第11話 行き当たりばったりポタリング(自転車散歩)1

 玲花はタブレットで期末試験の成績配信を見てガッツポーズをとった。


 中間に続き、今回も特進クラスで1位だった。特進クラスで1位ということは校内でも1位である。玲那に勝てるのは成績だけだから、試験前の勉強には気合が入る。図書室で猛勉強して復習した甲斐があった。これで安心して夏休みに入れるというものだ。


 夏休み――か。


 玲花は考えながらいつも通り放課後の図書室に赴く。


 寄付の領収書は「ありがとうございました」のメモを添えて図書室の入り口脇に貼りだしてある。


 文化祭前の週末は雨で面白いもの探しが中止になった。文化祭の振り替え休みは母の南が倒れたため、家にいた。ようやく今度の週末をその予定で坂崎と約束をしていたが、それ以外は白紙だ。


 夏休みだってもちろん勉強をする。だが、他にももっと彼と面白いもの探しをしたい。


 思っていたよりもずっと坂崎に依存している自分を見つけ、玲花は嬉しいやら凹むやらだった。


 図書室の机で、今日、返されたテストの見直しをし、授業の復習も済ませる。


 その内に坂崎もやってきて玲花のタブレットをのぞき込む。


「感心するなあ」


「センパイはどうでした?」


「2位だ。どんぐりの背比べだから難しいねえ」


「私に世話を焼いていたせいだったら申し訳ない」


「それはないよ」


「まあそれが原因だったとしても膝枕券を1枚増量するだけですけど」


「なんかキャンペーン中のおまけみたい」


「そんなに私の膝は安くありませんよう」


 玲花は膨れる。


「土曜日は降水確率20%だから今度こそ行こうか」


「房総往還でお地蔵様探し、でしたね」


 房総往還というのは江戸時代以前からある道で江戸と館山の間をつなぐ街道筋のことだ。古い道もあれば開発されて影も形も残っていないところもある。


「まったく調べないでいくから楽しめる」


 坂崎がいうには古い道沿いなのできっとお地蔵さんや道祖神があるはずだという。


「ノープラン、受けて立ちます」


 玲花は笑いをこらえきれない。


「面白がっているだろう」


「きっと上手くいかないです」


「それも旅だよ」


 高校を出発して内房線の4駅先の岩井まで、海岸沿いの国道ではなく、山間を通る県道88号で行き、帰りは海岸線沿いで帰ってくる予定だ。30キロほどしかないので半日くらいだろう。


 今日は木曜日。金曜日1日空けて、久しぶりの面白いもの探しだ。


「土曜日楽しみ」


「へえ」


 坂崎が感心して声を上げ、玲花も自分が自然にその言葉を口にしたことに驚く。


「失言でした――この言葉、先輩の前では口にしたくなかったです」


「なんで?」


 本気でわからない、という顔を坂崎はする。


「楽しいって感情を取り戻したらセンパイが私を突き放しそうで」


 玲花は心のまま、言葉にする。


「約束したじゃないか。君が面白いもの探しを続ける限りはつきあうって」


 坂崎は鼻で笑う。


「でも、私が楽しいものを見つけたら終わり、みたいに言っていたじゃないですか」


「そうだったっけ」


「そうです」


 言った本人は覚えていなかったらしい。


「それは僕に頼らなくても良くなったって証だからだと思ったんだろうな」


「私が楽しいって口にできたのはセンパイがリードしてくれるからです」


「そうなんだ――解説するときが来たなあ。クラスメイトが、なんでどうでもいいような話題で楽しそうにしているのか、解説しなかったことがあったよね」


 坂崎は少し寂しそうだ。


「ええ。なんでですか?」


「その話題が楽しいんじゃなくって、その人たちと過ごす時間が楽しいんだよ。きっとね。共通する話題ならなんでもいいんだよ」


 玲花は黙るしかない。つまり自分が楽しいのはセンパイが一緒にいてくれるからだ、ということを本人の前で言ってしまったも同然だからだ。家の夕食の席で文化祭が楽しかったと素直に言えたのは本人がいなかったからに他ならない。


「いろいろ考えます」


 玲花はそうとしか言えなかった。


「悩むのも青春の一部なんだろうな。僕には青春なんてよく分からないけど」


「まっただ中でしょう」


 自分も含めて。


「年齢的には」


「センパイが青春していないっていうなら、私が山ほど青春を持ってきます」


「なんか風呂敷に包んで持ってきて、僕の目の前に広げそうな勢い」


「なんですかそのイメージ?!」


「あくまでイメージ」


 2人は顔を見合わせて笑った。


 下校時刻になるといつも通り校門で別れ、玲花は歩いて帰宅する。


 まだ夕飯の支度が出来ていなかったのでT20号をガレージから引っ張り出し、注油とギアの調整を済ませる。タイヤは古いままだが、距離は30キロだしなんとでもなるだろう。予想されるトラブルはチューブ関係くらいか――いや、Vブレーキのパッドはもう硬化しているだろうから要交換かな――などと考え、スマホでブレーキパッドをポチる。


 お弁当にするか外食にするかも考えたがせっかくなので外食したいなと思い、坂崎に連絡を入れる。


〔土曜日は外でランチにしたいです〕


〔ノープランでよければ〕


〔受けて立ちますって〕


〔補給食は各自用意で〕


 玲花にとっては補給食という距離ではない。おやつだ。手作りお菓子を持っていって驚かせよう。


 玲花は1人、ガレージでほくそ笑んだ。 


 金曜日も図書室で時間を過ごし、校門で坂崎と別れる。帰宅すると自転車の部品が家に届いており、玲花は夕食前に交換を終わらせ、夕食後におやつを作り始める。


 美味しそうな匂いが漂う中、玲花は思う。


 驚いてくれるかな、センパイ。


 おやつがこんがり色づく中、玲花は坂崎の笑顔を想像した。




 約束の土曜日は快晴だった。


 もう7月。梅雨明け宣言はまだだが、夏である。太陽が眩しい。東京と比べれば、間違いなく館山の日差しは南国のそれなのである。


 待ち合わせのお稲荷様前に到着すると、坂崎は玲花より先に来ていた。待ち合わせは9時で、玲花は余裕をもって15分前に来たのだが、いつから彼は待っていたのか気になった。


「おはようございます」


「日焼け止めちゃんと塗った?」


 坂崎は上下ジャージだった。


「それはもう。きちんとあとで重ね塗りするために持ってきていますよ」


「君、色白いもんねえ」


「気を抜くと真っ赤になって痛いんです。センパイは塗りました?」


 坂崎は首を横に振った。


「絶対に塗らないとダメです。日焼けすると体力を半端じゃなく消耗するんです。塗ってあげますよ」


「貸してくれれば自分で塗るって!」


「冗談ですよ。水着の背中じゃないし」


 玲花はDバッグから日焼け止めクリームを取り出し、坂崎に渡す。


「手首も、襟回りも、腕の内側も、しっかり塗ってくださいね」


 坂崎は小言をいわれて不機嫌になりながらも玲花の指示に従って日焼け止めクリームをしっかりと塗った。


「しかし君の私服見るの初めてだけどかわいい格好だねえ」


 ストレッチ素材のジョガーパンツに上はコットン素材のオレンジストライプのバスクシャツで、ウィンドブレーカーを羽織っている。


「今日はアクティブなのでみんなワークマンですけどね。でもセンパイ、なんでジャージ?」


「私服ないし。運動だし。合理的でしょう」


「じゃあ今度、買いに行きましょう」


「ワークマンだね?」


「正解」


「なら行く」


「そんな、おしゃれなお店なんて木更津まで行かないとないんですから、この辺なら構えなくても大丈夫ですよ」


「そもそも女の子と一緒に買い物に行くのがハードル高い」


「太田先輩とデートはどんな格好で……失言でした。忘れてください」


 太田先輩の名前を自分から出してしまい、玲花は一気にテンションが下がってしまう。


「もう気にしてないから大丈夫だよ」


 笑顔の坂崎がいう。その表情に偽りはなさそうだ。一瞬でテンションが戻る。


「じゃあ、今日、お金あります?」


「現金も電子マネーもそれなりに」


「じゃあ帰り道にちょうどあるから一揃えしましょう~」


「え~」


「私と一緒じゃイヤですか?」


「その言い方、卑怯だ~」


 笑いながら玲花はT20号のサドルに腰をかける。


「センパイ、いきますよ」


「うん」


 坂崎もサドルに腰を下ろし、声を合わせてお稲荷様をあとにする。


 JA通りから官公庁通りへ、そして館山総合高校を経由して2.5キロあまり走る。時速20キロくらいでゆっくり走り、信号にも何度か止まったので10分くらいかかったが、まだ何もない。ただの地方道路が延々と続くだけだ。ルートはスマホのMAPにあらかじめ坂崎が入れてあるので彼のナビに従う。


「古い街道沿いはお地蔵さんがあるんじゃなかったんですか」


「こうも見事にないとは」


 坂崎の焦りの声に、玲花はそんなことないのにと思う。


「単にポタリングで十分ですよ」


「ポタリング?」


「自転車散歩のことです」


 ポタリング・デートだ。玲花はそう心の中だけで言葉にする。


「うん、ポタリングか。覚えた」


 そんな会話を交わしている間に、小さな神社をみつけた。


 本当に小さな社に井戸が1本あるだけでご神木も枯れて枝は切り落とされている。寂しい感じだ。


「元八幡神社?」


 ネットで坂崎が検索をすると、どうやら高校の近くにある鶴谷八幡宮という関東でも有数の八幡さまが元々ここに鎮座されていたらしいことがわかった。高校の近くの大きな神社がもともとここにあったのかと思うと感慨深い。


「いきなりヒットしましたね」


「もともとは総社だったのか」


「総社って?」


「平安時代に都から赴任してきた長官、国司っていうんだけど、国の中の主要神社に全部ご挨拶にいかなくちゃならなかったんだけど、面倒なので1カ所にまとめた」


「いかにもお役人くさい話だわ」


「あの井戸、今も鶴谷八幡宮の神事に使われているのもすごい話だ。1000年以上続いているんだもんなあ」


 感慨もひとしおだが、先を行く。もう4キロほども来ているのであと26キロくらいで終わってしまう。


 県道88号線をずっといく。途中、南房総市、元は三芳村の中心部を通り、そこそこまだ店があったりしたが通り過ぎ、道の駅も通り過ぎて、畑と田んぼと小さな工場が点々と連なる田舎道に至る。


 5キロほども無言で走っただろうか。左手の傾斜を削った坂の途中の、コンクリートで固められた斜面に、ついにお地蔵様または道祖神を見つけた。


「予定の道も3分の1きて初めて見つけました」


「嫌味だ……」


「そんなことないですよ」


 合図でT20号を停め、車の邪魔にならないよう歩道に乗り上げる。


青面金剛しょうめんこんごう像だ。庚申塔だね」


 恐ろしげな三つの顔に2組の腕が彫られた碑と文化十四年と記された碑と青面金剛と記された碑の3つが斜面に作られたコンクリートの壇の上に備えられている。


「学校の敷地の中にもあるじゃない?」


「角にあるあれですね」


 一度、坂崎とわざわざ見に行ったことがある。風化が激しくてこれほど凹凸ははっきりしていなかったが、同じデザインだとするとまた見返しに行こうと思う。


「でも庚申塔? ってなんですか」


「人間の体内には三尸という悪い虫が3匹いて、寝ている間にその人の悪事を天に報告に行くとされていて、 報告されると病気になるので三尸が活動する庚申の日の夜は、一晩寝ないという習慣があったんだ。で、青面金剛はその三尸を押さえつける神様。足下の図柄はそれだと思う」


「なんか仏教でも神道でもなさそうですが」


「道教だね」


「道教って、中国の、えーと、仙人とかキョンシーの?」


「道士のあれだね」


「普通に日本にもあったんだ、道教って」


「なんでも取り入れて自分たちのものだとしてしまうのは世界中どこでも一緒だよ。だから気づかない。ちなみにこの庚申塔に寝ないで集まって、飲んだり食べたり大騒ぎしていた。つまり、公式にそういう羽目外しをするための口実だったんだ」


「ふーん」


「今みたいに個人の自由はないからね」


「そっか」


 その辺りは言われて初めて考えることなので、想像も難しい。田舎の規制はさぞ厳しかったのだろうとは思うが、それで止まってしまう。


「文化年間だから200年位前の青面金剛像だね」


「結構昔ですね」


「ええ、本当か?」


「どうしたんですか」


 スマホをのぞき込む坂崎の顔色が変わった。


「気がつかなかった。桜花の滑走路跡がこんなところにあるなんて」


 玲花も坂崎のスマホのMAPを見ると『下滝田基地桜花カタパルト式滑走路跡』とある。すぐ近くだった。


「『桜花』ってなんですか?」


「旧日本軍の特攻兵器。要はミサイルなんだけど、当時は精密誘導ができないから人を乗せて操縦させて、東京湾に入ってくる米軍艦艇に特攻させようという悪夢のような兵器」


「ええ?!」


 玲花は声を失う。あり得ないと思う。


「自爆テロが非人道的とか言っているけど日本人だって、しかも国家ぐるみでそういうことをやったんだ。実際には館山は戦場にならなかったから戦死者は出なかった」


 玲花は一度目を閉じ、そして坂崎を見た。


「私、見ておきたいです」


「僕もだ」


 T20号を押しながら、ちょっと戻って集落の中の道へ。そして畑に続く道の先がそうだとスマホが教えてくれている。山の中に作ったのは当時もうB29が爆撃出来る距離だったから、飛行場を秘匿しなければならなかったからだと坂崎は言った。


 畑の真ん中にあるらしかったが、幸い、畑の持ち主の方が作業中で、見学したい旨を話すと快く許可してくれた。


 全長は40メートル、幅は2メートルほどのコンクリートの土台が残っている。持ち主の方の話によると鉄製の発射台が近くのお寺に残っているとのことだった。


「感慨深い」


「80年以上前、ここで戦争やっていたんですね」


 知らないことは多い。そして知らないことが面白いこととは限らない。


「忘れてはいけないことですね」


 玲花はアフガニスタンや中東のことを思う。他人事ではないのだ。歴史は今に、世界は常につながっている。


 夏の太陽が昇り、暑くなってきていたが、2人は長い時間、コンクリートの土台を眺め続けた。


 坂崎が首を横に振った。


「次に行こうか」


 2人はT20号を舗装路まで押したあと、再スタートを切る。

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