2.大学三年 六月 恭介
「今日の講義は、ディベートをしましょう」
教壇に立つ堀田教授は明るい声で言った。大阪のおばちゃんという形容がぴったりな彼女が楽しそうな時、ゼミ生はハードな課題を課されることになる。それは講座がはじまってまだ数回しか経っていないけれども、痛感させられている。
とはいえ、ここにはそれが嫌だという人間は、ほとんどいない。堀田ゼミが過酷だという評判は、ちょっと調べればわかることだ。しかも午後一番目の講座とはいえ、土曜日にわざわざ大学まで来なくちゃいけない。間違って登録した生徒は既にこの教室には近寄らず、来年どのゼミに転籍するのかを考えているだろう。
俺も最初の授業でいきなり指名されて、全く知識がないテーマの答えを求められた時には、口をパクパクさせるしかなかった。対策を取ろうにも、テーマはその日に教授から配られる新聞記事から拾うので、予習のしようがない。しかし、最新のトピックスを扱うからこそ、実践的でエキサイティングだ。たまに授業へ遊びに来る卒業生たちも、第一線で活躍している人ばかり。自分も同じようになれるかもしれない。そう思うと俄然、授業にも力が入る。
堀田教授は教室を見渡して、話を続けた。
「実力差のない方が面白いから、同じ学年を二つに分けましょう。三年生でディベートをしたことがある人は、手を上げて」
二人が手を挙げる。それを見て、教授は六人ずつのチームにした。
「三年生のテーマは、事実婚制度の導入について。これから十五分の作戦タイムをあげるから、みんなで集まって相談して」
その言葉と共に椅子が音を立てた。教室の左右に自然と人が集まる。全員が席につくと、ディベートの経験者として手を上げていた男が口火を切った。
「まずは自己紹介をしていこうよ。僕は柳沢正敏」
身振り手振りの多い男だ。帰国子女だろうか。彼に続いて、ひとりひとり自分の名前を言っていく。
最後に残ったのはアーガイル柄のセーターを着た男だった。緊張しているのだろうか。声が小さい。
「真鍋勇吾です。よろしくお願いします」
柳沢は全員の顔を見渡す。
「じゃあ、作戦会議をしようか」
普段は百人くらい収容できる大学のカフェテリアも、土曜日の午後三時ということもあって人が少ない。俺たちは、窓際に六人分の席を確保する。全員が席についたのを確認して、柳沢が音頭を取った。
「僕たちの勝利を祝して、かんぱーい」
各々が買った飲み物を掲げた。小腹を満たせるスナックや軽食をつまみながら、各々ディベートの感想を語りはじめる。
俺の向かいは大久保さんだ。長い黒髪に白いブラウスが良く似合う。小耳に挟んだ話によれば、アナウンサー志望らしい。彼女とは前から仲良くなりたいと思っていた。運良く前に座れた幸運を噛みしめていたら、なんと大久保さんから俺に話しかけてくれた。
「新井くんの『全ての人が自分らしく生きるため』っていう一言、良かった。事実婚を一部の人じゃなくて、みんなのものだって言えたから説得力が増したよね」
実はネット配信されている、とあるシリーズ番組から借りた言葉だ。このゼミに入ってから、いろいろ知識を深めた方が良いと思ってチェックしていたのが、こんなところで役立つなんて。大久保さんに誉められて、つい鼻の下が伸びてしまう。隣に座っていた真鍋が話に加わってきた。
「そのフレーズ、オレも良いと思った。その言葉で『自分もみんなと一緒なんだ』って救われる人もいるんじゃないかな。新井くんって視野が広いよね」
ナイスアシストだ、真鍋。おとなしそうだと思っていたが、思ったよりいい奴みたいだ。けど、自分の言葉ではないのにこんな風に持ち上げられるのも、なんだか座りが悪い。さっさとネタばらしをしてしまおう。
「いやぁ。実はそれ、とある番組で仕入れたフレーズなんだ」
俺は番組名を言う。真鍋はうなずいた。
「ああ、知ってる。アメリカで有名な番組だよね。いろいろなジャンルのプロフェッショナルたちが、依頼人の人生をより彩りのあるものに改造するっていうコンセプトの」
「そう。その番組で、依頼人のゲイの男性に対して、プロフェッショナルの中の一人がしたアドバイスの言葉を借りたんだ」
「ふぅん。オレもその番組は興味あったんだ。でも、あれってあの配信サービスの独自コンテンツじゃん。そのためだけに契約するか、悩んでるんだよね」
「一番安いプランにしたら、いいんじゃね」
「でも、画質悪いんだろ」
「そうでもないよ。スマホにもアプリ入れてるから、どんなのか視てみる?」
「うん」
嬉しそうにうなずく真鍋を横に、俺はスマートフォンを操作する。だが、反応が悪い。もしかして? 俺は端末を確認する。
「あぁ、悪い。今月の契約通信量、超過した」
「そっか」
真鍋はしょんぼりした顔になる。一度期待させてしまったので、なんだか申し訳ない。そうだ。
「この後、俺のマンションに来るか? 家だったら、Wi-Fiあるから。ここから五分くらい歩くけど」
「えっ、いいの?」
「もちろん」
「サンキュ」
真鍋は目を輝かせて答えた。
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