第7話 タンデム自転車で行こう 2

「――これからどこに行くんですか」


「なだぎり神社というところです」


「また神社ですか」


「ここは普通の神社とはかなり違うよ」


「解説プリーズです」


「現地についたらね」


 房総フラワーラインを西へ走る。


 普通の田舎の県道だ。寂れた町並みだが、今の地方ならどこもこんなものだろう。


 住宅が点在し、時折、右手に館山湾が見える。


 海に近い通りだ。


「そこの消防車が見える交差点で止まろう」


 タンデム自転車は何かとお互いに声をかける。なにせクランクが連動しているのでどちらかが踏んでいると脚を止めた方も回る。極めて重くなるだけでなく、事故のもとだ。


「了解です」


 玲花は交差点の手前の停止線でT20号を停める。


 交差点の両側には消防分署と駐在所がある。


 左手に鳥居が見えて、ここだと分かる。


 脇の空き地にT20号を停め、坂崎が房総フラワーラインを挟んだ向かいの方にも鳥居があることを指で示す。


「こんなに近くに?」


「奉っている村は違うけど元々は上ノ宮・下ノ宮の関係で、いまも『なたぎり』神社で通っている。『刀で切る』と『鉈で切る』で字は違うけど」


「ふーん。何か切ったの?」


「僕はこれかなあと思ってる」


 坂崎は横断歩道を渡り、海側の刀切神社の方に行く。


 赤い鳥居で、見たところ普通の神社だが、背後に大きな岩があるのが見えた。


 高さは社殿と同じくらいもある。


 坂崎は社殿に参拝し、玲花も続く。


 そして社殿の裏へ行き、巨岩を見る。


 巨岩は2つに切り裂かれたように割れており、ちょうど傾き賭けた日が差し込んでいた。


「神様が海を渡ってきて、この土地に上陸したとき、この岩を断って道を作ったって伝承があるんだ」


「自然現象ですよね」


「でも、昔の人はそういうことにしたんだ。昔の安房に西から来るには陸路ではなくて、海路だったから、この、刀で断たれたような巨大な岩は航海の目印だったのかなあ、と思ってる」


「いつくらい昔ですか」


「古墳時代。たぶん、1600とか1700年前」


「そんなに昔?」


 玲花は歴史の教科書を見た記憶を遡るが、邪馬台国から厩戸皇子までの間がはっきりしない。ほとんど習っていないのではないか?


「――広開土王碑の頃だ」


 朝鮮半島の三国時代、広開土王が倭と戦ったという記録を巨大な碑に記録している。本当かどうかは倭の軍勢の規模が大きすぎるので怪しいらしい。


「さすが特進クラスの中でも優秀なだけあるね。その時代、政治基盤を整えている最中のヤマトから、房総半島の南端――安房の方まで開拓を進めていたんだ。たぶん、伊勢を出発して、東海へ。三浦半島を経由して。その痕跡が館山・南房総にはいっぱいある。ヤマトタケルの伝承が房総にはいっぱい残っているからね。そしてその後は当時の最新鋭の武器である騎馬を作るため、房総の開拓が進んでいくんだけど、それはもっと北の方の話」


「どうしてそんなことが分かるんですか? 文字資料、ほとんどないですよね」


「考古学とか、この神社の成り立ちを考えると、まあなんとなく想像できる。それが面白いところで」


 坂崎は社殿の前まで戻り、玲花もついていく。


「ごめん、面白くないよね」


「センパイが面白がっているのはわかります。普段、ご迷惑をおかけしていますから引き続き聞くのはやぶさかではありません」


 素直に気持ちを言葉にするが、坂崎は複雑そうな顔をする。


「本当に? 機嫌損ねない?」


 太田先輩ともここに来たんだろうな、と玲花は彼の表情を見て思う。


「私を他の人と比べないでください」 


「一般的にオタク語りは嫌がられるよねえ」


「大丈夫です。優等生の知識量を嘗めないでください。木更津は君去らずでしょ?」


「お、知っているね」


 木更津の地名の由来はヤマトタケル伝承だ。妻の弟橘媛が海の神の生け贄になってヤマトタケルを無事に海を渡らせることができたが、ヤマトタケルは妻を忍んで何日もされず、“君去不”と呼ぶようになったという話だ。他にも日本書紀には房総を舞台にした話がある。鹿野山で地元の王と戦ったりもしている。


「じゃあ、脱線。なんで『宮』っていうのか分かる? 上ノ宮、下ノ宮もそうだけど一ノ宮も」


「――考えたこともないですね」


「神様の住む宮殿だから」


「わかりやすいですね」


「でも古墳時代はヤマトにも宮はなかった。7世紀に初めて宮殿の形式ができて、初めて神様も住むようになる。それまで神社に建物はなかったって言われてる。まあ、稲を収納する倉から発達したという説もあるけど」


「そうなんですね」


「それまではあの巨石のような磐座イワクラが神が降り立つところだった」


「神社の原初の形態ってことですか」


「で、上ノ宮の鉈切神社に行ってみようか」


 再び横断歩道を渡り、陸側にいく。陸側は小高くなっており、傾斜もまあまあ、ある。


 参道は森の中に続いて、坂道になっている。その坂道を登ると社殿が見えた。


「割と標高ありますね」


「実はこの社殿の裏に洞窟がある。海の波で削られた洞窟ね」


「え、この辺まで海だったんですか?」


 縄文時代、海水位が高いため、今の日本列島と全く形が違うのは有名だが、ここはかなり標高がある。看板によると25メートルくらいだ。


「縄文海進もあるけど地震で隆起してこうなっている」


「あ、関東大震災?」


「安政の大地震も、まあ、ずっと関東で続いている地震の影響を館山は受けているんだ。プレートの問題なのかな。調べたことないけど」


「それはすごい話ですね。目で見てわかるのは」


「お、面白がってくれた」


「解説短いし」


「ごめん」


「で、上ノ宮は?」


「その洞窟には縄文後期4000年前の生活遺跡があるだけでなく、古墳時代に墓として使われていたらしい。で、水戸光圀が編纂させた大日本史の記録にあるんだけど、中に丸木舟が10隻もあったらしい」


「へえ」


「まだあそこに1隻あるみたい」


 社殿の脇の白い建物を指さす。


 また、社殿の裏には扉があり、格子越しに洞窟の内部と本殿が見えた。


「で、大寺山洞窟遺跡ってのが館山市内にあるんだけど、そこの洞窟も古墳時代にお墓として使われていて、第一級の副葬品に加えて船棺が出た」


「船棺?」


「船を棺にした葬式のやり方。昔は中国の南部で多く見られたみたい。ここの丸木舟もその船棺の可能性があるんだけど、言いたいこと分かる?」


「日本の文化のルーツの一部が中国の南部から来ていた可能性がある? そういう人たちが安房に移民していた?」


「どれくらい世代を隔てているか分からないけどね。DNA的にはあんまり関係ないみたいで、文化だけ来たって説もあるし。あと房総にはお日射びしゃ神事もある。三本足のカラスや鬼を描いた的を弓で射て、豊凶を占うんだけど、お日様の例もあって、お日様を射るのは古代中国の神話にある」


「日本は日本で文化を発達させてきたと漠然と思ってしまうけどそんなことなくて源流は中国にある?」


「中国からはごく一部だよ。特に船葬は中国っていっても漢民族の国じゃなくて、呉だろうし。朝鮮半島経由もある。北からきたものもあるだろうね」


「どうあれ、その名残が館山にあるのかあ」


「見えているのに見えていないもの、なんだよね、神社も」


「面白いなあ。古代の日本でも、しかもこんな離れた関東の端っこでも、東アジアとつながっていたんだあ」


「当時の安房は関東の入り口だから、一番、政権に近い国だったんだよ。日本史と世界史で分けられているから、古代の日本と当時の海外では、文化交流は限定的とか思いがちだよね。でも何百年、何千年って積み重ねがあるんだから、交流がないはずがない。それを知らないのはなんかもったいないよね」


「わかります」


「遠くに行ったり、人気スポットにいかなくても知識と想像力が伴うと地元でも面白いものがあることも知らないともったいないよね」


「素直に考古学、面白そうです」


 玲花の言葉に嘘はない。


「歴史と考古学にヒントはあるけど答えはない。どんなに頭が良くても決して完全には正解にたどり着けないからね」


「あの大岩を割って海から神様が来た伝説があって、船の棺に葬られたって話。絶対関係あるし」


 玲花はこんな離れた神社まで来た甲斐があったと思う。


「ごめんね、つきあわせちゃって」


 鉈切神社の斜面を降りながら、坂崎が小さく頭を下げる。


「第2弾、OKですよ」


「君に悪いからそのうちね。T20号だっけ? があれば洲崎神社に安房神社も小滝涼源寺遺跡も行ってみたいなあ」


 こんなに話し続ける坂崎は久しぶりだ。よほど楽しいのだろう。そんな彼を見ているのが、玲花は面白い。


「そのうちお付き合いしますよ。でも今日の目的は夕日桟橋でしょう? けっこう、いい時間になりましたよ」


 もうすぐ6時になろうとしていた。


「時間的にはちょうどいいね」


 そして鳥居の脇に停めたT20号に戻ると後輪がパンクしていることが分かった。


「5年間、整備していませんでしたからね」


 玲花は責任を感じ、冷や汗をかいた。


「自転車屋さん、この辺あるかな?」


 坂崎はスマホで調べ始める。


「一応、替えチューブは持ってきています」


 玲花はリアのバッグからチューブ交換道具一式を取り出し、自転車を逆さまにして、サドルを地面につけて、立てる。そして後輪を外し、タイヤも外すべく、レバーを差し込む。競輪選手の娘である。その辺は慣れたものだ。


 坂崎はしばらくその様子を見守っていたが、少し姿を消し、缶飲料を2本手にすぐ戻ってきた。


「カフェオレとミルクティ、どっちがいい?」


 玲花はミルクティを手に取る。


「ごちそうさま」


 もう周囲が暗くなり始めているので、明るいうちに修理を済ませてしまいたいのだが、坂崎の気遣いを優先したかった。


 甘いミルクティは少し疲れた身体にきいた。


「役立たずで済まないなあ」


「こういうのは出来る人がやればいいんです。でも、私が飲んでいる間、空気入れて貰います」


 玲花は携帯ポンプを手渡し、仏式バルブの固定方法をレクチャーする。もうチューブ交換は終わっている。


 小さなポンプで空気を入れるのは大変だが、坂崎はゆっくりリズミカルに入れていた。


 その様子を玲花はミルクティを飲みながら見守る。


 20インチと小径なので空気の量はたいしたことがない。タイヤは3分ほどでいい感じまで堅くなる。


「お疲れ様です」


「マジ疲れた」


「今度はCO2ボンベ持ってきますね。夕焼け、間に合うかなあ」


 玲花はホイールを車体にはめ、回す。チェーンも大丈夫そうだ。しっかりはまった。


 もうだいぶ日が沈んでいる。


「手が汚れている」


 チェーンをホイールの歯車スプロケットに掛けるとき、玲花の油汚れが手についてしまっていた。坂崎は荷物からウェットティッシュを取り出す。


「まだいいですよ。このチューブがどこまで保つか分からないですから。また汚れるかもしれない」


「それでも、僕の気が済まない」


「夕日、間に合いませんよ」


「今日じゃなくてもいい。ううん。今日じゃない方がいい、かな」


「そうなんですか?」


 玲花には彼の言うその意味が分からない。玲花はウェットティッシュを受け取り、油汚れを指からだいたい落とす。


 2人で力を合わせて逆さまにした自転車を元に戻し、前後のライトを点灯させる。さすがにライトには新しい電池を入れてある。ダイナモライトも装備されているので使う。


「じゃあ、戻りますか」


「戻りましょう。せえの」


 かけ声で2人はペダルを踏み、学校への帰路につく。


 もう東の空は暗くなっている。


「冷静になって考えたら、私、チョロくないですか? センパイのオタクトークで面白いって言ってましたよ、さっき」


 ふと玲花は思い至る。興味深くはあっても、そんなに面白い話ではなかったはずだ。


「君のはチョロいじゃなくって素直な感受性っていうの」


 なるほど。そう言い直すのも悪くない。でも。


「センパイも前に、自分のことチョロいって言ってましたよ」


「僕は――よく覚えているね」


 学校となりのお稲荷様での発言だ。


「何がチョロかったのかな、と思いましたから。やっぱりそれも素直なんですか」


 坂崎は黙った。聞くときを間違えたと思った。タンデム自転車に乗っているときでは絶対に彼の顔を見られないからだ。


 しばらくして坂崎から返事があった。


「なるほど――素直なのかな。素直になれたらいいな。でも、言ったら今はまだ後悔するよ。だから言わない」


「じゃあ、そのときがくるまで聞きません」


「君はいい子だな」


「性格きついけど?」


「根に持ってる~」


 玲花はペダルを大きく踏み込む。坂崎がついてこられず、重く感じるが、それは一瞬だ。坂崎も懸命に踏み始める。スマホのサイコンアプリは時速34キロを記録した。直進性は高いが、路面の凹凸をもろに拾う。小径車であまり整備されていない地方道路を走るには、怖さを感じる速度だ。


「うわ、速い!」


「速度落とします?」


「ううん。こんなの初めてだ。楽しいぞ!」


「それはよかった!」


 玲花は坂崎に楽しいと言ってもらえるのが嬉しい。


 県道は自衛隊基地を通り過ぎ、漁港にさしかかる。


 館山湾が見え、富浦の大房岬の明かりが見える。


 館山湾の上は、夕焼けで真っ赤に染まり、穏やかな海まで赤を反射していた。


「うわー、久しぶりだあ、夕焼け見るの」


 玲花は思わず声を上げてしまう。


「きれいだなあ」


「これは思いっきり見えている」


「ふだん、気にしないけどね」


 それにしてもきれいだった。


 雲がうっすらと宵の空に広がり、夕日に照らし出されている。


 夕日桟橋があるなぎさの駅の前を通る頃にはもうかなり暗くなっていた。玲花は坂崎に聞くまでもなく、なぎさの駅を通り過ぎ、学校に戻る。学校には坂崎の自転車が置きっぱなしだ。


 とっぷり日が暮れた頃に学校に戻り、坂崎は自転車を回収し、校門で別れる。


「今日はありがとう」


 坂崎は自転車を押しながら玲花にいった。


「またタンデム自転車で走りましょうね」


「君が、君が付き合ってくれるなら」


 玲花は頷いた。


「私の面白いもの探しに付き合ってくれているの、センパイの方なんですから」


「じゃあ、また明日」


「はいは~い」


 玲花はT20号を走らせ、坂崎に手を振って家路についた。


 坂崎も走り出したようだった。


 しかししばらくしてまた後輪の空気が怪しくなってきて、玲花はT20号から降り、押し始める。やはりスローパンクのようだ。


「学校まで保ってよかった」


 玲花の家まではそれほど距離はない。 


 玲花は今日の面白いもの探しを振り返り、いろいろ考えるが、一番心に残ったのは坂崎の振る舞いだった。


 今日のセンパイはいつものセンパイだった。


 それだけで嬉しかった。


 ミルクティの甘さを思い出し、少し、笑った。


 家に到着した頃、坂崎から連絡が入った。


〔無事、家まで戻れた?〕


〔戻れましたよ〕


 余計な情報は入れない方がいいと思い、スローパンクの件は伏せた。


〔また面白いもの探しにいこう〕


 玲花は館山市のゆるキャラのスタンプを返す。


 OK、とサムアップするものだ。


 返事はなかったが、坂崎がどんな顔をしているのか、見たい気がした。

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