第14話 私のせいで


 翌日ユキが目を覚ますと、マヨイは既に近くにはいなかった。窓の外を見ると、陽の差し込み具合からして、もう昼のようだった。


「う……寝すぎたかも」


 ユキは必要以上にベッドに身体を預けていたせいで、無駄に凝り固まった身体をほぐしながら、ベッドから抜け出た。マヨイの櫛を借りて、髪を梳かしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「はーい」


 ユキが部屋のドアを開けると、そこにはマヨイが立っていた。しかしいつもの見慣れた姿ではなかった。黒く光沢のある、引き締まった形のドレスに身を包み、ヒールの高い黒い靴を履いていた。


 自慢の黒い髪は巻き上げて後ろに留められており、大人っぽい雰囲気が漂っていた。


(綺麗…… 何? この、お姉様? って感じのオーラは……)


 マヨイはユキよりわずかに年上程度だったにもかかわらず、そうして身だしなみを整えれば、いつもの雰囲気はどこへやら、ユキにとってはまるで手の届かない立場にいることを思い出させるかのようだった。ついつい忘れがちになるが、マヨイはこの国のお姫様なのだ。


「どうだろうか? その、思い切って着てみたのだが」


 そんな大人っぽい雰囲気にも関わらず、マヨイは少し照れたように目をそらして、そう尋ねた。そのあどけなさと見た目のギャップで、ユキは更に心が乱された。


「イイと思う……すっごく! イイと思う!」


 ユキは自分の語彙力のなさを呪った。というより、どんな言葉を知っていたとしても、その魅力を表現しようとしたら、陳腐な表現にしかならないと思った。


「そうか。気に入ってもらえてよかったぞ。私も少しは、王女らしくしてみようかと思ってな」


 それはマヨイがユキの本を読んだ影響であり、その本の中に出てきた姫君のように振舞えばユキが喜ぶかと思い、式典やパーティの際に着るドレスを引っ張り出して着てみたのだった。


「せっかくなので、お父様にも見せに行こうとおもうのだ。常日頃、女らしい服を着て欲しいと言われていたのでな。ほとんど聞き入れたことはなかったが、せっかくの機会だ」


「きっとお父さん、喜ぶよ。待ってね、今準備するから、一緒に行こう」


 ユキはそう言うと、支度を整えて、マヨイと共に部屋を出た。


「うう、やはりどうにも、こういった靴は歩きづらいな……」


 マヨイは普段の美しい歩き方はどこへやら、一歩ごとに不安定で、今にも躓きそうだった。ユキはマヨイが転んだら支えられるように、すぐ傍に身を寄せた。マヨイにも苦手なことがあるのかと、ユキはそんな一面を知れたことを少し嬉しく思った。


 上の階に上がる階段を、マヨイは手すりをしっかりと掴みながら、上がった。先に上がったユキは、ふと正面の大きな扉を見た。


「あそこが謁見室かな?」


 マヨイはそこへ来たことが無かったが、王はそこにいることが多いのだろうか。あるいは、来客でもなければ自室にいるのかもしれない、とユキは考えた。


 どちらにしろ、マヨイに聞くしかない。ユキは階段の脇の、手すりのある所から下を見ると、一階の大広間までが見通せるように吹き抜けになっており、その城の大きさに改めて感動した。


「忘れそうになるけど、一応ここ、お城なのよね……」


 不思議な因果でここに居させてもらってはいるが、本来普通の人が毎日居られるようなところではないのだろう。改めてそんな自分の幸福を再認識したところで、ユキはようやく階段を上がり切った様子のマヨイの方を見た。


「うう、さすがに疲れたぞ」


 そう言いながら、マヨイは、階段を昇り切ったところで、膝に手をついて休んだ。


「情けないな、マヨイは。そんなこと言ってちゃダメでしょ、王女様なんだから」


 珍しくユキがそう、マヨイをからかうと、マヨイはユキがいる階段脇を振り返った。


「いじわるを……」


 そう言いかけたマヨイが、ドレスの裾を踏みつけて、バランスを崩した。


「あっ⁉」


 その場所は、階段の直ぐそばで、マヨイの身体はそのまま階段の方へと倒れていく。


「危ない!」


 一瞬、時が止まったように、ユキは感じる。


 届くはずがないほど距離が離れているにもかかわらず、ユキはマヨイの方へ手を伸ばした。


 心臓が浮き上がるような、恐怖、絶望、何とか助けなくてはという危機感。


 それを感じながら手を伸ばした時、ユキはまたもや無意識で魔法を発動していた。


 視界が、急に切り変わり、そして一瞬でそれが上へと流れていく。


「なっ⁉ 何だ?」


 マヨイは今までユキがいたところに尻もちをついており、すぐに顔を上げると、ユキが階段を転げ落ちていくところが、スロー再生のように見えていた。


「ユキ!」


「きゃぁぁーっ!」


 階段から落ちる直前のマヨイと、魔法によって位置が入れ替わったユキは、体勢を整えることもできず転げ落ちていく。


 腕を胴を、足を、頭を、階段の角に打ち付けながら。それを止めるような手立ては存在せず、ユキは下の階の踊り場までの長い距離を落ちて、倒れ込んだ。


「ユキ、ユキ!」


 マヨイはヒールを脱ぎ捨てて、階段を駆け降りて、ユキの元へ向かった。衛兵も声を聞きつけて、走って駆けつける。


「医者を呼んでくれ! 頼む……早く呼んで!」


 マヨイは衛兵にそう叫ぶと、ユキを抱き上げ、声をかけ続ける。


「ユキ、ユキ? 目を開けてくれ。お願いだ。私を置いて行かないで。死なないで!」


 ユキは呼吸をしていたが、意識を失っており、頭から血を流して、苦しそうにしていた。程なくして、城内に常駐している医者が駆けつけ、ユキの様子を見た。


「どうだ? 大丈夫なのか?」


「今のところ、命に別状はありません。しかし、外傷が多い。医務室で治療します。衛兵!」


「そんなっ……私のせいで……」


「マヨイ様は離れてください。衛兵たちにそっと運ばせます。ほら、離れて!」


 マヨイはユキを見ながら、呆然としており、医者に押しのけられるままに数歩下がると、その場に崩れるように座りこんだ。


 マヨイは、もはや立つこともできず、ユキが運ばれていくのを涙を流しながら見ていた。騒ぎを聞いて見に来たのか、トバリがマヨイの傍に駆けつけ、寄り添って落ち着かせた。


 そうしてしばらくトバリに付き添われた後、マヨイはようやく立ち上がり、ユキの治療が終わるまで、医務室の前で座り込んでいたのだった。

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