第11話 金谷

「織部さん!ウチの南雲君を襲ったのは蓮海君だったというのは本当なんですか?」

オリベ・エンタープライズ本社を訪れた金谷勘吉は会長室で織部にそう詰め寄った。

彼の顔は怒りで真っ赤になっていた。

「あなたは以前約束したはずだ。ウチの社員には手を出さないと。あれは嘘だったんですか?」

織部は金谷がまくし立てている間じゅう、その端正な横顔を金谷のほうに向け、両手の平を軽く合わせて目を閉じていた。金谷の抗議をひととおり聞き届けると、織部は目を開け、回転椅子をきしませながら金谷のほうに向きなおっておもむろに口を開いた。

「君の部下を危ない目に合わせたことについては大変申し訳なかったと思っている。このとおり、謝る。金谷君、君との約束は一度だって忘れたことはない。それは本当だ。今回のことはすべて手違いから起こったことなのだ」

静かな口調で諭すように語りかける織部を前にして、金谷はややトーンダウンしながらも抗議をやめなかった。

「あなたは手違いと言うが、手違いで私の大切な部下が命を奪われるなんて、そんなことあってはならないんですよ。それに、蓮海君のことだって。彼女があなた達の仲間だったなんて、今回のことが起きるまで私は全く知らなかった。まさか彼女が、という思いですよ」

「彼女のことを秘密にしていたのは申し訳なかったと思っている。しかし、より多くの秘密を共有したがために君を危険にさらすようなことはあってはならないと私は常々思っている。それだけはわかって欲しい」

「今更何を言うんだ、織部さん。私はすでにあなたの重大な秘密を知ってしまっている。

私とあなただけの秘密だ。妻にだって漏らしたことはない。これ以上何を秘密にするというんですか?」

「金谷君、君は自分がすべてを理解しているとでも思っているのか?もし君がすべてを知れば、おそらく君は、その重圧で、押しつぶされてしまうに違いない」

ややうつむき加減で語る織部の口調は最前と変わらず淡々としたものだったが、その表情は苦渋に満ちていた。

「織部さん、私はあなたのおかげで今の会社の社長に収まることができた。あなたへの感謝の気持ちはことばでは言い表せないほどです。

古巣の銀行から転職し、今の会社をあなたに任されてからこのかた、思う存分腕を振るうことができ、本当に幸せだった。古いやり方にしがみつき、寄らば大樹の陰とばかりに退嬰的な経営方針しか打ち出さなかった銀行、その上層部の経営方針に異を唱える私は長いこと不平分子扱いされてきた。上司からはにらまれ、出世の見込みもほとんどなくなっていた。あのまま銀行に残っていても遅かれ早かれ銀行を放逐されていたに違いない。そんな私にあなたは活躍の場を与えてくれた。私の恩人と言ってもいい。だからこそ、あなたの秘密を知ったときは本当にショックだった。

織部さん、あなたは今でも…いや、今更こんなことを尋ねても始まらないですね。

私が詮索しても仕方がないことだ。今日はこれからのことを話し合いに来たんです。

いったいなぜ、蓮海君は南雲君を襲ったのか、そのわけを知りたい。

南雲君本人もなぜ襲われたのか皆目見当がつかないそうだ。しかし、あなたなら知っているはずだ。なぜ彼女は今更のように元同僚で旧知の仲の南雲君を襲った?なぜなんだ?」

「今、君にその理由を話すわけにはいかない。何度も言うが、話すことで君をも大きな危険に巻き込むことになるからだ。そのかわり約束しよう、今後君の部下には手を出させない。彼らの安全は私が保証する。今日のところはこれで勘弁してくれないか、金谷君?」

「本当に水臭い人だな。…わかりました、あなたがそうおっしゃるなら、今日はこれで引き上げることにします。あなたは必ず約束を守る方だと信じていますから」

織部にそう告げると、金谷は軽くため息をつき、後ろを振り返ることもなく足早に会長室を退出した。

織部はしばらくの間デスクの上で両手を組み、うつむき加減で苦悩の表情を浮かべていたが、突然会長室のドアが開け放たれたのに気が付き、はっと顔をあげた。てっきり金谷が話の続きをするために戻って来たものと彼は思ったが、部屋にずかずかと入って来たのは金谷ではなく、彼の会社の役員の一人である犬山だった。いつものように黒のTシャツを無造作に着込んだ短髪の犬山は織部のデスクに近づくと吠えるように言った。

「会長、話は全て聞かせてもらいました!あの男、金谷社長が我々の秘密を知っているというのは事実なんですね?」

部下である犬山に激しい剣幕で問い詰められた織部は一瞬怒りの表情を浮かべたが、すぐに思い直してゆっくりと返答した。

「その通り、事実だ。彼は私の正体を知っている。他に仲間がいることもうすうす感づいているようだ」

「何という事だ、あの男はいわば我々の生殺与奪の権を握っているという訳だ。そしてそれを今まであなたは我々に隠していた。大学の先輩後輩の絆のほうが我々の命より大事と言うわけですか?」

「彼が恐れているのは自分の部下やその家族が危険な目に合うかもしれないという事だ。彼らの安全さえ保障してくれれば秘密は他に漏らさない、そうあの男は私に約束した。誓ってもいいが、彼は約束を違えるようなことは決してしない」

「織部会長、あなたは重大なことを忘れている。例の伯耆美織と南雲勝、今やあの二人も奴の部下だということを。そうか、それであなたは、私が決断をうながしたときに渋っていたのですね?おそらく金谷は自分の部下が襲われることを予期してあらかじめ罠を張っていたのでしょう。そうとも知らずに蓮海さんはひとりでノコノコ南雲勝を襲撃に出かけ、まんまと罠にかかった。とんだお笑いだ」

「彼女を愚弄するような言い方は慎み給え!それに、金谷はそんなことをする男ではない!」

織部は我慢できずに怒りをあらわにしてそう言った。

「あなたこそ、死んだ蓮海さんが可哀想だとは思わないんですか?あなたの子を宿していたというのにひとりで…」

「もう彼女のことはいい!」

織部に強い口調でさえぎられ、さすがに口をつぐんだ犬山だったが、相変わらず織部を恨みがましくにらみつけていた。ややあって、再び犬山が口を開いた。

「あなたはあの男に何か証拠を握られていますね?でなければプライドの高いあなたが後輩に対してあんなへり下った態度をとるはずがない。そうでしょう?」

「私の肉声を録音して保管しているらしい。私の過去について、私たちの正体について、私自身が語った内容だ。私も迂闊だった、社員と家族の安全のためとは言え、まさか彼がそんなことをするとは思ってもみなかったのだ」

「今さら弁解は聞きたくもないですよ。それより奴はその録音をどこに保管しているんですか?もし第三者がかぎつけたら?コピーだって当然取ってあるでしょうに」

「その点は安心していい。彼はコピーを取らず、オリジナルのみを自分のオフィスのどこか、他の誰にもわからない場所に隠してあると言っていた。私はあの男とは長い付き合いだ。決して嘘は言わない男だ」

「そうですか、よくわかりました。今日はこれで退散するとしましょう。織部会長、私はあなたを少し買いかぶっていたようだ」

そう言って退出しようとする犬山を呼び止め、織部は尋ねた。

「犬山、いつから私の部屋の会話を盗聴していた?」

「ずっと前からそうしていましたよ。さもければ私も、あなたや蓮海さんと心中する羽目になっていたところだ」

犬山がそう言い捨てて部屋を出て行った後も織部は長い間微動だにせず、入り口のドアを憤怒の表情でにらみ続けていた。


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