第6話 タンデム自転車で行こう 1
自転車で出かけようと約束した翌日の放課後、2人は学校の駐輪場に集合した。
「うわ、連絡きていたけど実物を見ると不思議な乗り物だなあ」
今朝、玲花が乗って登校してきたのは、2人で乗って漕ぐことができるタンデム自転車というジャンルの自転車だった。2人乗りなのでサドル・クランク・ハンドルバーは2つついている。玲花の父の一番弟子の巡がかつて乗っていたものだ。今はもう埃をかぶって上泉家のガレージに眠っていたものを、水洗いして、注油して、タイヤに空気を入れて、一応乗れるようにした。
「KHSってメーカーのT20って車体です。前と後ろのクランクが連動しているから、息が合わないと乗れない」
「どうしてこれを使おうと思ったの?」
「一般車で走るのがイヤだったのと、これなら話をしながら走れるからです」
玲花は素直に理由を話す。
「しかしさすが上泉さんのお宅には特殊な自転車もあるんだな」
「買ったのは父ではなくて、一番弟子の桜井さんのお嫁さんですけどね」
含みのある言い方をしなくて済んだ、と思う。
少し何か伝わったのか、坂崎は目を細めた。
「一般車で走るのイヤなんだ?」
そっちだったのか、と玲花は頷く。
「あんな鈍重なもので無駄な体力を消耗したくないので」
「けどスカートでどうやってこの自転車に乗ってきたの?」
「トップチューブは低いですし、下に5分丈スパッツを履いてきているのでスカートがめくれても全く問題ありません」
そして玲花はスカートをまくってみせる。
自転車で下校しようと駐輪場にきていた男子生徒たちが目をむいてどよめく。
「下げて下げてすぐ下げて!」
坂崎も大いに動揺する。
「パンツじゃなくてスパッツですってば」
「シチュエーションがよくない。遠目じゃ単にスカートをまくっているだけだ」
「面倒だなあ」
「君は自分がどれだけかわいいか分かっていない!」
「センパイは私に自分でかわいいって言うなって言うくせに難しいな」
「少しは恥じらってくれ」
玲花はスカートのウェストを折りたたんで短くし、5分丈のスパッツの裾が見えるようにした。
「これで邪魔にはならないのでいいでしょう」
「十分センシティブだけどね」
玲花はヘルメットを被り、グローブをはめた。この辺りは幼い頃からスポーツ自転車に親しんでいるから慣れたものだ。
坂崎も通学用の白いヘルメットを被り、一応の準備完了だ。
「グローブをはめたほうがいいですよ。転んだとき、手のひらの皮の代わりに向けてくれますから。はい、最低でもこれを」
そして玲花は例の軍手を坂崎に手渡す。坂崎は特に何も言わず軍手をはめる。
2人の鞄は後部のキャリアにくくりつけ、いよいよ出発だ。何も言わず玲花が前に、坂崎が後ろのサドルに腰掛ける。前席にギアチェンジのシフトレバーとブレーキレバーがついているから、経験者の玲花が前なのは当然だ。
「じゃあ、行きますよ」
玲花の合図でペダルを踏み、クランクが回り始める。
細身の坂崎がペダルを踏む力より、玲花のペダルを踏む力の方が圧倒的に上だ。
玲花のイニシアティブでクランクが回っていくが、素人の坂崎がそう簡単に回転を上げられないことも玲花は分かっている。ギアは重めに、ゆっくり回す。
それでもすぐに時速25キロに達する。
「本気で速くない? 自転車の制限速度って30キロ?」
「自転車の制限速度は普通車両と同じです」
高校前の道は30キロ制限だったから、すぐに制限速度に到達する。
ゆっくり回していているからか玲花のペダルを踏む力強さは坂崎に伝わるようだ。
「僕、力の足しになってないなあ」
「センパイ、細いですからね。回していればそのうち、筋肉がつきますよ。ところで今日はどこに行くんでしたっけ?」
「昨日の夜に連絡入れたでしょ? 夕日桟橋!」
「――そこなら歩いて行けたなあ」
館山港にあるそれは高校から2キロくらいしか離れていない。玲花はT20号を持ってきたのはオーバーだったなと反省する。どこに行くかではなく、T20号に乗る、が目的だったことも否めない。
「でも、このT20だっけ? に乗れたのは楽しい。行動範囲が広がりそうだし、なにより今までに感じたことのないスピード感だ」
「これに乗っていろいろ行きましょう。T20号を楽しいと言ってもらえて私は嬉しいです」
「最初のなにもかもがつまらないって顔、どこにいったんだろうね」
「クラスじゃまだそんな顔してますよ。それにまだまだ私は面白足りてませんから」
「面白足りる。新語だ」
坂崎は笑う。自転車に乗ってこんな会話ができることも利点だ。
「まだ僕、必要?」
「昨日もいいました。だから、言いません」
玲花は依存なんて一方的な暴力的ともとれる言葉を何度も口にするべきではないと思う。坂崎と図書室で過ごす時間が学校に何の支障もなく通えている原動力だ。彼に出会えていなかったらどうなっていたか自分でも分からない。彼に甘えている自覚があった。
角を曲がり、館山港へ向かう。
館山港にはなぎさの駅という観光施設がある。
地元の人間である玲花はあまり行くことのない場所だ。湾の中に500メートルも突き出ている釣りの名所である夕日桟橋もまた、釣りをしないので行くことのない場所だ。
「夕日桟橋に何しに行くんですか」
「夕日が見たいなあと思うけど、6時半過ぎるんだよね。まだ2時間半もあるし、無理かなと思っている」
「ベタですね」
もしかして私を口説く気ですか、と冗談を続けようかと思ったが、やめた。夕日桟橋には『恋人たちの聖地』というスポットが作られている。昨日の今日のことを考えると、太田先輩に坂崎が告白した場所ということも考えられる。
「夕日桟橋で夕日、見たことある?」
「というか夕日桟橋自体、小学生以来行っていないような」
「そうだよね。地元だから。今日は見て終わりにしよう」
「いいですよ。今日は予備校もないし」
後ろからしばらく返答はなかったが、玲花は待った。
「――でも、結構まだ時間あるよ」
「センパイのことだからネタは考えてきてくれているんじゃないかなと思います」
「実はノープランなんだ。博物館とか水槽とかカフェとかあるんだけど時間が中途半端だから別の日に行きたいかなと思って」
珍しい。余裕がなかったんだなと思う。
「でもタンデム自転車なら足を伸ばして行きたいところがある」
「じゃあ、そこ行きましょう」
「君にはつまらないと思うよ」
「特別の特別でお供しますよ」
「君は性格はきついがいい子だな」
「誉めてないでしょ、それ」
玲花は笑う。坂崎以外の人間に言われたのならとてもではないが笑えなかったと思う。この3週間、平日は行動を共にして貰っているから発言にも信頼がある。
「ではどちらへ?」
「このまま洲崎の方へ」
洲崎というのは房総半島から東京湾に飛び出ている最南端の岬のことだ。
「了解」
海沿いの道を西へ。海上自衛隊の館山基地を右手にT20号は走って行く。
「この辺まできたの久しぶりです」
「今度、明るいうちに沖ノ島にいこう」
沖ノ島というのは自衛隊基地の向こう側にある島で、かつては潮が引くと渡れる島だったが、度重なる地殻変動による上昇で今はつながったままになっている。夏場は海水浴場になっているだけではなく普段も植物観察や戦争史跡の見学ができる場所だ。
「水着の季節に? 意外と策士ですね。私の水着、見たいですか?」
「美少女の水着姿に興味がない高校生男子はいない」
心臓が止まりそうになり、片手ハンドルになっても玲花は胸を押さえる。
「冗談をマジで返されるとホント、照れるんですけど」
「感情をためこんでいいことはない」
「前にも言いましたけど私、胸には全く自信ないですよ」
「あのねえ、そんなの個人差でしょう。それ言ったら僕も身長低いし、そういうのどうにもならないから、言うことじゃないよ」
「――ありがとうございます」
「それに、需要はある」
「需要とか……言葉を選んで欲しい」
太田先輩の胸が大きかったことを考えるとセンパイも大きい方が好きなのだろうが、それでもそう言ってくれることを玲花は嬉しく思う。
「でも、かわいい水着を選んでおきます」
坂崎からしばらく返答はなかった。
「でもまだ5月だから」
「もうすぐ6月ですよ。そうしたらすぐに7月です。海開きです」
「そうだね」
背後から坂崎の笑い声が聞こえてきた。
「沖ノ島で何ができますかね」
「海水浴の前に植物観察かな」
「まったく知識がないのでよろしくです」
「そうだね。僕も図鑑頼みだ」
玲花の唇から自然と笑みがこぼれる。
これは『楽しい』のだと分かる。
その単語で感情を分類できるのは久しぶりだ。どのくらい経っているのか想像できないくらいに。しかし坂崎の前でその言葉は口にできない。してしまったら、坂崎はクラスでの人間関係の構築を促し、自分とは少しずつ距離をとってしまうに違いない。だから、言えない。
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