第12話 行き当たりばったりポタリング(自転車散歩)2

 坂を下りきると川沿いの道になり、川の水で削られたのであろう岩肌むき出しの中、濁った水が流れている。濁っているのは先日の雨のせいだろう。


 すぐ神社の鳥居が見え、お参りを済ませるとまたスタート。寄り道ばかりしているので、もう10時半を回っていた。気温は35度近く、曇る気配もない。


「暑すぎる」


「無理せず休みましょうね。センパイ、身体第一ですよ」


「ハイ……」


 玲花はペダルを踏む力を増し、スピードアップする。


 途中、MAPによると源頼朝伝説地やら里見家縁の墓地、里見八犬伝の舞台になった場所などもあったが、スルーをした。房総往還に面していないから、ということにした。


 正直、玲花はこんなに暑さがこたえるとは思っていなかった。


 途中で県道88号線から258号線へ。アップダウンが続く道をゆっくり、坂崎を気にしながらペダルを回す。


 館山道を通り過ぎた辺りでサイコンアプリのログは19キロを記録した。もう3分の2の道のりを来たが、11時を過ぎてしまっている。


 内房線の踏切にさしかかると、右手に遠く、岩井駅らしきホームをまたぐ歩道橋が見える。そろそろランチにしたいところだ。お腹が減った。


「センパイ、ご飯にしましょうよ」


「適当なところがないよ」


「いっそおどやでもいいです」


 おどやは南房総独自のスーパーマーケットチェーンで、お弁当が美味しい。ちょうどおどやの看板が見えていた。


「賛成」


 2人はスーパーの冷房で身体を冷やし、特盛り弁当と2リットルのスポーツドリンクを買って、店先のベンチで食べる。予想とは大幅に違うランチだが、別に今はまだセンパイとは恋人同士ではないのだから、ロマンチックなシチュエーションも必要ないのだ。


 特盛り弁当は美味しく、2人で分け合う。坂崎の方が小食なので、お弁当の蓋に3分の1載せるが、それでも優に1人前はある。坂崎はマイ先割れスプーンを持ってきていたので割り箸は貰ったものだけで済む。スポーツドリンクは用意してきた紙コップで分けあったがすぐに飲み干してしまう。2人とも相当、水分不足だったのだろう。


 ペットボトルを補充して、お腹も満たされ再出発。12時を回っている。これからもっと暑くなることを思うと急ぎたくなった。


 おどやをあとにして、スマホのナビに従って国道を離れて住宅街の中の道へ折れる。先を見ると山の中の道を通るルートらしい。


「国道の海岸線沿いの方が楽だよなあ」


「でも南風が強いし、日陰が期待できます」


 玲花の判断でそのままのルートを行くことに決める。坂崎も自転車上級者の玲花の意見を無視することはない。


 内房線の高架下を過ぎるとすぐに山の中の1本道になる。日陰ができて、絶対的に涼しい。


「やったー日陰~」


 上り坂だが、玲花は木陰にさしかかる度、声を上げてしまう。


「同じく、やったー」


 坂崎も相当暑いはずだ。


 今度はトンネルにさしかかる。トンネルの中はメチャクチャ涼しく、休んでいきたいくらいだったが、残念ながら一車線なので車が来たら危ないのですぐに通り過ぎた。


「スマホを見ると右手の方に峠越えのルートがあるんだな。そっちが昔の道みたい。歩いてみたい気がする」


 坂崎は右手の山の方を見て言っているのだろう。後ろの席なので玲花からは彼の顔を見ることはできない。


「涼しくなったら、にしましょう」


「異議なし」


 今年の夏も暑すぎた。


 少しして、館山道と並行して走るようになり、山を登り切ったらしく、下りに入る。楽だし、涼しい。すぐに人里になり、ビワが植わっている畑が続く。館山の特産はビワだが、この辺りで作られていたのかと地元っ子の玲花ですら初めて意識した。


 そして民家が見えるようになり、カフェの看板を見つけて、玲花は言った。


「止まります」


 タンデム自転車はどちらかがペダルを踏んでいるともう一方も回り続けるので、合図しないと危なっかしくて停まれない。息を揃えてペダルを踏むのをやめて、慣性でT20号はカフェの看板の前で停まる。


 坂崎は聞くまでもないことを口にする。


「入りたい?」


「休みたい~ 暑すぎる」


「僕に選択権はないです」


 坂崎は満面の笑みで玲花を見つめる。


 えへへへと、玲花は思わず声を出して笑ってしまう。


 そして2人はT20号を押しながら農家に続く道を行き、まだ建てられてからそう時間が経ってなさそうな、古民家風のデザインのカフェを発見した。


「おしゃれ~」


「雰囲気あるね」


 T20号を裏手に停めて、店内へ。


 店内は冷房がきいていて、とても身体が冷やされる。2人テーブルが3つの小さなカフェだ。メニューはコーヒーと紅茶、オプションでいちじくジャムがあるらしく、またビワがあった。


 ヘルメットを荷物入れのかごに入れ、グローブをとって解放感を味わう。


 玲花はメニューボードを眺め、数秒で決める。


「紅茶。そしてビワ」


「紅茶にしよう。オプション付き。ビワも」


「私もオプションつける」


 お店の人はお手伝いという女の方で、ご主人は畑に出ているとのことだった。


 先にビワがカウンターに出てきて、セルフサービスなのでとりに行く。


 ビワというと爽やかな甘さだけのイメージだったが、甘みが深く、食感も楽しめた。


 紅茶も出てきて、トレイをもっていき、いちじくジャムを入れて飲む。ロシアンティーのイチジク版だが、これも風味が重なっていい感じ。


「珍しい自転車できたねえ」


 お店の人が話しかけてきた。


「どこから来たの」


「近くです。館山市街から。試験も終わったし、羽根を伸ばしに」


 玲花が率先して答え、坂崎が少々驚いた顔をする。


「高校生?」


「はい。センパイと後輩です」


「あらあら。きれいな先輩に連れられてきたわけだ。嬉しいねえ」


「センパイはこちらです」


「ごめんなさい。てっきり中学生かと思ったの。後輩ちゃん。大人っぽいから余計にね」


「センパイがジャージなので余計だと思います」


「思う思う」


「うう。反省します。ビワ、美味しいです。驚きました」


「秋になるとイチジクの季節になって、黒いとっても希少なイチジクができるから、それがまた美味しいからまた来てね」


 玲花はビワにかぶりつきながら無言で頷いた。


 食べ終わって店内を一望して玲花は言う。


「今日の面白いもの探し、大成功ですね」


 お店の人もくいついてきた。


「楽しそうなことしているね」


「ハイ」


 玲花は素直に答えられる自分が嬉しい。


「私ねIターンなのよ。なかなか東京で暮らすのって大変で、収入は激減するけど農業やろうかと思って。館山、いいところだよね。大変だけど面白く生きれるんだ。こういうお客さんとお話しするのも楽しいしね」


 お店の人はカウンターの中で微笑んだ。


 それも人生の選択肢だろうと玲花は思う。


「聞いていいですか? やっぱりデートには見えませんか」


「だってセンパイさん、ジャージだし。それはあり得ないかなあと」


 坂崎はテーブルにうつ伏せる。


 彼の表情を見たい気がするが、玲花は諦める。


 ふっと心から温かいものが流れ出し、身体の隅々まで染み渡っていった。自然に玲花の頬が緩む。これは幸せの感情だとすぐに分かる。


 お水いる? と声をかけられ、玲花は頷く。お冷やが2つカウンターに出されて玲花がとりに行き、坂崎の前にも置く。坂崎はようやく顔を上げ、コップの水をすすった。拗ねている様子がかわいかった。


 身体を冷やし、美味しいものを堪能して2人はカフェを後にする。


「ここは僕が持つから」


「え、いいですよ」


 スマホを取り出す坂崎に玲花が言うが、坂崎はかたくなだ。


「だって自転車の整備にお金、かかっただろ。フェアにいかないと」


「では、ごちそうさまです」


 玲花は自分が笑顔になるのがわかる。


 お店の外に出るとカウンターの中からお店の人も出てきて、玲花に耳打ちする。


「がんばってね」


「は、はい」


 玲花は予想外の言葉を掛けられ、動揺する。


「あれあれ。無自覚?」


「無自覚、でした」


 玲花は真っ赤になってお店の人の面白おかしそうな表情を見た後、坂崎の顔を見た。坂崎はT20号の前でヘルメットをかぶり、グローブをはめているところだった。


 端から見ても分かるくらい、自分は彼に恋をしているのだろう。ならばもう認めないといけない。激しい一時の感情なら、こんな風に幸せな気持ちになれるはずがない。これは心の底から湧き上がる感情だ。


 玲花は彼を見つめつつ、それは本当なのかと自問自答する。答えは出ない。しかし彼と過ごす時間が増えれば答えは自ずとはっきりするはずだ。


 そう思い、玲花もヘルメットをかぶった。



 

 T20号は強い南風に抗って南下し、玲花がよく知る館山道の終点、富山インターに出た。国道バイパスは通らず、海側の道を選ぶ。


 那古観音前も通るが、暑すぎてスルーだ。那古寺は岸壁を削って幾つもお堂が作られていてエキゾチックな名所だが、暑さには勝てない。


 そして学校近くのワークマン女子に到着する。冷房が心地よい。女子とは銘打ってあるがもちろん男物もある。


「ハードルが低くて助かる。しかし本当にくるとは」


「お店のお姉さんに言われたでしょう。もうとやかく言われないためには必要です」


「くっ」


 坂崎は悔しそうだ。


「どうするの?」


「悩まないです。あれにします」


 玲花はマネキンが着ている組み合わせを店内を一周してささっと選び、色は合わせて確かめて、鏡で本人にも見せる。ストレッチ素材のデニムパンツにコットン素材の白系のシャツ、そしてウィンドブレーカーだ。


「君の格好に被ってない?」


「アクティブに安く、実用的に済ませようとしたらこうなるに決まってます」


「一理あり」


 店員さんに裾上げ処理をして貰う間、店内を2人でぐるっと回る。


「今度、どこ行こうか」


 坂崎の方からそう持ちかけられ、玲花は内心喜ぶ。


「明日ですか?」


「明日は倒れてる。疲れた」


「一般人なら、ですよね~」


 玲花は日焼けと暑さにやられた以外はそうでもない。


「勉強もしないとね」


「そうですね」


「明日、連絡入れるから」


 玲花は顔が緩みそうになるのを必死にこらえた。


 歩いている間に帽子コーナーにきて、2人とも帽子を被っていないことに思い至り、玲花は考えた。


「ヘルメットがあったからいらないと思ってましたけど帽子必要ですよね」


「日よけには重要だね。あったらよかった」


「これも買っていきましょうか」


 これも深く考えず、マネキンが被っていた防水キャップを選ぶ。


 期せずして色違いでお揃いになり、玲花は内心ほくそ笑む。


 裾上げが終わり、会計を済ませ、さっそくお揃いの防水キャップをヘルメットの下に被って2人は高校への帰路につく。途中、高校の敷地の角にある青面金剛像を確認するが、やはり風雨で摩耗していて余りよく分からなかった。


 庚申塔を見たのは午前中の出来事のはずなのに、遠い昔のように玲花には思われた。


 高校の校門前で停まり、坂崎はサドルから腰をあげた。


「今日は楽しかったです」


 もうその言葉を躊躇することはない。


「暑いから時間はもっと早いほうがいいね。反省」


「センパイのワークマンスタイル、楽しみにしてますね」


 そして何か重要なことを忘れていることに気づき、それが何だったのか考える。


「あ、途中で一緒に食べようと思ってお菓子作ってきたのに忘れてました」


「そんな重要なことを……」


「だからセンパイにあげます」


 玲花が作ってきたのは、たこ焼き器でつくった沖縄のサーターアンダギー風の揚げ菓子だ。いい感じでいびつになっており、それらしく焦げ色も再現できている。紙袋にファスナー付きのプラスチックバッグに入れてきてあるのでそのまま坂崎に渡す。紙袋には他のものも入っているのだが、今、気がついて欲しくないから言わない。


「――ありがとう」


「手作りですから日保ちは怪しいので、今日明日で食べきってくださいね」


 そう言いつつ、玲花は照れてしまう。顔を見られたくなくて前を向き、ペダルを踏む。


「サヨナラ、センパイ!」


 そして1回だけ振り返る。


 坂崎は小さく手を振っていた。


 玲花は前を向き、小さく何度も頷いて、家路を急いだ。

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