星に願いを

増田朋美

星に願いを

その日はだいぶ寒暖差も減ってきて、ちょっと秋らしいかなと思われる日だった。秋らしくなったというと聞こえは良いが、それは同時に寒い冬に向かっていくことでもある。一年で過ごしやすい日々は長く続かない。そんなわけだから、なんだか変わってしまうのが名残惜しいと言えるのだろうか。

その日、杉ちゃんとジョチさんは、買い物のためショッピングモールに行った。食料を買って、ジョチさんが支払っている間に、杉ちゃんはショッピングモールの中にあった掲示板に貼ってあるポスターを眺めていた。

「何を眺めているんですか?」

と、ジョチさんが急いで買い物袋を持って、掲示板の方へ行くと、

「随分可愛らしいお琴奏者だなと思ってさ。」

と、杉ちゃんが言った。確かにポスターには可愛らしい感じの若い女性が、お琴を弾いている写真が映っていた。ポスターのタイトルは星空のコンサートと言うタイトルで、なんでも文化センター近くの公園で、コンサートが行われるということであった。雨天になれば中止になってしまうようだが、日付は本日で、今日の天気は晴れるよなと杉ちゃんが言った。

「これ、なんて書いてあるのかな?」

杉ちゃんがポスターを指差すと、

「ええ、お琴演奏、田宮喜和子と書いてありますね。聞いたことのないお琴奏者です。多分師範免許を取ったばかりか、あるいは取るためにコンサートをしたのかもしれない。」

と、ジョチさんは言った。

それから、杉ちゃんたちはショッピングモールの中にあるカフェでちょっとお食事してくことにした。店員に案内されて、すぐに座席に座らせてもらったが、隣のテーブルに一人の女性が座っていた。それを見た杉ちゃんが、

「あれ、お前さんどっかで見たことある。名前は確か、、、。」

と言いかける、ジョチさんが急いで、

「ポスターの方ですか?あの、星空のコンサートの?」

と聞くと、女性はとてもうれしそうな顔をして、

「ありがとうございます。私がその張本人の田宮喜和子です。私の演奏を聞いてくださるのですか?」

と、杉ちゃんたちに言った。

「へえ、何を聞かせてくれるの?古典箏曲か?それとも現代箏曲みたいなそういうのかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「はい。秋ですし、秋の七草という曲を演奏しようと思っているんです。」

と喜和子さんは答えた。

「ああ、古典箏曲の秋の七草ね。良いじゃないか、今どき、古典箏曲をやるやつは貴重だよ。頑張って演奏してね。」

と、杉ちゃんが言うと、

「よろしければお二人も、今夜開催される星空のコンサートに来てくれませんか?知り合いがいてくれたほうが、私も緊張しないで済みますし。それともなにか用事がありますか?」

と喜和子さんは杉ちゃんたちに言った。

「いやあ、用事はないので、それなら、行かせてもらおうかな。じゃあ、いい演奏を聞かせておくれよ。それではよろしく頼むね。」

杉ちゃんがそう言うと、喜和子さんはチケットを二枚、杉ちゃんに渡した。入場料は無料であるが、入場整理券はいるらしい。まあ確かに、会場に人が集まりすぎてしまうと困るというのも確かにあると思うので、整理券を渡しているということだと思われた。

「じゃあ、今夜の18時に開演です。ぜひ来てくださいね。よろしくお願いします。」

「はい。わかりました。」

と、喜和子さんにジョチさんはにこやかに言った。

「必ず行くからね。いい演奏をよろしく頼むね。」

とりあえず、杉ちゃんたちは、ウエイトレスがメニューを持ってきてくれたので、喜和子さんとの話はそこまでにしたが、とてもお琴には向いてなさそうな女性のような気がした。お琴を弾く女性というと、丸顔でちょっと細目という感じの女性のイメージがあるが、彼女はとても西洋的な顔で、お琴という楽器は似合わないという感じの雰囲気があったからである。

杉ちゃんたちは、お昼を食べて一旦製鉄所に帰り、五時くらいに、タクシーを呼んで製鉄所を出た。ジョチさんは、本当はコンサートに黒大島の着物で行っては行けないんですよと言ったのであるが、杉ちゃんはどこ吹く風であった。元々黒大島というブランドは、奄美大島の農民の着ていたものを、薩摩藩が江戸幕府に献上したということで、日本中に広まったという経緯がある。そういうわけで、下は農民から上は武家まで浸透した着物なのであり、杉ちゃんはそれを理由にしていろんなところで黒大島を着ているが、でも黒大島は、普段着程度しか着られないというのも、また事実である。ジョチさんの方はちゃんとコンサートに行くということで、紋綸子のしっかり光沢のある着物を着ているが、本来コンサートなどの改まったところに来ていく着物というのは綸子や、紋意匠で当たり前であった。

タクシーは、公園の前で止まった。もう周りは真っ暗になっていた。杉ちゃん一行は、運転手に手伝ってもらってタクシーをおりた。野外広場は駐車場のすぐ近くだ。ジョチさんは、帰りも乗せてくれと言って、領収書を受け取り、杉ちゃんと一緒に野外広場に行った。

野外広場で、係員にチケットを渡し、杉ちゃんたちは、広場の片隅に座った。皆レジャーシートを敷いて直接広場に座っているが、近くに小さなベンチがあったので、ジョチさんも杉ちゃんもそこに座った。そこからは、舞台は本当に小さく見えるけれど、なんとか舞台を見ることができる一であった。

「それでは、星空のコンサート開催いたします。それではまず初めに演奏されるのは富士マンドリンクラブのみなさんです。それではどうぞ。」

と司会者が発言して、富士マンドリンクラブが演奏を開始した。お上手な演奏で、とても楽しい曲ばかりであった。それが、3曲演奏をして退場すると、

「続きまして、お琴の演奏を行います。演奏者は田宮喜和子さん。今回の曲は、秋の季節にふさわしく、秋の七草という、日本古来の古典箏曲です。少し長い曲ではありますが、楽しんでお聞きくださいませ。それでは、田宮喜和子さん、よろしくお願いします。」

司会者が発言すると、振袖に身を包んだ田宮喜和子さんが、お琴を置いて演奏を始めた。秋の七草は、歌を伴う古典箏曲である。秋の七草と呼ばれる植物の事を歌った歌であるが、喜和子さんは、一生懸命弾いていた。それは確かだ。だけど、他の観客にはそれは伝わらなかったらしい。喜和子さんが、一生懸命弾いても、拍手は冷たかった。その後で、合唱団体などが演奏していたが、田宮喜和子さんの演奏が一番盛り上がらなかった事は確かである。

一応、星空のコンサートは終了し、お客たちもすぐに帰っていった。杉ちゃんとジョチさんは、こっそり舞台袖に行ってみることにした。

「ああ、来てくれたんですね!私の演奏を聞いてくださりありがとうございました。」

喜和子さんは丁寧に挨拶した。

「それにしても、冷たい拍手だったな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、でもお琴なんてそんなものですと師匠から言われましたから平気です。やっぱり、ピアノとか、マンドリンクラブには敵いません。それはよく、心得ました。」

と、喜和子さんは言った。

「そうか。お前さんの事を、ちゃんと見てくれるパトロンがいてくれると良いね。だって、やっぱり、寂しいだろう。拍手も貰わないで、演奏に経ち続けるのはよ。」

と杉ちゃんが言うと、

「そうですね、、、。」

喜和子さんは、小さな声で言った。

「本当はものすごく悔しかったんじゃないの?それで、本当はわーんと泣いてしまいたかった。それが本音じゃないのか。良いんだよ。僕らの前では変に取り繕ったりしなくても。悔しかったり、悲しかったら遠慮しないで泣くことは必要なんだ。」

杉ちゃんに言われて、喜和子さんは涙を流してしまった。

「まあそうだよなあ。お前さんにしてみれば古典箏曲やったということで、必要な事をちゃんとやったんだし、今流行りの気持ち悪い現代箏曲をやったわけでもないし、本当にあれだけの拍手で悔しかったよな。」

杉ちゃんがそう言うと、喜和子さんは涙をこぼしながらハイと言った。

「例えば、邦楽家が何人かでグループを作ることがよく行われています。その中に入らせてもらうのはどうでしょう?」

とジョチさんが言うと、

「嫌です。私、そういうところにはいったら、絶対澤井さんとか、牧野由多可さんの曲をやらされると思います。それだけはどうしても避けたいんです。ああいう曲は私、どうしても好きになれないんです。だから、一人でやっていこうって決めたんです。」

喜和子さんはそういうのだった。

「はあつまり、沢井忠夫は嫌いか。それは良い兆候だ。僕もあの人の曲は、好きじゃないんだよね。どうも琴を弾いているというより、焼夷弾が降ってくるような雰囲気の曲が多いので好きじゃない。それで、お前さんの好きな曲は?」

杉ちゃんがそういうと、

「一度人前で、石川の三つものとか、やって見たいんです。宮城道雄も嫌い。私は、純粋に琴を使った音楽でないと好きになれないんです。」

と、喜和子さんは言った。

「石川の三つもの。ああ、新青柳、八重衣、融の三曲ですね。しかし、あの曲を入手するのも難しいのではないでしょうか。扱っている出版社も少ないでしょう。」

ジョチさんが心配そうに言うと、

「大丈夫です。中古品になってしまいますが、古本屋などで入手できます。すでに楽譜は入手してきました。神保町の古本屋さんです。」

と喜和子さんは言った。

「そうか。そうなれば腐っても鯛だな。そういうやり方で、今の時代は楽譜を入手できる。良い世の中になったものだぜ。」

「でもそれを使いこなすとなるとまた別問題なんですけどね。教えてくれる先生も少ないでしょうからね。」

杉ちゃんとジョチさんは相次いで言った。

「大丈夫です。私は、一人でやっていくつもりです。誰かに頼っていたら、本当にやりたい曲ができなくなります。それでは行けないですよね。それに、無理やり牧野由多可さんなどの曲をやっても、私には面白くないし。そういうことなら、私、古典をずっとやり続けるために一人でやろうって決めたんです。もう、師範免許もあるから、何をしてもいいって師匠には言われました。」

喜和子さんは、しっかりと言った。

「だけどねえ。世間は冷たいじゃないか。お前さんの秋の七草を聞いて、あれだけの拍手しか得られなかっただろ?これが、八重衣とかやってみな、途中で八割ぐらいの客は帰るだろう。古典箏曲はそれくらい疲れるもんだから。」

杉ちゃんがそう言うと、

「今は、なんとかできないかもしれませんが、そのうちに、古典箏曲をなんとかしようと言う人が現れるかもしれないじゃないですか。それを私は待ち続けます。」

と、喜和子さんは言った。

「なるほどねえ。結局は星に願いをか。」

と、杉ちゃんは言った。確かに空は美しい星空で、何だか写真にでも残しておきたい空であった。

「それでは、誰か協力者がいてくれるといいですね。あなたの古典箏曲への思いが十分天にいるお星さまに伝わってくれるといいのですけどね。」

ジョチさんは、彼らしくない言葉を言った。そういう発言をするということは、多分彼女の思いは永遠に叶わないということを示しているのだろうと言うことがわかった。

「まあ、つらいときは、お星さまを眺めながらだな。頑張りや。きっと、お前さんの思いをわかってくれるやつが現れると思うよ。それでは、またどっかで会おうね。今日はご招待ありがとうございました。」

と、杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんはタクシー会社に電話した。喜和子さんのありがとうございましたという言葉を聞きながら、杉ちゃんたちは、タクシー乗り場へ向かっていき、タクシーで製鉄所に帰った。

それから、その星空のコンサートが行われて、数日経ったある日のことである。

「右城くんいる?ちょっと、相談があるのよ。お願いできないかしら?」

と、一人の女性を連れて、浜島咲が製鉄所にやってきた。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなくて、居場所のない人たちに、勉強や仕事などをさせる部屋を貸す施設である。利用者たちは皆重いわけがある人が多く、通信制の高校に通っているとか、あるいは会社で働いている人もいるが、だいたいの人が、インターネットで原稿をやり取りするなどのしごとをしている人ばかりであった。

「ねえ右城くんてば。ちょっと彼女の相談に乗ってあげて頂戴。あたしも困っちゃって。右城くんなら、知っていると思って。」

浜島咲の声はサザエさんの花沢さんの声とどこか似ている響きがあった。なので、誰が聞いてもすぐに彼女がやってきたとわかる。水穂さんは、布団から起きて、枕元にあった羽織を着て、布団の上に座った。

「相談ってなんですか?」

水穂さんが聞くと、

「彼女のことなんだけど。名前は、永山博子さん。なんでも合唱団に入ったらしいけど、演歌みたいな歌い方をするので、破門されたんだって。それで、すごく鬱になってしまって、自分に自信をなくしてしまったみたいなの。だから、右城くんなら、なにか対策を知っているかもしれないと思って。」

と咲は説明した。隣にいる女性が、申し訳無さそうに、

「浜島さんが一生懸命私のために動いてくれているのが恥ずかしいというか申し訳ないです。」

と、小さな声で言った。それと同時に、ただいまあという声がして、杉ちゃんの帰ってきたのがわかった。

「何だ、はまじさんが来ていたんだ。それでもう一足靴があるがこれは誰の靴だ?」

杉ちゃんはすぐに四畳半にやってきた。

「ああ、杉ちゃんも相談に乗ってちょうだいよ。杉ちゃんのほうが返って答えを知っているかもしれないわね。そういうものに詳しそうだし、ぜひ彼女に答えを出してあげてよ。」

咲は花沢さんのような声でそういうのであった。それと同時に水穂さんが、

「なんでも、合唱団に入団されたそうですが、歌唱法に問題があって破門されてしまったそうなんです。」

と言った。

「ほんなら、お前さんなんか歌ってみてくれ。水穂さんの伴奏でさ。じゃあ、からたちの花が咲いたよは歌えるかな?」

杉ちゃんの答えは非常に単純だった。そういう単純すぎるところと容赦ないところが、杉ちゃんなのかもしれない。水穂さんが布団から立ち上がり、ピアノに向かってからたちの花が咲いたよのイントロを弾き始めた。永山さんは、すぐに近くにたち、からたちの花が咲いたよを歌い始めた。確かに西洋のオペラの声とは似ても似つかない声だ。それに、オペラではほとんどやらない、Eの口でAを歌うことも多用している。それでは、たしかに汚い声と言われてしまうのも仕方ないのかもしれない。ところどころかすれたような声でもあり、たしかに個性的な歌い方だった。そういうわけだから西洋のクラシックの歌い方で歌わせる合唱団では、破門されても仕方ないかもしれなかった。

「うーんそうだね。まず初めに、Eの口でAと歌うのはまずいぞ。それは外国人とかよく嫌うよね。中国語にはよくあるが、日本語は本来そういう使い方をするもんじゃないぞ。」

杉ちゃんはそう彼女にアドバイスした。

「じゃあ、それを改善すれば、私も合唱ができますか?」

永山さんがそう言うと、

「うーんそうだねえ。水穂さん、お前さんはどう思う?」

杉ちゃんは水穂さんの方を見た。

「正直難しいと思います。西洋音楽は裏声で歌うことが多いのですが、彼女は高音さえも地声で歌っています。それに裏声が偉くかすれてしまっている。それでは、西洋音楽を歌うのは難しいのではないでしょうか?」

水穂さんが正直に感想を言うと、

「だったら彼女をどこに入れてやればいいの?彼女は、長年病院生活してきて、やっと外ヘ出られるようになったのよ。社会に慣れるために大好きな音楽でって言うことで合唱団にはいったらいきなりこれですもんね。そりゃ自信なくすのも当たり前よ。」

と咲が、ちょっと不服そうに言った。

「そうですねえ。流石に演歌サークルは、お年寄りばかりで、あなたの年代には合わないでしょうしね。うーんそうですね。何か楽器が弾ければまた違うかもしれませんが、そうでもないのでしょう?」

水穂さんが優しくそう言うと、

「でも私は、音楽が好きで、なにかの音楽に関わっていたいと思っているのですけど。」

永山博子さんはガックリとした声で言った。

「そうだ!」

杉ちゃんがでかい声で言ったので、みんなびっくりする。

「あの田宮とかいう女のもとへ行かせたら?」

「田宮さん?それは誰なんでしょうか?」

水穂さんが言うと、

「おう!この間星空のコンサートで、古典箏曲である秋の七草を歌っていたあの美人の邦楽家だ。あいつなら、こういう演歌みたいな歌い方であっても、許してくれるんじゃないか?名前は確か、田宮喜和子とかいう、変な名前だった。」

と杉ちゃんが言った。

「ちょっと調べてみるわ。」

咲はタブレットを取り出して、検索欄に田宮喜和子と入れてみた。すると、田宮喜和子お琴教室という文字が出てきたのでびっくりする。そのウェブサイトを開いてみると、古典箏曲を中心に、日本の伝統文化を保持していきたいという趣旨が書かれていた。

「お前さんの歌声は邦楽の歌い方に近いものがある。そういうわけだから、古典を専門にしているこの人のところで歌わせてもらえ。」

「でも琴って、いろんなものを用意しなくちゃいけないし、難しいのでしょう?」

永山さんが言うと、

「それだったら大丈夫だ。中古品で良ければの話だが、500円とかでお琴が買える話もあるから、それを利用すればいい。爪だって同じだし、楽譜だって古本屋で買うことができる。うん、いい時代だねえ。古いものをやるには。」

と杉ちゃんが言った。咲が、通販サイトで、琴の値段を調べてみると、たしかに超高級で、40万とか平気でしそうな楽器が、500円で販売されているのだった。それを、永山さんに見せると、永山さんは目が点になるほど驚いていた。

「まあ、きっと、そうやって簡単に手に入る時代なんだし、何が良くて何が悪いのか、全て自分次第であると言うことでしょうね。」

水穂さんが静かに言った。

「まあ良かった良かった、何はともあれ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

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星に願いを 増田朋美 @masubuchi4996

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