第12話 どういう本なんだ


 その少し前、マヨイは部屋でベッドに腰掛けて、ぼーっとしていた。


 ユキと言い合いになったあの日、フロシィの時の二の舞は踏むまいと、喧嘩しないようマヨイはすぐに謝ったし、ユキも謝ってくれたので、マヨイは万事解決したと思っていた。


 でもユキが自分に教えずどこかへ出かけていくのは変わらないし、それを気にしてしまうマヨイの心も全く変わらないのだから、解決しているようで何も解決していないままだった。


 マヨイがただ、本当はユキが何をしているか気になっているのに、気にしないようにするということが決まっただけだ。


 シルキィのことがトラウマになっているせいで、マヨイは自分の思いを、相手を傷つけることを恐れずに伝えることが出来なくなっていた。そうして大喧嘩をしたきり、二度と会えなくなってしまうくらいなら、すこしぎくしゃくしても傍にいてくれたほうがマシだと初めは思った。


 しかし、そんな日々が続くと、さすがに精神的にマヨイはこたえてきていた。


「わかってる。あの子はフロシィとは違う」


 マヨイがユキといる時間が長くなるほど、一緒にいても、話していても、フロシィとユキは別人だとマヨイは感じていた。ユキはフロシィより些細なことで傷つくし、マヨイと同じように人を失うことをすごく恐れているし、フロシィと違い人間を単なる敵として憎んでもいないようだった。


 それに、時折、マヨイを見ているようで、もっと遠くを、未来を見ているような、そんなミステリアスな雰囲気を感じることもあった。


「ユキはユキだ。私は単純に、ユキと一緒に……」


 そう呟いた時、マヨイは信じられない光景を目にした。


 赤い小石が目の前の空中に突然現れ、一瞬止まった。マヨイが驚いていると、それは突然重力を思い出したかのように、カツンと音を立てて、床に落ち、コロコロ転がって行った。


「なっ⁉ 何だ何だ?」


 マヨイは素早くベッドから立ち上がり、転がった赤い石を目で追った。赤い石は転がってベッドの下に入ると、マヨイの視界から消えた。


 マヨイはすぐに膝をついてベッドの下を覗き込んだ。


 するとそこは手入れが届かないように思えて、妙なことに綺麗に掃除されており、すぐに小石を見つけることができた。それと同時に、何冊もの本が、ベッドの下に置いてあることに気づいた。


 マヨイはまず小石を拾い上げた。小石自体は何の変哲もない、ただ少し変わった色の小石だ。マヨイはそれをベッドの脇の小さなサイドテーブルの上に置いた。


 そして、次に、自分が置いた覚えのない、奇妙な何冊もの本をベッドの下から引っ張り出した。置いた覚えのない本がベッドの下にあるというのも、気味が悪い。


 小石はまるでそれを知らせるために現れたように、マヨイには思えた。


「どういう本なんだ、これは」


 マヨイがその美しく装飾された本の表紙、タイトルを見ると、それは「姫の飼い猫」という小説だった。マヨイがパラパラとそれをめくってみると、それはお姫様が怪我をした平民の娘を救い、妹として育てるうちに禁断の恋に落ちていく、という内容のようだった。


「こ、これは……!」


 マヨイはそういった小説を読んだことが無かったため、初めての背徳感を覚えながらもその文字を熱心に追い始めた。


 頭の片隅で、さすがに気づき始めていた。この部屋で過ごしているのは、マヨイとユキだけだ。誰かがいたずらでこんな物を置いていくとは限らない。それに、先ほど手に取ってタイトルを見た限りでは、全ての本がこれと同じ系統のもののように、マヨイには思えた。


(だとしたら、ユキが、これを? 女性と女性が恋愛する小説を、熱心に読んでいたというのだろうか?)


 女性と女性が恋愛する本を、マヨイとユキが一緒に暮らしている部屋で、こっそりユキが読んでいた。その事実を知り、マヨイの鼓動は早鐘を打つ。


(つまり……つまりそういうことか? ユキは私のことを……そう思っているのか⁉)


 そうしてそわそわとしながらも、軽く本をめくってみるだけでも、小説の山場がどの辺りか分かった。


 お姫様が自分の気持ちに気づき、妹に気持ちを打ち明ける。妹はダメだとわかっていながらも、強く拒絶できない。姫はそれに付け込んで、妹に無理やり……


「だだだ、ダメだ、無理やりだなんて! あぁ……そんなことまで!」


 少し過激な描写に入った時、マヨイはパタン、と本を閉じた。


 そしてその時、まるで、その動きと連動するかのように、部屋の扉がバタン! と勢いよく開いた。


「なっ……あっ……!」


 マヨイは驚愕して、開いた扉を見る。


 そこには、魔法が成功したことを確認するために、全力で駆けて来たユキの姿があった。ユキも部屋に入った瞬間、ベッドの脇に積まれた何冊もの本と、ベッドに腰掛けてその一つを手に取るマヨイを見て、硬直する。


「あ……あ、あぁーっ! 何で⁉ なんでそれを!」


 ユキは指をさして叫ぶ。まさか見つかるとは。いや、雑な隠し方だ。いつかは見つかる可能性はあったというのに、ユキはすっかり油断してしまっていた。


「いや、違うんだ、これは!」


 マヨイは焦ってそう言ったが。別に何も違わないどころか、マヨイは何も悪いことをしていない。


「返して!」


 ユキは顔を真っ赤に染めたまま、その場から動かずにマヨイの方へ手を向けた。ひったくって取り返したい気持ちと、恥ずかしすぎてマヨイにこれ以上近づけない気持ちがごちゃ混ぜになっていた。


 するとその瞬間……信じられないことが起きた。


 ベッドの脇に積まれた本と、マヨイの手にした本が、まるで空間そのものに開いた針の穴程小さい中心に吸い込まれるように、それぞれ渦巻いて消えて行ってしまったのだった。


「はぁっ⁉」


 マヨイは手元から消えていった本を見て、信じられないように自分の両手を見た。ユキも驚いたが、その直後、頭に鈍い痛みを感じた。


「ぎゃっ!」


 ユキの頭上から、今までマヨイの直ぐ近くにあった本が、ドサドサと降り注いだ。豪華な装丁の本たちは、女性のユキの頭にぶつけるには、少し破壊力がありすぎた。


「痛ぁっ!」


 ユキはしゃがみ込みながら、頭を押さえた。その周りにぼとぼとと、短い距離を転移して来た本が転がって落ちた。


「ユキ! 大丈夫か! 今のは一体……」


 マヨイは駆けつけ、しゃがみ込んでユキの頭を撫でる。そこに転がっていた本は、確かに先ほどまでマヨイが傍に置いていた本だった。


「魔法、なのか?」


「うう……」


 ユキも、自分が今魔法を発動できたらしいことは理解していた。今まで、ユキの魔法の発動を後押ししてきたのは、自分の生命の危機だ。


 先ほど小石を転移することに成功して、多少感覚を掴んでいた可能性もあるものの、ユキはあの本をマヨイに見られること自体、生命を脅かされるほどの焦りを感じていたのも事実だった。


 しかし今、マヨイのところからユキの位置へ本を移動させるのに成功したところで、見られてしまったことには何も変わりはないのだった。


「なんで……」


「ユキ?」


「なんで勝手にベッドの下を見るのよ!」


 気が動転しているユキは、理不尽極まりないことを訴える。そもそもここはマヨイの部屋だし、ベッドもマヨイのものだし、マヨイがその下を確認するのは何も悪くないはずだ。


「い、いや、しかしだな……」


「終わった……もう全部終わりよ……」


 ユキはもはや、マヨイの顔を正面きってみることができなくなっていた。人に内緒の自分の趣味を知られるということは、魔法が使えるほどの絶望を人に与えうるようだった。


「もう……もう出ていく。私はここにはいられない……」


「どうしてそうなる! 待て、落ち着け!」


 マヨイは虚空を見つめて薄ら笑いを浮かべ始めたユキの肩を掴んで、自分のほうを向かせた。そして何度か優しく揺すって、目を覚まさせる。


「マヨイ……私、やっと言える。いままであなたの役に立ちたくて、魔法の訓練をしていたの。見たでしょ? でも、私どうせなら、人の記憶を消せる魔法がよかったわ。あははは」


 ユキはそう言い残すと、何とマヨイの腕の中に倒れこむように意識を失った。


「おい、正気を保て! ユキー!」


 ユキはマヨイに支えられるまま全体重を預け、倒れこんだ。マヨイは焦り、すぐにユキを抱き上げてベッドに運んだ。そしてすぐに人を呼びに行った。

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