」
トウヤの考えは甘かった。ヘンリー王のみならずもう既に大臣や貴族を何人も脅迫し、命を奪い、王妃をも娼館に売り払った。だというのに、まだ自分が助かる可能性があると思っているのだから救いようがない。
「しかし、おすすめはしません。あなたは苦しんで苦しんで死に損なって、殺してくれと懇願するまで苦しみ抜くべき存在です」
「い……いい加減にしろ、立場をわかっているのか!?」
「ひっ……!」
激昂したトウヤが机を叩いて立ち上がると、マティルダは小さく悲鳴を上げた。今にも泣きだしそうである。
「ほら……やっぱり暴力と恐怖を使い始めた……!」
彼女は恐れ慄きながらも罵るのをやめない。ある意味凄いメンタルである。
「サヤカお姉様にも、リチャード兄様にも! そしてお母様にもぐっ!!?」
突如、マティルダは吹き飛ばされた。触れられたわけでも魔法を使われたわけでもなく、突然顔面に衝撃を受け倒れた。床に倒れ伏す彼女に追い打ちをかけるように、何度も衝撃が横腹に走る。あまりの痛みに声も出ないようだ。その間もトウヤは一歩も動いていない。どうやら見えない何かが彼女を攻撃しているようだ。
「いだい……! あぐぁ!」
ようやくそれが収まった時、床の上で呻く少女の姿がそこにはあった。
「そうだよ。みんな俺のこの能力の前に屈した。反乱者どもも屈するべきだし、お前も屈しろマティルダ」
「あうぅ……」
彼女の口から漏れるうめき声は弱々しいものだった。顔は苦痛に歪み、涙で濡れている。
「クソが、とっとと出て行って治療してもらえ!」
彼は彼女を部屋の外に放り出し、扉を閉めると鍵を掛けた。
「……どうしてこんなことに、なってしまったんだ」
自分の行いを後悔し始めていた。異世界に来たことで舞い上がっていたのかもしれない。調子に乗っていたのかもしれない。元の世界では味わえなかった力を手に入れたことが嬉しくて仕方がなかったのだろう。だがその結果がこれだ。彼を止められる者は誰もいなかった。
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