第16話 それで?


 ユキがマヨイに付き添われて外に出ると、亜人の兵士たちは騒がしく行ったり来たりして、物資や武器の準備をしているようだった。


「なんだか騒がしいね」


 ユキは不安を感じて、そう口に出すと、マヨイは険しい顔になり、小さく頷いた。


「ああ」


 マヨイはそれだけ答えると、二人はもはや誰も訓練していない訓練場へと近づいた。以前ユキと話をしたことがあるバーシルだけが、ぼーっと静かな訓練場を見つめていた。


「おや、お二人さん。ユキさん、怪我をしたって聞いて心配しましたぜ。もういいんですかい?」


「もう大丈夫。ご心配ありがとう」


 ユキはそう言って笑った。


「さすがに俺のような下っ端は、おいそれと城にお見舞いなんて行けないもんでね。まあ、許してください」


 バーシルはそう言って、顔を出せなかったことを、謝った。


「新兵たちは?」


 真剣な表情で、マヨイも訓練場を見ながら、バーシルへそう聞いた。


「次の戦いで出ていくそうですよ。もう少し時間が欲しかったんですがね。待ってもらう余裕は無いようで」


「そうか。できるだけ、安全な位置で戦ってもらうようには善処しよう」


「戦場に安全な位置なんてねえですよ、マヨイ様。わかっていらっしゃるでしょう」


 バーシルは、王女のマヨイに、率直にものを言って見せた。


「わかっているさ。あなたに耳が痛くなるほど聞かされて教わったことだ」


 ユキはそれを聞いて、どうやら、マヨイの剣術の師匠は、バーシルらしいということがわかった。


「戦況は、やはり悪いようだな」


「ええ。人間軍は浅き森の入口を、魔法で焼き払いながら攻め込んで来ています。俺たちお得意のゲリラ戦術を、森ごと潰すつもりですねぇ」


「外道どもめ……森を焼くなんて」


「浅き森はもう駄目でしょうね。あなたのお父さんは森を燃やされるのが我慢ならなくて必死で守ろうとするだろうが。ここ……深き森の大木ともなれば、人間にも簡単には焼けない。戦線を下げるべきでしょうな」


「馬鹿なことを言うな。浅き森だろうが大事な自然だ。絶対に放棄なんてできない!」


 マヨイは感情的にそう言い返した。しかしあくまでバーシルは冷静だ。


「そういう感情論が命取りってもんです。まぁ、俺が言ったところで変わりゃしない。戦争はいつだって、お偉いさんが決めて、下っ端が死ぬんだ。せいぜい、新兵どもが死なないうちに引き際は見極めてくだせぇよ」


「バーシル……」


 あくまで引かないバーシルに、マヨイは言い争うのをやめたようだ。


 ユキも、マヨイから以前説明されて、このあたりの状況は少し知っていた。深き森、それがここ、ビスタリア城と木の上の集落がある、超自然的な大木の茂る森のことだ。浅き森は、深き森からもう少し人間の領地寄りの、通常の高さの木々が生えた、いわば普通の森だ。


 今まで亜人軍は浅き森を防衛線として、時折人間の領地に打って出て戦ってきたが、どうやら人間軍も本気を出して攻めだしたらしく、浅き森を燃やして侵攻を進めているということのようだった。


「私もせいぜい、戦場では新兵を気に掛けておくさ。だから、そう落ち込むなよ」


「落ち込んでなんかいませんぜ。また初めからひよっ子を育てるのが……ちょっとばかし面倒なだけさ」


 バーシルはそう言うと、手をひらひらと振って振り向かずに去っていった。それは決して王女に対する態度ではなかったが、マヨイは気にしていないようだった。


「もしかして、マヨイ。また行くの?」


 会話を聞いて、不安になったユキは、そう尋ねた。


「もちろん行かねば。浅き森を死守する」


「私も行く!」


 魔法は少しだが身に着けた。少しでも役に立てるかもしれないと思い、ユキはそう言った。


「駄目だ」


「なんでよ! このために私は魔法を覚えたの!」


「ユキを危険には晒せない」


「マヨイも危険でしょ。だったらマヨイも行かないで」


「子供みたいなことを言うな。駄目だと言ったら駄目だ」


 あくまでマヨイはそう断ったが、ユキもマヨイを睨みつけ、一歩も退くつもりはなかった。


 マヨイはこのままでは押し切られてしまうかもしれないと心配になった。そして、ただ頭ごなしに否定するのではなく、論理的に否定したほうがいいかもしれないと考えた。そういう事に関しては、ユキよりもマヨイの方が得意だった。


「だったら、魔法で何ができるのか、見せてくれ」


「い、いいわよ?」


「じゃあ、移動しようか」


 強気なマヨイに戸惑いながらも、ユキはその話に乗った。以前ユキが魔法の修行をしていた、森の中の少し開けた場所に移動すると、マヨイは立ち止まった。


「では、見せてくれ」


「わかったわ」


 ユキは小石を一つ手に持つと、それはぎゅるりと空間に吸い込まれ、少し離れたところにある切り株の上に、ころん、と転がった。これくらいのことであれば、失敗しないようにユキはできるようになっていた。


「どう?」


「それで?」


「なっ……それでって何よ」


 マヨイは険しい顔でユキの方を見ている。ユキは思わずたじろぐが、それでも諦めるつもりはなかった。


「それで、どうやって戦場でその魔法を活かすつもりだ? もっと正しい言葉で言おうか? どうやって、人を殺すつもりだ?」


「そんな、殺すなんて。殺す以外だって、役に立つ方法はあるでしょ。例えば、その……」


 しかし、ユキが考えても、この能力を戦場で活かす方法は、思いつかなかった。これではマヨイを守ることもできない。


「わかったわ。もう一つあるから」


 そう言うと、ユキは、マヨイから距離を取るように、数歩下がった。ユキは、これだけは何となくできるのではないかと思っていたが、試していないことが一つあった。


 マヨイの傍にいたいという気持ちは、ユキの中にも強くあった。


 その感情を強く持ちながら、結果をイメージする。傍にいたいと思うとき、通常は自分が相手に寄り添おうと近づくが、何とかそのイメージを払拭して、相手を自分のほうへと引き寄せることをイメージする。そして強く思い、結果をイメージする。


「えい!」


 ユキは目を瞑って、マヨイの方へ手を伸ばし、力を籠める。


 すると、マヨイとユキは一瞬空間に吸い込まれ、そして次の瞬間には、お互いの位置を入れ替えて、出現していた。まさに、階段からユキが身代わりになって落ちた時と、全く同じだった。


「あ、あれ。どうして私まで移動しているの? もう一回!」


 ユキは、マヨイに対してだけであれば、明確な想いの強さから、魔法が使えると思っていた。マヨイを自分のほうへ引き寄せることができれば、戦場で危ない時に、役に立つはずだ。


 しかし、もう一度試した時も、結果は同じだった。


「あ、あれ?」


 ユキはマヨイと再度位置を交換する結果に終わり、ユキは最初の立ち位置に戻っていた。


 どうしても、マヨイだけを引き寄せることができず、位置を交換してしまう。ユキ自身がマヨイの傍に近づきたいという気持ちを消しきれないということかもしれない。


「でも、二人の位置を入れ替えるのでも、きっと役に立つよね?」


「駄目に決まっているだろう。もう二度と、あんなことはさせない」


 マヨイは、はっきりとそう言い切った。戦場でマヨイが危ない時に、位置を入れ替えたら、単純にマヨイの代わりにユキが死ぬだけになる。


 マヨイはそんなこと、絶対に許すつもりはなかった。


 ユキもさすがにそれはわかっていたし、マヨイの母、トバリとも、自分が身代わりになればいいなんて考えをもうしないと約束したのだった。


「いいな。ユキ。いつか、もっと魔法を使えるようになったら、付いてきてもらう。でも、今は駄目だ。わかったな」


「うん……わかった」


 ユキも、自分が役に立たないことは、悔しいながらもはっきりと理解した。自分がいることでマヨイの足を引っ張るくらいなら、ユキがいない方がマヨイはまだ安全だろう。ユキはそう思って、今回ついていくのは諦めることにした。


「でも、今回は本当に危ないんでしょう?」


「ああ。かなり不利な状況だ。しかし、言ったろう? ユキが待っていると思えば、私は這ってでも帰ってくるさ」


 マヨイはユキを心配させまいと、にっこり笑ってそう言った。ユキも、それを信じて、諦めたように笑った。


 マヨイは城へ戻るため、ユキに背を向け、歩き始めた。ユキもその後をついて行ったが、ユキからは見えないマヨイの表情が曇っていたことに、ユキは当然気づいていなかった。


 マヨイは、本当に戻ってこられるか、今回ばかりは自信が無く、それほど今の戦況は悪かったのだった。

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