第4話 また、明日

 2人でコンビニに行って坂崎にアイスを選んで貰い、玲花が払う。


 アイスを持ってベンチを探しに館山駅前までいき、長距離バスを待つベンチに腰掛ける。羽田行きの空港バスは出たばかりで迷惑はかからない。


「じゃあ、ごちそうになります」


 坂崎は袋を開け、パピコを取り出し、2つに分ける。


「はい、お疲れ様」


 そして坂崎は玲花にパピコの片方を手渡した。


 玲花は意図せず自分の目が丸くなるのが分かった。


「――いただきます」


「いえいえ。大したものではありませんが」


「ぐやじい。私のお小遣いから出したのに」


「でも、感情を素直に外に出せることはは良かったんじゃない?」


 玲花は小さく頷いた。


 パピコはチョコ味で、すすってもほどよく甘かった。


「内申点稼ぎなんて疑ってごめんなさい。面白かったです。想像できなかったけど」


 隣に座ってパピコをすする坂崎を見る。


 座高は同じくらいなのでちょうど目が合う。


「面白かったのは予想外だけど良かった。今回の課題は『気づき』だったから、君が『気づいて』くれさえすれば、任務達成だったんだけど」


「『気づき』ですか?」


 そういえば昨日の帰り際にそんなことを言っていたことを思い出す。


「面白いとを用意するって言ったよね。今回は、『見えていないものに気づく』ってことが課題だったんだ」


 玲花は合点がいく。


「タバコの吸い殻は見えていないもの?」


「普段、見えているはずなのに、見えていないでしょう?」


「確かにこんなにいっぱい落ちているなんて思ってもみなかった。箱まで捨ててあるし。許せませんよね」


「なんも考えていない人が多いのさ――まあ、でもそこは別として、普段から見えているはずなのに見えていないものがないかどうか、確かめてみたらどうかな。もしかしたらそこに面白いものが隠れているかも知れない。案外、身近にあるかもよ」


 坂崎はパピコを吸い尽くした。


 玲花は今朝、声をかけてくれたクラスメイトのことを思い出した。


 もう少し歩み寄ってみたら、何か変わるかも知れない。つまらないつまらないと言っているのは自分だ。見えているものの中に見ていないものがあるのだとしたら、それは自分のせいかもしれない。


「センパイにとっての、見えていたはずなのに見えていなかったものってなんだったんですか」


 玲花もアイスを吸い尽くすと坂崎に殻を奪われた。


「いろいろさ。クサくなるからあまり言いたくないけど、そうだなあ、学校に戻ってもいい?」


 玲花は首を縦に振った。だいたい館山駅から高校まで1キロない。


 2人で歩いていく最中も会話を続ける。


「ほら、ボランティア担当の先生に報告もしたいし。道具も返したい」


「やっぱり内申点稼ぎか――冗談です」


「分かってるよ。今日、面白かったって言ってくれて助かったよ」


「面白かったですよ」


「だいたい初めてのことって発見があって楽しいよね。でもさ、君は身体機能が優れているし、頭もいいから何でもそつなくこなしちゃうから楽しくないんだろうね」


「そのとおり。楽しくないです」


「なんで人は楽しいって感情を発達させたんだろう? 考えたことある?」


 坂崎は振り返って聞く。歩道がないので彼とは並んで歩けない。どう考えてもコンパスは玲花の方が長いので、玲花が後ろを歩いている。


「私には新しい視点です」


「なんでもさ、楽しくやって楽しく経験を積んだ方が生存に有利だからだと僕は思っているんだ。遊びの中でネコ科の動物が狩りを覚えるように、大昔は人間も狩りの仕方を遊びながら学んでいたんじゃないかな。学んで、上達する過程が、楽しいと続く」


「つまり私の場合、過程なしになんでもそつなくこなしてしまうから、楽しいと思うところまでいかない、ということですか」


「さすが理解が早い。だから、今はわからなくても、そのうち、楽しいことが見つかると思う。君に合った何かを見つければ、君が簡単に覚えられるその先まで行かなくてはならなくなったとき、絶対に壁にぶつかって、乗り越えたとき、楽しいことに出会えるよ」


「それは理屈としては分かります。でもクラスでアイドルの話やら動画サイトの話やらしてても楽しそうですけどね」


「それはまた別だ。解説する機会がくるかな~~わからないな。とりあえず今日は、そういうことにしておいてよ」


「はい」


「でもさ、『面白いこと』は違うのさ」


「楽しくないなら、面白くすればいいって言ってましたね」


「楽しくないものを楽しもうとするのは無理だよ。だって楽しいのは本能に属するものだもの。進化の過程でその楽しい何かがなかったら、楽しむのは難しい。でも面白いはさ、経験とか知識からくるものだから。新しい知識を得ることが面白いって思うのも確かに人類の文明を発達させてきた本能だけど、どちらかというと知識と経験はあとからついてきたものだから、無理が少ない」


「難しいです」


「タバコの吸い殻を探して見つけるの、面白かったでしょう? あれ、発見だから何だよね。気づきっていうか」


「宝探しみたいでしたもんね。実は途中から怒りと同時にわくわくもしてました」


「発見は面白さの基本だよ」


「はあ」


「気づきには勝負もないし、答えもない。それが面白い」


「また難しいこと言ってます~」


「すぐ分かるよ」


 坂崎は高校の校門に至る道で曲がらず、裏門側に向かった。


「どうして裏門側に回るんですか?」


「ちょっと寄り道するから」


 坂崎はテクテクと歩いて行き、玲花は無言でついていく。


 そして裏門の手前で階段を上り、路地に入っていく。


「どこに行くんですか」


「お稲荷様」


「?」


 歩いて行くと参道があり、神社が見えた。


 鳥居の向こうに大きな小さな社と更に鳥居があり、稲荷大明神とあった。


「こんなところに神社があったなんて」


「高校の敷地のすぐ隣なんだけどね。気づかないよね」


「あ、なんか書いてありますね」


 由緒書きを2人で眺める。


「明治になって4年だけあった長尾藩が建てただの、大砲が奉納されていて太平洋戦争で供出されただの……知らないことばかりだ」


「興味深いよねえ。上泉さんは日本史も大丈夫?」


「まあ普通に。これって、基礎知識があるからこそ、知らないことでも面白く感じるってことですかね?」


「皆まで言わなくていいのは楽だ」


「こんな近くに知らないことが……これも見えているのに見えていないものだ」


 玲花は大砲が置かれていたという石組の粗壇を見る。


「そう。これが僕にとっての見えていたのに見えていなかったもの、かな」


 坂崎は小さな方の鳥居をくぐり、玲花を呼んだ。


「かわいいでしょう。ここのお狐様」


 かつてはペアだったのだろうか1匹だけになった狐とまだペアな狐、小さな石の狐が計3匹いる。


「あ、本当だ! 狐さん、かわいい! かわいいです!」


 思わず玲花は3匹の苔むしたお稲荷様をスマホで画像を撮ってしまう。いずれもどこから移されてきたものだろう。移されてから百数十年経っている。その時間を思うと玲花は過去の一端に触れることができた思いがした。


 そんな玲花の姿を坂崎はぼーっと見ていた。


「センパイ?」


「いやあ、かわいいなあと思って」


「ですよね。今度またお稲荷様があったら撮っておこう。お稲荷様フォルダを作ろう」


「本当にかわいい」


 坂崎は自分を小突き、うなだれる


「どうしたんですか、センパイ?」


「自分のチョロさに呆れただけ」


「はあ?」


「そうだ。肝心のお参りしてないよ」


「そうですね。失礼ですね」


 2人はお稲荷様がいる小さな石祠に手を合わせた。


 玲花は「どうか面白いものがこのまま続いて見つかりますように」とお願いした。


 少しして坂崎も目を開けた。


「今日はここまでだね。僕は学校に戻って、ゴミはさみを返して、吸い殻を置いてくるよ」


「何言ってるんですか。学校は隣じゃないですか。私も一緒に行きますよ」


 玲花はふん、と鼻息荒く意気込んだ。美少女にあるまじきリアクションだ。


「ああ、そう。じゃあ、一緒に行こうか」


「はいはい。行きましょう」


 玲花はコンクリートの階段を軽い足取りで降りていくが、坂崎はうなだれたままだ。


「ホント、何があったんです?」


「いやいや、君が面白いことが何なのか、少し考えられただけで今日はよしとするよ」


「また面白いもの探し、行きましょうね!」


 玲花は自分が心から笑顔になれることを素直に喜ぶ。


 コンクリートの階段を降りると玲花は振り返る。


 坂崎はうなだれたままだったから、目が合う。


「そうだね。君が面白いものを探したいと思い続ける限りは。僕もきっと新しい面白いものを見つけられると思うから」


 そういう坂崎は少し寂しそうだった。


「そうですね」


「でも、君が楽しいものを見つけられたら、もうそれで終わりかな」


「?」


「まあ、いろいろさ」


 坂崎がいう意味は玲花には分からない。


「センパイが面白いもの探しに連れて行ってくれるなら、続けられそう」


 玲花は寂しそうなセンパイの気持ちを消してあげられたらな、と思う。他人のことをそういう風に思ったことはなかったから、新鮮だ。自分の面白いもの探しにつきあってくれることで、それがなくなれば一石二鳥だと思う。


「でも、またアイスを賭けることがあっても負けないけどね」


「今度は雪見だいふくかアイスチョコモナカにします」


「お、勝つ気だね」


「負ける気で賭ける人はいないでしょう? センパイ」


 坂崎は笑ってくれた。


 どちらも分け合えるアイスだということに彼は気がついてくれているだろうか。


 一緒に同じアイスを分け合えることができたこと、そして彼が自然に分けてくれたことが玲花はとても嬉しかったのだ。


 そしてそれが今日一番、玲花にとって新鮮な出来事だった。


 学校でゴミはさみを返し、タバコの吸い殻をゴミ捨て場に持っていくとおしまいだ。軍手は洗ってまた使うことにした。


 校門で2人は別れる。


 玲花の家は高校から歩いて10分もない。


 一方、坂崎の家は少し遠いらしく自転車通学だ。


 ヘルメットを被った彼はちょっと印象が違って格好良く見えた。


「じゃあまた明日、図書室で、センパイ」


「明日はカウンター当番だからなにか別のこと考えておく」


「待ってます」


 坂崎は手を振ろうとして止め、口を開いた。


「今日の大切なことは?」


「見えているのに見えていないものに気づく」


「よくできました――まあ、それは今日も僕自身思い知ったんだけどね」


「何をですか?」


「それはまた今度」


「期待しています」


「面白くないかもよ――また、明日」


 坂崎は苦笑して、自転車のペダルを踏み、去って行った。


 彼が何を思い知ったのか、今の玲花は知るよしもなかった。


 帰宅し、手がニコチン臭いことに気づき、すぐに風呂に入る。


 軍手は洗濯石けんをたっぷりすり込んでバケツに漬けておく。


 身体を洗いながら、髪にまでニコチンの臭いがついていることに辟易とする。


 どうしてタバコなんか吸うんだろうと怒りを覚える。


 長い時間風呂に入ってようやく臭いがとれ、すっきりする。


「お風呂長かったわねえ」


 南に言われて玲花は肩をすくめる。


「今日ね、清掃ボランティア活動したの」


 嘘ではない。きちんと学校の担当の先生に実績報告までした。


「うわー初耳」


「タバコの吸い殻拾いをしたんだ。だから臭いがついちゃって、参った」


「どういう風の吹き回し?」


「面白かった。発見もあった。あとお稲荷様にお参りもした」


「――そう。今度、また何かあったら教えてね」


 南は面白おかしそうな顔をして玲花を見つめた。


「別に、変なことはしていないよ」


「分かってる」


「変なの」


 なんとなく照れくさくなって、玲花は夕食まで自分の部屋にこもった。


 ベッドに倒れ込み、うつ伏せになったまま考える。


 知らないことはいっぱいある。


 そして自分自身のことすらも知らないのだとも気づく。


「――また、明日、か」


 久しく誰からも言われたことがなかったその言葉を玲花はかみしめる。


 明日の放課後が待ち遠しかった。 


 その感情を、明日を『楽しみにしている』という言葉で表現できることに、玲花はまだ気がついていなかった。

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