第1話 王女と王女


 遡ること数時間前、白狼の亜人、ハクロ・ユキは、地方を治める領主の大きな屋敷の中にいた。


 亜人は耳や尻尾こそ動物のように毛が生えているが、それ以外の部分はほとんど人間と変わりがない。だというのに、亜人は人間に虐げられ、人権を無視されていたのだった。


 ユキは領主の従者によって屋敷の地下牢から連れ出されると、広間で領主の前に立たされた。


「白狼の亜人じゃないか! 美しい……透き通るような白色だ。よく手に入れてくれた。しかし、奴隷商も価値がわかっておらんのか? 傷だらけじゃないか」


 品定めをするように、領主はぐるりとユキの周りを一周しながら、そう言った。従者の男がそれを聞いて、頭を下げる。


「傷だらけで申し訳ございません。しかし、白狼でしたので、喜ばれるかと思い、迷わず入手しておきました」


「いや、いい。よくやったぞ。今夜は楽しめそうだ。しかし、こうもボロボロでは、気分が乗らん。身体を洗って娘の古着でも着させて、見た目を整えてからにしてくれ」


「承知いたしました」


 領主は従者に指示を出すと、階段を上がって姿を消した。


「おい、行くぞ。小汚い亜人が」


 従者は汚い物でも触るように、ユキを小突くと、後ろをついてくるように急かし、廊下を歩いた。ユキはとぼとぼとその後ろをついて行った。


 奴隷商に商品として連れまわされる間は、ろくなものを食べさせてもらっていなかった。屋敷の大きさを見るに、これから領主にされることさえ我慢すれば、まともな食事くらいはさせてもらえるだろうかと、ユキはぼんやりと考えていた。


 そんな時、ユキは妙に屋敷の外が騒がしいことに気づいた。獣耳がピンと立ち、窓のほうを向く。


「なんだ……?」


 従者が窓から外を見る。すると、そう遠くないところで、煙が昇っているのが見えた。


「まずいぞ!」


 従者はユキを突き飛ばすと、先ほど領主が去っていった方へと猛スピードで駆けだした。しかし、その後ろ姿がユキからも見えているうちに、領主の者らしき悲鳴が響くのが聞こえた。


「ぎゃあぁぁ!」


 領主の悲鳴と同時に、屋敷中の至るところで窓が割れる音が響く。そして、遠くで火が燃え広がるのが見えた。


「何これ……何が起きているの?」


 ユキは恐怖のあまりしゃがみ込んだ。


 恐怖を感じた亜人が取る行動は三つだ。逃げるか、戦うか、そして、怖くて動けなくなるか。

 ユキの選んだ行動も最後の一つだった。自分がまだ両親と暮らしていた村が人間たちに襲われた時も、ユキはそうして縮こまって身を隠しているうちに、自分でもどうしてかわからないが、一人だけ難を逃れて生き残ったのだった。


 窓ガラスが割れる音、乱暴にドアが開かれる音、男たちの怒号、女性の悲鳴、それらは始め、遠くから微かに聞こえる音だったが、今やだんだんとユキのほうへ近づいてきている。しゃがみ込んで肩を抱き震えながら縮こまったユキは、視界の端、廊下の突き当りに、剣を持った男の人影を見た。


「怖い……怖い怖い、怖い!」


 目をぎゅっと閉じて、近づく足音に震えるユキ。心臓は高鳴り、頭が真っ白になる。あまりに煩く自分の鼓動が鳴り、まわりの全ての音さえも、それにかき消されていく。


(怖い、怖い、助けて……!)


 そして鼓動の音が全てをかき消し、ユキは恐怖のあまり、気を失った。


 ……小鳥の声が聞こえる。


 気が付けば、ユキは、草の茂みの中に小さく縮こまり、膝を抱えて震えていた。ユキが恐る恐る辺りを見回すと、そこは鬱蒼と茂った森の中だった。自分自身、何が起きたのか全く分からなかったが、襲撃を受けていた領主の館から、突然、森の中に、ユキは移動していた。


 ユキは辺りを警戒して耳をそばだてる。


 枯れ葉や土を踏みしめる足音、そして金属同士がぶつかる音を拾い、ユキは自分のすぐ近くで、二人の人物が戦っていることに気づいた。ユキは見つからないように近づき、二人の人物が睨み合っているのを発見した。ユキは気づかれないように茂みから顔を出して、その様子を伺った。


 ユキの右側には、人間の少女がいる。


 ユキよりは少し年上だろうか、美しく動きやすい鎧を身に着け、細長く女性でも扱いやすそうな剣を手にしている。金髪の美しい髪は縦にロール状に巻かれており、戦場に身を置く女性の姿にしてはあまりに優雅だった。凛として剣を構えるその姿勢には、確かな訓練に裏打ちされた強かさが垣間見える。その顔立ちは美しく、宝石のような大きく青い瞳が微かな光をも反射して煌めいている。


 その反対側、ユキの左手には、亜人の少女が立っていた。


 漆黒の髪は液体のようにさらさらと、真っ直ぐに長く流れており、光が当たった部分だけが著しいコントラストで白く輝いている。その黄色い瞳はまるで獲物を逃さない豹のように鋭く、はっきりとした顔立ちは可愛いというよりは美人と形容されるべきものだった。黒豹の姿を模したような亜人の少女は、曲刀を両手に持ち、独特な隙のない構えをしていた。


「やるな、人間の娘。何者だ? 貴様のような子供が、どうしてこんな戦場に出てきている」


 亜人の少女は、曲刀を敵である人間の少女へと向け、そう尋ねた。


「貴女も同じでしょうに。わたくしはシルヴァリア王国の王女、シルヴァリア・サリア。亜人の少女、貴女も名乗りなさい!」


 ユキはそれを聞いて驚く。人間の治めるシルヴァリア王国、その王女が、自ら鎧を纏い、剣を持ち、この場にいるというのだ。サリア王女が剣技と魔法に優れ、姫騎士として戦場に出ているという噂は、奴隷であるユキにも聞こえるほど有名なものだったが、ほとんどの人間はそれをプロパガンダの一種だと思っていた。


「ふっ……あははははは!」


 亜人の少女は、サリア王女を名乗る少女が言った事を聞いて、それを信じていないのか、大笑いした。


「ひ弱な人間の王女が、まさかこんなところまで出てくるとはな。では、貴様を捕らえれば戦争は終わるかもしれないな!」


 亜人の少女はそう叫びながら、曲刀で斬りかかる。しかし、サリアも危なげなくそれを剣で防ぎ、二人は何度か剣を素早く打ち合い、剣を交えたまま火花を散らして鍔迫り合いをする。


「私の名前を教えてやる。クロシク王が娘、クロシク・マヨイだ!」


「何ですって!」


 サリアはそれを聞き、剣を弾いて数歩分、後退する。


「クロシク・マヨイ……亜人は王族であろうと最前線で戦うのが常とは聞いていましたが……まさか貴女も王女だとは」


「王女同士の決闘とは、皮肉なものだ。勝った方の国を戦勝としたいところだが、立会人がいないようだな」


 なんとユキは、人間の王女サリアと亜人の王女であるマヨイが、直接対決するという世にも奇妙な巡り合わせの場面に立ち会っていたのだった。その世紀の戦いを、決して見つからないように、ユキは固唾をのんで見守っていた。


「聞いていた通り、亜人は好戦的ですね。そうして人々を傷つけるから、戦争が終わらないのでしょう!」


 サリアは相手が敵の首領の姫だとわかると、そう訴えた。


「シルヴァリアの王女は世間知らずなのか? それとも、王様が情報統制でもしているのか? 人類が亜人を奴隷にし、気軽に殺し、命をもてあそんでいるのを知らないわけではあるまい!」


「人間がそのようなことを、するはずがありません! 全ての命は尊く、それを守るためにあなたたちとも戦っているのにすぎない!」


 サリアとマヨイは、言葉で戦いながらも、再び剣で打ち合う。目にもとまらぬ速さで細い金属がぶつかり合い、木漏れ日を反射する光が輝いては消える。そうして打ち合いを続けたが決着がつかず、お互い消耗して、息が上がってきたようだった。


 ユキは冷や冷やして思わず声を出しそうになるくらい、その戦いは接戦だった。ユキは亜人ではあったが、その二人のどちらも、目の前で死んで欲しくないと思った。


 消耗した二人は自然と剣を下ろし、再び言葉を交わした。


「思ったよりやるじゃないか。少しは見直したぞ、サリア王女」


「貴女の方こそ。王国の騎士にも負けず劣らずで驚いたわ……」


 二人は肩で息をしながら、互いの強さを認め合った。そして、サリアが口を開く。


「先ほどの話……本当なのですか?」


 サリアは、人間が亜人を奴隷としているというマヨイの発言を、真剣に聞くようになったようだった。


「信じるのか?」


「貴女の剣は……戦い方は真っ直ぐでした。剣を合わせればわかります」


 マヨイはサリアに真剣な表情でそう言われ、少し照れたように目を反らした。


「……そ、そうか。そんなこと言われたのは初めてだぞ。どうやら本当に、親には色々隠されているらしいな」


 すると驚くべきことに、マヨイは曲刀を二本とも鞘に仕舞って見せた。


「話すのは構わない。だが、ここから先は、お互いを認め合った友として、会話がしたい。どうだろうか?」


 自分から警戒を解いたというのに、それでも少し緊張をしながら、マヨイはそう言った。サリアはそれを聞き、目を点にして驚いたが、やがてゆっくりとその美しい剣を鞘に仕舞った。マヨイは、丁度二人の間にあった、倒木に腰かけた。すると、サリアも緊張しながらも、少しだけ距離を開けて、その隣に座った。


 ユキはというと、その様子を手に汗を握って見ていた。


(何……? この感情は?)


 たった今、歴史が変わる瞬間を見ているような、あるいは絵物語の始まりを見ているような、そんな感覚をユキは覚えて、心臓が激しく高鳴っていた。


 それは、戦いを見ている時の緊張した重い高鳴りではなく、踊るような、軽快な胸の高鳴りだった。

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