第17話 私は今、初めて


 マヨイは城のバルコニーから、一人、遠くを見ていた。


 陽は沈みかけ、森の中は少し暗くなり、夕日が木漏れ日となって美しく差し込んでいた。


 マヨイは翌日にはここを発ち、浅き森防衛戦へ参加しなくてはならない。今までにないほど戦況は厳しく、マヨイは最悪の事態を覚悟して、それでもなお、行かないという選択肢は全く考えていなかった。


 戦場へ連れて行かないことに、ユキが納得してくれて、マヨイは心底ほっとしていた。ユキが死ぬくらいなら、マヨイは自分が死にたいと思っていた。それでも必死でなんとか説得して戦場について来ようとしていたユキの必死な姿を思い出し、マヨイは思わず小さく笑った。


 初め、フロシィに似た少女を浅き森の中で見つけた時、マヨイはサリアのことなど頭から吹き飛び、今すぐこの子を守らなければと思った。


 失ってもう二度と会えない親友が、奇跡的に帰ってきたのだと、一瞬信じて、その場で泣きそうなほどだった。


 しかし、連れ帰って一緒に過ごせば、当然だがユキはフロシィとは全くの別人だった。それなのに、マヨイはその事実にがっかりするどころか、ユキとの色々な事件を経て、心に空いた穴が満たされていくのを感じていた。ユキはフロシィに似ていたのに、いつの間にかユキを見ている間はフロシィをかえって忘れるようにすらなっていた。


「あいつといると、本当に飽きないな……」


 風呂で気を失ったり、魔法をこっそり練習していつの間にか習得したり、早々に使いこなして、マヨイを守ってみせたり、ユキのやることはいつだってマヨイの想像を超えていた。


「なんなのだろうな、この気持ちは」


 マヨイは、ユキを見ている時に感じる未知の感情が、友情とは違うことだけははっきりとわかっていた。しかし、それが何なのかまではマヨイにはわからなかった。最近になって、マヨイがユキの読んでいた本を手に取った時、それを読んでいる間、マヨイはユキを見ているときと同じ感情がこみ上げて来ることに気づいた。


 そして小説に教えられる形で、鈍感なマヨイもようやく気づいたのだった。


「恋……なのだろうか。しかし、私たちは女同士だぞ」


 本には、女性同士の恋愛が描かれていたが、本来恋とは男女の間で結ばれるものだろうと、マヨイは当然の様に思っていた。


 女性同士でもそういう感情が芽生えるということと、マヨイのその感情は恋だということを同時に気づき、マヨイははじめ戸惑った。その気持ちを整理するのに、しばらく時間がかかった。


 しかし、こうして自分が生きて戻れるかわからないという状況になれば、迷いなどは軽々と消し飛び、マヨイははっきりと自分の気持ちを正面から受け入れていた。


「私はユキが好きだ。ずっと一緒にいたいし、私だけのものにしたい」


 マヨイはいつ死んでもおかしくはない。例えユキがフロシィのように姿を消してしまわなくたって、マヨイが死んだとしてもユキには会えなくなるのだ。


「私、死にたくないよ……」


 マヨイは生まれて初めて、戦いの前に恐怖を感じていた。


 ユキと共にいる生活は居心地がよくて、行かないでと引き留められるたびに、態度には出さないがマヨイは心が揺らいでいた。


 死にたくない。死ねば二度とユキと会えないから。


 マヨイは単に死そのものを恐れるわけではなく、そんな理由で、死にたくないと思うようになっていた。


 マヨイは、その恐怖からどうしても解放されたかった。前向きに戦いに臨みたかった。もやもやを抱えたまま戦場へ赴くのは、危険なことだ。マヨイの性格にも合わない。


 だからマヨイは、一人っきりで何度も迷って、ようやくこの時、一つのことを決意したのだった。


 その翌日、ユキの目が覚めると、マヨイはおらず、手紙の書き置きだけが置いてあった。そこにはユキが魔法の修行をいつもしていた森の中に来て欲しいと書いてあった。


 ユキは支度をすると、一人でそこへ向かった。するとマヨイはずっと待っていたのか、切り株に腰かけていた。ユキを見ると、マヨイは立ち上がった。


「ユキ、すまなかったな、こんな朝早くに」


 ユキはマヨイの表情が真剣なのを見て、少し困ったように尋ねた。


「呼び出すくらいなら、起こしてくれればよかったのに。一体どうしたっていうの?」


「今日、私は兵士たちとここを発って、戦場に向かう。その前に、少し話をしておきたくてな」


「もしかして、ようやく私を連れていく気になった?」


 ユキはそんなはずはないと分かっていたうえで、いたずらっぽくそう言った。マヨイも少し微笑み、小さく首を横に振った。


「実は、最初に出会った時にな。ユキを大事に連れ帰ったのには訳があったんだ」


 ユキは、トバリからフロシィのことを聞いていたから、マヨイが言いたいことは分かっていたが、トバリから聞いたことを内緒にしてほしいと言われたこともあり、黙っていた。


「ユキは、昔の親友に似ていた。私が失ってしまった、もうこの世にいない、親友に」


「うん……」


 ユキは小さく相槌を打ち、次の言葉を探るように考えているマヨイの、続きの言葉をただ待った。


「けれど、ユキと過ごすうちに、私はユキしか見えなくなっていた。出会ってしばらくしたら、すぐに、ユキに親友を重ねることは無くなっていたんだ」


 ユキにとってそれは、意外だった。


 なぜなら、トバリからその話を聞いて以来、マヨイが投げかけてくる意味深な視線は、全てユキの向こうにいるフロシィを見ているものだと信じて疑わなかったからだ。


 しかし、マヨイはそれは違うと言った。マヨイがユキ個人に対して持った未知の感情が、視線に混ざって届いていただけのようだった。


「最近、ずっと考えていた。ユキに感じる、他の人に感じたことが無いような気持ちが、何なのか」


 ユキはその言葉を聞いて、はっとした。ようやく、ユキがこの場に呼び出された意味を理解したのと同時に、その言葉の先を聞きたいような、聞きたくないような、どちらともつかない感情が、一瞬で沸き上がった。


「好きだ。ユキ。私はお前を、愛している」


 ユキは思わず息をのむ。


 その真っ直ぐな言葉で、頭を直接叩かれたかのように、思考が停止する。


 その直前に、それを言われるかもしれないと察したにも関わらず、実際にその言葉を聞くと、真っ白な頭の中に激しい鼓動の音だけが響き、何もない場所に取り残されたような心地になる。


「ずっと一緒に居たい。離れたくない。本当は置いてなんて行きたくない。私は今、初めて……死にたくない!」


 先ほどまで凛として想いを告げたにも関わらず、マヨイは今度は堰を切ったように、胸が締め付けられるような声で、思っていることを全て吐き出した。


 それを聞いてユキも思わず、マヨイと全く同じ、切なさを感じる。自分とマヨイの関係性が、いかに儚く脆い物かを、マヨイが口に出した通りに、ユキも感じたのだった。


「マヨイ……」


 胸を押さえて息を整えるマヨイに寄り添い、ユキはその背中を撫でた。


「戦いが怖くて、変になっているわけではない。私の率直な気持ちだ……これは」


「うん……わかってる……」


 その一瞬で、ユキの頭には色々なことが浮かんでいた。


 まず、嬉しい。


 マヨイにそんなにも想ってもらって、嬉しくないはずがない。しかし、色々なことが引っ掛かりもする。


 マヨイは王女だ。女の自分が、然るべき相手だと、本当に言えるだろうか? この国を継ぐべき、マヨイの愛する男がいずれ現れた時、ユキはマヨイの足かせになってしまうのではないだろうか。世継ぎができないユキが、マヨイの傍にいることは、それ自体国にとっての邪魔者ではないか。


 たとえ相手が女性であってもいいと、そう両親や民衆が考えたとしても、その相手が元奴隷のユキでいいのだろうか。もし、あの時マヨイがサリアに言った通り、サリアが自分の代わりにここに来れていたら。そして今の言葉を聞いたのが、サリアだったのなら。そうすれば戦争さえも終わって、両者の家が一緒になり、全てが解決するのではないだろうか。


 やはりどうしても、ユキは自分がいなければサリアとマヨイがこうなっていたのではないかという気持ちがぬぐい切れなかった。


 嬉しさと、寂しさと、悩みが入り混じった表情で、ユキは俯いて黙り込んでしまう。それを見て、マヨイは心配そうに言葉を発した。


「今、答えてくれなくてもいい。私は自分のもやもやを吐き出したかっただけなんだ」


 マヨイは無理して笑顔になり、言葉を続ける。


「はー、すっきりしたぞ。これで迷わず、戦える気がする!」


「マヨイ……」


 ユキはすぐに答えてあげられないことに、罪悪感を感じながら、悲しそうな目でマヨイを見た。


 ネザーラにかつて言われた通り、どっちつかずの自分が、嫌になる。しかし、やっぱりユキだって、自分が邪魔者だからとすんなりマヨイの傍を離れるのは、それはそれで辛くて無理だと考えていた。


「戻ってきたら、また話そう、ユキ。答えを聞くために、必ず帰ってくるさ。どっちにしたって、ユキは大切な親友だ。それだけは、約束してくれるだろう?」


「ええ。もちろん! もちろんよ、マヨイ」


 ユキはマヨイを大切に思っている気持ちだけでもできるだけ伝わるように、心からそう答えたのだった。

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