第8話 わざとやってんじゃないだろうね

「ごめんくださーい」


 ユキは開いていた扉をくぐり、中へと入った。


 部屋の中は薄暗く、こぽこぽと何かを煮沸するような音が響いていた。ユキが壁際に目をやると、そこに瓶に入った鈍色の液体が熱されており、どうやらそこから音が聞こえているようだった。


 壁にはいたるところにハーブが干されており、部屋を囲むように置かれた本棚には本がぎっしり詰まっているどころか、その下まで足場が無いほどに本が積まれ、散らばっていた。


 ユキはそれを踏まないように、奥にいる魔女と呼ばれる女性のところへ向かった。暗い店内でもその姿に気づいたのは、魔女がウサギの亜人であり、耳がピンと天高くに向いて立っていたからだった。


「あー、いらっしゃい。今日は薬草を買いに来たの? あるいは薬? もしくはポーション?」


「い、いえ……」


 気だるげに話しかけたウサギの亜人は、魔女と聞いて想像していたよりはずっと若く、綺麗な女性だった。魔女は眠そうに半分だけ開けた赤い瞳で、ユキの方をじっと見た。


「あー。悪かった悪かった。最近は兵士の治療用の薬品を仕入れて売るだけが仕事になってたからね。まともなお客は久しぶりだよ」


「えっと、私兵士の方にここを聞いて来たんです」


「あーあー。いいからこっちおいで、そこ座って」


 魔女は机を挟んで向かいに置いてある椅子を指さして、そう言った。ユキは素直にそこに腰を掛けた。


「アンタ、マヨイのチビんとこのお嫁さんだろ」


「お嫁さんじゃありませんけど、マヨイのとこに居候しています」


 魔女はマヨイよりも背が低く、ユキと同じくらいの背丈だったが、マヨイのことをチビと呼んだ。


「どーっちでも一緒だろ? 私はネザーラお姉さんだ。アンタがここに来た理由を当ててやろうかい? イーッヒッヒッヒ」


 ネザーラと名乗った魔女は、魔女らしく笑おうとしていたが、今日初めてそうやって笑ったかのように、不自然な笑い方になっていた。ユキは魔女と聞いた時点で覚悟はしていたものの、その独特のキャラクターを目の当たりにして、もう踵を返して帰りたくなってきていた。


「戦争に出発したマヨイが心配で、夜も眠れないから、眠り薬を買いに来た」


「違います。私は」


「おっと! まだ答えを言っちゃダメだよ~。じゃあ次は……マヨイを引き留めて戦場に行かせない為に、惚れ薬を買いに来た。これだ!」


「そんなのいりません」


「なんだい、一つ持っておくと便利なのにさ。まあ売ったら私がロアートに大目玉を食うから、売らないけどね。それじゃ答え合わせ。何しに来たの?」


「私にも魔法が使えるか知りたいんです。少しでもマヨイの力になりたくて」


「ほう? じゃあ私が言ったことはほとんど正解みたいなもんだねぇ」


「全然ちがいますけど」


「へっ、アンタもマヨイと同じでからかい甲斐があるね! そのからかいやすさに免じて、見てあげるとしよう。じゃ、手を出して」


 ユキが手を差し出すと、ネザーラはユキの手首を掴んで、目をつぶった。


「へぇ~。なるほどね。全く使えないわけじゃなさそうだ。というか、既に経験がある。ふーん、ほーん、珍しい! こりゃ面白い。戦争向きじゃないなぁ……でも面白い」


 ネザーラは目をつぶったまま独り言を呟いて、しばらくしたら目を開けて、ユキの方を見て笑った。


「ふむ。魔法の素養はちょっぴりあるね。訓練次第だが、使えるようになるだろう。というか、使ったことがあるはずだ。アンタは世にも珍しい、転移魔法の使い手だ」


「転移魔法?」


 ユキは記憶を辿ったが、魔法を使おうとして使ったことなどなかった。転移魔法というのは、何かを移動させる魔法のことだろうかと考えたが、特に思い通りにものを動かせたような記憶も無い。


「記憶にないかい? よーく思い出しな。訓練もしていない、素養のある人間が魔法を使えるのは、普通に生活しているだけではありえないくらい、感情が高ぶっている時。例えば、命の危険が迫るような、ヤバい時とかね」


「命の危険……」


 ユキはそう言われて、思い出したくない記憶を、何とか呼び起こした。初めて命の危険が迫ったのは、暮らしていた村が襲撃に会った時だ。その時、ユキは怯えて家の中で震えていた。恐怖のあまり気を失って、気づけば、家の外、それどころか村の外の茂みの中でしゃがみ込んで震えていた。


 そして、先日奴隷として買われた領主の館が襲われた時、同じようにユキはその廊下で縮こまっていた。その時も気づけばマヨイとサリアがいた森の中へと、いつの間にか移動していたのだった。


「転移って、自分の移動のこと⁉」


 ユキは驚いた。そういうことであれば、自分が今まで経験した不思議な現象にも、説明がつく。あまりに常軌を逸した状況だったがゆえに、ユキは自分が気を失ったり、恐怖のあまり移動している間の記憶を失ったのだと、今まで自分を納得させていたのだった。


「自分のことを逃がせば安全なら、本能的にそう使うだろうね。でも、物や他の人間も、訓練すれば転移させられるようになるはずさ」


「本当ですか⁉」


 ユキはもしかしたら、自分が役に立てるかもしれないと思い、喜んだ。何かを好きに転移させる魔法なら、戦場でも役に立つかもしれない。


「お願いします! 私に魔法を教えてください!」


「教えてくださいって言ったってね。魔法はその人のものなんだから。私は転移魔法何て使えないし、教えられないよ」


「そんな……」


 せっかく希望が見えたと思ったのに、ネザーラには教えられないと聞き、ユキは落ち込んだ。しかし、ネザーラはそれを見かねてか、小さくため息を吐くと、再び話し始めた。


「いいかい、結果をイメージして、魔法を出そうと繰り返すだけだ。私は植物を操れるが、もちろん誰も教えてなんかくれなかった。毎日植木鉢に向かって、小さい芽から少しずつ動かそうとしたもんだ……それがいまじゃ、この深き森の大木だって、頼めば私の願いを聞いてくれる。いいかい、まずは小さいものから、結果をイメージして、ひたすら練習するんだ」


「そうなんですね……やってみます!」


「始めに言っておくが、何年もかけても、小石一つ転移するのは無理だと思っておきな。それくらい気長に、何度も、それでも絶対次はできると信じてやるんだ。それができないんだったら、アンタには素質が無いってことさ。魔法と、努力のね」


「努力……」



 ユキは、先ほどバーシルという兵士が、マヨイは努力の人だと言ったのを思い出した。マヨイだってあそこまで戦えるようになるまでに、何年もかけたに違いない。魔法でも、剣技でも、それは同じことだろうと、ユキは思った。


「私、やります。頑張ります!」


「ふっふふ……アンタ……それわざとやってんじゃないだろうね」


「へ? 何がですか?」


 突然笑いだしたネザーラに、ユキは聞き返した。


「何でもないよ。ほら、分かったならもう、行った行った。私は忙しいんだから。またたまには顔出しなよ。そんじゃあね」


 ネザーラは虫を追い払うかのように手を振り、ユキに出て行くように言った。その割には同時に、また来いと優しい言葉をかけた。


「はい、また来ます! ありがとうございました!」


 ヒントを掴んだユキは、心から喜び、元気よくお礼を言って、そこを去って行った。その後姿を見送りながら、ネザーラは、ユキに聞こえない小さな声で、小さく呟いた。


「魔法を頑張るって、目を輝かせるあの顔。本当に、あの子にそっくりだ……そりゃ、マヨイも惑わされるってもんだ。何の因果だか……」


 そう言うネザーラの顔は、ユキには一度も見せなかった、嬉しそうな、同時に辛そうな何ともいえない表情だった。

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