第20話
あれから半年が経った。
イオルは何とか生きていた。元から空腹に慣れていたし、まともな食事もしていなかったおかげで、何でも食べられた。なので、飢えに苦しむことは少なかった。食べ物はゴミ袋をあさったりした。土や草や水で空腹を紛らわすこともできた。それで凌いでいけていた。
細かった体はさらに細くなり、骨のようだった。体調もあまり優れない。意識も朦朧としていた。そんな日々を過ごす。
イオルは安眠などできやしなかった。
イオルは悪夢を見る。あの事故の様子を。自分は記憶にない。だが自分がやったようなことになっている。でも、現にそうなのだ。もう、イオルは訳が分からずにそれを背負い続けていた。
私は、どうしていたか。閉じこもっていた。自ら箱に閉じこもっていた。
私のせいでイオルがこんな目にあっている。更なる過酷へ歩かせてしまった。負い目があった。でも、恐かった。イオルにさらに嫌われるのが。そして、責められるのが。私は卑怯者だった。イオルをさらに苦しめるだけの最低な存在でしかない。
私はイオルの心の隅っこでうずくまっている事しか出来なかった。励ます言葉も思い浮かばなかった。イオルは、この半年、訳も分からずに生活していた。私は本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。
そんなある日の事だった。
『研究員』のやつらとであった。その時に指揮を取っていたのは、黒木ではなく別の奴だった。それが誰かは分からない。男だった。でも、今はそんな事など関係ない。そいつらはイオルを取り囲んだ。そして、イオルがした事を責めたてるのだった。
イオルはあの事故の事を振り返るが、あれは、自分の意思ではない。そう言い張る。だけど、当然のごとく、そんな言い分など聞きいれられるわけがない。連行されそうになる。
イオルは自分のその罪を押し付けられたように感じた。
イオルは必死に逃げた。訳も分からずに。無我夢中に。そうして、なんとか逃げる事に成功した。
イオルは自分の居場所がどこにもないのだと知って、泣く。そして、あてもなくただたださまよい続けるのだ。『研究員』に追われながら。
月日は更に流れ、三年が経った。
イオルは寝どころをずっと転々としていた。橋の下や、どこかのボロボロの倉庫。路地裏。色々なところを歩き回り、さまよい続けた。
空腹が満たされるときなどありはしなかった。自分が満足できた生活など一片たりともなかった。たいていのことは慣れているイオルだが、一つだけネックな事があった。それは、季節の変動だった。特に冬。段ボールやら捨てられた布をかき集め、暖を取れてはいたが、それでも、寒さを完璧にやり過ごすことはできていない。ガタガタと震えながら生活する。
安眠など許されなかった。
イオルはある橋の下にいた。そこを借り拠点として生活していた。
イオルは、そこであの事故の事をずっと考えていた。ノボルの死。そして、透の言葉。あれがフラッシュバックしていた。耳に残っていた。
結局自分は一人になるしかないのだ。化け物は化け物らしく。大人しく虐げられるのがお似合いなのだ。これは罰なのだ。希望を知った自分への罰なのだ。もう……どうにでもなれ。
イオルは体育座りで、顔をうずめて、むせび泣く。
そんな時、一人の少女に出会った。
『どうして泣いているの?』その少女の第一声だった。イオルは顔をあげた。涙をぬぐいながら。イオルは座る向きを変える。顔を合わせないようにしたのだ。涙は止まらなかった。
その少女は『どこか痛いの?』と心配して近づいていく。
イオルは『近づかないで!』と少女を遠ざける。優しくされたとしても、また失う。だから、それが嫌だったのだ。
『ご、ごめんね……』
少女は謝る。そして、たじろぐ。
イオルは、それで満足した。これでよかったと。こうやれば、誰も近づかないんだ。だけど、胸が苦しくなった。
イオルはこれで少女がいなくなると思った。邪険に扱えば誰だってそうだと。しかし、その少女はイオルの期待を裏切り、傍に来るのだった。
そして、後ろからイオルを抱きしめる。
『大丈夫だよ。私は、傷つけないよ』
イオルは胸が苦しくなる。その少女を受け入れたくなってしまう。だが、イオルは突っぱねた。少女は尻餅をついた。
イオルは能力を使った。適当に物を浮かせた。そして脅し文句を言う。自分の力を見せつける事で、遠ざけようとしたのだ。そうすればみんな自然と離れていくからだ。
しかし、少女はあろうことかそれを受けいれたのだ。
いや、むしろ喜んでいた。笑っていた。嬉しがっていた。それはどういう訳か理解が出来ていなかった。
イオルは振り返り少女を見た。イオルは少女の容姿に愕然とした。
包帯だらけの体だった。左側の半身に包帯が巻きつけられていた。そして顔は右目に眼帯をしていた。その隙間から火傷のような跡をちらつかせていた。金髪で肌白く、唯一見える眼は緑色で、美しい瞳をしていた。
『キミも私と同じなんだね』
イオルは最初、意味が分からなかった。少女が何を言っているか分からなかった。でも、すぐにその意味が分かった。
少女は適当に物を指さした。そして指をクイッと軽く上にあげた。そうすると、物が自然に浮いたのだ。誰かが持っているというわけでもなく。浮遊したのだ。
イオルはそれを見て目が点になった。イオルは本当に驚いていた。そして、少女の意味を理解した。
もしかして……あなたは……? と。
少女はこくりと頷いた。
『私は、キミと同じ『SMP』だよ。嬉しい。こんなところに仲間がいるなんて』
少女はイオルに飛びついた。そして抱き付く。イオルはそれを受け入れていた。
イオルは葛藤する。もう、誰とも関わらないと決めていた。そうすれば誰も傷つかなくて済む。
だけど、それでも、イオルは望んでしまった。友達という存在を。やはり、諦められなかった。他人という存在を。
イオルはギュッと少女を抱きしめた。イオルは泣き崩れた。それを貰ってしまったのか、少女も号泣した。
それから、二人は遊ぶ仲になっていき、友達という存在のようになっていった。
これがイオルとリリィの出会いだった。
そう。この少女こそがリリィ。本当の名前はエミリー。イオルと同じで、名前を変えた仲間。このエミリーが「イオル」という名前をつけ、イオルを庇って連れていかれる。女の子だ。
この頃はまだエミリーだけど、リリィと呼ばせてもらうよ。
リリィは、イオルに服やご飯を持って来てくれていた。量は少ない。親にばれないようにそれを持っていくのが一苦労であったためだ。でも、イオルは大助かりだ。
リリィの親切はそれだけではなく、隠れ家も提供してくれたのだ。山にポツンとある廃墟なのだが、そこをリリィは貸してくれた。ここはリリィの秘密基地のようで、一人になりたいときにここをよく使っているらしい。ボロボロではあったが、イオルにとって、嬉しい限りだった。
リリィは、イオルと同じで、『SMP』の一人だった。私たちと比べて、能力は一つしか使えなかった。サイコキネシス。それだけのようだ。しかし、だからというべきか、力はリリィが圧倒していた。万に通ずる者が持つその中の一つの力よりも一つに物事を絞った力の方がはるかに優れているというのだろうか。
リリィは友達がいなかったらしい。家の関係上、そういうのは一切禁止されていたらしい。たまに家に出してもらえるが、ほとんど牢獄のようなものらしい。親が科学者らしく、『SMP』の研究にリリィを利用しているようだ。実の娘であるのに、扱いはモルモット。リリィはそんな生活に嫌気がさしていた。地獄のような生活。だから逃げ出したかったのだ。
リリィが包帯だらけの体になってしまったのはその親の所為だ。人間と『SMP』の体の構造や痛覚が似ているものなのか。どの程度の衝撃まで耐えられるのか、能力の限界などの実験にこの身を酷使されて出来上がってしまったものだ。
リリィは、『SMP』は希少であり、仲間などまず望むことが絶望的だと教えられていた。だけど、こうして自分と同じ仲間に巡り合えたことに感銘を受けた。そして初めての友達となってくれた。
リリィはイオルの生い立ちを聞き、胸を痛ませた。『SMP』という存在はこのように虐げられるために生まれてきたのか。そう思い、悲しくなっていた。リリィはアレを事故といった。不慮の事故。だから、気に病むことはないんだよ。そう励ました。
だけど、イオルは複雑だった。そう捉えていいのかどうか。イオルは悩むが、そうやって言い聞かせた方が気は楽になる。そうはなるが、してはいけないような、罪悪感がある。イオルはとうとう答えは出せなかった。
リリィはイオルの能力を知った。イオルが自分で教えた。というか、あれこれ出来るよとなかば自慢のようなもので紹介した。そうすると、リリィは驚愕した。なぜなら、
リリィが父親から受けた説明によると、一つの個体には一つの能力しか備える事が出来ない。そう教えられた。だけど、目の前にそれを打ち破る存在がいたのだ。リリィは畏怖する。
リリィはなんとしてでも父親にイオルの存在を知られてはならないと瞬時に悟った。自分と同様な、いや、それ以上に過酷な実験を強いられるのではないかと。
リリィは、必死にイオルを隠した。
しかし、危機が迫る。
リリィはイオルの為にご飯を持って来てくれていた。それをとうとう父親に見つかってしまったのだ。リリィは『野良猫にエサをあげているの』と父親に説明した。すると父親は『それならば、ここへ連れてきなさい』といったそうだ。
リリィは前に小鳥を無断で飼ったことがあるそうだ。実験の毎日で心身ともに疲弊している所に出会った小鳥。リリィは大事にしていたのだが、それを知られて目の前で小鳥をつぶされたという嫌な過去があった。だからきっと今回もそうするつもりなのだと悟った。
しかも今回はそれだけではない。大切にしているのが猫であるというのは嘘で、自分よりもさらに珍しい『SMP』だったからだ。もし素直にイオルを連れて行けば、イオルの身が危険にさらされる。それはなんとしてでも避けたい事だった。
リリィは決意した。イオルと共に逃げようと。自分の家を捨てて、どこか遠い所へいなくなってしまおうと。
リリィは『連れいていきます』と、父親にそう告げてイオルの所へ向かったそうだ。密かに溜めていたお金を少し持って。
リリィはイオルに事情を全て話した。そして、一緒にどこか遠い所へ行くことになったのだ。
イオルの逃避行はリリィという付き人を加え、さらに続いていくのだった。
逃走生活に、リリィという存在が加わって一か月ぐらいがたった頃。二人はなんとか生活できていた。リリィのわずかなお小遣いはちょくちょく使ってしまったが、まだ残っていた。
一人でいる時より、生活が厳しくなった。今までの食糧や水は半分になってしまったからだ。だけど、そんな辛い生活でも、凌いでいけた。二人だったから。心の安らぎがあるのだろう。互いに励まし合えるという存在が心の安寧となったのだ。
イオルはリリィにこれで本当によかったのか尋ねた。自分をかばったばっかりに、こんなことになってしまって……と。そんな心情から。
リリィは優しく微笑みながら、良かった。と答えた。なぜなら、あの家に永遠にいるよりも、こうやって大好きな友達と一緒にいられる方が幸せだから、と。
イオルは自分が沢山の人を傷つけた存在でも? とさらに聞いた。
リリィは、それでも、イオルはイオルだよ。私はイオルが優しい子だって知っているから、他の人が何を言おうとも、私が守ってあげるよ。と、そんなことを言ったのだ。
イオルは嬉しくてしょうがなった。こんな自分これほどまでに好きでいてくれることに。
リリィはある提案をしてきた。
それは、過去の名前を捨てよう。そういう事だった。
今の自分たちは、もう、今までの自分たちとは違う存在である。リリィは、親からの支配から逃れ、別の土地で暮らしている。縛られた世界から脱却した。だから、その親から貰った名前を捨てて、これからは新たな「自分」として生まれ変わり、生きていくんだ、と。
イオルは賛同した。リリィの言った通りに、これからの自分も変われるかもしれない、と。「雪華」という忌まわしき過去の自分を捨ててしまえば、それだけで楽になれる、と。
そしてイオルは『雪華』を捨てた。『私』を捨てた。箱を海の中へ放り込んだ。重りをつけて。浮かんでこないように。私は深淵の闇の中で一人をさらに強いられる。
イオルは、リリィと名付けた。たまたまそこにユリの花があったからだ。白く気高く美しく咲くその花に魅了されたのだ。イオルはリリィにユリの外国語は何かと尋ね、「リリィ」と答えたから、そうなった。
リリィはその名前を気に入った。イオルから貰った名前ならなんでもよかったのだろうが、まあ喜んでいた。
そしてリリィはイオルという名前を上げた。リリィの大好きな絵本に登場する主人公である女の子の名前がそれだったからだ。
互いに名前が決まった二人は、昔の自分を捨てて、新たな自分として生きていこうと意気込むのだった。
そうして一年の月日が流れた。
イオルたちはお互いに助け合いながら苦難を共にしていた。そんな二人はある運命によって引き裂かれる事となる。
『研究員』の襲来だった。何度かピンチはあったが、切り抜けてきた。しかし運悪く今回は逃げ切ることが出来なかった。
包囲され、まさに背水の陣。二人は物陰に潜み、やつらが立ち去っていくのを願いながら丸くなっていた。息を殺す。緊迫した状況だ。下手に動いたらやられてしまう。
リリィは決断した。自分がおとりになってイオルを逃がそうと。当然イオルは拒否する。そうして言い争う。これが二人にとっての初めての喧嘩だった。
そうこうしている内に見つかってしまった。そして、捕らえられる。二人とも。
その時に、黒木と出会うのだった。黒木はイオルを見るやいなやものすごい剣幕でイオルを殴り飛ばした。そして、黒木はイオルにあの事故の事を問い詰めた。イオルは何も言えなかった。
イオルは過去を捨てようとした。だけど、その過去は捨てられないのだと分かってしまった。だからこうやって、自分を恨むやつが、現れ、自分を責めたてる。
イオルはふさぎ込む。自分はどうしたらいいのかが分からなかった。黒木は「死ね」と冷酷に言い放つが、イオルはそれも嫌だった。
自分のそれはわがままであろうか。至極まっとうな思いではないか。しかし、あの事故の原因は紛れもなく自分自身。だから、死ねばいいのか。
母親に殺されかけた時抱いた気持ちは、この時にはなかった。あの時は、辛い事しか頭になかったからだ。ぼんやりした頭で今しか見えていなかったからだ。今は白濁とした意識の中ではない。明快な意識の中、友人も傍にいる中。死にたいとい感情は不思議なほどに消え去っていた。
もう少し生きたい。その気持ちの方が強かった。
しかし、それははたしていいのだろうか。それが人を沢山傷つけたものの欲求で正しいのだろうか。
イオルは迷うが答えは出なかった。
そうして。このまま二人とも連れて行かれる。と思った時だった。リリィが能力ちからを使用し、逃げる隙を作ったのだ。それを利用して二人は逃げる事に成功する。
リリィはそれに喜んだが、イオルはあまりそうでもなかった。自分の行いを自問自答し、苦悩していた。このまま逃げていいのだろうか。などと。
イオルは立ち止まった。そんな暇は無いのに足を止めた。リリィはイオルの手を引いて必死に逃げようとするが、肝心のイオルが動かないのだ。
そうこうしている内にまた、ピンチに陥る。二人はまた物陰に潜む。
リリィは、意気消沈したイオルを見ていられなかった。リリィは一年間。傍でずっとイオルを見てきた。惨めな生き方をしてきたのをずっと見ていた。隣で。だからイオルの事を誰よりも一番理解していると自負していた。イオルは確かに罪を犯したかもだけど、それに見合うような苦しみをずっと味わってきた。それに、誰よりも心が綺麗だという事を知っていた。
だからリリィはイオルを気絶させた。そして自分だけが投降しようと。
イオルはまだ死んではいけない。まだ何も知りえていない。誰もが当たり前に感じている物事を。何もかも。それはリリィ自身にも言える事だった。だから、リリィは、今後自分では手に入れられないものをイオルに託したのだ。イオルがそれを、幸せを、自分の分まで十分に手に入れてほしいとそう願いを込めて。
リリィは多分それでよかったのだろう。自分を犠牲にする事でこの子が幸せになることが。
たとえ死よりも辛い実験台として扱われるモルモットになろうとも。リリィはそれでよかったのだ。
自分の醜い部分を好きでいてくれたイオルの為なら。この身など喜んで差し出そう、と。
自分はもう醜い。だから、これ以上どんな姿になろうとも結局はただ醜さが増すだけであまり変わらない。
リリィは眠っているイオルにキスをする。自分の最初で最後の友達に。
そしてリリィは一人で投降していったのだ。
イオルは起きる。すると、そこは静寂に包まれた空間となっていた。誰もいない。物静かだ。イオルはハッとする。そして、リリィの名前を呼んだ。何度も。声が枯れるまで。だがしかし、返事はなかった。虚しく残響するだけだった。
イオルは悟った。リリィが自分の身代わりになったのだと。
泣き崩れた。叫び声をあげる。喪失感。張り裂けそうな胸の痛み。
イオルはまた失ってしまった。
大切なものを。また。
自分の所為で。
イオルは自分の存在を嫌った。他人を不幸にさせるだけの存在を。
自分の人生はいったいなんだったのだろうか。
黒木の言う通りで、死んでしまえばよかったのか。
自分はただ、ちゃんと生きたかった。生きる希望を持った。生きたいと思った。それが罪だったのだろうか。だからこうやって自分から全てを奪い去ろうとしているのか。
イオルにはもう何が自分の罪なのかがわからなくなっていった。
だけど、あの事故は自分が起こした罪であるというのは認識できた。
じゃあ、自分はどうすればいい? 何をすればいい?
捕まるのは嫌だ。かといって死ぬのは恐い。
イオルは答えのない迷宮に迷い込み、また一人ぼっちで生きていくのだった。
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