第7話 告白
勝の会社ではオリベ・エンタープライズの役員、蓮海容子の失踪の噂でもちきりだった。
蓮海は彼らにとっても元同僚であっただけに、当然のように皆が大きな関心を寄せていた。
行方老人の葬儀が終わってからしばらくの間、美織は会社を休みがちになった。
職場に顔を出しても口数が少なく、以前のような快活さは見られなくなっていた。
勝の同僚たちは祖父の死のショックが尾を引いているのだろうとみていたが、勝は何か別の理由があるはずだと確信していた。そんなある日、終業時刻が過ぎて社員たちは三々五々オフィスを後にし、家路についたが、美織は席を立とうとせず、ややうつむき加減でパソコンのモニター画面をぼんやり眺めていた。オフィスに二人きりになるのを待っていた勝は美織のわきに立ち、彼女に言った。
「話があるんだ、美織」
美織は勝が話しかけるのを待っていたかのように彼を見上げ、ゆっくりうなずいた。彼女の明るい鳶色の瞳は、いつになく大きく見開かれていた。勝はいつだったか、美織の瞳に吸い込まれそうになる錯覚を覚えたことを思い出した。美織は身じろぎもせず勝に話しかけた。
「実は私のほうからあなたに言っておかなければならないことがあるの。私と、死んだ蓮海さんたちに関わること」
どうやら美織は蓮海の死の真相についても先刻承知のようだった。
私と、蓮海さんたちに関わること、か。
勝は美織の言葉を聞いて胸が痛んだ。美織はやはり食人鬼だったのだ。
今となっては何を言っても仕方ない。蓮海が忠告したように、たとえ美織が彼を襲い、その結果命を奪われることになったとしても、勝はそれを自分の運命として受け入れるつもりだった。勝は美織の大きく見開かれた瞳を見つめながら、いつしか諦めの境地に陥っていた。
「勝さん、あなたに隠し事をするつもりは最初からなかったわ。あなたが私のことを、蓮海さんたちと同じ食人鬼ではないかと疑っていたのもわかっていた」
「でも、それは事実なんだろう?」
「私はあの人たちとは違うわ。あの人たち、織部さんや蓮海さんたちはただ人間を殺して食べるだけですもの。私は違うの」
「織部会長もそうなのか?だが、いったいどう違うと言うんだ?」
勝の声はいつしかうわずり、次第に大きくなっていった。
「私は人を殺さない。特定の相手を見つけて、そして…その人の肝臓を食べるのよ」
「肝臓?」
「そうよ。誰でもいいという訳ではなくて、適性を持った人を探し出して、その人の肝臓を半年か一年に一回くらいの割合で食べるのよ。一度に全部食べるわけじゃない。少しだけ食べて、しばらくすると元通りに再生されていて、またそれを少し食べる。その繰り返し。
そうし続けないと、私は死んでしまうの」
勝はしばらく口がきけなかった。そんなことが本当にあるのだろうか?
この数週間というもの、実に不可思議な出来事が勝の身の回りで立て続けに起こったが、今日の美織の告白はまた一段と奇想天外な話だった。
勝には彼女の話がにわかには信じられなかったが、美織の思いつめたような表情を見ていると、口から出まかせを言っているようにも思えなかった。
勝は気を取り直し、美織に尋ねた。
「すると君は、今までそうやって誰かの肝臓を食べ続けて来たんだね?でも、いったい誰の肝臓を?」
「操さんよ」
美織はためらうことなく即座に返答した。
勝は、美織が自分の祖父を名前で呼んだことにやや違和感を覚えつつも、心に生じた疑問を口にした。
「君の死んだおじいさん?じゃあ、彼の本当の死因は?」
「勘違いしないで、操さんは本当に病死したのよ。だいぶ以前から体が弱っていたわ。そして、あの人は私の祖父じゃない。操さんは、私の恋人だったのよ!」
そう言うや否や、美織は口を手で押さえて嗚咽を漏らし、両目から大粒の涙をこぼした。
「あの人を長生きさせられなかった。私の力が足りなかったから!」
涙声でそう言うと、彼女はデスクに突っ伏してわんわん泣き始めた。
行方老人が美織の恋人?力が足りなかったって?
彼女はいったい何を言っているのだ?
混乱の極致に達していた勝はもはや何と言っていいかわからず、泣きじゃくる美織のそばに茫然と立ち尽くしていた。
しばらくそうしていた勝だったが、やがて気を取り直して彼女の肩に手を置き、ポケットからハンカチを取り出して、美織に差し出した。きれいに折りたたまれたハンカチを受け取ると、美織はそれをくしゃくしゃにして涙を拭き、勝の方を向いて小声でささやいた。
「勝さん、私」
勝がもっとよく聞き取ろうとかがみこんで小首を傾げると、美織は勝の腕にすがり、涙に濡れた瞳を微かに泳がせてこう言った。
「私、あなたの肝臓が食べたい」
にわかに妖しく輝き始めた鳶色の瞳に見つめられ、いつぞやのようにその中に吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚にとらわれた勝は、立っていられないほどの激しいめまいに襲われた。
彼はもはや美織の瞳から目をそらすこともままならず、全く身動きがとれなくなっていた。
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