第13話 沖ノ島の思い出

 ポタリングの翌日、日曜日の夜、玲花はスマホを手に長い時間悩んでいた。


 ベッドに横になり、じっと坂崎のアイコンを見る。


 アイコンは仮面ライダーで自分の名前の元になったクウガだ。結局気に入っているんじゃないのかと思う。自分の名前だから気に入るに越したことはないのだが。


 ベッドの下には宅配便の箱を置いてある。もちろん中は改めてある。自分がネット通販で注文したものだ。


「クウガ先輩かぁ」


 名前呼びすると特別感がある。坂崎への感情を恋だと認めてから、これからどうするのか玲花は考え続けていたが、悪く思われているはずがないので、ゆっくりでいいかと思う。自分のことを、眩しい、といってくれたときのことを思い出せば、絶対にセンパイは自分に恋していると思える。何故なら、センパイのことを眩しく思う瞬間が、確かに自分にもあるから。


 しかし意識してしまうとどうにもならない。どうせ明日会えるのだ。何をわざわざ連絡して約束を取り付けようというのだろう。約束ではなく、おやすみなさいとか送るのもありかと思うが、そうしたらもう彼女面か、とか思われてしまいそうだし、その後、無駄に悩みたくない。


 古い洋楽がBluetoothスピーカーから流れてきた。


 “HarD to Say I'm Sorry”


 シカゴのヒットソングで、日本語タイトルだと“素直になれなくて”だ。


 長く連れ添った恋人たちの歌だ。自分は、分かちがたいと綴る心境にはほど遠いが、恋しい気持ちは甘いメロディとともに伝わってくる。父の音楽サーバーのデータなので、古いものが多い。古い人間なのでCD派なのだ。お陰でBGMには苦労しない。


「――素直になれなくて、か。私は十分、素直だよな。相当」


 それなら素直になって連絡してみよう、と思う。


〔まだ起きてますか?〕


 ついに送ってしまった。


 1分ほど経ってからリアクションがあった。


〔起きているよ〕


〔音声通話してもいいですか〕


〔え、なんか用?〕


〔そういうわけではないですが――〕


 文字で読み返されたくない気がするのだ。


〔いいよ。かけるね〕


 まさか彼の方からかけてくれるとは思ってもみなかった。


 スマホにクウガのアイコンが出てくる。


「はい、上泉です」


『ちゃんと上泉っていうんだ』


「おかしいですか」


『いや、電話だしね。どうしたの? 昨日会ったばかりだし、メッセージ入れたよね。今度は野鳥の森に行こうかと思っているって。気が乗らない?』


「それなんですが」


 玲花はごくっと息をのんでためを作った。


「水着が届いたのです」


 スマホの向こう側の坂崎も無言になった。


「この土曜日に沖ノ島海水浴場が海開きしたでしょう? 夏休みが始まる前、学校が終わった午後とか、まだ空いていていいんじゃないかと思いまして」


 前にT20号で沖ノ島の近くを通ったとき、沖ノ島で海水浴をしようと話をした。まだまだと話していた海開きの季節がもうきており、そしてまだ自分は彼と一緒にいる。ならば、行くのは運命だろう。


『どうして僕でいいの?』


「私がセンパイに山ほど青春を持ってきますって、この前、約束したじゃないですか。下級生女子と一緒に海なんて青春てんこ盛りですよ」


『それが君なら、美少女過ぎてストップ高だよ……』


「リアクションがよく理解できませんが喜んでくれていると捉えていいんですよね」


 反応はない。


「もしかして水着がないとか?」


『いや、あるよ』


「繰り返しますが、私の胸は期待しないでくださいね。リボンで誤魔化してる水着にしましたし、気にはならないと思いますが」


『君と海に行けるのなら、胸のサイズなんて些細なことだ』


「胸が些細だと言われたかと思って焦りました。冗談ですよ」


「君ねえ――ああ、だから音声通話なんだ」


『メッセージだとニュアンスが伝わりにくいですし、冗談が冗談に聞こえない場合もありますし』


『他に何かあるの』


「センパイの声を聞きたかったんです」


 沈黙が流れる。


「あ、動揺する声を、ですよ。説明足りませんでしたね」


『超、動揺しているから、その目的は達成できたね』


「作戦はメッセージします」


『わかった』


「サーターアンダギーもどき、食べ終わりました?」


『昨日、食べ切っちゃったよ。美味しかった。モドキなの?』


「よかった。じゃあ、あれがウチのサーターアンダギーってことで」


『それより膝枕券と肩もみ券が入っていたんだけど!』


「機会があったら使ってくださいね。非売品・転売無効ですからね」


『絶対に転売なんかするものか』


 強い語気が嬉しい。


「使うタイミングはご自由に」


『――うん。ありがとう。使わずにとっておくよ。じゃあ、切るよ』


「おやすみなさい」


 玲花にとって坂崎には初めてかける言葉だ。


『うん。おやすみ』


 坂崎が音声通話を終わらせた。


 それもセンパイから初めてかけられる言葉だ。


 ほんのり、嬉しい。玲花はまた少し距離が縮まった気がする。


 さて、そうと決まれば水着の試着だ。水着を着るとなったらほかにもいろいろやることがある。明日決行するなら時間がない。急がねば。


 玲花は張り切って水着のタグを切り、海水浴の準備を始めたのだった。




 玲花の立てた作戦はこうだ。


 学校で水着を着て、制服はバッグにいれる。学校ジャージで下校して海水浴に行く。貴重品は基本的には防水バッグで持ち歩き、泳ごうと思い立ったときだけ、砂の中に隠す。帰りもシャワーなどは浴びずに学校ジャージを着て帰る。なにせ自転車なら10分の距離である。家でシャワーを浴びれば何の問題もない。 


 その段取りを坂崎に伝え、その夜の内に了承を得た。


 翌朝は、登校の足取りも軽かった。


 半日で授業が終わり、坂崎とは自転車置き場で待ち合わせだ。急いで着替えて制服をたたんでバッグに入れて、髪をアップにして、自転車置き場へ。男子の方が準備が早いのは当然だ。玲花が着いたときにはもう坂崎は日陰で玲花が来るのを待ち構えていた。


「やっときた」


「暑いですからね。待たせてすみません」


「髪型違う」


「海水浴ですからポニーテールよりはアップの方が便利なので」


「ポニーテールでも見えるけど、やっぱりうなじきれいだね」


「いきなりお世辞ですか!」


「ううん。本心。そうだ、T20号は?」


 玲花は赤くなった後、ようやく答える。


「こんな近くでは使いません。センパイの自転車でいきましょう」


「2人乗りは禁止だよ」


「今日は堅いこと言わないの」


「仕方ないなあ。じゃあ、学校から離れてからね」


「はいはーい」


 玲花と坂崎は連れ添って学校前の道路を南へ。坂崎は自転車を押しながらだ。


「あ、なんか、君とこうやって歩くの新鮮」


「言われてみれば初めて一緒に下校するかも」


「図書館に行ったときは学校に戻る前提で自転車を置いていったからな」


「カップルに見えるかなあ」


「体育祭のときのアレのお陰で、僕らは学校一有名なカップルだよ」


「そうなんですか」


「そうです。もっぱらの噂です」


「じゃあ――噂を本当にして、つきあっちゃいますか?」


 坂崎は固まり、足を止め、むせた。


「冗談ですよう」


 反応を見ると悪くない。だが、ここで答えを貰うのもおかしい気がして、性急な気もして、玲花は冗談にしてしまった。


「冗談でなくなる日がきたら、言ってくれ」


 坂崎は真顔だった。つきあうともつきあわないとも、どちらにもとれる返答だった。


「意外と近いかもですよ」


 それは本心だ。


「それが一時の感情でなければいいんだけど」


 坂崎は小さな声で呟いた。その台詞は、センパイが自分を好きだと言ってくれているようなものだ。玲花は嬉しくて、嬉しくて、坂崎の背中を叩いて言う。


「もう十分、学校から離れましたよ。乗せてください!」


 玲花は坂崎の自転車の荷台に横になって座る。


「おう。今度は僕が君を運ぶ番だ」


「任せた!」


 坂崎はペダルを立ちこぎして自転車を前に進め、慣性をつける。ふらふらしながらもどうにか前に進み、追い抜く自動車に迷惑がられながら、館山湾へ向かう。


「私、自転車の2人乗り、初めてです」


「タンデムは2人乗りじゃないか」


「タンデムはタンデムなんで」


「それなら僕も初めてだよ、自転車の2人乗り」


「じゃあ、今日は青春てんこ盛りですね!」


 玲花は坂崎の背にぴたりと顔をつけ、腕を回して落ちないようにする。


 好きな人の匂いは、心地いいものだとしった。


 館山駅前を過ぎ、右折して海岸通りに。


 館山の夏は、平日でも観光客がちらほらきている。


 海岸通りを南下し、渚の駅を通り過ぎ、海上自衛隊基地にぶつかり、右に。すると護岸に至り、海のすぐ側を通る。


 海の中にこんもりとした小山が見える。それが沖ノ島だ。今は引き潮の時間なので玲花は奥の方まで行くつもりだった。自転車を駐車場の端に停める。広い駐車場はガラガラだ。広いからなのであって、台数はそれなりにある。海水浴は手前からできるが、さすがに人がいた。


「奥までいきますよ」


「北の入り江ってやつ?」


 坂崎がスマホを見ながら言う。入り口から3〜400メートルほど歩くだろうか。


 島の大部分を占める森の中を歩き、それを抜けると幅20メートルくらいの入り江に到着する。そこにも小さな砂浜がある。海水浴客はおらず、岩場の方に釣り人の姿が見えるだけだ。


「ほぼ、貸し切り」


 玲花のテンションはあがる。


「ビーチサンダル履きながらだねえ」


 割と石が転がっている。ベンチがあり、荷物はベンチに置く。こんなに人が少ないのなら盗まれる心配もなさそうだ。


「それでは定番のイベントいきましょうか」


 玲花がジャージの上を脱ぐと、いきなり胸のピンクのリボンが飛び出し、強い南風に揺れた。坂崎は動揺を隠さない。


「うわあ」


「何その反応」


「もう少しためが欲しかった」


「こういうのは勢いでしょう!」


 玲花の水着は紺のワンピースだ。脚の付け根からお尻に掛けてもピンクのフリルがある。続いて下のジャージもささっと脱ぎ、靴下を脱ぎ、ビーチサンダルに着替える。


「きれいだ」


 坂崎の声が背中から聞こえてきて、玲花は振り返る。


「あ、いや、かわいいよ。水着」


「ありがとうございます」


 玲花は照れるしかない。


「通販で買ったからサイズが今一つ合わなくて、ウェストはプリーツを昨日の夜作って合わせたんです。胸はまあ、ギリ。アンダーがちょっと。やっぱりプリーツ作って、お尻は大丈夫でした」


「細いんだねえ」


「あ~~そうだ。早く日焼け止めクリーム塗って貰わないと」


「ええっ!ド定番のイベント発生!」


「学校を出るときにたっぷり塗りましたけどさすがに背中は手が届いてもムラがあるに違いないんです」


「背中は見えないからねえ」


「早く塗ってください! 日焼けしちゃうじゃないですか!!」


 玲花は日焼け止めクリームのチューブを坂崎に押しつける。


「早く!」


 坂崎は圧に負け、ベンチに座る玲花の後ろに回り、露出している首の下と肩甲骨周りにペタペタ塗る。優しい手つきだった。嬉しい。


「ふふ、青春てんこ盛り第3弾ですね」


「第2弾は」


「私の水着姿。セクシーでしょう?」


「特別だ。一生忘れないよ」


「そこまで言っていただけるとは。終わったら私もセンパイの背中、塗りますよ」


「僕はいい」


 坂崎はチューブを玲花に返すと、ジャージの下を脱いだ。


「あれ、上は?」


「海水浴はしないつもりだった……」


「こんなに人気ひとけがないんだから、いいじゃないですか」


「いや、その……」


「往生際が悪いなあ」


「仕方ない。美少女の水着姿を見た代償だ。脱がないのは卑怯だ」


「パチパチパチ」


 玲花は拍手しながら、坂崎がジャージの上を脱ぐのを待つ。


 現れたのは真っ白い肌と多くの傷跡だった。手術のあとだろうか。胸回り、肋骨の下などに、あった。


「――ほら、引いた」


「でも、意外と筋肉ついてますね」


「1日3分筋トレを欠かさないからね――怖くない?」


「なんで?」


「普通の人は傷を見て、痛そうとか、気持ち悪いとか言って目を背けるものだ」


「だってそれ、理由は知りませんけど、センパイの人生の一部でしょう。今更そんなのが加わったところでセンパイのこと嫌いになんてなれませんよ」


「――ありがとう」


「ほら、行きますよ」


「まだ履き替えてない!」


 坂崎はスニーカーを脱ぎ、靴下を脱ぎ、PVCのサンダルに履き替えると玲花に向き合った。玲花は手を差し出し、坂崎はその手を取って砂浜に走って行き、そのまま海の波の中に走って行く。

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