2.大学三年 六月 恭介②
画面が暗くなり、エンディングテロップが流れはじめた。俺は立ち上がって大きく伸びをする。
「終わった。今日は結局、何本視たんだっけ?」
俺の問いかけに、カーペットに座っている真鍋が答えた。
「四本かな」
「だったら、四時間以上か。そりゃあ身体も鈍るな」
「だね」
「で、どうだった? 画質はそんなに悪くなかっただろ」
「うん。とはいえ、これだと延々と見続けちゃうかも。今日も関係ないのまで視ちゃったじゃん」
「それはあるな」
「だから、きっと引きこもりになっちゃうと思うんだよね」
真鍋は持っていたマスカット味の缶酎ハイをぐいっと飲み干した。あまり量は飲んでいないのに、顔はすっかり真っ赤だ。
「だったら、新井の家へ視にくればいいかな」
「この野郎。まあ、いいけどさ」
「助かります」
真鍋のわざとらしい言い方に思わず笑ってしまった。真鍋も声を出して笑う。ふと時計に目をやると、もう午後十時を過ぎていた。
「お前、家はどこなんだっけ?」
「千葉」
「ここから二時間くらい?」
「だね。だから、そろそろ帰らなくちゃ」
真鍋は立ち上がろうとして、ふらっとした。コイツ、ひとりで帰れるのだろうか。
「今から帰ったら、日付変わるだろ。明日、日曜じゃん。用事ないんだったら、泊まってく?」
「えっ、迷惑じゃない?」
「別に」
真鍋はスマートフォンを操作しながら、画面を見つめていた。親に許可を取っているのだろう。しばらくすると頬を緩ませて、俺の顔を見た。
「親の許可が取れた。泊まってくよ」
「オッケー。お前、風呂入る?」
「う、うん」
「じゃあ、今から沸かす」
俺は部屋を出ると、コントロールパネルを操作して、お湯を張りはじめた。戻ると所在なさげに立っている真鍋を尻目に、洋服を入れたカラーボックスを漁る。俺は自分の部屋着として使っているジャージを見つけて、真鍋に差し出した。
「これ、寝間着代わりに使えよ」
「えっ?」
「流石にジーンズ履いたままじゃ、寝にくいだろ。それとも下着で寝る派?」
「そ、そんな訳ないじゃん。ありがとう」
真鍋に部屋着を渡して、俺も寝間着用のジャージに着替える。よし、準備完了。あとは何をしたらいいんだっけ。部屋の中を見渡していたら、俺のことをじっと見ている真鍋の視線に気が付いた。何か足りないものでもあっただろうか。
「ん、何?」
「いや、新井って意外と筋肉質だなと思って。何か運動でもしてんの?」
「高校の時はサッカーしてたけど、大学に入ってからは、たまに友だちとフットサルしてるくらい。昔はもっとあったんだけど」
「へぇ。オレは写真部だったから、全然男らしくなくて。うらやましいよ」
「そうなんだ。今も写真、撮ってんの?」
「今はスマホだけど」
「おぉ、ちょっと見せろよ」
「いいけど」
真鍋はスマートフォンを弄って、俺に差し出す。フォルダに納められていたのは、街の風景や自然を撮ったものばかりだ。技術的なレベルはわからないが、雰囲気はある気がする。
にしても、女の子の写真はないんだろうか。画面をスクロールしたが、人物を写したものは、ほとんどない。まあ、真鍋は奥手そうだ。撮りたくても、撮れないのかもしれない。
画面を見ていたら、風呂の準備ができたことを知らせるアラームが鳴った。俺は真鍋にスマートフォンを返して、風呂場へ送り出す。あいつが出て来る前に、自分が寝るスペースを作っておかなくちゃいけない。テーブルを隅に片付けて、もうワンセット布団を敷き終わった頃に真鍋が風呂から出てきた。
「お先に」
「おう、お帰り。お前、ベッド使えよ」
「そんな。悪いじゃん」
「お客様なんだから、遠慮すんなって。じゃあ、俺も入ってくる」
「わかった」
俺がさっと風呂を済ませて、部屋へ戻ると真鍋はベッドの上でもう布団にくるまっていた。
「もう寝るか?」
「うん」
俺も寝るための準備をして、部屋の電気を消した。真鍋が夜中にトイレへ行きたくなった時、踏まれないようにキッチン側の明かりは残しておく。床へ敷いた布団に横たわると、真鍋が俺に声をかけてきた。
「オレ、他人の家に泊まるのって初めてなんだ。新井はよく友だち泊めてるの?」
だから、さっきからぎこちなかったのか。真鍋は友だちが少なそうだ。俺の方が進んでいる。そんなつまらない優越感を覚えた。
「泊めるのは、ここに住みはじめてから」
「へぇ。いつからひとり暮らししてんの?」
「三年になってからだから、まだ二ヶ月ってところだ」
「いいな。オレもひとり暮らししたい。実家、どこなんだっけ?」
「横浜」
「実家から通えるじゃん」
「けどさ。やっぱ自由が欲しいだろ」
「まあね」
「それに彼女ができたら、家に呼べるから」
「ああ。新井、けっこう遊んでるんだ」
真鍋の声のトーンが下がった。コイツ、もしかして女子と付き合ったことがないのだろうか。なんだか親近感が沸いてきた。
「そんな当て、全然ないけどな」
「なんだ」
さっきとはうって変わって、声のトーンが上がる。俺の想像通りだったって訳だ。わかりやすいヤツ。
「俺、高校が男子校だったからさ。女子の前だと、つい緊張しちゃって」
「男子校って近くの女子高と合コンするんじゃないの?」
「そんなの一部の特権階級だけだって」
「じゃあ、男同士のカップルがいるっていうのも都市伝説?」
「それはいた」
「そっか。でも、どうして付き合っているってわかったの? そういうのって、周りには隠しているイメージだけど」
「そいつらは、けっこうオープンにしていたから」
「悪口を言う奴もいたんじゃない?」
「いや。みんな、あんまり気にしてなかったよ」
「だから、ゼミのディベートの時にああいうセリフを言えたんだな」
「それはあるかも」
学校が進学校だったっていうのもあるだろうが、イジメにはならなかった。俺も含めてみんな遠巻きに見ている、といった感じだったが。
「真鍋は共学なんだっけ?」
「うん」
「クソ、うらやましい。お前、ゼミの女子とも普通に話せてるよな」
「確かにあんまり緊張するっていうのはないかな。姉さんがいるから」
「へぇ。真鍋、姉ちゃんいるんだ」
「うん。今年、大学の時から付き合ってた彼氏と結婚するらしい」
「そっか。真鍋の姉ちゃんなら、きっとかわいいんだろうな」
真鍋は返事をしない。もしかして、シスコンで姉に結婚してほしくないのだろうか。とはいえ、まさかそんなことを聞く訳にもいかない。話をそらそう。
「真鍋は女子と付き合ったこと、ないの?」
「高校の時に一人だけ。でも、すぐ別れた」
「何で?」
「自然消滅。高校時代の恋愛なんて、そんなもんだろ。新井は?」
「俺は大学二年の時にひとり。けど、サークルの先輩に乗り換えられちゃって。あれはショックだった」
「それは災難だったな」
「まあ、終わったことだ。一時期は『もう恋なんてしない』って思っていたけど、時間が解決してくれるもんだな」
「じゃあ、今は気になっている子がいるんだ?」
なんだ、コイツ。意外と鋭いな。まあ、言っておけば、チャンスが来た時に手助けをしてくれるかもしれない。俺は正直に答える。
「同じゼミの大久保さん。今日のディベートでポイント稼げた気がするんだよね。真鍋はいないの?」
「ちょっと気になりはじめている相手はいるかな」
「誰だよ」
「まだ言えない」
「なんでだよ」
「相手に迷惑がかかるから」
どういうことだ。よくわからない。もしかして、人妻にでも片思いしているのだろうか。まさか。とはいえ、人は見かけによらないっていう。大人しそうに見えて、ってことはあるかもしれない。
「そっか。まあ、俺はお前のこと、応援するよ」
沈黙。その後に深いため息が続く。俺は抗議の声を上げる。
「なんだよ、それ」
「いや、ゴメン。道のりは険しそうだなと思ったら、つい」
馬鹿にされたかと思ったが、それだけ難しい恋愛ってことか。真鍋も大変なんだな。でも、なんて声を掛けたらいいのだろう。悩んでいたら、真鍋が大きなあくびをした。
「そろそろ寝てもいい? 今朝、早かったんだ」
「もちろん。おやすみ」
「おやすみ」
にしても、真鍋が気になる相手ってどんな人なのだろう。まだ、コイツのことをよく知らない俺には想像もつかない。
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