5.大学四年 六月 恭介③

 小テストが終わり、俺は購買でコーヒーを買うとラウンジに置かれたソファへ腰をおろした。次の授業へ急ぐ人、街へ遊びに行こうとする人が行き交う。そろそろ夏休みが近いからだろうか。みんな楽しそうだ。向こうに見慣れた顔が見える。真鍋だ。あっちも俺に気が付いたのだろう。嬉しそうな顔をして、近付いてきた。

「恭介、お疲れ」

「お疲れ。これから授業?」

「うん。恭介は?」

「俺は小テストが終わったところ」

「そっか。大変だったね。肩、凝ったんじゃない?」

 真鍋は俺の肩へ手を伸ばそうとする。俺は触られないように身構えた。

「いいよ。そんなことしなくて」

「遠慮すんなって」

 これまでだったら、真鍋の好きなようにさせていた。けれども、今はどうしても別の意図があるんじゃないかと疑ってしまう。真鍋がやたらとベタベタするようになってきたからだ。けど、俺が無駄に神経過敏になっているような気もする。これからこいつとの距離は、どう取っていけば良いのだろう。俺は心の中でため息をつく。その時、俺の名前を呼ぶ声がした。柳沢だ。

「おお、新井。ちょうどいいところにいた。今、連絡しようと思ってたんだ」

「何?」

「僕、同じIT業界に就職する奴らとSNSで仲良くなってさ。『今度、みんなで集まろう』って話になったんだ。新井もIT系だろ。良かったら、来ない?」

 柳沢は本当に動きが早い。大学に入った頃から就職の準備をしていて、第一志望の会社にも、さっと内定を決めてしまった。こいつの知り合いってことは、そいつらも優秀なのだろう。ちょっと気後れするが、社会人になったら人脈は大切だと聞く。知り合っておいて損はないかもしれない。

「おっ、興味ある。詳細教えろよ」

「オッケー。じゃあ、あとで送るね」

 その時、真鍋が話に割り込んできた。

「ねぇ。それ、オレも行きたい」

 えっ? 思わず俺は真鍋の顔を見る。こいつ、どういうつもりなんだろう。俺の行くところだったら、どこへでも入り込んでこようとしている。そんな被害妄想に襲われてしまう。違和感を覚えたのは、柳沢も同じようだ。困惑した顔で真鍋を見る。

「真鍋は就職先、金融だろ」

「うん。でも、面白そうだなと思って」

「んー、どうかな。ひとりだけ業界が違うと浮くかもしれないよ」

「オレ、法人向けの仕事をしたいんだ。IT系もお客さんになるじゃん。業界の人の話も聞いてみたいんだよね」

「ふぅん」

 柳沢はあごを手で摘まんで、黙りこんだ。まさかこの説明で説得されるのか。でも、俺に柳沢を考え直させる案はない。

「今回は趣旨が変わっちゃうから難しいかな。でも、メンバーと相談してみるね。で、オッケー取れたら、また別の機会に呼ぶから」

 ナイスだ、柳沢。真鍋はまだ何かを言おうとしたが、始業を知らせる鐘の音が

鳴る。俺は真鍋に言った。

「お前、授業だろ。早く行った方がいい」

 真鍋は不満そうな顔をしたが、教室の方へ走って行った。よし、今回はなんとかなった。だが、今後のこともある。柳沢に協力をしてもらえるよう、話をしておいた方がいいだろう。俺はラウンジの椅子に座って、スマートフォンを操作しはじめた柳沢に話し掛ける。

「柳沢、助かった」

「何が?」

「真鍋のことを止めてくれて」

「ん、あいつと何かあったの?」

 まさか真鍋から告白された、なんてことは言えない。俺は適当にぼかす。

「最近、妙にベタベタしてきて」

「ふぅん。今年で卒業だから、真鍋もさみしいんじゃないか」

「けど、度を越している気がして。さっきだって、断っているのにしつこく食いさがってきただろ」

「言われてみれば。あんなに強引な真鍋、初めて見たかも」

「だろ。ちょっと怖くて」

「何、びびってんだよ。男同士なんだから、何もないだろ」

 「真鍋の場合は、あるから心配してるんだ」という言葉が喉まで出かかったが、飲み込んだ。柳沢だったら事情を話せば、わかってくれるんじゃないか。でも、そうじゃなかったら。どうしても葛藤してしまう。

 そもそも俺が真鍋からアプローチされて困っているだなんて、他人に知られたくない。男の癖に自分で対処できないだなんて、恥だ。自意識過剰だって笑われるかもしれない。それになんなんだろう、この胸にあるモヤモヤは。うまく言葉にすることができない。

「どうした? やっぱり本当は何かあったのか」

 柳沢は俺を怪訝そうな顔で見た。この際だから、全て言った方がいいんじゃないか。いや、ダメだ。自分でもよくわかっていないことを口にすべきじゃない。でも、どうしたらいいだろう。

 そうだ。事情を全て話さなくても、柳沢が真鍋に違和感を持ってくれたら、それでいい。柳沢のことだ。うまく対処してくれるだろう。

「いや、ない。けど、真鍋。最近なんか変なんだ」

「変って、どこが?」

「うまく言えないんだけど。さっきの、お前も強引だって思っただろ」

「まあね。けどさ。僕、真鍋の提案も『なるほどな』って思ったよ。他のメンバーも、金融の人とつながりを持つことには興味を持つんじゃないかな」

 柳沢は腕を組んで、うなっていたと思ったらニヤリとした。もしかして、俺が隠していることがバレてしまったのだろうか。心拍数があがる。

「新井。もしかして、焦っているんじゃないか」

「へっ?」

「真鍋、社会人を目前にして、急に意識が変わってきてるんだよ。目覚めたっていうか。で、お前、置いていかれてる気になってるんじゃないかな」

 そうなのだろうか。そういう解釈も、できなくはない。けれども、胸の中には「違う」という言葉がこだましている。釈然としない。でも、目の前のシャッターは閉められてしまった。全てを話していないのだから当然だが、これ以上話しても、わかってはもらえない。俺はうちひしがれるしかなかった。

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