第10話 城嶋と根来


勝は仕事を終えて帰る道すがら、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。


いつぞやのように例の阿古屋が彼を尾行しているのかと思ったが、そこに立っていたのは阿古屋ではなく、勝の知らない長身の若い男だった。

「やあ南雲君、調子はどうだい?美織さんとはうまくやっているのかな?」

見知らぬ男になれなれしく話しかけられた勝は少し鼻白んだが、よくよく見るとどこかで見たような男だった。どこで会ったのか思い出せない勝が、返答をせずに考え込んだような顔をしていると、男はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ニヤニヤ笑いを浮かべながら自己紹介を始めた。

「俺は城嶋和樹、阿古屋室長の直属の部下だよ。君の警護を仰せつかったんだけど、室長から話を聞いてなかった?」

それを聞いて勝はようやく思い出した。目の前に立っているのは勝が蓮海容子に襲われた晩、四輪駆動車で現場に駆け付け、もう一人の小柄な男と一緒に偽装用の犬の死体を運んでいたあの時の男に違いなかった。

ようやく合点がいったという様子の勝を見て少しほっとしたように城嶋は言った。

「やっと思い出してくれたみたいだな。君は阿古屋室長とはすっかり仲良しらしいけど、何しろ室長は忙しい身だからねえ。君たちにずっと張り付いているわけにもいかない。代わりに俺たちが君と美織さんの警護をすることになったのさ」

あの阿古屋と仲良しだって?おいおい冗談じゃない。

勘弁してくれと内心思いながらもそれを顔には出さず、勝は尋ねた。

「すると美織も誰か別の人が警護を?」

「そうだよ。今頃は別の男が彼女に張り付いているはず…ゴロ?お前何してるの?

こんなところで!」

それまで穏やかに話していた城嶋が突然横を向き、血相を変えて大声を出し始めたので勝はびっくりしながらもそちらを向くと、そこには小柄な男が申し訳なさそうに右手を頭にやりながら愛想笑いを浮かべて立っていた。

「いやあ、ジョーさん面目ない。実は美織さんに追い払われちゃったんですよ。俺も仕事だからここにいるって頑張ったけど、自分の身は自分で守れるって。そう言って聞かないんですよ彼女。どうしてもって言うなら私の代わりに勝さんを守ってちょうだいって、そう言うから仕方なくこっちに来たんですけどね」

それを聞いて城嶋はゆっくり大きくため息をつくと、いきなり小柄な男の肩を両手でつかみ、前後に揺さぶった。

「君ねえ、そんなことでこの仕事が務まると思ってるの?今からすぐ戻って彼女を警護するんだよ、わかった?」

「だったらジョーさんが行ってくださいよ、俺は代わりに南雲さんの警護をしますから」

小柄な男にそう言われるとなぜか城嶋はにわかに弱気な態度になり、こう言った。

「それは駄目、それはまずいよ。だってほら、あの美織さんはさ、なんていうか、気が強そうじゃん。俺苦手なの、ああいうの」

ゴロと呼ばれた小柄な男はにんまり笑って逆襲に転じた。

「へっへっへ、ジョーさんも大したことないですねえ。それにあの美織さんは気が強そう、じゃなくて、実際メチャクチャ気が強いですよ。だって俺、あまりしつこくつきまとったから尻を蹴とばされそうになったもん」

そういうと小柄な男はひょいと尻を突き出して勝のほうを向き、城嶋に見えないように顔を手のひらで半分隠してぺろりと舌を出して見せた。

勝は笑いをこらえるのに必死だった。

目の前の二人の漫才のような掛け合いもさることながら、あのむっつりした中年男の阿古屋にこんな部下たちがいるという意外性に、勝はそこはかとないおかしみを感じたのだった。

「南雲さん、いつぞやの晩は失礼しました。俺、根来耕作といいます、室長やジョーさん、この城嶋さんのことですが、お二人にはゴロって呼ばれています。以後お見知りおきを」

そう言ってチョコンとお辞儀をする根来だった。

「美織さんの警護のことは後で室長と相談するとして、南雲君、ちょっとだけ顔を貸してくれないか?本来なら警護対象の人間と腹を割って話をする必要もないんだが、君と美織さんはかなり特殊なケースだ。少し話をしておいたほうがいい。まあ、実を言うと室長からそう言われているんだけどね。おいゴロ、お前も一緒に来いよ。どうせ美織さんのところへ行っても蹴っ飛ばされるだけだろうし」

さっきまでとは打って変わって真顔になった城嶋は勝にそう告げた。

勝のほうも彼らにいろいろ尋ねたいことがあったので、城嶋の提案は渡りに船ではあった。


最寄りのファミリーレストランに立ち寄って一番奥の空いているボックス席に陣取り、飲み物を三人分注文すると、城嶋はおもむろに話し始めた。

「ここだけの話だが、君が例の蓮海容子に襲われた件について、俺たち特防班のほうでも依然その動機がつかめていない。それだけじゃない、今回の件ではわからないことだらけと言ってもいい。阿古屋室長ほどではないにしても、俺もゴロも食人鬼の捜査についてはそれなりに経験を積んでいるにもかかわらずだ。実を言うと、君の彼女の美織さんの素性もまだはっきりとはつかめていなかった。つい数日前まではね」

城嶋の率直な話しぶりを聞いて、勝は同世代のこの男たちなら自分の疑問をある程度解いてくれるのではないかと密かに期待を抱いた。話の核心に触れる前に、城嶋は運ばれてきたアイスコーヒーで軽くのどを潤した。右手で軽く握ったグラスをじっと見つめつつ、しばらく沈黙を守っていた城嶋だったが、グラスの中で互い違いに重なっていた氷が溶けてカランと音をたてると、まるでそれが合図であったかのように顔を上げて再び話し始めた。

「南雲君、君の一番の関心事は美織さんが食人鬼なのかそうではないのかということだと思う。その答えはイエスでもあり、ノーでもある。

これは室長が長年食人鬼を研究している人物から聞いた話だが、どうやら彼女は食人鬼そのものではなく、希少種と呼ばれる食人鬼の亜種らしい。彼女たち希少種は通常の食人鬼のように人を殺してその肉を食うのではなく、特定の、たぶん多くの場合、異性の相手を選んでその肝臓だけを少しずつ食べることによって命を長らえるそうだ。なんでも肝臓はとても再生能力の高い臓器だそうで、少しくらい欠けてもしばらくするとまた元通りに戻るらしい。美織さんにとってその特定の相手だった行方氏が亡くなり、彼女は行方氏の代わりの人物を見つけた。

それが南雲君、君だったというわけだ。希少種は欧州方面で実際にその存在が確認され、その実態もある程度までは明らかになっているらしい。

美織さんは食人鬼の亜種、希少種と考えてほぼ間違いない。彼女が君を殺して食うということはまずないからその点は安心していいよ」

美織からその素性を告げられたときは半信半疑だった勝だが、城嶋の説明が美織の告白とも一致しているのを知り、内心安堵のため息をついていた。いつぞやの夢で見たような、勝が美織に食い殺されるかもしれないという心配は杞憂だったのだ。

また、行方老人が生前すがるようなまなざしで美織の面倒を見てくれるよう懇願していたことを勝はずっと不可解に感じていたが、今になってようやくその理由が理解できたのだった。

城嶋が勝に尋ねた。

「南雲君、美織さんから直接そういった話は聞いていなかったかな?」

「はい、実はつい数日前、同じような内容のことを美織から告白されました。彼女が言うには、僕に対して隠し事をするつもりは最初からなかったそうです。彼女はこうも言っていました。『私、あなたの肝臓が食べたい』って」

城嶋と勝が話しているあいだじゅう、よく冷えたクリームソーダに夢中になっていた根来が突然素っ頓狂な声をあげた。

「うへっ、そりゃまた変わったプロポーズのセリフだ!」

城嶋に向こうずねを蹴とばされてしかめ面をしつつ、今度は根来が勝に尋ねた。

「で、ジョーさんも言っていたとおり、なぜ蓮海容子があなたを襲ったのか、依然南雲さん自身も理由がわからないと?」

「はい。ただ、実は以前、蓮海さんから忠告されたことがあったんです。美織は食人鬼だからそばにいるといつ襲われるかわからない、彼女と別れてオリベ・エンタープライズに移籍したほうがいいって。急にそう言われても自分としてはどう返事をしていいかわからなかったものですから、しばらく返事を保留していたんです。そして、彼女に襲われたのは忠告を受けてから一週間ほど後の事です。このふたつの出来事は無関係ではないと思うんですが」

「うん、たしかに君の言う通り、ふたつの出来事の間には何か関係がありそうだ。ゴロ、おまえはどう思う?」

「俺が思うに、蓮海容子は南雲さんに横恋慕した」

「なるほど、で、思い通りにならなかったから可愛さ余って憎さ百倍、南雲君を襲うことにした、って、そんなことあるわけないだろ!」

時間差攻撃で城嶋に向こうずねを蹴とばされた根来はよける暇もなかったらしく、

苦痛に顔を歪めながら言った。

「ジョーさん、すべての可能性を当たるのは捜査の常道ですよ?南雲さん、その可能性は?」

「それはさすがにないと思いますが。でも、もし仮に彼女の忠告に従っていたとしたら襲われることはなかったと思います。あの時の蓮海さんの表情はとても真剣でしたから」

「美織さんと別れてオリベ・エンタープライズに移籍しろ、か。蓮海たちにとって何かせっぱ詰まった理由がありそうだが、南雲君本人にもわからないのではお手上げだな。美織さんがまだ君に告白していないことがあるのかも知れないが。まあいい、この件は保留としておこう。ただ、敵は蓮海容子だけじゃない、だからこそ俺たち特防班が君たち二人を警護する必要があるわけだ」

「蓮海さんだけじゃない?」

城嶋の話を聞いて、勝は織部努の顔をふと思い浮かべた。

「実を言うと、オリベ・エンタープライズの常勤役員のほとんどが食人鬼であることがすでに判明している。会長の織部も含めてね。俺たち特防班は長らく奴らの動向を監視していた。奴らは金の力にものを言わせて今や警察上層部にも食い込んでいる。警察やその他の政府機関だけじゃない、政財界にも奴らの影響力は浸透しつつある。織部自身が政界に進出するという噂もあるにはあるが、わざわざそんなことをせずとも十分な影響力を陰から行使できるはずだ。厚労省にその手が及ぶのも時間の問題かもしれない。さすがの阿古屋室長もあせりの色を隠せずにいるよ。何と言っても、室長にとって特防班は最後の砦なんだ」

「室長は警察官時代、食人鬼問題に首を突っ込みすぎて警察を追われたらしいですからね。まあ、奥さんのこともあるからそれも仕方ないけど」

「奥さんのことって?」

勝が尋ねると、城嶋が後を継いで答えた。

「もう十年以上も前のことだが、奥さんを食人鬼に殺されたんだよ。そんなこともあって阿古屋室長は食人鬼追及に執念を燃やしている。ただ、このままでは警察やその他の政府機関が奴らに取り込まれかねない。まったく、お偉いさんたちときたら、自分で自分の首を絞めているのがわからないんだから」

「大迫さんとかね」

根来が挙げた名前に勝は聞き覚えがあった。以前美織とステーキハウスで食事をしたとき、老夫婦が殺害されたニュースをテレビで流していたが、その被害者と同じ珍しい苗字だった。

「しばらく前にあった猟奇殺人事件の被害者ですね?」

「食人鬼にやられたんだよ。もっとも、その事実は公にはされていないけどね。大迫さんは元キャリア組の警察官僚で、現役時代は北海道警の本部長や警察大学校長を歴任したこともあるお偉いさんだが、裏で織部たちと何らかのつながりがあったらしいという噂は俺たちも耳にしていた。まさか自分たちがその仲間の餌食になるとは思ってもみなかったんだろう。金はたんまりあるし、バラ色の老後を思い描いていたんだろうけどね」

と、城嶋。

「袖の下なんかもらうからだよ。天罰てきめん」

クリームソーダのおかわりを注文し終わった根来が少し痛快そうな面持ちで言った。

「まあとにかく、オリベ・エンタープライズが奴らの牙城なのは間違いない。常勤役員以外にも奴らの仲間は社内に潜んでいるはずだからね。あの会社さえなくなれば、少なくとも食人鬼たちの組織的な政財界への働きかけは当分なくなるはずだ。俺たち特防班はあの会社そのものの壊滅を目下の戦略目標として掲げている。室長は今何とかその戦略をまとめようと苦心惨憺しているところだ。いくら仲良しとは言え、君にかまっている暇はないというわけ」

最初に会った時と同じようなニヤニヤ笑いを浮かべて城嶋が言ったが、勝は心ここに有らずといった面持ちだった。

奥さんが食人鬼に殺された?あの阿古屋にそんな過去があったなんて。

城嶋の話を聞いて、少しだけあのこわもての阿古屋への見方が変わった勝だった。

彼がふと目の前に置かれた手つかずのアイスコーヒーを見ると、グラスの氷はすでにあらかた溶けてしまっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る