第2話 マヨイとともに


 そうしてユキはそんなサリアとマヨイのやり取りを、我を忘れて食い入るように盗み見ていた結果、その二人に見つかり、あんなことになってしまったのだった。


 今やユキは亜人の王女であるマヨイに、肩に担ぐように抱えられ、されるがままに連れ去られていていた。


 人と亜人が殺し合う過酷な戦場を、マヨイの有能な部下たちが先行して進路を切り開いていき、マヨイは全速力でそこを駆け抜けて亜人の陣営へと戻っていった。


「はぁ……はぁ……もう大丈夫だぞ」


 亜人たちが野営をしている場所に着くと、ようやくマヨイはユキを地面に降ろした。ユキは揺られすぎて気持ち悪くなっていたので、すぐその場に座り込んだ。マヨイも肩で息をしており、ユキの隣に倒れるように寝転がった。


「あぁ……さすがに疲れたな……」


 マヨイは空に向かってそう呟いた。夕日が沈みかけ、空はだんだんと暗くなり始めていた。亜人の野営地には、ドーム型のテントがいくつも設置されており、守りに残った兵士たちが、巡回したり、得物の手入れをしたりしている。しかし程なくして、ぞろぞろと多くの兵士たちが、野営地に戻ってきた。


「マヨイ様。ここもじき、戦場になります。王とお妃は既にここを離れました。どうぞお早く」


 兵士の一人がマヨイにそう声をかけた。


「クソ。やはりこちらの負けか……」


 悔しそうな顔をして、マヨイが答える。


「そうとも言い切れません。領主の館は落としましたし、敵は大損害ですよ。これでしばらく我々の森へと攻め込んでは来れないでしょう」


 兵士はそう言うと、その場を離れてどこかへ行ってしまった。


 マヨイは再び力を振り絞って、立ち上がると、座り込んでいるユキに手を差し出した。


「お前、名前は何というのだ?」


「ハクロ・ユキです」


 ユキは手を取って、そう答えた。


「奴隷の生活は辛かっただろう、ユキ。これからは私が守ってやるからな」


 マヨイはユキにそう言ったが、ユキは自分がどうしてそんなに優しくされているのか分からず、戸惑っていた。相手は亜人の王の娘……王女だ。かたやユキは、両親と故郷の村を失った、ただの奴隷だった。酷い扱いをされることに慣れており、優しくされるとかえってどうしたらいいかわからなくなるのだった。


 ユキはマヨイに連れられ、馬の引く荷車に乗り込み、亜人たちの国、ビスタリアへと向かった。


 荷車に揺られながら、ユキはマヨイからパンを一つもらった。そのパンは硬くなくて、カビてもいなかったので、ユキはすぐにぺろりと食べてしまった。足場の悪い地面をガタガタと進む荷車の中は決して居心地がいいものではなかったが、ユキは疲れもあって、気が付けば眠りに落ちていた。


 しばらくすると、マヨイがユキの身体を揺すって起こした。荷車と兵士の一団は、いつの間にか森の中を進んでいた。


 そこは先ほどマヨイとサリアがいた森よりの何倍も高くまで木々が生い茂っていた。ユキが顔を上げれば、その木々の間には木で作られた橋がいくつもかかっており、木の上にはツリーハウスというには大きすぎる家々が、木と同化するように作られていた。


「ここがビスタリアだ。来たことはあるか?」


 マヨイは自分の故郷を誇るように紹介すると、ユキにそう尋ねた。


「いいえ。ありません。私の村は、人間の村に近かったですから」


 ユキは正直に答えた。ユキの一族は、人間と同じように地面に家を建て、そこに定住して暮らしていた。だからこそ、人間からしても襲いやすかったのかもしれないが。


「ほら見ろ。あれが私が住む家……ビスタリア城だ」


 森の奥にはそびえ立つ断崖があり、その崖にまるで彫刻するように、巨大な城が建っていた。城は背の高い木々に建てられた民家よりも高い位置までそびえ立っており、崖はそのさらに上、木々に遮られて見えない遠くまで伸びているようだった。


「わぁ……おっきいですね……」


 ずっと村で暮らしてきたユキにとって、そんな大きい建物を見る機会など今までなかった。ユキは素直に感動し、目を輝かせてその城を見上げていた。


「ふふっ、そうだろう。しかし可愛い反応をするな、ユキは」


 マヨイはユキの頭をポンポンと軽く叩いた。ユキは戸惑いつつも、嫌な心地はしなかった。とはいえ、やはり自分が可愛がられるたびに、心のどこかで違和感を覚える。荷車は城の少し前で止まり、マヨイは荷車を降りると、ユキの手を取って転ばないように支えた。


 多くの守衛が守る門を抜け中に入ると、ユキは目が慣れるまで一瞬暗く思えた。入り口の広間は天井が高く、物音がよく響くほど広く、静かだった。壁も、天井も、床でさえも、綺麗な彫刻のように木々を模したような文様がついており、荘厳な雰囲気が伝わってくる。


「なんだか緊張しますね。こんなところがマヨイ様のお家だなんて……」


「慣れたらそうでもないさ。よくここで階段の手すりから飛び降りて、お父様に叱られたものだ」


「マヨイ様がですか?」


 ユキは今の落ち着いたマヨイしか知らないので、そんな姿は想像できなかった。


「私が大人しく控えているだけの子供だったと思うか?」


 マヨイは得意げにそう言った。ユキはしばし考えたが、マヨイが曲刀を持ってサリアと戦っていた姿を思い出し、どう考えても大人しくしているような性格ではないと思った。


 マヨイたちが広間の中央に進むと、ちょうど正面から、真っ赤なマントを着て王冠を付けた男性と、美しい青いドレスに身を包んだ女性が、階段を下りて来た。


「お父様、お母様。マヨイ、ただいま無事に帰還しました」


「マヨイ、無事だったか!」


 マヨイの父親、この国の王であるクロシク・ロアート王は、まるでライオンのたてがみのような金色でふさふさの長髪をしており、まだ若く、エネルギッシュな王だった。その逞しい大柄の体格からも、クロシク王はただ城で控えているだけでなく、戦場で兵士と共に戦う王だということがユキにも見て取れた。


「心配したんですよ。無茶はしないでくださいね」


 マヨイの母親、クロシク・トバリ妃は、マヨイと同じ黒くてさらさらとした髪をしており、マヨイと姉妹だと言っても疑わないほどに若く美しかった。


「心配をかけました。しかし、此度の戦場でも多くを学びました」


「して、そちらの娘は……? 何と珍しい。白狼か」


 ロアート王はマヨイのすぐ隣にいるユキを見て、そう尋ねた。


「本当ですわ。白狼族は滅びてしまったと聞いていましたが、生き残りの子でしょうか。何と哀れな」


 トバリ妃はユキを見るなり悲しくて泣きそうな顔をした。ユキは王族とはいえ、見ず知らずの人に憐れまれて、どう応えていいのか分からず、ひとまず二人に頭を下げた。


「戦場で見つけたのです。ご相談なのですが……」


「よい、よい。わかっておる。元気になるまで、しっかりと面倒をみてやれ。我ら亜人はみな家族だ」


 ロアートはマヨイが全てを言う前に、そう許可を出した。マヨイのやることに理解のある親のようだった。


「私はロアート王だ。よろしく頼む。君の名は何と言う?」


 ロアートは、ユキがみすぼらしい格好をしているにもかかわらず、手を差し出してそう言った。ユキは一瞬迷ったが、王の手を取り、答えた。


「ハクロ・ユキです。マヨイ様には命を助けていただきました」


「はっはっは! 逞しい娘だろう! 惚れても構わんが、気性の荒い娘だぞ」


「ちょっと、お父様!」


 マヨイは顔を真っ赤にして、ロアートの冗談に抗議した。その間に、トバリもユキの手を取り、じっと目を見て挨拶をした。


「よろしくね、ユキちゃん。困ったことがあったら何でも言うのよ。マヨイは、同い年のお友達があまりいないの。偉い人に囲まれて育ってしまったから。きっとユキちゃんといられて嬉しいと思うわ。仲良くしてあげてね」


 トバリはにっこりと微笑んでそう言った。ユキは、ロアートもトバリも、王族だというのに偉そうなところが一つもないことに驚いた。もちろん、マヨイもそうなのだが。


「いえ、こちらこそ。お二人はすごく優しくって、マヨイさんが優しい理由がわかりました」


「まあ! 嬉しいことを言ってくれるわね。本当に、遠慮せず何でも相談するのよ」


 トバリはそう念押しすると、一歩下がってロアートの隣の位置に戻って綺麗に立った。


「それじゃ、許可も出たことだし、さっそく行こうか」


 マヨイはそう言って、ユキの背中を押してロアートたちの前を離れた。


「行くってどこへですか?」


「それは行ってのお楽しみだ」


 マヨイはそう言うと広い城の中、ユキを連れて歩いた。

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