5.ダンジョンでっていうか全体的に間違ってる


「何してるんです? おめかしですか?」

 

 小さな手鏡を見ながら、自分の毛並みを鋏や櫛、髪油で整えているジロに、ステラはまとわりついていた。

 

「死んだ時に、小汚い見た目だと嫌だし、相手に失礼だろ」

「……死んだ後のことなので、どうでもよくないですか?」

「俺たちはそういう文化ってだけだ……お前も綺麗にしたほうがいい。気がついていないようだがその髪の毛、ひどい有様だぞ」

「え〜……別に、普通じゃないですか」

「……」

 

 これだから毛皮を持たない人種は、とジロは内心呆れていた。ジロの種族である狼人に限らず、獣人はヘアケアというものにうるさい。古来より髪油など整髪料のために戦争や遠征を行ったり、遥か遠くの国との交易を大枚を叩いて維持したりと、かなりの情熱を注いでいる。この情熱はオレウムウィア油の道と呼ばれる、東の果て狼人の国から猫獣人たちの砂漠の国々を通り、西の端の半獣人の住むエスベリア半島までの交易路が作り出されるほどであり、ジロもこの道を通ってここまで訪れた。各種の香油とその製法を中心に、ありとあらゆる物・人・情報が東西に行き来している交易路であり、あとついでに絹とかも流通している。

 

「髪の毛が綺麗だと美人に見えるぞ」

「その考えは獣人の考えです!」

「エルフは違うのか」

「……違いませんがね」

 

 ジロはツッコミを放棄し、彼女の髪を眺める。美しい金髪が差し込む朝日を浴びてキラキラと輝く。しっかり毛先まで手入れをサボっているようで、全体的にヨレヨレになっていた。しかしそれでも、まるで金糸のように輝いている。ジロは感嘆していた。

 

「お前、こんなに綺麗な髪をしてるのに、どうしてちゃんとしないんだ」

「そういう文化ですよ。素晴らしい女性は髪の毛の手入れなんてする暇もないのです」

 

 女性の方が強い力と魔力を持つエルフ社会の風習である。強く優れた女性は着飾る必要もないという考え方で、そういった事は召使いや取り巻きなど目下の、あるいは配偶者の男性にやらせるものである。自分でやるぐらいなら何もしないほうがマシであり、ステラもその考え方に則っていた。

 

「なら俺が好きにする。前々から髪の毛というやつを触ってみたかったんだ」

 

 ジロの毛皮に覆われた筋肉質な手が、優しくステラの髪に触れる。その手つきはとても優しいものだった。彼は櫛を使って、丁寧にステラの長い髪を梳いていく。壊れやすい宝石を扱うかのように、慎重に。

 

「お前の髪は本当に綺麗だ。金色でキラキラしてる」

「ふふん、当然でしょう! もっと褒めてください!」

「美しく、上品だ。お前とは大違いだな」

「そうでしょうそうでしょう。え、今なんと?」

 

 彼が手を離す頃には、艷やかな輝きを取り戻していた。

 

「これなら、いつ死んでも恥ずかしくないな」

「えぇっ!? 私死ぬんですか!?」


 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 

 

 荷車を引き、ダンジョンの奥地へと進む。入り口はさながら洞穴のようであったが、中に入ると石畳で綺麗に舗装してあり、壁もしっかりしたレンガ造りで輝く魔石が照明として備え付けられている。さながら、貴族の屋敷の地下通路のようであった。

 もう既に数人の亡骸が積まれており、その多くが身包みを剥がされ略奪されているか、認識票無しでは身元の判別がつかないような状態であった。

 

「まだ若いのに、定命の子らは簡単に命を散らしますね」

「若人たちの彼岸に寂静があることを祈ろう」

 

 遺体を放置すれば、アンデット化する。未練や怨嗟を持っていればその大きさに比例して強くなるため、出来る限り迅速に処理するのが望ましい。強力なアンデットが発生すれば、人も魔物も襲い被害が拡大し、それによりまたアンデットが増えるという悪循環に陥る。そうならなくとも、魔物に栄養価の高い食事を与える義理もない。

 

「死体集めだよぉ〜〜どんどん持っといでよぉ〜〜〜」

 

 ステラが暗がりに向けて呼び込むような声を出す。魔物も多く出るが、全てジロが斬り捨てるので特に問題はなかった。そして亡骸を見つければ、これもまたジロの手により丁重に処理され荷台へと載せられる。このエルフの女は何をしに来たのだろうか?

 

「私は可愛いからいいんですよ!」

 

 彼女が虚空に向かって喋りかけていると、なにやら不気味な気配が近づいてきた。

 

「火の玉ですよ! やっておしまいジロさん!」

 

 虚空に浮かぶ火の玉のような魔物、ヒトダマが現れた! それはゆらゆらと辺りを漂っている。

 

「何もしなければ害はない」

「ホントですかぁ?」

 

 ヒトダマはステラの方へとゆらゆらと近づき、突如として腕を生やすと豪快なボディーブローを彼女にぶち込んだ!

 

「ぐっほぉっ!! 嘘つきぃ!!」

「殴れるんだな……ほら、向こう行け」

 

 ジロは興味深そうに呟く。彼が手を振って追い払うと、ヒトダマはそのままどこかへ去っていった。ステラは殴られたお腹をさすりながら恨みがましい目でジロを見る。

 

「嘘つきぃ……」

「ステラ、お前さわっただろ」

「触ってませんよ!」

「癪に」

「ぐぬぅっ! うまいこと言ったつもりですか!」

 

 彼らはダンジョン内を進む。途中遭遇する冒険者に話を聞き、遺体の目撃情報を集めながら奥へ奥へと進んでいく。

 ダンジョンに潜っていると時間の感覚が狂い、休み時さえも忘れてしまうことが多く、それが冒険者を死地に追いやる。これを乗り切るにはセンスと経験が必要だが、もう一つ回避する手段があった。

 

「もう疲れましたぁ、休みましょうよう」

「またかい」

「お腹がすきましたし、もう歩けないですぅ」

「仕方ないな……」

 

 多少は怠惰な人間のほうが生存率が高いのである。休憩も多く、諦めの判断も早いためだ。ジロはため息を一つつくと、手頃な場所に腰を下ろす。そうして彼は懐からかってぇ黒パンを取り出し、それをなんとか頑張って半分にするとステラに手渡した。彼女は嬉しそうに受け取ると、ジロの隣に座りもぐもぐと食べ始めた。

 

「お前には悩みが無さそうで羨ましいよ」

「ありますよたくさん! ……お、お金の事とか」

「……」

「まあでも、私ほどになると悩んでいても絵になるって、それよく言われてますからね!」

「そうか」

 

 そういったやり取りをしていると、何やら暗闇から巨大な影が近寄ってくる。

 

「……なにか来る」

 

 白い鱗を纏った巨躯が、大きな翼を広げて近づいてくる。狭い洞窟の壁を破壊せぬように注意深く歩いているのか、その歩みはゆっくりとしたものだ。やがてその全貌が見えてきたとき、二人は驚愕した。

 

「我が名は乳首ねぶりドラゴン!」

「乳首ねぶりドラゴン!?」

 

 まず名乗りに驚愕した。乳首ねぶりドラゴンとは一体なんなのか? しかしすぐに思い直す。ここはダンジョン、常識なんてものは通用しないのだ。

 

「死体の山! 死体の山だ! 死体は乳首ねぶり放題! 死体の乳首ねぶる方がずっと簡単だからな!」

「大変です! ギャグじゃすまない地獄絵図になりますよ! ジロさん早く乳首出してください!」

「男! 男の乳首はねぶってもR-18にならないのでねぶり得!」

 

 ドラゴンが叫ぶと、ジロに向かって突進をしてくる。あまりの迫力に気圧されそうになるも、すぐさま刀を抜き放ち応戦の姿勢を取る。しかし次の瞬間、ドラゴンは彼の目の前から消えた。

 

「なっ」

「後ろだケモノ!」

 

 背後からの声に振り向くと同時に衝撃が走る。吹き飛ばされるも空中で体勢を整えて着地するも、ダメージは大きい。

 

「ぐっ、座標転移魔法テレポートか……」

 

 ふざけた名前と性癖だが、それでもドラゴン種でありかなり強力な存在であることに変わりはないようだ。刀1本ではまさしく太刀打ち出来ない。ジロは覚悟を決め、刀の刃で腕に傷をつける。

 

「出ました必殺の妖術! やっちまってください!」

「"血の両手剣アメノトツカノツルギ"」

 

 彼が呪文を唱えると、流れる血がひとりでに動き出し、彼の持つ刀に纏わり付く。そして血は固まり、巨大な両刃の剣へと姿を変えた。

 

「すんばらしい! あの変態ドラゴンをあの世に送ってやりましょう!」

「ステラうるさい」

 

 ジロは構えを取り、再び飛び掛ってくる乳首ねぶりドラゴンに備える。

 

「うおおおお! 乳首! うおおおおおお!!」

 

 一閃、剣を上に振り上げる。直後にドラゴンは座標転移魔法テレポートを使ったが、その場には身体から切り離された右翼が残った。

 

「ぐ、ぐおおお、右乳首があああ!!」

 

 直ぐに彼の真後ろで悲鳴が上がる。

 

「それ乳首なんですか!?」

「間違えた! 右の翼があああ!!」

 

 ドラゴンは悶え苦しみながら地面に倒れ伏す。これ以上争う意思は見られないようだった。

 

「ま、参った……我輩の負けだ……我輩の乳首をねぶってもよい……」

「そもそもドラゴンに乳首あるんです?」

 

 ジロは術を解除し刀を鞘に納めると、地面に座り込んだ。

 

「……とんだ、厄介者だな」

「我輩は乳首をねぶりたいだけなのだ、これはもう本能だ、許してくれ」

「本能だけで動くのなら虫と変わらん。ところで、冒険者の死体を探している」

 

 彼が問いかけると、ドラゴンは考えるような仕草をする。しばらく考え込んだあと、何かを思い出したかのように顔をあげた。

 

「お主も乳首をねぶる趣味が?」

「違う。遺体の回収が目的だ」

「これ以上進まず引き返すが良い」

「なぜ?」

「全部乳首ねぶった後、スライムの餌にしてしまったからな。もう骨も残ってない」

 

 それを聞いて二人は言葉を失った。どうやらこのダンジョンには碌な奴がいないらしい。尤も、この世界には碌な奴はあんまりいないのだが。

 

「もう一つの翼を切り落とされたくなければ、今後は大人しく生者の乳首をねぶるがいい」

「う、うむ……今後はちゃんと許可を取ってからねぶることとしよう」

「いやねぶること自体を止めませんか?」

 

 二人はそれ以上の探索を諦めた、荷車を運び地上に戻ることにしたのだった。

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