第29話 別に普通


 ユキが魔法を成功させた少し後、ネスターは城の中に与えられた自室で、椅子に掛けて衛兵の報告を聞いていた。


 机の上には、お金の入った小袋が置かれており、ネスターはそれを隠そうともしていなかった。


「全く、脅しで傷つければ、怯えて部屋から出てこないかと思いきや、ふてぶてしい亜人のガキだ。それで、どうだね。亜人の小娘が何を企んでいるか、わかったか?」


「いえ……しかし、最近少し妙ことがあったんです」


「ほう? 言ってみろ」


 ネスターは金貨を取り出して、指先でころころと転がすと、指でピンと弾き、衛兵のほうへ飛ばした。衛兵はそれを両手でキャッチすると、戸惑いながらも報告した。


「部屋の前でいつものように警備をしていたのですが、扉を開いていないにも関わらず、あの娘がいつの間にか廊下に立っていたのです。最初は見間違いかと思いましたが、こちらに話しかけて部屋に戻っていったのです。間違いなくあの場にいました」


「部屋の中にいたはずなのに、いつの間にか外にいただと?」


「え、ええ。信じられないかもしれませんが、もう一人の担当者も、私と一緒に確かに見ていました。見間違いではありません」


「そうか……であれば魔法。状況から察するに、転移魔法かもしれん。だとすれば、そんな奴に城内のことを知られるのは、とんでもなく恐ろしいことだぞ。あの馬鹿王女は、自分がそれだけのことをしているとわかっているのか? いや、あるいは……それこそが目的かもしれん」


「は、はぁ。目的ですか?」


「気にするな。後はこちらで何とかする。早急に手を打たねばなるまい。怪しいのは、やはり王女との密会だが……」


 衛兵が去ったあと、ネスターはユキの魔法のことを考え、次に打つ手を頭の中で練り始めた。


 自分の場所を自由に移動できる魔法……それを使えるものが城内にいるということは、いつ何時でも王やグロスタの寝首を搔くことができることと同意だった。


 今すぐにでも手を打たなければ、一瞬にしてシルヴァリア王国は瓦解し、亜人に攻め入られてしまう。


「恐ろしい……恐ろしい娘だ」


 薄暗い自室の中、ネスターはそう呟いた。




 ある日ユキは再びサリアに呼び出されて、サリアの部屋に来ていた。


 キスをした日から二人はぎくしゃくとしており、お互い平常心ではいられなかった。


「来たのね、ユキ。さ、おかけになって」


 サリアはユキに腰かけるように促した。ユキも目を反らしながら、勧められるままに椅子に座った。


「マヨイを呼びますね……」


「あの、少し待って。今日は辞めましょう。ユキと話したくてお呼びしたのですわ」


「え? そうだったんですね」


 ユキは気まずかったこともあり、とっととマヨイと入れ替わろうと思っていたが、しかしサリアはユキと話すために今日は呼んだようだった。


 しかし、ユキはしばらく口を開こうとせず、お互い気まずい沈黙が流れた。


「あ、あの」

「えっと」


 気まずさに耐えかねてユキが口を開くと、サリアも同時に喋ろうとしたため、二人は相手の言葉を待とうと、口を閉じた。


 そしてどちらも喋ろうとせずに、再び沈黙が訪れた。しばらくすると、ユキはそれに耐えかねて、少しくすっと笑った。


「ど、どうしたんですの?」


 サリアは焦りながら、しかし不思議そうにそう尋ねた。


「サリアって、出会った時はすごく、毅然きぜんとした人に思えたから。なんか、今の状況が面白くて……」


「まぁ! 失礼ですのね。私これでも、真剣に悩んでいるんですのよ!」


 ユキの冗談に、ようやくサリアは話をする気になったようだった。


「あの、接吻せっぷんは、気の迷いなんですの。マヨイのことなんて、私これっぽっちも思っていないんですから」


「接吻……」


 聞きなれない言葉で表現され、ユキはかえってこそばゆく感じて、頬を赤らめた。


「あれはただ、マヨイがユキと二人で仲良くして、私をのけ者にするから、からかってやろうと思っただけですの。接吻くらい、仲のいい友達なら、したっておかしくないでしょう? 本で読みましたわ」


「え? う、うん。そうよね。別に普通だわ」


 ユキは全く普通ではないと思っていたが、シルヴァリア王国の人間にとってはどうやら普通のことらしいと思い、知ったかぶって話を合わせた。


「そうでしょ。だからあんなのは事故だし、ユキと接吻したのだって、別に普通のことですわ。だからそんな風に、避けようとするのはやめてください。私だって、傷つくんですから……」


 ユキがすぐにマヨイと入れ替わろうとしていたことを、サリアもわかっていたらしい。


 確かに露骨に避けようとしていたことをユキは反省した。ユキだって元々、毎回マヨイを呼ぶようになってからは、たまには自分だってサリアと話したいと思っていたのだった。


「ごめんね。確かに、こうやって話すのも、久しぶりね」


「そうですわね。私も、少し舞い上がっていましたわ。ユキとの時間だって、大事にしたかったのに……」


「サリア……」


 一瞬、サリアとユキはじっと見つめ合い、やはり恥ずかしくなったのか、お互い同時に視線を逸らした。ユキは焦って、誤魔化すために話を振った。


「そうだ、サリア。私、魔法がもう少し上手に使えるようになったかも!」


「そうなんですの? マヨイとの交換だけではなくて?」


「うん。自分だけを、短い距離だけど転移させることができるようになったよ。このままもっと上手になれば、私達、三人で一緒に会うことができるかもね」


「本当⁉ それは楽しみですわね! 何かコツを掴んだんですの?」


「うん。実はね、魔法を成功させるには、感情が昂っていればその分だけ成功しやすいの。だから……」


 そこまで言って、ユキは自分が魔法を使うときに、サリアとのキスを思い出していることを、言うわけにはいかないと思った。そしてそれ以上は深く話さなかった。


「うん。そんな感じ……」


「わかりますわ。私も、ユキと出会ってから、魔法が上手になった気がしますの」


「そうなの? それはどうして?」


 サリアは、魔法と剣の類まれなる才能があるがゆえに、戦場でも前線に出て戦う、姫騎士でもあったのだった。普段見せることもないのでユキすら忘れていたが、サリアは魔法の使い手なのだった。


「守りたいものを思い浮かべるんです。今までは、王国や、民のこと。そこに、ユキも加わって、守りたいもののイメージがより強固になりましたわ。それを考えると、私の防御魔法はより強固になり、周りの人間の代わりに攻撃を受けることができるのです」


 サリアの魔法は防御魔法、自分に当たる攻撃を、身にまとった魔法が肩代わりしてくれるというものだった。それと剣の腕もあり、攻撃も得意なため、自分は傷つかずに敵を倒すことができるという、最強の騎士だった。


「サリアは偉いね……」


 サリアが民を守りたいという気持ちを思い浮かべていると聞き、自分が思い浮かべているものと比べてしまって、ユキは少し恥ずかしい気持ちになった。


「ね、いつか三人で一緒に、こうして机を囲んで話をしたいものですわね。思い浮かべただけで、幸せになってしまいますわ」


 サリアはその光景を想像して、幸せそうな顔をした。


 ユキもそうなるといいなと思い、より一層魔法の鍛錬に励むことを、心の中で決意したのだった。

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