5.大学四年 六月 恭介④

 ゼミが終わったので、俺は筆記用具や、配布された資料をカバンへ詰めはじめる。周りでは席から立ち上がり、教室の外へ急ぐ足音が響く。今日はみんな用事があるみたいだ。教室にはもう数人しか残っていない。

 俺も帰るとするか。立ち上がろうとしたら、前の椅子にどすんと音を立てて真鍋が座った。何の用事だ? 真鍋が放つピリついた空気に、俺はとっさに身構える。

「なんで黙ってたんだよ」

「何の話?」

「引っ越しのこと」

「ああ、お前には話してなかったな。ってか、何で知ってるんだよ?」

「この前、行ったから」

「はぁ? なんだよ、それ。俺に連絡くれたっけ」

「いいだろ。オレがいつ行ったって」

 俺の背筋に冷たい汗が流れる。こいつ今、ヤバいことを平然と言わなかったか。まるでストーカーだ。もしも俺が引っ越していなかったら、どうなっていたのだろか。俺の警戒センサーが煌々と明かりをつけて、アラームを鳴らす。

「ダメだろ。俺にも都合ってものがあるんだから。大体、何の用だったんだよ」

「恭介、柳沢に『オレがおかしい』って言っただろ」

 あっ。思わず俺は教室に残っていた柳沢を見た。こちらの様子には気付かず、大久保さんと楽しそうに話をしている。何で本人にそんなこと言うんだ。チクって、俺と真鍋の関係を悪化させようっていうのか。いや、柳沢のことだ。俺がしつこく言ったから、真鍋のことを心配したのだろう。

「やっぱり。本当だったんだな。オレは恭介のこと、信頼してたのに。お前はオレのことが邪魔になったんだ」

「なんでそういう話になるんだよ。大体、それが勝手に俺の家へ来ていい理由にはならないだろ」

「だって、そういうのは本人の口から直接聞かないとダメじゃん。でも、わかった。お前がオレのことを本当は嫌いだって」

「勝手に決めつけんな」

「人に『オレが変になった』って言いふらしたじゃん。話をしようとしたら、勝手に引っ越してて。オレのことをシャットアウトしたかったんだろ」

「それ、ただの被害妄想だから」

「ほら。また『オレがおかしい』って言った」

「そうやって揚げ足をとるんじゃねぇ」

「揚げ足? 事実だろ」

 ったく、話にならない。けど、真鍋もきちんと話をすれば、わかってくれるハズだ。誤解を解いて、冷静になってもらわないと。そのためには、説明だ。

「まずは俺の話を聞いてくれ」

「へぇ、言ってみろよ」

「引っ越しは前から予定してたんだって。就職先へは実家から通った方が便利だから、もともと引き払うつもりだったの」

「ふぅん。わかってたんなら、何で先に言わなかったんだよ」

「そんなこと、わざわざ言う話でもないだろ。普段会ってるんだから、どこに住んでるかなんて関係なくないか?」

「そっ、そんなの詭弁だ。人のこと、変人扱いした癖に」

「それは違う」

「じゃあ、何だっていうんだ」

 変人扱いした訳じゃない。でも、俺が真鍋を怖いと思ったのは事実だ。自分に対して性欲をむけられている。真鍋から告白されて、俺をそういう目で見ていると知ってから、どうしても嫌悪感が結びついてしまう。とはいえ、実際には何もされていないのだ。ただの自意識過剰だと言われれば、否定できない。そういう状況で俺は真鍋に、なんていえばいいんだろう。お前がゲイだから、俺のことを性的な目で見ている気がして嫌だ。そんなこと、本当に言っていいのだろうか。真鍋のことを決めつけているみたいで嫌だ。それに自分が性的に見られて、それを意識してしまっているのを知られるのが怖い。じゃあ、なんて言えば良いのだろう。だが、真鍋は俺が考えるのを邪魔した。

「ほら、何にも言えない。やっぱりオレを遠ざけたかったんだろ。お前のこと、信頼してたのに。この、偽善者」

 ヒステリックな声に俺は思わず声を張り上げる。

「信頼、信頼って勝手なこと言うな。俺は無理矢理背負わされただけだ。お前が『自分がゲイだ』なんて言わなかったら、こんなことになんなかったよ」

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