百合の間に挟まりたくなんてなかったのに ~王女と王女と奴隷の少女~

八塚みりん

プロローグ 二人の出会いと、一人の邪魔者


 戦いの中に響く怒号が、離れた所から微かに聞こえる。


 鬱蒼とした森の中は、木漏れ日が微かに地面に届くばかりで薄暗い。


 人間と亜人が血みどろの戦争をしていることなど、自分たちには関わりがないと思っているのか、小鳥は木の上で楽し気に歌っている。


 亜人の少女、ハクロ・ユキは、木陰から盗み見るようにして、目の前で繰り広げられる光景を見ていた。


 高鳴る胸を押さえながら、目の前で交わされる会話を一言一句聞き逃さないように、動物と同じように頭の上にあるもこもこの耳をそちらへ向けていた。


 ユキが木陰から見守る先には、倒木に腰を掛けた少女が二人いた。


 片方は、美しい金髪の人間の王女、サリア。

 そしてもう片方は、真っ直ぐな黒髪をした、亜人の王女、マヨイ。


 敵対する二つの種族の王女は、偶然にも戦いの中、それぞれがこの場に迷い込んだ。

 そして剣を打ち合い、互いを理解しあった二人は、お互いを友と認めて話し合いを始めたのだった。


 マヨイは、亜人の置かれた苦境をサリアに話す。


 辺境の人間たちが亜人を平気で奴隷化して、人として扱っていないこと。亜人の命は軽く扱われ、耐えられなくなった亜人たちが蜂起し、王国に反旗を翻しているが、それを王国が手ひどく弾圧していること。


 それを聞いた世間知らずの姫騎士、サリアは、心から痛ましいような表情をしながら、真剣にそれを聞いていたのだった。


「ふっ……」


 マヨイはそんな話の最中、真剣なサリアの表情を見て、微かに笑った。


「な、何ですの? 急に笑って……」


「いやなに、人間でも、亜人が死んだ話を聞いて、そんな顔ができる奴がいるのかと思ってな」


「あ、当たり前です! そんなこと、許されるはずはありませんわ!」


 サリアは、人間たちが亜人にしていた仕打ちを初めて知り、身内のことだというのに、心から怒っていた。


 一方、そんな様子を盗み見ていたユキは、自分の中に未知の感情が生まれ始めたことに戸惑っていた。


(何……? この、胸が締め付けられるような気持ちは。二人を見ていると、心臓の辺りがきゅーんと縮まるような感じがする……)


 そんなユキの存在など知らないマヨイは、サリアにぐいっと顔を近づけて、話を続けた。


「なあ、サリア。私はお前が気に入った。亜人の国へ来い。しばらく私と一緒に暮らし、亜人の生活を見るといい」


「えっ……そんな……ダメよ。わたくし……お父様が心配しますわ」


「亜人を人とも思っていない父親だ。お前の教育をするには相応しくない。私が全部、教えてやる」


 しかし、戸惑っていたサリアは、それを聞いて少しむっとすると、自分の方からマヨイに顔を近づけて、言い返した。


「教える、だなんて傲慢ですわ。私がついて行くとしたら、学びに行ってあげる、って表現すべきじゃないかしら」


 二人はそのまましばし、目と鼻の先までお互いの顔を近づけて睨み合っていたが、突然どちらとも無くぷっと吹き出し、笑い始めた。


 そして倒木の上で、二人の美しい王女達はしばし、腹を抱えて笑いあった。そこには異人種間の隔たりもなければ、異なる国の者同士の違いもない、ただ分かり合って笑いあう、二人の少女の姿があった。


「全く……認めたくはないが、私たちは似た者同士のようだ」


「ぷっ……本当ね。お互い負けず嫌いで、まるで話が進まないんですから!」


 その和やかな雰囲気を遠くから見守るユキは、自分の中に、感じたことのない、切ないような気持ちが芽生えるのを感じた。


(うっ……まただ。このきゅんと締め付けられるような感覚……これは何?)


 それはまさに、たった今咲こうとしている一輪の花のつぼみを応援したくなるような、そんな気持ちだった。ユキは思わずそっと自分の胸に手を当て、その気持ちを噛みしめるように押さえた。


 百合……女性同士の恋愛を、シルヴァリア王国では、ある花に例えてそう言う。女性同士の恋愛は、かつてほど厳しく弾圧されていないが、滅多にないことだった。


 二人は恋をしている、とははっきり言えない。しかし、ユキにとっては敵国の王女同士が、禁じられた間柄にも関わらず、仲を深めていく様を見ていて、それぞれの中に普通とは違う感情が芽生え始めているように思えてならなかった。


(何て言えばいいんだろう……あの二人は……ただ、そう……尊い)


 上の空になったユキは、胸を押さえて必死で呼吸を整えたが、木にもたれかかったその拍子に、地面の小枝を踏んでしまった。


 パキッと軽快な音が響き、和やかだった二人が、一斉にユキのほうを向く。


「何者だ!」


「だ、誰⁉」


 サリアとマヨイは、素早く剣を構えると、ユキの側に近づいた。そして、亜人のユキがボロボロの衣服を着て、傷だらけの身体で怯えているのを発見した。


「亜人の……奴隷……! それも白狼の亜人か」


 ユキは奴隷だった。人間に飼われているところに戦火が迫り、必死で逃げてきたところ、ここにたどり着いたのだった。マヨイは、ユキのことを一目見て、奴隷だと理解した。白く美く輝く髪の毛と耳を持った白狼の亜人は、亜人の中にも珍しく、しばしば人間に突け狙われ、高値で取引されてきたのだ。


 マヨイはユキを見つけるとすぐに、戸惑うユキを強く抱きしめた。


「辛かったろう。もう怖くないからな……」


 ユキはマヨイに抱きしめられ、その暖かさを感じて、妙に落ち着いて目を閉じた。


「亜人の奴隷……マヨイの話は本当だったのね……」


 サリアは抱きしめられたユキの髪の毛を、優しく撫でた。


「私たち人間のせいで……ごめんなさい!」


 ユキが見ると、サリアは泣き出しそうな顔で、ユキのほうを見つめていた。人間がユキにした仕打ちを想像して、心を痛めているようだ。その顔を見れば、サリアが亜人がおかれた現状を知らなかったというのが真実なのは、明白だった。


「それにしても……その、美しいわね。白狼? というの?」


「ああ。白狼の亜人は珍しいんだ。虐げられているというのに、この毛並み。綺麗な髪だろう?」 


 マヨイはユキの白い髪をさらさらと指でなぞりながら、そう言った。


「あっ……ずるいですわ! 私も触りたいです!」


 サリアはユキの耳に遠慮なく触れてきた。亜人にとって敏感な部分である獣耳を触られ、ユキはビクッと身体を硬直させた。


「こ、こら! そんなやらしい手つきで耳を触ってやるな! 可哀想だろう!」


 マヨイはそれを見て、ユキの代わりにサリアに注意した。


「やらしくなどしていません! でも初めてだから……ごめんなさいね」


 サリアはそう謝ると、今度は優しく、うっとりとした表情で、ユキの耳をなでた。ユキは思わず目をつぶり、もっと撫でてとでもいうかのように、頭をサリアの方へと向けた。


「ま、まぁ……可愛らしい! 可愛らしいですわ!」


 サリアは感動したように、ユキの耳を優しくなで続けた。


「ふっ……そうだろう。よし、この子は私が連れて帰ろう。クロシク王家の庇護の元だ、辛い生活はさせないぞ」


 マヨイはそう言って笑い、ユキの頬っぺたをつついた。


「なっ……いけません! この子は私が保護します! 亜人族の領土は脅かされていて危険なのだから、シルヴァリア城で安全に暮らしてもらいます!」


「何を言ってるんだ! お前たちが攻めて来なければいい話だろうが!」


「絶対に私たちのほうがいい暮らしをさせて、愛情も与えることができます! 私がお城に連れて帰るんです!」


 サリアとマヨイはユキをそっちのけで、どちらがユキを保護するか、言い争いを始めた。しかし、ユキも二人に対して抗議したい気持ちでいっぱいだった。


(なぜ……どうして⁉ たった今咲きそうだった美しい花がしぼんでいく! 私の馬鹿! どうして見つかってなんてしまったんだろう)


 そんなユキの気持ちを知る由のない二人は、どちらがユキを保護するか言い争いを続ける。しかし、ちょうどそんなとき、人間と亜人の兵士達が、サリアとマヨイ、その両方の後ろ側から駆け付けた。


「サリア王女! ご無事でよかった……亜人ども、サリア様から離れろ!」


 サリアの後方から離れた、数人の兵士たちが、そう叫ぶ。


「薄汚い人間どもが! マヨイ様から離れろ!」


 マヨイの後方から現れた、亜人の兵士たちも、人間の兵士たちを見て威嚇する。


「……こんな時に!」


 サリアは名残惜しそうに、ユキとマヨイを交互に見つめる。


「こっちへ来い、白狼の娘!」


 マヨイはユキの手を強引に引くと、サリアから距離を取った。


「サリア……私は……」


「マヨイ、今はその子を預けます」


 サリアはそう言うと、部下の兵士たちにそれ以上近づくなと手で示すと、自らマヨイとユキの近くを離れていった。


 マヨイもユキを連れ、人間の兵士たちのほうを睨みながら、亜人の部下たちのほうへ後退した。そうして、サリアとマヨイの二人は、それ以上戦うことなく、その場を去った。


 かくして運命的な二人の王女の出会いは、実を結ぶことなく引き裂かれてしまった

のだった。


「百合が……百合の花がぁ……」


 ユキはマヨイに抱かれ、連れられながら、うわ言のようにそう呟く。あの時の、胸を優しく突くような甘い刺激はもう無くなり、サリアとマヨイの二人を引き裂いた悲劇的な運命をユキは単純に悲しんでいた。


「百合? 心神喪失しているのだろうか、可哀想に」


 ユキの気持ちも知らずに、マヨイはユキの背中を優しく叩くと、亜人たちの本拠地へと連れて帰ったのだった。



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