第12話

「あっ……」


 オレ達が疾走していると、イオルがバランスを崩してしまい、転んでしまった。


「大丈夫か?」オレはしゃがみ、イオルの様子をうかがった。


「うん……」イオルは足をさすっていた。オレは手を差し伸べてイオルを起こす手伝いをする。その時に「いッ……」とイオルは小さく呻いた。「足……くじいた、みたい……」イオルが足を抑えながら言った。


「立てるか?」


「うん……」とイオルは言っているものも、辛そうだった。立てるには立てるが、歩くのがきついようだった。「でも、大丈夫……。ちょっとしたら……治る」イオルは頷いた。


「そのちょっとの時間も無いんだよな……よし」


 オレはイオルに背中を向けてしゃがみこむ。そして、イオルに背中に乗るように指示する。イオルは「大丈夫だよ」とはいっていたが、オレは乗るように促した。そうすると、イオルはそれに素直に従うのだった。


 人を一人背負いながらオレは走り出した。


 オレはとある部屋に寄った。そこで一旦イオルを下ろした。そこには大きい布があった。オレはそれを被せた。そして途中にそれが取れてしまわないように紐で軽く結んだ。


「これで多少は何とかなるだろう」


 オレはまた背負うとイオルにこういった。


「やるべきことは分かっているよな」


「……うん。大丈夫」か細い声で言った。「それで…………逃げよう」


 イオルのこの言葉にオレは力強く頷いた。オレはこの建物の中を疾走していく。




 下の階に降りようかと思ったら、階段を上っているやつらを発見した。オレは仕方なく、別のルートを探した。この階は別の棟に移るための吊り橋が設置されていた。オレはそこへ向かう事にした。後ろから、追手が来るのが分かった。オレは懸命に走る。


 その橋はボロボロではたして渡れるかどうかが心配だった。錆びていて、ギシギシと鳴るのだった。オレは進むペースを少し遅めで慎重に渡った。あいつらも、この橋の所へ来たが、追うかどうか躊躇していた。


 難なくとオレは橋を渡り切った。あいつらも橋を渡り、追いかけてきていた。


 そこの棟から下へ降りればよい、そう考えていた。しかし、その考えは甘かったようだ。また、下から誰かがやって来たのだ。懐中電灯を照らし、ライトがオレを照らしていた。


 そいつは急いで階段をかけていった。挟み撃ちにされたオレはさらに上へ逃げるしか道がなかった。オレは階段をさらに上っていく。


 階段を駆け上がり、ついたその先は、屋上だった。冷たい風が当たる。虚しい風の音が響いていた。


 オレは今更引き返せるはずもなく、屋上の隅へ走っていった。手すりに掴まる。そして、下を見る。下はコンクリートで固められていた地面だった。三階からのこの高さで、はたして無事に飛び降りられるか、そんな事を考えていた。飛びおりる勇気が出なかった。もし仮に飛び降りたとしても、その後、歩けるだろうか。下手したら死ぬし、足を骨折し、そのまま無様に横たわることになるかもしれない。


 モタモタしていると、あいつらが、この屋上にゾロゾロとやって来た。人数は五人だった。オレ達が気絶させ、縛り付けた男たち二人もこの中にいた。仲間に救出されたのだろう。男たちはじりじりと距離を詰めていった。拳銃も突きつけられ、万事休すだった。


 オレは天を仰ぐ。雲が一つもなく、星が綺麗に輝きを放っていた。オレはこの下でどうなってしまうのか、そんな不安で一杯だった。


「銃を下ろしなさい」


 聞き覚えのある声がした。その言葉を放った男は、ゆっくりと、オレに近づいていった。


「また会いましたね」眼鏡をクイッとあげた。


「黒木……!」


 オレは敵意をむき出しにした。こいつらを統治しているいわば元凶。こいつの所為でイオルが追われる身となり、今もこうして逃走している。


「まあ、落ち着いてください。イオルさんをこちらに引き渡してくだされば、貴方には危害を加えたりしません」


「信用できないな」


 オレは最大限まで下がった。


「でしょうね」黒木はニッコリと笑う。「でも、もう逃げ場などありはしませんよ。しかし、そこから飛び降りれば、話はまた別ですけどね」


「敵に塩を送ってくれるなんてな。感謝するよ」


「でも、無事ではすみませんよ? イオルさんの能力ちからにも限界があります。飛んで逃げるなんてこともできません。ようするに、貴方は詰んだのです。もう降参してもよろしいでしょう?」


 オレは黒木の話に一応耳を傾けながら、考えていた。確かに、黒木の言うとおり、もう追い込まれた。背水の陣だ。後ろは駄目。正面突破はありえない。笑うしかないな。


「ああ、もう降参するしかない。だけど、一つだけ聞いておきたいことがある」


「何故こんな事をするんだ?」


「それは説明しましたよ」


「違う。そうじゃない。一体、イオルが何をしたっていうんだ? オレは何を分かっていないっていうんだ!」


「……」黒木は顔を下に向けた。そして、眼鏡に触る。その手は少し震えていた。「イオルさんと関わり、彼女をどのように思いましたか?」


「イオルは、普通の人間と何ら変わらない女の子だ。ちゃんと、人の心を持っている。温かみもある。思いやりがある。純粋な……女の子だ。そういうやつだ。だが、お前らの所為で、それを歪まされたんだ」


「まるで私たちが悪者みたいな扱いですね」


「そうだろ!」


「フッ……」黒木は鼻で笑った。「貴方が言うその純粋な女の子が人なんか殺したりするんですか?」


「は?」


 オレは黒木が何を言ったか理解できなかった。聞き間違いなのか、ある言葉が頭の中からすっぽりと抜けてしまった。思考が停止し、頭の中が真っ白になる。


「これは、私怨でもあります。七年前に起きた大事件。その張本人がイオル――彼女自身なのですよ」


「な、何を……」


「彼女は、大勢の人を殺し、そして、私のまでもをその手に掛けたのです」


 黒木が黒く濁っていく。禍々しいオーラを黒木は発する。殺気、怒気、怨恨。あらゆる負の心にたまる闇を淡々と怨言していく。


「だから、これは復讐なのです。あの日の報い。彼女が罰を受けるのは当たり前じゃないですか? それほどまでに重い罪を彼女は犯したのです。大量殺人という罪をね!」


 オレは言葉に出来なかった。イオルに限ってそんな事はありえない。きっとこれは黒木がオレを動揺させるようにホラ話だ。作り話だ。創作なのだ。そうだろう? イオル。


「お前はさっきから何をでたらめ言っているんだよ! そんな事あるはずがないだろう!」


「おめでたいですね。まだ彼女を善だと思い込んでいるんですね。いや……そう洗脳されたのですかね」


 黒木は嘲笑する。


「何だと……!」


 オレは頭の中がぐちゃぐちゃだった。収集がつかなかった。混乱し、正常な思考などできなかった。頭が痛い。心も痛い。呼吸が乱れる。動機が早くなる。心臓が跳ね上がっている。オレはその場に崩れるように座り込んだ。立てなかった。


「守る価値がその子にあるのですか?」


 ――守る? オレはその言葉で我に返った。


 オレは、必ず守るって、そう決意したんだ。だから今までこうやって逃げてきたんだ。


 オレはゆっくりと立ち上がる。手すりに体重を乗せてゆっくりと立ち上がった。


「お前の口車には乗らない。オレはオレの価値観で、イオルを守ってみせる。でまかせをそのまま呑み込むように素直な人間じゃないんでな」


「分からない方ですね」


「何とでもいえ」オレは後ろを見る。そして、下を確認した。


「さて。私も、貴方の胡散臭い芝居に付き合っている暇などありませんよ。いい加減、その後ろに背負っているものを外したらどうです?」


「何の事だ?」


「隠しても無駄ですよ。私がこの話をしているのにもかかわらず、ただ黙っているなんて彼女にはあり得ませんからね」


「そうか。ばれたか」


 オレは結び付けていたひもを解いた。そして、背負っていたものを目の前に放った。


 それは、人形だった。ちょうどイオルと同じぐらいの背丈の人形だ。これは、松田がここに持って来ていた人形で、目くらましに使用させてもらった。


「イオルは、この場にはいないぞ」


「そうですか。やはり、彼女は貴方を見捨てましたか。それが彼女のやり方なのですね。情のかけらもない、人間をただの道具としか考えていない」


「違う。お前は何も分かっていないさ」


「どうでしょう?」


「少なくともあいつは、逃げてなんかはいないさ」


「さあ? はたしてそうでしょうか?」黒木は肩をすくめた。「では。ここのいても意味はありませんね」そう言って、黒木は男たちに指示を出し、この場から退却するように言っていた。


「動くな」オレは松田から預かった拳銃を黒木たちに向けた。「今、イオルを追えば撃つ」オレのこの言葉には偽りなどなかった。


「分かりませんね。貴方の行動心理が。しかし、それも非常に興味深いですね」黒木は全員にその場にいるように命令した。


「そうだ。その場でジッとしていろ」


「一つ、忠告しておきます。無意味なことはやめるべきですよ」


 黒木が手をあげる。すると、男たちは一斉にオレに銃口を向けたのだった。


「分かりますか? 私の合図一つで貴方の運命が決まるのですよ」


 黒木は不敵な笑みを浮かべていた。


「だったら、黒木、お前も道連れだ」


 オレは黒木に銃口を向けた。黒木は冷静で、動じる事はなかった。


「じゃあな」


 オレは引き金を引いた。乾いた音が空虚な空へ響き渡っていくのだった。

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