第15話 約束よ


 虫の声が静かな森の中に響いていた。


 ユキは目を覚ましてまずその音を聞き、そして暗い窓の外を見て今が夜だとわかった。いつも寝ているよりも簡素なベッドでユキは寝ていて、その部屋も狭く、いつものマヨイの部屋ではなく、薬品が並べられた棚を見るに、そこは医務室のようだった。


 かといってマヨイがいないわけではなく、椅子に座ったままユキの寝ていたベッドに上体を預けるようにして、小さな寝息を立てて寝ていた。


 ユキが身体を起こそうとすると、身体じゅうに激痛が走った。腰、手、足、それどころか頭までズキズキと痛んだ。頭には包帯が巻かれているようだった。


「うぐっ……」


 思わず漏れた声を、喉の奥で押しとどめたが、その音でマヨイは目を覚ました。寝ぼけ眼でユキを見上げるその目は、赤く腫れており、泣いていたのがユキの目にも明らかだった。


「ユキ!」


 マヨイはユキと目を合わせるとその綺麗な顔をくしゃっと歪ませ、泣きながらユキに抱き着いた。マヨイはあの冷静で我慢強いユキがそこまで感情を露わにしているのを見て驚いた。しかしユキのそんな新鮮な驚きは、抱き着かれた痛みで吹き飛ばされる。


「いたたた……」


 身体を少しでも動かせば、どこかしらが痛む。階段から落ちるというのはそれだけ危険なことだった。しかし、ユキの小さな悲鳴が聞こえないのか、胸元に抱きついて嗚咽を漏らすマヨイの頭を、ユキはそっと撫でた。


「見てた? マヨイ。私、ちゃんと魔法使えたよ」


 力の入らない声で、ユキはそう言葉を発した。


「これで、少しは役に立てるようになったかな?」


「馬鹿っ! うぅっ……!」


 ユキのその言葉を聞いて、マヨイは嗚咽を堪えられなくなったように、一層激しく泣いた。ユキがマヨイの頭を撫で、肩を優しく叩き続けると、マヨイは少しずつ落ち着いて、身体を起こした。そして涙を拭いて、呼吸を落ち着けた。


「ごめん。私のせいで。私が落ちるはずだったのに。代わりにユキが傷つくなんて、そんなの耐えられない」


「ううん。ごめんね、こんなことになって。ドレス、お父さんに見せられなかった、よね?」


「どうでもいいだろ! そんなこと」


 ユキは初めて見るマヨイの感情的な表情や言葉を、どこか他人事のように、新鮮だなと思って見ていた。身体が弱っているせいか、あまり頭が働いていないようだ。身体の痛みとは正反対に、ユキはやり遂げた充実感を覚えていた。ずっと、マヨイの役に立ちたくて、魔法の修行をしてきたのだ。これ以上ない形で役に立ったとユキは思っていた。




 ユキはそれからしばらく、怪我がよくなるまでは医務室で寝たきりで過ごした。


 マヨイは会議や訓練があるとき意外はほとんど医務室にいたし、それ以外の時間には、マヨイ以外の来訪者もあったので、ユキが退屈することは無かった。


 ある時、マヨイがいないときにトバリがこっそりと尋ねて来た。


「はい、これ。ようやく手に入ったのよ」


「これは?」


 ベッドの隣に腰掛けていたトバリは、今まで隠していた本を一冊、ユキに手渡した。


「新刊よ。シルヴァリア王国に潜入している者から取り寄せたの」


「いいんですか⁉」


「ふふっ。退屈しているかと思って。これはユキちゃんへのプレゼントだけど、もし読み終わったら貸してくれると嬉しいわ」


「ありがとうございます! すぐ読み終えて、トバリ様と語り合いたいです!」


「まぁ、楽しみね! ユキちゃん。マヨイを救ってくれて、本当にありがとう。だけど、もうこんなことはしちゃだめよ。私にとってはユキちゃんも、もう一人の娘みたいなものなんだから」


 トバリはユキの包帯に、いたわるように指を這わせながら、そう言った。


 トバリの辛そうな表情から、その言葉は本心だとユキにも伝わった。血がつながっているわけでもないユキにそんなことを言えてしまうのが、亜人の王妃として、民衆から愛されるトバリという女性だった。


「トバリ様……」


 身寄りのないユキにとって、それはあまりにも嬉しい言葉で、つい喉元がきゅっと締まって微かに嗚咽を漏らしそうになる。


「だから、ね。約束よ。マヨイの代わりに自分が傷つけばいいだなんて、思わないこと。いい?」


「はい……約束します。もっと練習して、上手に使えるようになったら、きっと誰も傷つかずに済みますから」


 ユキはそう、トバリに約束し、トバリも笑顔でそれを受け入れたのだった。




 また別の日には、病室にネザーラが尋ねてきた。


「出来の悪い弟子を持つと、気が休まらないもんだね、まったく」


 ネザーラはそう言いつつも、魔女特性の薬品を持ってきて、ユキの包帯を取ると、額の隅にある傷口に塗った。


「あはは。ごめんなさい、師匠」


「あははじゃないよまったく」


「でもネザーラさん。私、別にそうしようと思ってしたわけじゃないんです。気が付いたらそうなっていただけで……」


「あったりまえだろ。思い通り使いこなせているなら、なんでアンタが階段から落ちる必要があるんだい」


「確かにそうですね。マヨイだけが別の場所に転移してくれれば一番だったのに」


「大方、マヨイの身体を安全な自分の方に引き寄せたいという感情と、マヨイにユキ自身が近づいて手を掴みたいという感情が、ごっちゃになったまま魔法が発動したせいで、位置を入れ替えるという結果になったんだろう」


「なるほど、そういうことだったんですか……」


「感情が爆発した時、魔法は確かに発動しやすい。それは何も自分の危機だけに限らない。だが、咄嗟である分、結果の正確さは欠いてしまう。イメージ通りの結果をきちんと導き出すには、まだまだ修行が必要だね」


「はい、頑張ります!」


 ユキは誰もいない時には、ベッドの横に再び小石を置いて、転移の練習をしていた。


 立て続けに魔法に成功したおかげか、小石のような小さいものであれば、目に見えるほどの少しの距離なら安定して転移できるようになっていた。しかし本を複数移動させた時のように、複数のものや、大きいものを同時に動かすことはできなかった。


 少しずつ怪我が治ると、ユキはマヨイの部屋に戻って過ごした。マヨイは幼児でもあやすかのように、ユキに甲斐甲斐しく世話を焼いた。痛いところは無いか、欲しいものは無いか、何かしてほしいことはないか、としきりに聞いてくるマヨイに、ユキは少し甘い満足感を得ながらも、気にしないようにと断ったのだった。 


 ユキの額の端についた傷は、少しずつ目立たなくなっていった。元々髪の毛で隠れる場所だったこともあり、はたから見れば全く分からなかった。骨折も徐々に治り、杖をつかないでも出歩けるようになった。

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