第13話

「一体、これは何のまねですか?」


 黒木は不快な表情をしていた。オレはそれを見てほくそ笑んでいた。


 オレはこいつら……『研究員』に向けて拳銃の引き金を引かなかった。オレがしたのは、空に向けて撃つという行為だ。


「さあな」オレは拳銃をその場に置いた。そして『研究員』に渡すようにしてそれを足で転がした。地面を擦り、それはあいつらの足元に流れていった。


「それはもういらない」


 オレは携帯を取り出した。携帯を弄りライトをつけた。それは地面を明るく照らしていた。それも眩しいぐらいに。


「何をしたいのですか?」


「こういうことだよ」


 オレは携帯を後ろに放り投げた。携帯は重力の関係で落下していった。屋上から地上へ真っ直ぐと落ちていった。黒木はキョトンとしていた。いったい何をしているのか、と。


 オレは踵を返した。くるりと半回転する。そして錆びついた手すりを両手でしっかりと掴む。それから足をかける。オレは首だけを横に向けた。そして、勝ち誇った表情で黒木「それじゃあな」と言い放った。


 オレは身を投げた。


 体が宙に浮く。生身の体であるため、自然の言うとおりにそのまま地面へと落下していく。このまま落ちて着地すれば、オレはただでは済まないだろう。当然、空など飛べるはずはない。


 オレの体はどんどんと落下を進めていき、地面へと近づいていく。リミットまであとわずかだ。しかし、オレの目の前に、オレの危機を妨げるものが超常現象として存在していた。それはオレの網膜にハッキリと映し出されていた。それは先ほどオレが投げた携帯だった。それが独りで空中を泳ぐのだった。オレは空中でそれを取った。オレの意思で取れたのかそうでないかは分からなかった。しかし、オレはそれを手にした。


 一瞬だ。ほんの一瞬だけ、オレの体は空中で静止した。生涯で中々体験できないことだ。オレは空中に浮いたのだ、飛んだのだ。しかし、それは長くは続かなかった。オレはその体験を堪能し浸る間もなく再び落下していくのだった。


「ぐっ……」


 ドシン。地へ足が付いたとき、オレの足がビリビリした。そしてその衝撃は足の裏から髪の毛先にまで昇っていくのだった。


 落下の速度を少しだけ止めたのだが、やはり着地した時に来る振動は辛いものがあった。オレは少々顔をしかめた。地面に手と片膝をつかせる。


「大丈夫?」


 ちょうど真横にイオルが足を放り出して、座っていた。大量の汗をかき、肩で呼吸をしていた。肩を何度も上下させていた。


「イオルこそ、大丈夫か?」


「平気だよ」


 イオルは不格好な笑みをつくるのだった。


「すまなかったな。辛い思いさせて」


「ううん。いい」


 オレは今度こそ本物のイオルを背負った。首筋に息が当たってこそばゆかった。そしてオレは走る。この場から立ち去る。奴らから見事に逃走を果たしたのだった。





――

「ここで一休みしよう」


 オレ達はどこかの倉庫の中に入った。そこで身を潜めながら休憩することにした。


「調子は良くなったか?」


 オレはイオルの汗を拭き取った。イオルはお礼を言ってから、少し笑うのだった。


「……少しは。でも、疲れた」


 イオルは壁にもたれ掛り、深く息を吐いた。目を閉じ、リラックスしようとしていた。オレはそれを横で眺めているだけだった。


「アレ、成功して……良かったね……」


「ああ。あんな使い方して、体力は大丈夫か?」


「それは……大丈夫」


 あの時、オレ達はとある策を練っていた。簡単に説明すると、オレが『研究員』を全員引き付けている間に、イオルは下に行く。そして、イオルが簡単な合図を出したのを見計らってからオレもイオルに合図を送る。そうしてから携帯をイオルの能力ちからで浮かせ、それにオレが乗り、落下を緩和させてそのまま着地し、逃げる。というのが作戦だった。本来なら、イオルはオレを置いて逃げ出してもよかった。しかし、それをイオル自身が許さなかった。


 イオルの能力ちからには限度というものがある。オレ一人を持ち上げる、浮かせるなんてことは出来ない。しかし、一瞬ならそれが可能ではないかとオレは仮説を立てた。普通の体で例えるとすると、三〇キロしか持てない人が五〇キロの物を渡されたとする。そうすると、当然ながら体は悲鳴を上げ、それを持てなくなる。しかし、すぐにというわけではない。ほんのわずかな時間だがそれを持っていられる。要するに、そういう事なのだ。


 松田がふざけてものを乗っけた時のを自分の身で再現してみた。


 その一瞬だけでも、衝撃を和らげる良き塩梅となる。ぶっつけ本番でやってみたが、無事に成功して何よりだった。


「そうだ。イオル。聞きたいことがあるんだが……いいかな?」


「……」イオルは真っ直ぐ向いていた。そして、頷く。


「黒木がさ、変なことを言っていたんだ。もちろん、信用する、てわけじゃない。ただの確認だ。あいつはさ、お前が……」オレはここで言葉が詰まった。これ以上先の事を言ってはいけないような気がした。しかし、イオルの無実を本人の口から聞きたかったのだ。確認を取りたかったのだ。だから、オレはあまり間をおかずに、次の言葉を口にしていた。「お前が、大量殺人だって、言っていたんだ。それは本当か?」


「……」イオルはピクリと体を反応させただけで、いたって冷静だった。表情は変えずに、体育座りをしていた。


「どうなんだ?」


 イオルは眉間に皺をよせていた。そして膝に顎をのせて、しばらく無言でいた。


「……トオルは……それを、信じるの……?」


 ようやく口を開いた。イオルは乾いた声で言った。


「いいや。お前がそんな事をするはずはない。そう信じている。それに、どうやって大量殺人なんて行えるんだよ」オレは一笑した。


「……」イオルは蹲った。そして何度も深呼吸をしていた。「本当だよ」イオルはこもった声で言うのだった。


「今、なんて……?」オレは思わず聞き返していた。驚愕していた。


「…………わたし……耳がいい。だから……黒木の会話を、聞いていた」イオルが淡々と話し始めた。姿勢はそのままだった。「もう……いいよ。嘘をつくのに……疲れた……」


「イオル……?」


「わたしがトオルの父親も母親も殺して、他の、関係ない人達も殺した」


「な、何を……いっているんだ……?」


 イオルの目は嘘を言っているようには見えなかった。


「……ごめんね。……騙していて」


「はあ? ち、ちょっと待てよ。全然意味が分からない! う、嘘……だよな?」


 頭がこんがらがる。一種のパニック状態だった。


「ううん。……トオル……思い出して。あの時の……あの事故の記憶を……。そこで、わたしたちは会っているの……」


 イオルはオレの頬に手をあてる。そして、目を合わす。イオルは優しそうで悲しそうな、そんな目をしていた。


 バチッと頭の中に電流が走った。それと同時に蓋をされていた過去の記憶がよみがえる。蓋が外されたのだ。どんどんオレの中に失われていた記憶が入ってくる。あの時の記憶――事故の記憶が。そして、記憶の中にあったイオルとの思い出が薄れていった。


「これが……トオルの……記憶だよ。それでね……本当のトオルの過去に……わたし、なんか、存在、しない……。事故で……会った……。それだけだよ……」


 オレは頭を抱える。頭痛がひどかった。苦しみ悶える。頭だけじゃない。心も、締め付けられるように痛んだ。激痛が走る。


「そう……だったのかよ……!」


 オレは胸を押さえた。そして乱れた呼吸を整えようとしていた。


「わたしはね、知っていると思うけど、人の記憶を……いじれる。……条件はあるけど。ごめんね。あの時、玄関で、それを……させてもらった。私のために……。ごめんね」


「み、美麻も……そうだったのか……?」


「うん。とっさに、能力使って……つじつま合わせの為に……美麻も……利用した」


「じ……じゃあ、あの……あの思い出は……?」


「わたしの、思い出から、使った。色々と」


 オレは耳を疑った。信じられなかった。オレは失望する。イオルに。


「なんでそうまでして……」


「事態を……悪くさせたくなかった。あの時は……ただ、その、一心で……。でも……ごめんなさい。結局……トオルを巻き込んだ。……ごめんなさい」


 イオルは地面に両膝と掌をつけた。そして頭を下げる。額を地面にこすりつけるのだ。


「ごめんね……。もう……許されない。わたしを殴ってもいい……。だから……」


 イオルのすすり泣く声が聴こえる。オレは気持ちの整理が落ち着かなかった。気が動転している。もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。だって、信じられないのだから。あのイオルがオレや美麻を騙していた。あの過去も偽物だった。それだけでは飽き足らず、イオルがオレの……オレの親の仇だったなんて……。


 そんな馬鹿なことがあるだろうか。オレはどうしたらいいのか分からなかった。


「わたしは、本当は……すぐに、いなくなる……つもりだった……。でも……でも……トオルや……美麻が……温かかった。……それが……嬉しかった。だから……ずるずると……してしまった……」


 オレは言葉が出なかった。オレの心の中は言い表せないものだった。


「ソーが言っていた……。これは……わたしが、わたしだけが背負うべき問題だった……。それなのにトオルや、美麻や……松田、に、迷惑を……かけた……。すべて……わたしの……弱さ。ううん。それだけで……片付けては……だめ……だよね……」


 イオルは涙をぬぐった。そして、立ち上がる。イオルは目を真っ赤にはらしていた。目があったのは一瞬だけだった。イオルはすぐに顔を背ける。そして、明後日の方向を向いた。オレは呆然としているだけだった。


「ソー。……そこにいるよね? 連れてって。わたしを。もう……覚悟……決めた」


 イオルは遠く向かって話しかけた。イオルは歩き始めた。オレからどんどんと遠ざかっていく。そして、イオルの進行方向にあった、物陰から、ソーが出てきた。


「やはり気づくか」


 ソーは頭を掻いた。オレは動けないでいた。


「いいのか? それで」


「うん……。もう、いい。初めから……こうすればよかった……。わたしが……弱いから。だから……リリィも…………。トオルたちにも……迷惑をかけた……」


「……そうかい」


 ソーはイオルの傍に近づく。そして、肩に手を置いた。


 オレは立ち上がった。そして「ま、待て!」と叫んだ。二人はそんなオレを見つめる。


「何なんだよ! 訳が分からないんだ。いきなりすぎて! 守ろうと決めた奴が、実は無関係の奴で、親の仇で……。オレが! オレや松田……! オレ達が今までやって来たことはなんだったんだよ! そうだ……松田は無事なのかよ⁉ もう少し納得させる時間をくれよ!」


 ソーは一つため息をついた。そして口を開く。「安心しろ。あいつはちっと説教してあげただけで無事だ。今頃はあいつの自宅の方でぐっすり眠ってるさ」


「ほ、ホントかよ」


「嘘は言わない。その問題はまず安心しとけ。それよりも大事な問題があるだろう」ソーはイオルの背中を軽く押した。「イオルよ。まだみたいだ。きちんと決別して来い。それがお前の選んだ路ならば、な」


「……うん」


 イオルはこくりと頷く。そして、ゆっくりとオレの元へ近づく。


 オレはいったいどんな顔をしていただろうか。怒りに満ちた顔をしていたのだろうか。オレの声は荒くなっていた。


「おい。イオル。もう一度、お前の口から聞きたい。本当なのか? 本当にお前は人を殺したのか?」


 イオルは悲しげな表情をして「うん」と頷いた。


 オレはイオルの肩を掴んだ。イオルは小さな悲鳴を上げた。


「どうして! どうしてそんな事を!」


「……分からない。ただ……気がついたら、やってた……」


「なんだよ。それで通じると思っているのか!」


「ごめんなさい。……ごめんなさい。本当に……わからない。でも、わたしがやったのは……紛れもない……事実」


「どうしてそう言い切れる」


「その記憶がわたしにはあるから」


「分からないんじゃないのか?」


「説明は……出来ない。ただ、「やった」というのは間違いがない」


 イオルは自分がやったと言い張る。確かにオレの記憶にはイオルがいた。あの事故の現場に。


「……いつからだ。いつからオレの事に気がついたんだ」


 オレは質問を変えた。


「……会った時。わたしは……トオルの腕に触れた。その時……トオルの記憶が流れてきた。それで……その、中に……あの事故の……記憶があった。それで……それで……確信をもった。あの事故の……って。わたしは……ずるいね。あのまま誤魔化して、逃げようとしていた。結局、わたしは逃げていたんだ。背けていたんだ……何事にも」


「そんなんで済むと思っているのか。お前はオレをあの事故の被害者だと知っていながらも、利用した」


「ごめんなさい。甘えていた。もしも……って。言いだすタイミングもなくなって……そのまま、ただズルズルと罪悪感だけを引きずって……」


 オレは頭を抱えた。


「オレが……オレ達がやって来たことは全て……無駄だったんだな」


「……ごめんなさい」


「さっきから……それしか言っていないな……。もう……オレも、訳が分からない。このまま憎しみをぶつければいいのか、どうか……」オレは膝から崩れ落ちた。奥歯を噛みしめる。腰を曲げ丸くなり、地面に頭をこすりつけた。「オレは……どうしたらいいんだよ……」イオルと会ってからの楽しい記憶。これは偽物の上で築かれたものだ。……でも、楽しかった事は変わらない。


「トオル……」


「触るな!」


 イオルがオレの肩に触れる。オレはその手を払いのけた。無意識だった。イオルは手をひっこめた。そして「ごめんね」と一歩下がった。


「オレは……信じていた。黒木にお前の事を言われても「違う」そう信じていた。でも、それは裏切られた。オレは……悔しいんだ。……哀しいんだ。もう、何も信じられない。憎しみが……心に巣を作り始めている。もう、駆除できないぐらいに……」


「……トオル」


「聞きたくなかった。……知りたくなかった。もう……疲れた……」


「……。わたしは……誰も傷ついてほしくはなかった。でも、わたしが弱いから……余計に人を傷つけてしまう……。淡い希望にすがってた。……わたしは、守られる価値がないって……」


 イオルは鼻をすすった。嗚咽を漏らす。涙をぬぐった。


「その通りですよ。あなたは、守られる価値など最初からない」


 声がした。それは、黒木だった。オレは顔をあげた。黒木はイオルの横に立ち、イオルを叩き飛ばした。イオルは地面を転がった。ソーはそれを見て舌打ちをした。黒木はイオルに向かって言う。


「おこがましいですよ。守られようなんて。それがあなたのそもそもの間違いです」


 イオルは叩かれた個所に触れて、黒木を呆然とした目で見ていた。


「お前は大勢の人を殺した化け物。そんな化け物に守られる価値など存在しない。殺人鬼は苦しみ悶えながら死んでいくのがお似合いです」


「……」オレは何も言えなかった。ただ黒木の話を聞いているしか出来なかった。


 黒木はイオルの首を片手で絞める。顔を近づけ、心の底から嬉しそうに笑う。口角を釣り上げて、堪え切れなかった笑い声をひねり出す。


「どうです? 愉しかったですか? 被害者を騙して手に入れた幸せは。騎士に守られるお姫様になった気分は。あなたを信じた人間を絶望へ叩き落とすのは。さぞ愉しかったでしょうね!」


 黒木はもう一度イオルの頬をひっぱたいた。


「やめろ!」


 オレは気がついたら、イオルを庇っていた。自分を盾にし、イオルを守っていた。


「と、トオル……」


「おやおや。これは意外でしたね。まだ、そういう気持ちがあったとは」


「やりすぎだ……」


「やりすぎ? どこがです? 彼女が犯した罪には到底釣り合わないやさしい罰にすぎませんよ」


「しかし、だからって……ここまでは……」


「あなたはまだいい人でいたいのですね。いえ、まだ自分を解放できていないようです。あなただってもっと彼女をなじりたいでしょ? 罵詈雑言を浴びせたいでしょ? 我慢する必要はありません。家畜のように扱ったとしても、問題は何もありません。人殺しは畜生以下の存在でしかないのだから。だからどのように扱おうが勝手なのですよ」


「……」オレは黙った。


「貴方は彼女に両親を殺された。私も、彼女に大切な人を殺された。だから我々は彼女に復讐する権利があるのですよ。何故それが分からない」


 オレは何も言えなかった。


「どうです? この子にまだ価値があると? 彼女は虐げられる運命なのです。これからずっとね」


「……もっと」


「うん?」


「……他のが……あるんじゃないか。確かに、オレはイオルを……許せない。罪を償ってもらいたい。でも……こんな形ではない。きっと……他にあるはずだ」


「ほう。それはどのような?」


「……わからない。だけど、お前のは……違うと思う」


「違う?」


「ああ。腑に落ちない。すっきりしない。どうしてかと問われても答えられないが、ただ、そんな感じがする」


「時間の無駄ですね」黒木は嘆息する。呆れた顔だった。黒木はイオルの腕を掴み強引に連れて行こうとした。オレは「待て!」と止めた。オレは何を言うか悩んだ。この先から状況が一変するようなことはあり得ない。だから、オレがどうしたって無意味だ。だが、まだやるべきことはあるかもしれない。オレが欲しかったのは考える時間だ。そのために、言葉を紡いでいく。それで粘ろうとする。


「それよりも…………疑問だったことがある……。イオルに、人を殺せるような……あんな大事故を、三十人以上の死傷者を出すような力があるのか? 仮に念力を使ったとしても、イオルは力不足だ。オレの体重を支え切れない能力なのに。殺傷力がそれほどあるとは思えない」


「貴方は知らないようですね。まあ、仕方がないかもしれません。彼女には隠された力があるのですよ。普段はそれを押さえているだけにすぎません。強大な力を安易に制御できないからでしょう。それと体の負担が大きいのでしょう。しかし、一旦その強大な力が溢れだした時、それは普段とは比べ物にもならない凶悪となりうるのです。私たちはそれを「覚醒」と呼んでいます」


「「覚醒」……?」


「ええ。前に私はあなたに言いました。彼女には強大すぎる能力ちからが存在すると。それが「覚醒」なのですよ。どれほどの力かは貴方もご存じのはずです」


「…………そうだな」


「もう、私の話を否定しないのですね」


「………いや。……なあ、イオル。しかしどうしてだ? どうしてそんな能力ちからを使ったんだよ」


「……」イオルは押し黙っている。答えようとはしない。


「母親を殺すため、ですよ」


「は、母親を……? まさか、イオル……!」


「そうですよ。彼女は自分の母親を殺すために凶悪な能力ちからをつかい、そしてその結果多大な犠牲者を生んだのですよ」


「イオル……」


「……黒木には、分からない……。あの……苦しみは……」


「おや。今更被害者面をするわけですか? 何とも自分勝手な。自分がそれほど可愛いのですか? 貴女には分からないのですよ。愛している人を殺されたこの気持ちが。これ以上の苦しみが無いほどの……! ホラ、彼を見なさい。彼の家族を貴女は奪ったのですよ。そして未来をも。幸せも全て何もかも。彼だけではありません。他の方々の幸せも、未来も、奪ったのです。そして貴女は自己満足の為に多大な悲しみを生みだしたのですよ」


「……」イオルはうつむく。両方の拳を強く握りしめていた。震えていた。耐えていた。


「お前は……どうするつもりなんだよ。イオルにどうしてほしいんだ?」


「私ですか?」黒木は冷笑すると、懐から拳銃を取り出した。「あの時は、しくじりましたがね」黒木は怪しく笑った。


あの時というのは、GW初日にイオルと会う前の時のことか。「殺すっていうのか……」


「罪人は所詮罪人でしかありません。そこにどんな背景があろうとも。でしょ?」


 黒木はイオルに銃口を向けた。


「そして、私たち被害者が、加害者を裁く事が出来る」


「それは……違うだろ。そんな事をしたって意味はないじゃないか。確かに、イオルは……アレかもしれない。だけど、オレ達が手を下さなくてもいいじゃないか。法律とかもある。それはそのためのものだろ。それで裁いてもらえばいいじゃないか……」


「貴方はそれで満足できるのですか?」


「それは……」


「ただ法に裁かれるだけでいいのですか? 刑に服してもいずれは出所し、この世の中でまた生き続ける。はたしてそれでいいのですか? 大切な人の命を奪った奴がのうのうと生きているのです。同じ空の下で、同じ空気を吸って、生きているのですよ。私は我慢が出来ませんよ」


「だからって、お前のやり方に納得は出来ない」


「では? 貴方はどうするのですか? どうしたいのですか?」


「それは……わからない。オレは……」


 オレはイオルを見た。イオルは体を強張らせる。オレは何も言えなかった。イオルも何も言わなかった。ただ見つめ合うだけだった。


「ほら。彼女に復讐する時ですよ。貴方はそれがしたいはず」


 オレは黒木の言葉を無視する。そして、イオルに話しかける。


「イオル。オレは……分からない。お前をどうするかなんて、決められない。それこそ傲慢にしか過ぎない。オレは……お前が恨めしい。もし、あの事故がなかったらって何度も考えたことがある。あの事故がなければ今頃オレは家族と仲良くやっていたのかもしれない」


 オレは一つ息を吐いた。そして首を横に振った。


「なあ、イオル、最後に、もう一度だけ、聞かせてくれ。しつこいかもしれないが、もう一度だけ。本当に……本当に、だ。お前が……あの事故を起こした張本人なのか?」


「……はい」こくりと頷いた。


 オレはその場に座り込んだ。イオルとも黒木とも顔を合わせない。背中を見せる。オレは髪をかきあげた。そして、震える息を吐いた。それは深かった。そして息を吸う。今度は静かに息を吐く。


「もう少し……時間をくれないか。気持ちを整理できるように……」


「断ります。そんな猶予を私は与えません。いえ。する必要がありません。貴方の心はもう答えを出しているのではありませんか?」


「…………」


 オレは頭を掻く。髪をぐしゃぐしゃにする。そして、目いっぱいに叫んだ。


「……イオル」


 オレはイオルに言葉を掛ける。多分、これが最後の言葉となるだろう。


「二日……いや、三日間。楽しかったよ。最後まで守ってやれなくて……ごめんな」


 オレははち切れそうな想いだった。愛しさと憎しみが複雑に絡み合っていた。イオルとは三日だけの関係でしかなかった。それでも、オレの思い出にしっかりと刻まれている。いつか忘れるだろう。この想い出は。薄れていってしまうだろう。写真のように色あせていくのだろう。だから……このまま、アルバムに閉じたままにしておく方がいい。


「……うん。わたしも……楽しかった。ありがとう。こんなわたしによくしてくれて。美麻にも……あと、松田にも。そう、伝えて。少しだけど……出会えて……よかったよ」


 イオルはどのような想いでこの言葉をオレに伝えたのだろうか。オレはその気持ちを汲み取ろうとはしなかった。


 オレは顔を覆う。オレはこの選択肢しか取れなかった。地面が濡れる。水滴が降り、湿る。オレは地面を殴りつけた。憤りをぶつけた。拳が痛かった。ズキズキした。


 オレは鼻をすすった。そして夜空を眺める。空はムカつくぐらいにキラキラと輝いていた。




 こうして、オレとイオルの物語は幕を……閉じるのだった。

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