第31話 どうか、あの夢が


 ユキは、その瞬間、頭が真っ白になる。


 自分が処刑されるかもしれないことも、兵士に囲まれて王や王子に裁かれていることも、もう諦めかけていた絶望感も、全てが吹き飛ぶ。


 魔法を使うために、何度も記憶で思い出していた、サリアとのキス。


 その鮮烈な感覚が、今目の前に、確かにある。


 ユキはその感覚を、再び味わうことをずっと待っていた気がした。そしてサリアの身体に手を回し、強く抱きしめ返した。


「な、何たることだ!」


 王は娘が目の前で亜人にキスをした衝撃で、椅子からずり落ちそうになっていた。


「なっ……」


 グロスタとネスター、兵士たちですら、何が起きているのか脳が理解できないかのように、その場で硬直した。


 ユキは、サリアが先ほど言ったことの意味が、ようやくわかった。


 今まさに、人生最大と言っていいほど早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、今までできなかったことだって、できる気がしていた。感情の渦に身を任せ、サリアを強く抱きしめながら、祈る。


 どうか、あの夢が叶いますように。


 亜人と人類の平和だとか、そんなものではない。もっと手の届きそうな、切ない祈りだ。


 サリアと、マヨイと、ユキが、笑いながら、机を囲んで談笑する、その光景を浮かべながら……



 ユキは魔法を使った。



 騒がしい音が消え、小鳥の鳴き声が聞こえる。


 ユキには、目の前に感じる暖かい体温だけが、世界のすべてに思えた。その暖かさを知っていれば、この後処刑されるのも怖くないと思った。


 気を失いそうなほど緊張しているのに、どこか安息を感じる。


 次第に、五感が取り戻されていくように感じた。ユキはようやく目を開けて、サリアから唇を離した。


 サリアも目を開け、しばらく二人は見つめ合う。そこには恥じらいは無く、ただお互いを真っ直ぐに受け入れた視線だけが交ざり合っていた。


 妙に落ち着いた心地で、ユキは、サリアから少し離れた。


 ここはユキのよく知っている場所だった。当然だ。ユキはここで、三人で話すその日々を思い浮かべたのだから。それなのにどこか現実感が無くて、ユキはこれが夢なら覚めないで欲しいと願った。


 サリアはユキとは違い、見慣れない景色に戸惑っている。ここがどこだかわかっていないようで、部屋の中の色々なところを見て、不安げに歩いて回った。


「これって、現実?」


 ユキは口に出した。その声は確かに声帯を震わせ自分の口から発されたので、ユキはこれが夢でない証拠を一つ掴んだ気がした。


「ここはどこ……?」


 サリアはサリアで、自分がどこにいるかわからなくて、実際に起きたことが信じられないようだった。そんな時、足音が部屋に近づいてくるのが聞こえた。


 扉を開けて入ってきたのは、マヨイだった。


「はっ?」


 マヨイは、マヨイらしくない間抜けな声を出して、部屋に迷い込んだ二人の侵入者を目にして立ち尽くしていた。


「マヨイ……」


 ユキも、現実か確かめるように、少しずつ歩いて近づき、少し躊躇って立ち止まった。もしこれが夢だったら……触れたとたんにマヨイが消えていなくなったらどうしようかと、ユキは思った。


 しかし、勇気を振り絞って、目を瞑ったまま、ユキはマヨイに抱き着いた。すると確かにしっかりとしたマヨイの長身はそこにあり、ユキの身体を受け止めた。


「マヨイ! マヨイ、会いたかったよ! 本当に会いたかった!」


 マヨイと入れ替わって以来、久しぶりに、ようやくマヨイの身体に触れたユキは、嬉しくて泣きだしてしまった。


 今まで、ユキが城にいる間は、確かに今までマヨイがいた痕跡だけを目の当たりにして、それでもマヨイ自身にだけは絶対に会えない歯がゆさをずっと感じていたのだった。


 マヨイの体温を感じて、ようやくユキはこれが現実だと認めることができた。


(成功した! 成功したんだ! 嘘みたいに城から、サリアと一緒に、ここまで転移できたんだ!)


 ユキはマヨイが痛がるほど強くマヨイを抱きしめた。


「ユキ……ユキなのか? 本物なのか? 信じていいのか?」


 そう言いながらもマヨイは、抱きしめた相手がユキだと、身体ではっきりわかっていた。そして勝手にぽろぽろと涙が流れて、ユキの髪の毛を微かに濡らした。


「ユキ! 成功したんだな! 使いこなしたんだな! よく帰ってきた。よく無事で……」


 強く抱き合う二人を見て、サリアは少し寂しそうに微笑んだ。


 マヨイはふと見上げてサリアと目を合わせ、泣き笑いながら頷いた。それを見て、サリアもようやく涙があふれ、その場で静かに泣いたのだった。

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