第10話 文化祭はずっと一緒

 体育祭が終わると玲花たちの高校はすぐに文化祭ムードになる。なんといっても2週間しか準備期間がない。そして文化祭が終わってまた2週間後に期末テストなのだがそれはまた別の話だ。


 1年生の特進クラスは合唱コンクール以外はやらないことになり、部活動に入っている生徒たちは各々の部の催しに参加するようだった。


 図書委員でもないのに図書委員会の催しに参加していいものだろうかと悩んでいた玲花であったが、特進クラスの図書委員の男子は部活の催しの方に参加するらしく、玲花に代理を打診してきた。出来レースな気もしなくなかったが、玲花は引き受けた。


 おおやけに坂崎の手伝いをし、古本市の準備をする。生徒たちの持ち寄りの古本の整理から市の図書館から不要図書を引き取りに行くなど割と忙しかった。


 他にも1人1枚のPOP書きがあり、玲花はもちろん『ぐりとぐら』を選んだ。


「悩む悩む」


 作業が一段落したところで図書室の窓際の席で家から持ってきた『ぐりとぐら』を眺め、POPの中身を考える。


「そんな悩まなくても、面白いと思ったそのときの気持ちを思い出せば?」


 坂崎が『ぐりとぐら』をのぞき込みながら言う。


「アドバイスありがとうございます」


 玲花はさらさらとマジックを手に、きれいな字でPOPの用紙に書いた。


『大人になっても面白い。今ならもっと面白い。読むと作りたくなる、食べたくなる、みんなで食べよう、ぐりとぐらのカステラ』


「割とよさげでは」


「文化祭の日、カステラを何回か作ってその都度、寄付を募ろうと思ってまして」


「へえ、名案だね」


「アフガニスタンかガザか、まあ、その辺で」


「なんでまたそんなところに?」


「センパイが古代でも安房と東アジアがつながっている話をしてくれたじゃないですか。それの今版で、考えてみたくって。今、苦しんでいる人たちも距離は遠いけど、苦しんでいる原因が日本とつながっていて、同じ時代を生きているのも間違いなくて、それが寄付って形できちんとつながっているんだって確認したいから、でしょうか」


「君はきちんと君の中で考えを発展させているんだね」


「誉められて嬉しいです。頭撫でてください」


「君の頭、安くない?」


「私が撫でて欲しいんですからいいんです」


 坂崎は玲花の頭をリクエストに従って撫でる。


「苦しゅうないぞ」


「お誉めにあずかり感謝でございます」


 ふふふと玲花は笑い、坂崎は撫でるのをやめて聞く。


「君は1日、ここにいる気かい」


「センパイもでしょう?」


「う――そうです」


「じゃあ、問題ないです。4回焼いて、うち、1回はクラスの女の子たちにチケットを渡そうと考えているんです」


 坂崎は軽く驚いたような顔をした。


「君にそんな歩み寄る姿勢が生まれるとは」


「クラスの近衛さんのお陰です」


「僕だけじゃないのは、いいことだね」


 坂崎は今度は少し寂しそうな顔をする。


「僕がいなくなっても……」


「私は、まだまだセンパイに甘える気、満々ですから」


 玲花は釘を刺す。


「そうだったね。君が面白いもの探しを続ける限りは、ね」


「ハイ!」


 玲花は満面の笑みを浮かべた。そしてPOPに下手ながらもぐりとぐららしきネズミを描き、POPを完成させる。


「なかなか画伯ですな」


「誉めてない~」


 玲花はふくれてみせた。




 翌日、玲花はカステラの材料の買い出しに出かけた。坂崎も付き合ってくれ、彼がよく使うという業務スーパーに行くことにした。業務スーパーは高校の近くにもある。業務と銘打たれているものの、実際は独自ブランドを多く扱うスーパーマーケットである。


 店内は大変広かったが、目的の薄力粉やバター、グラニュー糖はすぐに見つかった。普段玲花がいくスーパーと比べるとだいたい安かったので助かる。レジに並ぼうとする玲花に坂崎はいった。


「それじゃつまらないよ。せっかくきたんだから店内探検をしよう」


「はい?」


 スーパーを探検するとはどういうことだろうと玲花は首を傾げる。


 まず坂崎が玲花を案内したのは牛乳などが売っている保冷棚だった。保冷棚には牛乳はもちろん売っているが、牛乳パックのサイズの紙パックで異様なシリーズがあることに気づき、玲花は笑った。


「何これすごい。プリンに水ようかんに杏仁豆腐?」


「これは食べきれないよね」


「きっとカロリーもすごい」


「たぶん、大家族とか、ちょっとデザートは出すけど自分のところで作るほど注文がないとか、僕らみたいに文化祭で模擬店やるとか、そういう人たち用なんだろうね」


「杏仁豆腐とかぴったりだなあ」


 次に案内したのは香辛料の棚だ。


「うわ、見たことないのがいっぱいある」


「独自配合の瓶詰めが面白いよね」


「葱油とかいいですけど、真っ赤なの辛そう」


「あれはよく買うけどそうでもない。オススメはあれとタイ料理の素。それを使うとなんでもアジアン料理という便利な代物」


「パクチーのチューブがある。センパイはパクチー大丈夫ですか?」


「新鮮なのは美味しいけど、東京で食べたのはダメだったなあ」


「私は結構好きです。でも東京のそれはダメかも」


 そして缶詰で巨大なトマト缶に驚き、お菓子売り場で海外から輸入したみたこともないお菓子がたくさんの種類が並んでいて、見ていて飽きなかった。その中でもトルコのお菓子、ターキッシュデライトというものを坂崎に勧められ、買ってしまった。薔薇の匂いがするらしい。


「面白いでしょ、ここ」


「本当にびっくりしました。こういうところでも面白いもの探しができるんですね」


 レジを済ませ、店から出た玲花は感嘆する。


「見ているけど見ていないものはいっぱいあると思うよ。僕もそんなに見ているわけじゃないと思い知らされるね、あの紙パックのプリンは」


 玲花は笑った。


 家に帰って食後のデザートに玲那と一緒に食べたが、ピンク色で白い粉に包まれていて、薔薇の香りがして、ほどよく甘かった。食感はグミをちょっと歯ごたえよくした感じで、噛んでいる内に口の中で溶けていくお菓子だった。6世紀から作られている伝統のお菓子ということでさすが世界三大料理のトルコだなあと、2人で新しい発見に舌つづみを打った。




 その後も文化祭の準備はつつがなく進み、当日がやってきた。


 1日目の土曜日は合唱コンクールで、終わったタイミングで催しが始まる。2日目の日曜日に一般の人も入れる催事開催となる。


 合唱コンクールは可もなく不可もないレベルで終わり、玲花は2日目の朝早く、エプロンを身にまとい、腕まくりをして、ぐりとぐらのカステラの仕込みをする。


 近衛の腹話術人形と揶揄されつつも、クラスの女子にはチケットを配ってある。


 残り3回分はさきほど、図書室の隅に作ったブースに告知ボードをたてたところだ。先着24名様で整理券を配布します、という内容だ。寄付箱も作ったし、先生に寄付の許可も貰ってある。準備は万端だ。


 1回目のクラスの女子たちに配ったチケットの時間に間に合うように、薄力粉をふるいにかけ、卵と溶かしたバターを入れ、グラニュー糖を入れて電動ミキサーで混ぜて、薄力粉を入れ、更に混ぜる。そしてフライパンに流し込み、カステラを焼き始める。その間に次の準備を始める。


 古本市を見に来た男子生徒がいい匂いに気がついて整理券が1枚、はけた。


 玲花はにんまりする。


 それから10分もしない間に男子ばかりがやってきて、整理券はあっという間に終わってしまった。どうやら最初の男子が拡散したようだった。


 自分なんか、人気あるわけないのになあ、ああ、でも外見だけは玲那姉と同じだもんな、と思いつつ、焼け具合をのぞき込むとふくらんできている。ふたのとり時だった。


 グラニュー糖の甘い匂いが図書室に満ちていく。


 ボードには整理券終わりましたを貼ってあるので、特に何も聞かれないが、一応、注目を集めているようだった。


「玲花さん、来たよ」


 クラスの女子8人ほどがきてくれた。半分だ。半分でも来てくれたのはとても嬉しい。


「あ、ありがとう。もう少しで焼き上がるから、古本でも、見ていてください」


 緊張して玲花は完全に挙動不審になる。


 かわいい、と声が上がり、皆で笑う。笑われていい気はしないが、それでも寂しくはなくなる玲花だった。


「半分か――」


 玲花の呟きを拾い、近衛が答える。


「もう半分はクラスの男子に亘ったから」


「どうして?」


「それは玲花さんとお近づきになりたい男子がそんなにいるからだよ。懇願されてわたしちゃったんだねえ。それでももちろん、あぶれた男子は多数」


「――物好きだ。玲那姉と間違えてない?」


「玲花さんはどうしてそんなに自己評価が低いのかなあ」


 近衛は苦笑する。クラスの女子たちは図書委員会の展示を見始め、玲花が描いたPOPも見てくれたようだった。


 近衛らが来て10分ほどで焼き上がり、玲花はきれいに16切れに切り分けて紙皿の上に載せる。一口サイズにしかならないが、カセットガスコンロで作るならそのくらいが限界だ。その頃には特進クラスの男子たちがきて、緊張の面持ちでカステラの紙皿を受け取っていった。


 玲花は声が出ず、その場で深々とお辞儀したあと言った。


「良かったら、寄付していって、ください」


 どうにかそれだけ言った。


 今回はアフガニスタンの女性へ寄付することにしていた。今はタリバンの女性抑圧政策のため、仕事ができないだけでなく教育も満足に受けられない状態にある。そんな彼女たちに同じ女性として何かしたいと玲花は思う。


 10円、100円と女子が入れる中、千円札を入れる剛の者もいた。もちろん男子だ。


 玲花はもう一度お辞儀をした。


 その後は何かと聞いてくる男子に固まりつつも、目線で追い払った。次の準備をしなければならなかったからだ。


 クラスの女子は美味しかったよと玲花に言い、1人、また1人と図書室を後にしていった。玲花は彼女らに精いっぱい手を振った。


 あと3回作らなければならない。電動ミキサーがなかったら腕が死んでいる量だ。


「さあ、頑張るぞ」


「ちょっとだけ手伝うね」


 そういうと近衛がフライパンと蓋を洗ってきてくれた。


「ありがとう」


 近衛は顔をだらしなく崩しながら図書室を去って行った。


 その様子を図書委員長としての坂崎がカウンターの奥からずっと眺めていた。


「センパイ!」


「良かった良かった」


「まだまだ頑張りますよ」


「どうして君は僕の前だと饒舌なのかな」


「こっちが素の自分なんですよね――ネガティブな感情を制御すると、言葉が出なくなるんですよ。でもセンパイと一緒だとあんまりネガティブな感情が出てこなくて、出てもギリギリで止まるし、許してくれるかなって、思えて」


 自分でも言葉にして初めて、ああ、そうだったんだなと思う。


「今のところ傷つくようなことはないよ。でも、どうしてそんなネガティブな感情が外に出るようになったんだろうね」


 玲花は自分の中にあるものを考え、少しためらったが、センパイならいいかと思い、言葉にする。


「あるときから、楽しくなくなったときから、他人と一緒にいるのが楽しめなくもなったから、でしょうか……」


 それはネガティブな感情そのものだ。坂崎は小さく首を横に振った。


「本当にごめん。でもその話は今度ゆっくり聞くよ。次のカステラを作らないとならないからね」


「ハイ!」


 玲花は頭を切り替える。坂崎がストップをかけてくれたことが、優しさが嬉しい。


 2回目は8切れに分ける予定だったが、図書室に低学年の小学生が何人も来て、じっと玲花の作業を見ていたものだから、やっぱり16切れにわけて、小学生たちにもわけた。


 寄付があるはずもないが、まあ、いいか、と思う。


 残り8切れは1、2、3年と幅広く、玲花が顔を知らない男子ばかりだった。適当に寄付箱もチャリンチャリンという音とともに重くなっていき、小学生たちを迎えに来た親御さんが意図に気づき、なんとなく気分で寄付していってくれた。


 3回目も同じ感じで続き、最後の4回目にはさすがの玲花も疲れてしまっていた。


 最後の客がいなくなったとき、玲花は椅子に腰を下ろし、うなだれた。


「お疲れ様」


 カウンターから坂崎が出てくる。


「料理ってこんなに疲れるなんて思いませんでした」


「文化祭は特別だと思うよ。1人でやってしまうんだから、すごく頑張ったね」


 坂崎はほとんどなくなった古本市のテーブルを整理しながら玲花に言った。


「誉められた」


「誉めた」


 得意げにそういう坂崎を見つつ、玲花は聞きにくいことを聞いた。


「センパイは本当に文化祭を回らなかったんですね。途中で他の図書委員に代わって貰っても良かったんじゃないですか?」


「君を置いて?」


 ストレートな言葉に玲花は恥ずかしくなって俯いた。


 なにをしてもらったわけではなかった。しかしずっと坂崎は近くにいてくれた。そして玲花にはそれだけで十分だった。


「文化祭を君と一緒に回りたかったんだから、君がここにいるのなら、ここにいるのが当たり前というか」


 玲花が顔を上げると坂崎は照れくさそうにそっぽを向いた。


 玲花は一瞬、ときが止まった気がした。


 そしてよく考えて、応えた。


「そんなに私の料理が危なっかしいと思っていたんですか」


 冗談で返さなければ、と思った。このままこの雰囲気が続いたら、彼に好きと言ってしまいそうだった。玲花の中で『好き』の感情が大きく膨らんでいる。近衛に『恋』と言われてから考え続けていた。かつて巡に恋していたときのように無邪気に坂崎のことを慕っているわけではない。


 5年も経って、小学生から高校生になって、少しは大人になって、気を遣えるようになったし、分別もついた。心のブレーキだってかけられる。だからこそ、この気持ちが恋である自信がない。やはり、一方的に甘えているだけにも依存しているだけにも思える。


 一時の感情で大変なことになることもある。自分の気持ちと常に向き合って、それが本当の自分の気持ちなのか確かめないといけない。


 それは坂崎の言葉だ。その言葉を玲花はかみしめる。


 告白は今じゃない。


 そう未来の自分が行っている気がして、やっぱり冗談にした。


「君の言うとおり、君の料理の腕が不安なのもある。というかそれが大きい」


 冗談を真剣な声で応えられていきなり艶っぽい話でなくなった。


「それでも嬉しいです」


 自分の気持ちを疑うまでもなく、それは本当の気持ちだと分かる。


「喜んでもらえた」


「私は『嬉しい』のに『喜んで』もらえた? あれ?」


「女と『喜ぶ』で『嬉しい』。中国の人は奥が深い字を作ったものだ」


 玲花は吹き出す。いつものセンパイだった。


「ホントだ」


 そのとき文化祭の終わりを告げる校内放送がスピーカーから流れた。


「片付けようか」


「ハイ」


 図書委員会の展示自体は大して手間がかかっていない。後片付けは2人で十分だ。


 坂崎と玲花はゆっくり机の配置を戻し、残った古本を梱包し、洗い物を終え、ゴミをまとめて、下校したのだった。




 帰宅後、夕食時に玲那姉と話をする。俊もいるが南は洗濯機を見に行っている。


「私があげたチケットどうしたの? 来なかったじゃない?」


「玲花とお近づきになりたいと私に相談してきた男子にあげたんだよ。他の子たちの分と合わせてじゃんけん争奪戦の結果、だけど。何かなかった?」


 玲花は首を横に振った。


「カステラは概ね好評だったよ。小学生も喜んで食べてくれた」


「それが高校の文化祭の正しいありかただよねえ」


「そうだ、寄付箱に千円札を入れてくれた男子がいた」


「ああ、きっとチケット争奪に参加した1人だ」


「特に何も言われなかったなあ」


「どうしてそうなったのか心当たりないの?」


 ああ。ある。カウンターの中には常にセンパイがいた。


「そういうことでもあったのか」


 玲花はうんうんと頷きながらまた嬉しくなる。


「玲花さん、文化祭、楽しかったんですね」


 俊が言うので玲花も返す。


「もちろん。俊くんも、楽しかったんでしょう? 図書室に顔出してくれなくてさ」


「それは玲那さんが気を遣えって……」


 なるほど。俊くんが姿を見せたら、またセンパイが動揺しちゃうかも。


 玲花は思い至る。


「あれ。ということはやっぱり」


 俊も玲花も無言で料理に箸を伸ばす。


 ふふ、と玲花は笑った。2人は無事、一緒に文化祭を回れたようだ。


 その夜、寄付金を集計すると4千円ほども集まっていた。


 坂崎に報告するために画像を送る。坂崎もその結果に喜んでくれた。


 材料費などと差し引いても黒字だったから玲花はまた嬉しく思う。


 そして母の南に頼んでアフガニスタンの女性への寄付の窓口のNPO法人にネット送金してもらう。千円単位だったので端数は玲花が貯金から捻出する。あとで領収書が郵送されるようなので、それを図書室に貼らせて貰おうと思う。


「世界ってつながっているんだねえ」


 クレジット送金をクリックした南が感心したように言い、玲花は応える。


「つながっているのは自分の周りから、だよね」


 南と玲花は頷き、領収書が送られてくるのを楽しみに待つことにしたのだった。

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