3.大学四年 六月 勇吾

 人気チェーン店のカフェは人であふれていた。いちゃついているカップル、楽しそうに談笑している友だち同士らしい集団。大学の近くということもあって、勉強している姿もちらほら見える。

 どこか空いている席はないだろうか。カフェラテを手に店内を見渡していたら、その存在を捕らえて目線が止まる。新井恭介。勉強をしているのだろう。眼鏡をかけて、本に目を通しながら、何かをノートに書き込んでいる。その顔は真剣そのものだ。オレはポケットからスマートフォンを取り出す。

 パシャ。

 また新しい表情の恭介を記録できた。去年から撮り続けたコレクションの数は、いくつあるだろうか。正直、自分でもキモいと思う。けれども、ヘタレなオレができるのはせいぜいこの程度のことだ。友だちのフリをしても、その身体には指一本触れられない。だから、せめてこうやって自分自身を慰めるための材料を集めてしまう。

 にしても、不毛な恋だ。恭介にとってオレが恋愛対象ではないことは、知り合ってすぐにわかった。けど、普段の話ぶりや高校時代、身近にゲイカップルがいたってことを聞くと、偏見はないんじゃないかって気がする。だったら、本当のオレを知っても、側くらいにはいさせてくれるんじゃないか。もしかしたら、その先もちょっとくらい可能性はあるかもしれない。つい、そんな期待を持ってしまう。

 だからといって、本当の姿をあいつに見せる勇気もない。理解があるっていうのは、オレの勝手な想像だ。これまでもオープンにしてしまおうと思ったことがない訳じゃない。でも、その度に脳裏によぎる。

 もし違ったら。

 その言葉がいつもオレの舌を空回りさせる。今の関係に物足りなさはあるが、親友という特等席には座らせてもらえている。でも、もしその権利を失ってしまったらーー。そんな想像をするだけで背筋が寒くなる。オープンにしたところで、オレが得られるものは、あいつの前で自分を偽らなくても良い権利だけだ。その先に進みたければ、もう一押し必要だろう。でも、今のオレにそれがあるかと聞かれたら、自信はない。

 大体、今の恭介は同じゼミの大久保さんに首ったけだ。恋愛感情が全くないオレから見ても、彼女のことをかわいいと感じる時があるくらいだ。男子校出身で免疫が弱いあいつは、イチコロに決まっている。そんな状況でオレが間に入る余地なんてない。けど、彼女が別の男と付き合ったら、また変わるのだろうか。

 いずれにしても、今のオレにできるのは恭介と極力仲良くなることだ。今のところ、その点はうまくいっている。今日も親友の仮面を着けて、役を演じなくては。オレは恭介に近付き、声をかける。

「お疲れ、新井。勉強か?」

 恭介はオレを見ると笑顔に変わった。ヤバい。たったそれだけのことなのに、胸は幸せな気持ちでいっぱいになる。

「ああ。提出しなきゃいけないレポートがあって。とりあえず、そこ座れよ」

 恭介は自分の向かいの空いている席を指し示す。

「サンキュ、助かるよ。でも、まだレポートやってるんだろ。邪魔じゃない?」

「いや、そろそろ一息入れようと思ってたから」

「じゃあ、遠慮なく」

 オレは椅子に身体を沈める。

「真鍋、今日はスーツなんだな。就活関係?」

「内定者の呼び出しがあって、ちょっと行ってきた」

「ふぅん。お前、銀行だろ。給料高くてうらやましい」

「はは。外資系の奴らはそうだろうけど。オレは日系だから、初任給は安いよ」

「またまた。うちのゼミだと、同じところに行く奴、いたっけ?」

「本田」

「そっか」

 オレは本田が嫌いだ。恭介もそれは知っている。だが、理由は誤解している。本田は妙に保守的なところがあり、ヘイト発言が多い。恭介はオレが正義感から、あいつに反発していると思っている。それも間違ってはいないが、正確ではない。本当の理由は、本田がよくゲイへの嫌悪感を露骨に示しているからだ。万が一、あいつにバレたら。想像するだけで気が重い。

「まあ、仕方ない。せいぜい弱みを見せないようにするさ」

 オレはため息をついた。恭介は優しい目でうなずく。

「ゴメン、なんか暗い話になっちゃったな。もっと楽しい話をしよう。そうだ。大学生活も最後だから、二人でどっか旅行でも行かね?」

 恭介と旅行? しかも二人で。まるで夢のようだ。本田は気にくわない奴だが、この展開を用意してくれたことには感謝したい。

「いいね。どこへ行こうか?」

「せっかくだから、今まで行ったことがないところがいい」

「そうだな。例えば能登半島とか、どう?」

「そこ、どこだっけ?」

「石川県」

「俺、北陸は行ったことないや」

「前に行ったことがあるけど、自然豊かな良いところだったよ。新井にも見せたいな」

「へぇ。ちょっと自分でも調べてみるか。そうだ。来週、俺んちに泊まりに来いよ。その時、また相談しよう」

「うん。わかった」

 綺麗な自然を見て、恭介がよろこぶ。日が暮れたら、落ち着いた旅館で浴衣を着て、美味しいごはん。アルコールが入って、気分が良くなったところで露天風呂へ。そして、部屋へ戻ってーー。

 オレの妄想は止まらない。


「ただいま」

 オレは家のドアを開ける。靴を脱いで、茶の間へ行くと母さんがテレビを視ていた。こちらを見て、口を開く。

「おかえりなさい。晩ごはんは?」

「食べてきた」

「もう。そういうことは連絡してって、いつも言ってるでしょ。ごはんがもったいないじゃない。せっかくだから、食べなさい」

「いらない。明日、食べるから置いといて」

「そんな訳いかないでしょ」

「明日食べる、って言ってるじゃん。用意したって、食べないからね」

「本当に親の言うことを聞かないんだから。せめて、ちゃんと連絡しなさい」

 母さんはため息をつく。世の中の母親はここまで息子に干渉してくるのだろうか。本当、面倒くさい。

「わかったよ。そういえば、来週は泊まりに行くから」

「どこに?」

「友だちの家」

「女の子?」

「友だちって言ってるじゃん。男だよ。新井。知ってるだろ」

「ああ、新井くんね。最初からそう言えば、いいじゃない。わざわざもったいぶって。あんた。男同士で仲が良いのもいいけど、彼女でも作りなさいよ」

「はいはい」

 オレは冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。これ以上ここに居たら、また何を言われるかわかったもんじゃない。オレは階段を上がり、早々に自分の部屋へ逃げ込んだ。

 牛乳を机の上に置いて、オレはパソコンと向き合う。さて、能登半島の情報を調べておかなくちゃ。せっかくの恭介との旅行だ。大学最後の思い出になるものにしたい。来年はお互い社会人になる。今みたいにしょっちゅう会えなくなってしまうだろう。そうなったら、恭介との縁も切れてしまうのだろうか。だとしたら、今回の旅行が、オレにとってラストチャンスなのかもしれない。でも、どうしたらいいんだろうか。

 こんな時に相談できる相手がいれば良いんだけど。ネットで調べてみても、世の中にあふれているのは男女の恋愛ノウハウばかりだ。オレの欲しい情報がない。せめて同類の友だちがひとりでもいたら、情報交換のひとつもできたかもしれない。もしくはオレにもっと恋愛経験があったらならば。

 でも、今まで好きになったのは、住む世界が違う相手ばかりだった。自分から告白する勇気なんてないオレができたのは、相手への思いを募らせることくらいだ。

 これじゃいけない。そう思って、ゲイ専用の出会い系アプリを使ったこともある。だけど、すぐ止めてしまった。顔写真を載せていないと、なかなか他の人と仲良くなれないからだ。とはいえ、『知っている誰かに見られてしまったら』と思ったら、どうしても自分の顔を載せる気になれない。顔どころじゃない写真をアップしている人たちは、それが世の中に流出するリスクを考えないのだろうか。

 大体、ゲイ用のコンテンツはエロ系に偏っている気がする。嫌いじゃないが、もっと内面的なつながりも欲しい。そうするとボーイズ・ラブだ。オレはお気に入りの作家さんのホームページへ飛ぶ。新しい作品がアップされているじゃん。こんな恋愛してみたいなぁ。って、何やっているんだオレは。旅行のプランを考えるんだった。

 気を取り直して、検索をかける。前回、ひとりで行った時はどうしたっけ。覚えているキーワードで調べていくと、見たことのある景色が出てきた。

 おお、これこれ。写真もいいけど、実際に恭介に見てもらいたいなぁ。んで、海に夕陽が沈んでいく姿を二人で一緒に見られたら、自然と距離が縮まるかもしれない。

 それなら、宿はできるだけ早く帰れる場所にあった方が良いだろう。日が暮れたら、道に迷うかもしれない。この辺りに良さそうなところはないだろうか。

 調べてみたら、雰囲気が良さそうな宿が見つかった。歴史ある温泉宿って雰囲気だ。こんな場所で恭介と過ごせたらいいだろうな。でも、学生のオレたちにはちょっと高い。

 うーん。せっかくの旅行だから、思い出になるようにはしたい。けど、予算も大切だ。他にはないのだろうか。調べていくうちに、どんどん夢は膨らんでいく。気が付いたら日付が変わっていた。

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