第6話 恋人としてよ

「ところで、実際のところどうなの? マヨイとは」


 トバリはユキに、そう切り出した。これが本題だったのだろうと、ユキは思った。


 当然だ。娘が戦場から帰ってきたと思えば、元奴隷の亜人を保護して来て、家で世話をしたいと言い出したのだから。


「マヨイさんは凄く私によくしてくれていて、何だか申し訳ないくらいです」


「あら、そうじゃないわ。恋人としてよ」


 トバリは飲もうとしていたお茶を思わずぶっと噴き出した。


「……今、恋人って言いました?」


「あら、違うの? 二人はもう、お付き合いしているのかと思っていたけど……一緒に寝ていたし」


「それは誤解です! そんなふしだらな関係ではありません!」


 ユキは必死で否定した。確かに、連れ帰った初日から一緒にベッドに入っていたのでは、誤解されるのも仕方がないかもしれない。


「ふしだらとは思いませんよ? 想いの通じ合った相手と身体を重ねるのは、素敵な……大丈夫? 顔が赤いけど」


「私にはまだ早いお話かもしれません」


「まあ、私ったら。せっかくのマヨイのお友達だっていうのに、少し差し出がましかったわね」


 トバリは口を押さえて上品に笑った。


「マヨイさんは私によくしてくれるんです。だけど、それがなぜだか、わからなくて。私はそんな風に、大事にされるような亜人じゃないんですけど……」


「そう……何も聞いていないのね」


 トバリは少し俯いて、紅茶の入ったカップに視線を落とした。そして静かに一口それを飲んだ。その表情は憂いを帯びていたが、ユキはトバリがそんな表情をするのは絵になるなと他人事の様に思っていた。


「何か知っているんですか?」


「いいわ。私も、知っておいて欲しいから。でも、あの子の前では、何も聞いていないふりをするって約束してくれる?」


 トバリの並々ならぬ雰囲気に、ユキは少し躊躇したが、それでも好奇心に勝てず、話を聞くことに決めた。


「はい。約束します」


 ユキが緊張しながらそう言うと、トバリはいつもの笑顔に戻って、話し始めた。


「あの子がまだ、私の腰位までしか背丈が無かった小さい頃……たった一人の亜人の女の子のお友達がいたの。見ての通り、相手が亜人であれば、大して警戒もしないお城だから、その子もよく遊びに来ていたわ」


 ユキにも何となく想像できた。相手が人間や、耳や尻尾を隠している相手であれば警戒するだろうが、亜人というだけで基本的には敵対するものは少ないのだ。


「二人はいつも一緒にいたわ。微笑ましくてね。お城を歩けば、そのいたるところで、その子たちがそこで遊んでいた光景が思い出せるくらい。本当に、二人とも可愛かった」


 トバリは部屋の外を透かして見ているかのように、遠くを見つめながら、そう言った。


「けれどね、ある日、二人は大喧嘩をしたの。原因は大したことではなかったみたいだけど、それからその子はお城に来なくなってね。それからしばらくして、その子の家族はこの森を出て行ったということがわかったの」


「そうなんですか……喧嘩別れしてしまったんですね」


「でも、それだけではなかったの」


 トバリの表情が、さらに曇った。ユキは嫌な予感がしながらも、話の続きが気になってしまった。


「引っ越した先の村が、人間に襲われたのよ。きっと、助からなかったのでしょうね。その後、彼女たちの姿を見た人はいないわ」


「そんな……」


 ユキは自分の村が焼かれたときのことを思い出し、震えた。自分だけではなく、この森の外では多くの亜人が被害にあっているのだろう。


「私たちは、マヨイにそのことを伝えなかったわ。でも、少し成長してから、どこかで聞いて、知ったのでしょうね。それからよ、あの子が憑りつかれたようにして、戦う術を身に着けるようになったのは」


 ユキはマヨイの悲しい過去を聞いて、ようやく、一国の姫君があんなにも身体を張って戦場に出る理由が分かった気がした。


「それは悲しい……ですね。私と境遇が似ているお友達を失くしたから、ということなんでしょうか」


「そういうことでしょうね。生きていれば歳も近いし、何より……そっくりなの。白狼の亜人だったのよ、その子も」


 マヨイが亡くしたという友人も、白狼の亜人だったということを聞き、ユキは今までのことが腑に落ちると同時に、少し寂しい気持ちになった。


 マヨイがユキに優しいのは、仲直りできないまま友達を失ってしまった罪悪感からであり、ユキの中に過去の友人の影を見ているからだった。しかし、ユキは当然その友人とは別人だし、理由がわかったからといって、マヨイの好意を快く受け止めることができるようになるわけでもなさそうだった。


「そう、ですか」


 ユキは複雑な感情を整理できず、ただそう一言答えた。


「でも、ユキちゃん。無理することは無いわ。貴女は貴女なのだから。マヨイに合わせて、自分を殺してはダメよ」


 自分の娘の気持ちを差し置いてまで、トバリはユキを気遣った。そんなトバリの言葉を聞いて、ユキは隠し事をするのは失礼だと思った。


「トバリ様の言う通り、私は……その子ではありませんから、マヨイさんの気持ちに全て応えることはできないかもしれません。でも、マヨイさんに助けてもらったのは事実ですし、その動機がそういうことだとしたって、私の感謝は変わりません」


「そうね。あの子、お父さんに似てお節介だし。そこまで深く考えていないかも」


「私、そのお友達の代わりにはなれませんけど、新しいお友達にだったら、なりたいです」


 ユキは話を聞いて、思ったとおりのことをトバリに伝えた。それを聞いて、トバリは嬉しそうに微笑んだ。しかし、友達、という言葉でユキが思い出したのは、マヨイがサリアに言った言葉だった。


 あの時、マヨイは確かに自分の口から、「お互いを認め合った友として、会話がしたい」と、そう言ったのだ。つまり、マヨイにとっては、友を喪ったトラウマを乗り越えて、何年かぶりにようやく新しい友と認めた相手が、サリナだったことになるのだ。サリナはユキと違って、過去の友人に似ているわけでもない。それどころか、敵である人間の王女なのだ。


(いやいや、熱い。熱すぎる。尊すぎる!)


 ユキは自分を好いてくれるマヨイのことを知るためにトバリから話を聞いたというのに、その話はかえって、マヨイとサリアの関係性を補強するエピソードの一つとして、ユキの中では位置付けられてしまった。


 そんなことを考えているユキを知ってか知らずか、トバリは驚くようなことを発言した。


「しかし、いけませんね。私、マヨイとユキちゃんが……女の子同士が距離を縮めているのを見ると、どうしても」


 ユキはぴくっと反応した。この人は、ユキが追い求めている、あの感覚の理解者なのかもしれないと思ったのだ。今までにない真剣な表情になって、ユキは尋ねた。


「トバリ様。それってもしかして……」


「ええ。シルヴァリアでは百合、とも言いますね。私、そういう物語が好きで、ついそんな場面を見ると、こう、心の奥底がきゅーんとして……大人の癖によくないですよね、こんな話。夫にもよく注意されるんです、物語の読みすぎだと」


「いえ! そんなことはありません!」


 ユキは立ち上がってそう訴えた。いつも落ち着いているトバリも、さすがに目をぱちくりさせて驚いた。


「その気持ち、すごくよくわかります。こう、このあたりが、ぎゅっと締め付けられるような、何とも言えない感覚……たまらなくなってしまいます」


「そ、そう。それよ! わかってくれるのね、ユキちゃん。じゃあ、やっぱりマヨイのことを!」


「いえ、それが、話は複雑なんです」


 ユキは急にしゅんとして再び席に着いた。


「そ、そうなの? どういうことか、聞いてもいい?」


 ユキはその話をしていいものか、少し迷った。サリアと話し合っていた場面を、ユキがどこまで見ていたかすら、マヨイは知らないかもしれない。


「説明が難しいのですが、私はマヨイが、私以外の女の子と、そういう風になるところを見たんです。だから、その子とマヨイが親密になるところを、もっと見たいというかなんというか」


 ユキは自分でもよくわからないその感情を、何とか言語化して伝えてみた。しかし口に出してみると、自分でも納得だった。そう、ユキは、マヨイとサリアの続きが見たいのだった。その結果がどうであれ、ユキは今、おあずけを食らっている状態なのだ。


「まあ。私と同じ趣味を持っている方がこんなに近くにいたなんて!」


「わかってもらえるんですか?」


「もちろんよ。ちょっと待っていてね……」


 トバリはそう言うと、突然席を立ち、部屋の隅にある本棚の方へと向かった。そして数冊の本を持つと、机の上に置いた。


「これらが、私の秘蔵の百合コレクションです」


「秘蔵の百合コレクション!」


「ユキちゃん、字は読めますか?」


「母に教わったので、なんとか読めます」


「ではこれを貴女に託しましょう」


「いいんですか⁉ ありがとうございます。これでマヨイがいない時も、退屈しなさそうです」


 ユキはトバリから秘蔵の本を受け取り、礼を言った。


「こちらこそ、仲間を見つけたみたいで嬉しいわ。読んだら感想を聞かせてね。それで、さっきの話の続きだけど……」


 ユキは本を受け取った喜びで忘れかけていたが、マヨイとサリアのことをトバリがどう思うのか、聞きそびれていたことを思い出した。


「さっき言ってくれたみたいに、ユキちゃんはユキちゃんとして、マヨイのお友達になってくれたら、それだけで私は嬉しいわ。そうして、他の子とマヨイのことは、もしよかったら応援してあげてね」


 トバリはそう言うと、少し考え、もう一言付け加えてユキに言った。


「それと、これだけは覚えておいて。いつだって、自分の人生では、あなた自身がたった一人の主人公なのですよ。それを忘れないでちょうだいね」


 ユキはその言葉の意味はわかったが、なぜ今そう言われたのかまでは、いまいちわからなかったのだった。


 ユキはトバリに見送られて、マヨイの自室へと戻った。そしてマヨイの部屋に戻って、ひたすらトバリの愛蔵書を読み込んでいた。もう夜になるというころ、マヨイは自分の部屋だというのに、ノックをして入室した。会議が終わったようだった。


「戻ったぞ、ユキ。特に問題は無かったか?」


 しかし、ユキはその一瞬で、自分が少し危険な状況にあることにいまさら気づいた。


 ユキはマヨイの部屋に居させてもらっており、壁際にある机、その前の椅子に座っていた。そしてその机の上には、トバリとっておきの、女性と女性の恋愛が美しく描かれた本が、重ねて置いてあり、その中の一冊をユキは読んでいた。


「全然! ぜんっぜん大丈夫だったよ!」


 ユキは本を閉じ、素早く立ち上がると、マヨイを迎えるように入口のほうへ素早く移動した。


「そうか。退屈していたのではないかと思ってな。ん? 本を読んでいたのか?」


「ううん、全然読んでないよ。ただちょっと貸してもらったけど難しくて……」


「なんだ、難しいところがあるのなら遠慮なく私に聞け。これでも、一通りの教養は身に着けているつもりだぞ」


 マヨイはそう言いながら、机のほうへ近づこうとする。しかしユキはそれを遮るように、両手を広げて、必死で止めた。


「ダメ!」


「一体どうしたんだ、そんなに焦って……」


「いいから一回、ちょっと出る!」


 ユキはマヨイを押し出して、部屋から追い出すと、扉を閉めた。王女から部屋を奪った不届き者、ユキは、重い本を引っ掴み、部屋中を見て隠せる場所を探した。机の引き出しを開け、クローゼットを開いたが、本を何冊も見えないように置ける場所は無さそうだった。


「お母様、ごめん!」


 ユキは大事な本に手を合わせて謝ると、素早くベッドの下に滑り込ませた。大きすぎるベッドの下であれば、容易に隠すことができるし、マヨイが覗き込むこともないだろう。


「もういいか? 入るぞ? 私もこれでも疲れているんだぞ」


 そう言って扉を開けて、マヨイは部屋に戻って来た。


「ごめん、そうだよね、本当に長い間お疲れ様!」


 ユキは誤魔化すように、満面の笑みでマヨイを迎え入れた。マヨイが突然入って来たせいで、最後の一冊だけ微妙に見える位置にはみ出していたのをユキは見つけ、思わず冷汗を垂らしたが、足でそっとベッドの下に滑り込ませた。


 何とか本のことをごまかした後、マヨイとユキは夕食を食べると、昨日と同じように風呂に入った。そして、再度部屋に戻って来たとき、ユキは思わず尋ねた。


「ねえ、えーっと、私はそろそろ出て行った方がいいのかな?」


「うん? なぜだ?」


 不思議そうにマヨイは首をかしげる。


「だってほら、そろそろ寝る時間だし。昨日は心配して一緒にいてくれたけど、ね?」


「嫌だ。今日も一緒に寝る」


 いつも凛としたマヨイはこういう時だけ甘えるような顔をして、そう言う。


「でも……」


「ユキは嫌か? 私と一緒に寝るのが……」


 寂しそうにマヨイは言う。ユキはトバリから聞いた話を思い出していた。マヨイはきっと、ユキから離れたら、それきりで離れ離れになってしまうということを恐れているのだろう。それがマヨイのトラウマだからだ。


「嫌じゃないけど」


「だったらいいだろ? な?」


 マヨイは後ろからユキに軽く抱きついて、そう言った。しかしユキはくるりと身体を翻して、一歩下がって、マヨイの方を見て言う。


「わかったよ、もう。でも、ベタベタするのは禁止だから」


 それを聞いて、悲しがるかと思いきや、マヨイは喜んで頷いた。


「ああ。近くにいてくれればそれでいい」


 そう言ってマヨイは先にベッドに入った。ユキはそれを聞いて、やはりマヨイが失った友達を自分に重ねているのだろうと確信したのだった。

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