第18話 約束を、今から

 その後、ユキは、トバリと共に、その無事を祈りながら、ロアートとマヨイの後ろ姿を見送った。


 ユキはマヨイがいない間、魔法の練習を続けるとともに、マヨイから伝えてもらった気持ちにどう答えるか、心を悩ませていた。


 もちろん、マヨイがいつか無事帰ってくることを信じて。


 しかし、何日たってもマヨイが帰って来ないばかりか、ビスタリア城には何人もの負傷兵が日に日に全然から戻って来ていた。


 凄惨な戦場は、その場を目の当たりにするまでもなく、戻ってきた兵士達の虚ろな目を見ていれば想像に難くなかった。


 それでもマヨイの無事を信じてユキは魔法の練習を続けていたが、気持ちは焦るばかりで魔法の技術に進歩は無かった。


 そんな時、トバリが衛兵を引き連れて、ユキのいた森まで出てきた。戦いが激しくなっていることもあり、トバリや王城の警備も厳しいものになっていただけに、ユキはトバリがわざわざそこまで出向いてきたことに驚いていた。


「トバリ様、どうしたのですか、こんなところまで」


 しかしユキは、いつも余裕のある笑みを浮かべているトバリの、見たこともない真剣な表情を見て恐怖を感じた。


「まさか……」


「マヨイが、戦場で敵軍に捕まったとの情報が入りました。あなたには、取り急ぎお伝えしなくてはと思い、ここへ来たのです」


「そんな!」


「マヨイに逃がされた新兵の一人が証言しているので間違いないでしょう。ユキ。あなたはこれから城から出ずに過ごしなさい」


「え? どうしてですか?」


 ユキは当然の疑問を口にした。


「亜人の王族は、世継ぎ無き時、家族の契りを結んだ養子を身分の貴賤なく迎え、世継ぎにふさわしい人物として育てます。以前話したことは覚えていますね。あなたは既に、私の娘同然なのです」


 トバリの顔には、少しの迷いもない、真剣な表情だ。話をまとめると、トバリはマヨイの命の危機が迫っていることを知り、家族同然のユキを養子にして正式に王家に迎え入れると言っているようだった。


「何を言っているんですか? 助けないと。ロアート王だってご存命なのでしょう?」


「戦況は厳しいのですよ、ユキ。いつ私が女王になってもおかしくありません。そして、私がいつ死んでもおかしくありません。お願いよ、ユキ。私たちを見捨てないで」


 ユキには何がなんだかわからなかった。


 まずはマヨイを何としてでも助けるべきじゃないのか?


 連れ去られてしまったのなら交渉でも何でもいい。まずマヨイの命が最優先のはずだ。それなのに、実の娘の命を見限ったように、戦いを続けるというトバリは言う。いつもの優しいトバリの口からそんな言葉が発されたことが、ユキには信じられなかった。


 気づけば衛兵のうち二人が、ユキを守るようにその後ろに控えた。ユキが戸惑っていると、ユキの返事も聞かずにトバリは城に向かって歩き出した。


「さあ、行きましょう」


 ユキの傍の衛兵が、その後へ続くようにユキへと促した。ユキは言われるがままに後ろをついて行った。


 そして城内に入ると、今までずっと開いていた城門が閉められた。


 本格的に防御を固めるつもりらしいが、ユキは外の者を見捨てるかのように閉まった城門を見て、堪えられなくなり、再びトバリに話しかけた。


「トバリ様! マヨイを助けましょう。見捨てるなんて、トバリ様らしくない!」


 トバリはその言葉に振り向いた。しかし、先ほどの真剣な表情とはまるで違う、泣き出しそうな表情だったのを見て、ユキは言葉が続かなかった。


「私が一番つらいのです。実の娘ですよ⁉ 救うためならなんだってやります。そのためには、せめて交渉ができるところまでは戦わなくては!」


 感情を露にしてそう叫んだトバリの姿を見て、ユキは驚くどころか、内心ほっとしていた。


 よかった。トバリはちゃんと、マヨイを愛する慈悲深い母のままだった。


 そこで初めて、ユキは冷静に物事を考えられるようになった。トバリは自分に何かあった時のために、世継ぎのことを考えなければなかったのだろうし、そのためにユキを頼ってくれ、これから詰め込むように色々教えようと思ってくれたようだった。


「トバリ様。私、嬉しいです。私のこと、そこまで思っていてくれたなんて」


 ユキは衛兵が見ているというのに迷わず、トバリに抱き着いた。トバリは一瞬戸惑ったが、やがてユキのことをぎこちなく抱きしめた。やはり、一番に考えているのはマヨイのことなのだろうと、ユキ自身わかっていた。


 そしてユキは一歩下がると、トバリの目を真っ直ぐに見て、言った。


「トバリ様。ごめんなさい」


 トバリは不安そうな顔をする。


 トバリは自分でもわかっていた。つい少し前に城に初めて来ただけのユキが、そんな重責を背負わされるのは、嫌がるだろうと。


 ユキはまだ年端のいかない少女なのだ。小さいころから王女として育てられたマヨイとは、心構えが違うに決まっている。


「私、トバリ様との約束を、今から破ります」


 トバリは一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。


 すると、ユキは、自分の胸に手のひらを当てて、ゆっくりと目をつぶった。


 そして胸の前でぎゅっと握りこぶしをつくると、ユキの周りに不思議と風が渦巻いた。衛兵たちはそれを見て、ざわつき始める。


 ユキは、どうしてか、それだけはできると確信していた。必要なのは、強い気持ちだ。そして、結果を信じること。何度か成功したそれだけは、遠くてもきっと成功できるはずだと。


「マヨイにも謝っておいてください。きっと怒るだろうから」


 ユキが最後に目を開いてそう言った時、トバリもようやくユキが何をしようとしているのか、理解した。


「だ、駄目! やめなさい、ユキ! あなたがここにいればいい! それだけで十分なの! よしなさい!」


 しかし駆け寄ったトバリに微笑むと、ユキはまるで胸のあたりに一瞬で吸い込まれるかのように、消えた。




「はっ……? お、母様……? ここは……」


 トバリが手が届くほどに近づいたときには、ユキが消えた一点からぎゅるりと渦巻いて出てきたマヨイが、傷だらけで、呆然とそこに立っていた


 トバリは一瞬固まったが、すぐにマヨイに抱き着いた。


 マヨイは何が起きたかわからず、ただ戸惑っていた。


「うぅっ……マヨイ……マヨイ……ごめんなさい。ごめんなさい、私のせいで……ユキが」


 マヨイに強く抱き着きながら、トバリはそう謝罪を繰り返した。マヨイはただ身体を揺らされるままで、立ち尽くしていたが、やがて自分がここにいる意味を理解しはじめた。


「まさか。そんな。嘘だ……」


 マヨイは無事に生還したというのに、その場に崩れ落ち、座り込んだ。トバリはマヨイに抱き着いて泣き続けたが、マヨイはショックのあまり、ただ茫然と虚空を見つめていたのだった。


 ユキは、ここぞという場面で、しっかりとマヨイと位置を入れ替える魔法を使うことに、成功したのだった。

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