第23話 私しかいないのよ


 ユキは基本的にはシルヴァリア城に来て以来、部屋の外に出ることが許されていなかった。


 サリアに呼ばれたときだけ、従者のローラに付き添われて、庭園かサリアの部屋に行く事があった程度だ。そんなこともあり、ユキ城内の人々とあまり接する機会は無かった。


 その日は珍しく、ユキの部屋に一度訪ねたものの、天気もいいのでやはり庭園に行こうということになり、ユキとサリアは部屋を出て、一緒に移動を始めた。


 すると、部屋の外に出てすぐ、正面から二人の人物が歩いてきた。


 片方は、赤い煌びやかな正装をした、サリアと同じ金髪を短く切っている男性だった。サリアより少し年上に見える男は、肩で風を切って堂々と歩いており、城の中においてもなお一層身分が高いことがユキにも伝わった。


 隣を歩いていたもう一人の男は、金髪の男よりもさらに背が高いものの、やせ細った不健康そうな見た目をして、黒いローブのような服を身に着けて居た。目の下には隈があり、その赤い髪の毛は城にいる人間らしくないと言っていいほど、乱雑に、男にしては長く伸びている。


「ごきげんよう、お兄様」


 サリアがそう金髪の男に声をかけたことで、ユキはその人物がサリアの兄、つまりシルヴァリア王国第一王子のシルヴァリア・グロスタだということがわかった。この人物こそが次期国王だということを知り、ユキは少し緊張した。


「サリアか。先の戦いでは活躍したようだな。その戦利品が、それというわけか」


 グロスタは表情を少しも変えずに、ユキの方を顎で指し、物扱いするように言った。


「ええ。その通り。この子は私のものですわ、お兄様。大事な人質なのだから、手出し無用ですわよ」


 サリアも遠慮をすることなく、グロスタにそう言い返した。


「何を考えている? サリア。人間の人質なら外交上必要なこともあろうが、亜人など生かしておく理由は無い。本来、城の中を歩かせてよい物ではないのだ、これは」


 ユキは久しぶりに人間からの悪意を正面からぶつけられ、鼓動が速くなるのに体温が冷えるような、嫌な感覚を思い出していた。グロスタがユキを見る目は、奴隷商人の物や、商品を品定めする人間と全く同じものだった。


「何をおっしゃるのかしら。私たちが今、戦争をしているのはビスタリアだけなのですから、大事な人質には変わりありませんわ」


「ビスタリアなどという国は存在しない。我々が行っているのは戦争ではなく鎮圧だ。この城の中で、よくもそのような世迷言が言えたものだな」


 サリアも果敢に言い返してはいたが、グロスタは冷たくそう言い切った。


「お父様も認めてのことですわ。彼女の利用価値は」


「これが亜人の中でどんな位置にいるというのだ? あちらが王女だと言っているのは、黒い毛だと聞いたぞ。お前はなんなんだ。言ってみろ亜人」


 グロスタはそうしてユキに問うた。


 サリアがどう王に説明したのかユキにはわからなかったが、ビスタリアの王女ではないということはグロスタは知っているようだった。サリアは答えに窮しているようだったので、仕方なくユキは口を開いた。


「口を開くことをお許しいただけるのであれば……」


 ユキはまずそう付け加えた。奴隷の身分では、勝手に発言をするだけでこっぴどく叩かれることもあった。そうした時の振る舞いは、身分の高い人間にも有効だとユキは考えた。グロスタが何も言わないので、ユキは言葉をつづけた。


「私はクロシク・トバリの養女であり、クロシク・マヨイ王女の妹です」


 それは、トバリがユキがここに来る前に、提案してくれたことだった。


 マヨイが救われていなければ、トバリは実際にそうするつもりだったのだから、ただの亜人と見られるよりはそう言っておいた方が無難だろうと思い、ユキは自分の身分をそう説明したのだった。


「フン。養女だと? 血筋も引いていないものを後継者に選びかねんというのが、所詮王家の真似事だということの証左だな。いいか、サリア。亜人に人権はないのだ。処刑の方法を考えあぐねているのなら、ネスターに任せるがよい」


 グロスタは隣にいる不健康そうな男を見てそう言った。その人物がネスターという男らしい。


「是非、私にお任せを。確かに、第二王女だというのなら利用価値はあると言えましょう。残虐に殺し、見せしめにして戦場に晒せば、鎮圧も早く終わりましょう」


 ユキはネスターが覗き込むようにユキを見たのに怯えたが、できるだけ表情を崩さないように保った。ネスターがユキを見ながら、どうやって殺そうかと考えているのは明らかで、ユキはドレスの内側で足が震えるのを止められなかった。


「手出し無用と申し上げましたわ。グロスタ様。あなたの引っ付き虫の貴族は、王族である私や、それを許した王自身の、ユキを人質として利用するという考えを愚弄するつもりかしら。まるで、自分の考えの方が素晴らしいとでもいいたげで不愉快だわ」


 サリアは苛立ちを隠そうともせずにそう言い放った。無視された上に言動を注意されたネスターは、それを見て少し怯んだ。グロスタの方も、一瞬不快感を表情に出したが、すぐに冷徹な無表情に戻った。


「調子に乗るなよサリア。私こそが王位継承者なのだ。そうなれば従者の発言は王のもの。城を歩く亜人がいればその場で処刑する」


「少し、気が早いようですわね。お父様は元気にご存命だというのに、叛意はんいと誤解されかねない発言ですわ。お気をつけあそばせ」


「……貴様」


 一触即発の雰囲気で、しばしグロスタとサリアはにらみ合った。ネスターは両者の顔色を伺いながらおどおどしていたが、ユキは黙ってじっとグロスタのほうを見続けた。


「行くぞ、ネスター。亜人臭くてかなわん」


 しばらくにらみ合った後、そう言い捨てると、グロスタはネスターを連れて去っていった。


 じっとしていたサリアとユキだったが、グロスタとネスターの姿が角を曲がって見えなくなると、サリアは素早くユキに抱き着いた。


「ユキ……ああユキ。ごめんなさい。怖い思いをさせたわね。震えているじゃない。可哀想に」


 ユキは何とか震えを隠そうとしていたが、そうして抱き着かれてしまえばすぐにばれることだった。


「いいの。慣れてるから……」


 ユキはそんな扱いに慣れているはずだったが、久しぶりにこうして悪意を突きつけられると、これほどまでに怖かっただろうかと驚いていた。ユキはなんとか平静を保とうとしていたが、サリアのほうが泣きそうな顔でユキのことを見ていた。


「こんなことされて、当たり前と思っちゃいけないのですわ。可笑しいのは、あの人たち……この城の人たちなんですから……」


 以前サリアが言った意味は、ユキにもよくわかった。亜人のことを考えてくれる人

間など、サリアしかおらず、その中でサリアは孤独にも、戦ってくれていたのだろう。


 そう考えると、サリアは若いにも関わらずなんて立派なのだろうとユキは思った。


「私が守ります……決してあなたを傷つけさせやしませんわ。絶対ですのよ。だからどうか……どうか嫌いにならないでね」


 サリアのその言葉が、人類を嫌いにならないで欲しいという意味なのか、サリアを嫌いにならないで欲しいということなのか、ユキにはわからなかったが、ユキはそれに答えるように、サリアの背中にそっと手を置いたのだった。


 その日、サリアはユキと話して別れた後、自室で一人になった時、恐怖に震えていた。


 グロスタの前では一歩も退かず、弱気を見せなかったというのに、サリアは怖くて仕方が無かった。


 それはグロスタやネスターが怖いということではない。もし、そんな二人の手にかかって、ユキが酷い目にあわされたと思うと、震えが止まらなかったのだった。


「私はあいつらなんて、怖くない。だけど、ユキを傷つけられるのだけは……」


 一人きりで、亜人を人と思わない連中が大半を占める城の中で、サリアは少しずつ、表ざたにしないように、勢力を拡大しながら、亜人と人間が共存できる世界を目指そうとしていた。それは孤独な闘いであり、過酷な道だったが、サリアに恐怖は無かった。


 だというのに、今になって協力者のユキの身の安全が脅かされたらと思うと、崇高な理念や目的など全て投げ出して、他の亜人を見捨ててでも、ただ目の前のユキだけを守ってやりたいという気持ちにサリアはなってしまうのだった。


 サリアにとって、ユキは、罪がないにも関わらず人類に虐げられており、それでも人類を恨まないという、純粋無垢で穢れのない存在だった。そんなユキが悪意によって汚され、酷いことをされるのは、サリアには我慢ならなかった。


「あの子には私しかいないのよ。私が守ってあげなくては」


 このおぞましい者達が蠢く城の中で、自分だけがユキの味方だと、サリアは考えていた。そして今日の一件で思い知った、ユキを失う恐怖から、サリアはより一層ユキに執着するようになったのだった。


 そんな時、それをあざ笑うかのように、事件は起きた。

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