第5話 元カノ襲来
学校では体育の時間が一番つまらない。
玲花はそう思っている。
自分と勝負できる女子は姉の玲那だけだからだ。今日はバスケットボールをやったが、結局大まかには、自分がボールを奪って3ポイントを決め、玲那に奪われて3ポイントを決められ、2人でボールを奪い合い――という流れになる。
特進クラスの女子では玲花と玲那の2人と比べ、体力と運動神経に差がありすぎた。それでも玲那がいるチームが盛り上がるのは、姉のキャラクターによるものだろうと思う。ハイタッチしてくれるチームメイトに対しても玲花はどうにも冷めて鉄仮面になってしまうが、玲那は違う。彼女たちと一緒に喜べて笑顔になれる。双子なのに共感力が圧倒的に違うのだろうと思う。
他のクラスメイトと運動神経に差があるだけではなく、笑顔の姉と鉄仮面の自分でも、また、コミュニケーション力に差がありすぎた。
いつからこんなことになったのかと考えると小5のときだろうかと思う。初恋の巡がぽっと出の女子大生にかっさらわれてから、なににも情熱を傾けられなくなった気がする。それが普通の感情も邪魔しているのだと思う。
「あーあ」
体育館から1人、教室に戻る途中で、2年生男子が校庭で陸上をやっているのが見えた。少し授業時間が延びているのだろう。逆に玲花たちの授業は早く終わった。
グラウンドにもしかしたらセンパイの姿が見えるかも、と思い、渡り廊下から眺めてみると遠く、グランドの隅で坂崎は見学していた。
ここ2週間、坂崎にはいろいろな面白いもの探しを考えて貰い、実践した。
テーブルゲームをしたり、古い写真から今の場所を探す探検ごっこをしたり、図書館で郷土資料を探したり、果ては缶蹴りをしたりと、そのどれもが面白く、玲花は概ね満足していた。
しかしいつまでも彼に頼っているわけにもいかないことも分かっている。それに彼に何かを依頼してくるのは別に玲花だけではなかったから、独占するわけにもいかない。
坂崎が視線を感じたのか、玲花の方を見た。
「センパイ!」
視線が合ったのが嬉しくて思わず声を上げて、玲花は小さく手を振った。
休憩していたクラスの男子が玲花に気づき、坂崎に手を振ったことがわかると大騒ぎを始めた。
きっと玲那と間違われているのだろうと思う。
玲那は他の学年の男子にも人気で、中学時代と変わらず、週に1度は告白を断るのに苦労しているようだった。この距離ではポニーテールかショートカットか、正面からでは見分けがつかない。玲花は心苦しく、すぐに渡り廊下から立ち去った。
放課後、玲花はもはやいつものように図書室に赴き、坂崎の様子を窺う。
今日の坂崎はカウンター当番でどこにも行かず、他の人の依頼もないようだった。
坂崎が受ける相談は多岐に亘り、司書みたいな仕事から、物置の立て付けが悪いのを直す方法などの日常の困りごと、クラス内のもめごとや恋愛相談にまで守備範囲にしていた。恋愛相談以外は玲花も話を聞くことが多く、彼の万能さに呆れた。
「まあ、人間関係は正論しかいわないけど」
「でも、双方の正論を整理するから、次の段階には進んでいるように見えます」
図書貸し出しカウンターを挟んで、坂崎と玲花は会話をする。
図書室には他に誰もいない。
「整理するだけでだいぶ違うからね。感情にとらわれていると解決にはほど遠いけど、それが分かるだけでも……ねえ」
坂崎はフウとため息をつく。
「センパイ、どうしました」
「いや、体育の時間のことを思い出してしまった。どうして僕に手を振ったりしたんだ」
玲花は首を傾げる。
「知り合いに手を振って何か問題でも?」
「僕がどれだけ追求されたことか」
「『双子の性格の悪い方』ですから問題ないでしょう」
「校内の評判が『双子の性格の悪い方』であったとしても、君がかわいいことには何一つ変わらないし、やっかみを受ける(妬まれるの方言)のも変わらないんだ」
「美少女を独占しているセンパイが悪いのですから仕方ないでしょう」
「自分でいうから性格悪いって言われるんだぞ」
「別にセンパイに言われる分には気にしませーん」
玲花は笑う。だいぶ、センパイには気を許しているなあと思う。
「一時の感情で大変なことになることもあるんだから、自分の気持ちと常に向き合って、それが本当の自分の気持ちなのか確かめないといけないんだよ」
そして坂崎は俯いた。
「やばい。特大ブーメランだった」
「一時の感情で大変なことになったことがあるってことだ?」
「これは面白いもの探しとは関係ないね。楽しいものや面白いものを含めて、何かをなくさないための、失敗した人間からのアドバイスさ」
坂崎は顔をあげて玲花を見た。
「私はいつも感情が――中でもネガティブな感情が制御できなくていっぱい何かをなくしてます。だからここにいるんです」
「僕にはネガティブにならないってこと?」
「ううん。ネガティブなところもオープンにしていられるんです。センパイを傷つけさえしなければ、とりあえずいいかなと思っているんで」
言葉にすると、不思議にそれが事実なのだと玲花には思えた。
「良くも悪くも正直でいることは大切だから、そう考えて実際に僕を傷つけていないんだから、やっぱりとりあえずいいんじゃないかな」
玲那は肯定されて嬉しく思うが、坂崎は自分に言い聞かせているようでもあり、複雑だった。だから、玲花は露骨に話題を変えてみた。
「今日は何します?」
「『わたしは誰でしょう』にしますか」
「いいですねえ。受けて立ちます」
そして坂崎は国語辞典を手にした。
「イヌ科の哺乳類。かつては本州・四国・九州に分布」
「日本オオカミ」
「やっぱり即答?」
「『イヌ科』で『かつて』ですから、絶滅動物です。難しくないでしょう」
『わたしは誰でしょう』は辞書を使った遊びだ。逆引きをヒントに回答にたどり着く遊びで、簡単な場合もあれば難しいこともある。
「じゃあ、私です。物の名などに付けて、色の黒いことを表す」
「ぬばたま」
「ひねりすぎ。次のヒントです。その辺りをうろつく人、意地の汚い人――」
「カラス」
「とりあえず私が優勢ですね」
そして上泉に正の字で一、坂崎にTとつける。ヒント数をメモして少ない方が勝ちだ。
「うーん、じゃあ……」
そのとき図書室の外に人の気配を感じ、2人は開け放たれている扉の外に目を向けた。
「お久しぶり。とりあえず元気みたいね」
廊下に立っていたのは黒髪ロングの女子生徒だった。玲花が見たことのない顔なので少なくとも1年生ではない。雰囲気からして3年生に見えた。
「太田先輩」
坂崎が固まった。
太田と呼ばれた女子生徒は、つかつかとカウンターまで歩いてきて椅子に腰掛けている玲花を見下ろした。
「ふーん、今度はこの子なのね。噂どおり、ものすごい美形なんだね」
太田は目を細める。そういう彼女自身、美人だ。色気があって胸もかなり大きく、さぞ男子にもてるだろうという風体だ。スカートもギリギリまで攻めている。
「上泉さんをそういう目で見ないでください」
坂崎が苦い顔をする。
「坂崎くんが図書室で新入生の女の子とイチャイチャしているって聞いて、驚いて来てみたら、ホントにそうだった」
雰囲気からして何か一悶着あったことは間違いない。
「毎日面白くさせて貰っていますが、イチャイチャはしていません」
玲花は立ち上がり、太田に視線を合わせる。身長は同じくらいだ。追い出す気満々だから知らない人相手でも言葉は強気に出てくる。
「気が強そうな1年生ね。坂崎くんとは性格的に合いそうにないけど」
「上泉玲花です。センパイにはお世話になっています」
「3年、
「いや、その、違う。違うって言うか、友達以上恋人未満だった、とは思います。太田先輩が元カノだって言ってくれるのならですが……」
坂崎は言葉を濁した。
玲花はピンときた。
「坂崎センパイに性格的に合わなかったのは太田先輩の方ですね」
「いい感じだったのに――そうね。そうなるわね。理屈っぽいのがいいところでもあり、悪いところでもあり、生きにくそうよね、彼」
「そこは同意しますが、おっぱいが大きい女は自動的に敵認定しているのでお引き取り願えます?」
太田は気に食わないと露骨に表情に出した。
「そこは関係ないでしょう。っていうかひがみ?」
「ひがみととられて大いに結構。坂崎センパイ、困っているじゃないですか」
坂崎は俯いて何を言えばいいのか分からない様子だった。太田も坂崎に目を向け、テンションを落とした。
「そうね……ごめんね。ちょっといじめすぎたかな。でも、また来るよ。様子を見にね」
太田は肩をすくめ、坂崎から目を離した。坂崎はようやく言った。
「さようなら太田先輩」
「また来るってば。邪魔しにね」
そして苦笑しながら太田は図書室から去って行った。
坂崎は安堵したように深く息をついた。
「ああ、緊張した。まさか引退してもまた来るとは……」
「太田先輩、美人ですね。しかもおっぱい大きいし。元カノって本当ですか?」
「今は話したくないなあ」
「話したくなければ別にいいですよ。私だってそのくらいの分別はあります」
「だいたい想像つくんじゃない?」
「想像したって、いろいろ考えてしまうだけです。人は真実を知りたがるものです」
「君に正論を言われたか。正論、効くなあ」
坂崎はがっくりとうなだれた。
「今は話したくないだけだから」
「話したくなったときでいいです。気にはなりますが実害はなさそうですし。別にセンパイを私が独占しているわけでもないし。確かにセンパイの時間の大きな割合を占めているとは思いますが、センパイがそれを許容している限りは依存します」
「依存とか言った」
「学校に話ができる人がいるのは楽ですよ。頼りますから」
「クラスで話ができる人、作れればいいのにね。そうすれば僕のところに来ることもなくなるかもだけど」
「仮定の話は分かりませんのでお答えしません。あ、そうだった。『ぐりとぐらのカステラ』作り方教えてくださいよ」
「どうしたの急に」
「クラスで『ぐりとぐらのカステラ』を作った話しをしたの、思い出したんで。私が作ったみたいに受け取られてしまって」
「フォローするよ。難しくないし」
「ありがとうございます」
「クラス内で話せているんだね」
「少しだけ」
玲花は親指と人差し指でちょっとだけの仕草をする。
『ぐりとぐらのカステラ』の話をした女子とは少しまた話ができている。
ちょっと、嬉しい。
「君は器用だからすぐお菓子作りくらいできるようになるだろうね」
坂崎は笑みを浮かべる。太田から受けた精神ダメージから回復しつつあるようだ。
坂崎と太田の関係を玲花はどうしても想像してしまう。
彼のいうとおり、想像はつく。
きっと人間関係で坂崎のところに相談に来て、坂崎が彼女を好きになったのだ。そして今の自分と坂崎のように、外にまで出かけるようになったが、あるとき感情が高ぶって告白してしまい、彼女に振られた、そんなところだろう。特大ブーメランの意味が分かった。なんてタイムリーなことだ。聞かないであげるのが優しさだ。
彼の笑みには憂いの色が濃い。失恋の苦しみはまだ癒えていないのだろう。
太田と坂崎のやりとりを想像すると少し胸が苦しくなった。
「私はセンパイのことを頼りにしているんですから頑張ってください」
「――ありがとう。でも、そんな顔で僕を見ないで欲しい」
坂崎は目をそらした。
「そんな顔ってどんな顔ですか? 私はいつもこの顔です」
今度は玲花が内心憤慨するが、坂崎は口元に手を当てる。
「自分でそう思っていても、僕にはそう見えないよ」
坂崎が言うように今の自分は違う顔をしているのかも知れない。
そう思い立ち、スマホで自分の顔を映し出してみると、自分の目から見ても、泣き出しそうな顔をしているのが分かった。
「え、嘘」
自分でも信じられなかった。なんで自分がこんな悲しげな表情になっているのかまるで分からず、玲花は混乱した。
「私、鉄仮面って言われているのに」
「僕は君のことをそんなこと思ったことないよ」
坂崎は椅子から立ち上がった。そしてカウンター越しに手を伸ばし、なでなでするジェスチャーをした。
「もう一度いう。ありがとう。これは、身長差もあるし、カウンター越しで届かないから、君の頭を撫でているつもり」
それを聞き、玲花は意を決してカウンターの上に頭を下げると、坂崎の手が届くように腰をかがめた。
「はい。お願いします」
「ええ? そうなの?」
「センパイに撫でて欲しいんです」
あまり考えずにした行動だった。感情が素直に行動に出ていると言えばそうだろうが、自分でも少々驚きすぎて、頬が真っ赤になっているのが想像できるくらい熱かった。
数秒、玲花がそのままの体勢でいると、優しく、やわらかに坂崎が頭をなで始めた。
数回往復して、終わったようで、玲花は頭を戻し、坂崎から顔を背けた。
とてもではないが見せられる顔をしているとは自分では思えなかった。さぞかし緩みきり、照れくさそうで、また、真っ赤になっているに違いなかった。
「頭を撫でた僕の方がご褒美を貰ったみたいだ」
「センパイの前だと私、鉄仮面じゃないんですね」
「何を今更。最初から感情豊かな女の子だなあって思っていたよ」
坂崎の声を背中越しに聞くと、玲花は背中にじーんと、なにか熱いものが走るのを感じた。その熱いものが消え去ったあとは、できるならまた、こんな風にじーんとなってみたい、と玲花は思った。
「最初は勝手に触るなって怒っていたのに」
坂崎の言葉に、玲花は急に現実に戻された。
「普通はそうでしょう。でも今回は私の希望ですから」
そして振り返り、ニッと笑顔を作って見せた。
「センパイ。明日はカウンター当番じゃないんですから、外に連れて行ってくれますよね」
「うん。行きたいところがあるんだ。自転車でいい?」
「お、私に自転車の話を振ってくれますか? “剣聖”上泉の娘の私に」
「ピストで来ちゃダメだよ」
ピストはシングルギアのブレーキがない競技専門の自転車だ。
「ピストでは公道を走れませんからきませんよ。でも自転車での併走は危険です」
「普通についてきてくれればいいじゃない?」
「心当たりがあるのでお任せあれ」
玲花は得意げに笑った。
「何か分からないけど君にアイデアがあるなら採用しようかな」
「はいはい。ありがとうございます」
頭を撫でてもらえてテンションが上がっているのが自分でもわかる。
太田先輩のことなどどこかに吹き飛んでしまった。
「アイデアが形になりそうだったら連絡入れます」
坂崎は頷いた。
そのあと図書室を閉める時間まで坂崎と玲花は別々に読書や勉強をして過ごした。
そして校門で別れ、薄暗い中、玲花は坂崎が乗る自転車が見えなくなるまで見送った。
「なんだかカップルっぽいな」
玲花は独り言を言い、頭を撫でて貰ったことを思い出し、また、少し、ジンときて、独り上機嫌になって、笑ったのだった。
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