第9話

 オレ達は適当な道を走り続けていた。十分ぐらい走っただろう。最初に全力で走っていたのがアダとなったか、呼吸が激しく乱れ、息が苦しくなった。横腹も痛い。なので、息を整えるため、歩いていた。


 イオルは、今、『研究員』の気配はしていないと言っている。だから安全だろう。しかし気を抜けない状況には変わりない。


「イオル……大丈夫か?」


 激しく息を乱しながら、イオルの心配をした。これでは、逆に心配されてしまう。


「……うん」


 肩を上下に激しく動かしながら、頷く。そして、タラリと流れてくる汗を腕でぬぐう。


「さっきの……アレ、何だ……たんだ? 声……とか、色々……さ」


 オレは、イオルにそう尋ねた。上手く喋れていなかった。


「……わたしの……能力……おもい……伝える……」


 ようするに、テレパシーの事だろう。言語など、自分の気持ちを、他人に送れる能力だ。どうやらイオルはそれを使えるようだった。


「お前……そんなの……いつ……?」


 昔はそんなものを覚えていなかった。使えるのは、というか、知っていたのは、念動力や透視、千里眼やら、主にそんな程度だ。だから、あの時は驚いた。しかし、今あげたやつをイオルは使えるのだから、これも使えておかしくはない。


「……ちょっと……まえに……気づいた……」


「そうか……。まあ、それより……蛍光灯を、割るのは……感心しない、な」


「……ごめん」


「いや……。まあ……緊急事態だったし……仕方ない、けどさ……」


 オレはひとまず会話をここで切らせ、呼吸を整える事に専念した。立ち止まっているわけにはいなかないので、このまま歩き続ける。


 オレ達は住宅街を歩く。行き先はまだ決めておらず、適当に進んでいく。


 時折、通り過ぎる人に怪しい目で見られる。確かに、珍しい容姿の少女と、高校生の男子が、夜道で二人とも素足で歩いていたら、不審がるのも頷けるが、そんなものを気にしてはいられない。


「あのさ」オレは話題を切り出した。もちろん、あの黒木とかというやつについてだ。「何があったんだ? お前の過去に」


「……」イオルはしばらく考える。そのため、無言で、何も話さなかった。口を一の字にし、迷っている様子だった。


「……どれくらい前、かはわからない」イオルは自分の口で過去を語り始めた。「それより、ちょっと後だけど、そのぐらいに、わたしは、リリィに会った。わたしは、逃げていた。そして、橋の下で、寝ていた。その時、リリィに会った。その子も、わたしと同じような運命だった。リリィとは、気が合った。何回か、わたしの所に来て、いつも、ごはんをくれたりや、面白いお話とかしてくれていた。そしてある日、リリィは家出した。こんなわたしについていくために。だから、リリィは、優しい子」


「家出したのか?」


「うん。わたしと同……ううん。リリィは家族が嫌だった。だから、わたしについてきてくれたの。わたしなんかと……。わたしの、事を、話しても……」


 イオルは顔を伏せた。少し声がかすれていた。


「その時、リリィはわたしに名前を……名前を、つけて欲しいっていった。今までの自分を変える、捨てる為に、わたしに、新しい名前をつけてほしかった。だから……わたしは、リリィ、てつけた」


「そうだったのか……。その、リリィという子は、同じ『SMP』なのか……?」


「そう。だから、気が、合ったのかな……? ううん。多分、そうじゃなくても、仲良く、なれたと……思う」


「きっと、なれたと思うぜ」


「……ありがとう」


 イオルは嬉しそうな顔をした。力が自然と抜けた、いい表情だった。


「それで、一年が経って、あの、黒木とあった。わたしたちは、何とか、逃げ続けた。だけど、それでも、ムリだった。追い込まれた。それで、わたしは、何とかしようと、したけど、ダメで、そしたら、リリィが、わたしを気絶させた。気が付いたとき、誰も、そこには、いなかった……」


 オレはこの話を聞き、リリィという女の子に強い関心を持った。自分を犠牲にしてまで、イオルという大切な人を護りとおす。それは、中々できない事だ。それだけで、イオルへの愛情が伝わっていく。オレは、いい友達を持ったな。と嬉しく思った。


 恐らく黒木はリリィだけが投降したのを、イオルがリリィを見捨てて逃げ出したと解釈したのだろう。だが、そこには二人にしか分からない強い想いがあった。それを見抜けていない。


 奴の価値観、人生観。人のそれは時としてメリットにもデメリットにもなる。少しだけ、黒木の隙を見つけられた気がした。


「……友達だった。かげがえのない。だけど、みんな消えていく。わたしの所為で……」


「大丈夫だ」オレはイオルの頭に手をのせる。「オレがいる。それだけではなく、美麻もな。それに、リリィだってあいつらから取り戻せばいいだろ」


「だって……リリィは……」


「黒木の言葉を信用するのか? 嘘かもしれないだろ。生きている、と信じてやらなくちゃダメだろ」


「そう……だね。そうだよね。……うん。ありがとう。少し、元気出た」


 今は危険な状況だというにもかかわらず、それを忘れて、和やかな雰囲気となった。張り詰めるばかりだと、ただ無意味に神経を摩耗させるだけだ。だからこうやって、心に休息を与えるのが大事なのだ。


 イオルは頭に置かれたオレの手を取り、両手で優しく握る。にこやかな表情だった。肩の力が少しだけ、抜けたようだった。


 イオルはオレによりかかった。腕に抱き付いた。オレはイオルの頭を撫でてあげた。その時、イオルが神妙な顔つきになった。そして、そっと小さな声で「……いる。近くに。やつらが」と呟いた。


「本当か?」嘘をつくような場面ではない。オレはオレ達を追いかけている連中にその気づきに気づかれないように、イオルと話す。「……今は少し早く歩こう。それで、人通りの多い所に抜けよう」


 オレは周りを警戒する。イオルのように人の気配なんかは感じ取れないが、それでも、周囲に細心の注意を払う。鼓動が早くなる。緊張しているのがまるわかりだった。多分、それをイオルは察知しているだろうな。


「イオルのその周囲の様子が分かるやつも能力なのか? 感知能力というかそんなの」


「どうだろう。ただ、何か、分かる。耳や目がすごく、いい。だから、分かっちゃう。集中して、耳をすませば、一キロ先の、微かな、音でも、聴こえる」


「そうなのか。五感が優れているわけか。それは凄いな。じゃあ、今、あいつらが話している内容も頑張れば聞き取れるんだな」


「うん……。何となく、場所も。でも、物凄く集中しないと、だめ。あ、トオル、左、曲がろう」


 十字路に差し掛かった時、イオルがそう誘導した。オレはイオルがあいつらの気配を察して方向を変えたのだと思った。事実そうだった。


「意外に、多い。逃げるのは……難しい」


 弱音を吐く。イオルは眉を潜める。その顔はいかにもなく真剣そのものだった。


「トオルは、何か、隠れられる、いい場所を……知ってる?」


「知っている場所?」


 オレはそんなものに心当たりがなかった。そんなものがここら辺にあったかどうか……。頭の隅々まで探してみるのだが、見当たらなかった。


「分からないが、とりあえず駅に、行ってみないか? そこなら人は多いし、移動手段もたくさんある」


「なら……それで」


 オレ達はひとまず目標を決める。それで、歩いていく。オレはイオルが集中できるようになるべく黙っていた。そして、イオルの勘を信じて、イオルの誘導に従っていく。しかし、それに少しながら疑問が浮上した。なるべく、人目につきたい場所へ移動したいのにもかかわらず、段々とそれとは真逆の、方向へ進んでいるのだ。


 オレはまさか、と勘ぐった。イオルの事を知っているのなら、能力ちからを知っているのなら、それを利用するほかないだろう。でも、イオルもその事には気が付いているのでは? 


「イオル、多分だが、誘導されているんじゃないか?」


「誘導……?」


「そうだ。オレ達の目的とは裏腹に、人目につかない所へ進んで行っている。もう、住宅街も抜けてしまった。この辺りは人もそう住んではいないし……」


「……」イオルは考え込む。周りを見渡す。「確かに……そう……あっ」イオルが短い声を発した。


「どうした」


「あいつらが……一気に、走ってくる……!」


 イオルは動揺する。狼狽する。オレにも緊張が伝わって来た。


「どっちだ」


「いろんな方向……としか……」


 やられたな。とオレは自分の馬鹿さに嫌になった。普通ならもっと早く気づいただろうことを。人に全部任せてしまった事を。油断を突かれた。


「とりあえず、手薄な方向は」


「あっち」と、イオルはすぐにその方向を指さした。オレはそっちの方へ走ることにした。疾走する。イオルには奴らの動向を探るのを任せる。


「距離は近い」


 イオルがそういうと、奴らが見えてきた。二人組だった。このまま走っていけば、間違いなくぶつかる。オレはこの辺りの地理を頭に浮かべて、逃げ道を模索する。そして、オレ達は右へ曲がる。あいつらもその後を追ってくる。背後にもういるのだ。止まってしまえば捕まる。そんな恐怖があった。だから、必死に走るのだ。逃げるのだ。


 オレ達は狭い路地に入った。一人で通るのがやっとの細い路だ。手は握りしめたまま、縦に並び、そこを走っていく。イオルが先頭だった。一人が、その路地に入っていく。もう一人は後ろにはいなかった。という事は、回り道をして、挟み込もうという算段なのだろう。


「イオル、こけさせろ」


 オレはイオルにそう命令した。イオルはその言葉を即座に飲み込み、能力を使用した。男は「わ!」と叫んで、倒れこんだ。そしてすぐに起き上がろうとする。オレ達はすぐに方向転換をした。さっき来た道を戻るのだ。オレ達は男を飛び越える。そして、広い路に出る。左右を見る。追手はいない。後ろからは立ち上がった男がオレ達を追いかけていた。オレはもう一度イオルにこけさせるよう命令する。それで少し時間を稼ぎ、右側へ逃げる。


 疾走していく。駆けていく。そうしていると、奴らとまた遭遇する。視界の端にそいつらを捉える。だが構わず、オレ達は真っ直ぐへ進んでいく。


 追手の人数が段々と増えていった。オレ達はこいつらを撒くのに四苦八苦する。中々逃げられないでいた。


 十分ほどだろう。そのぐらいオレ達の逃走劇はさらに続いていた。オレの土地勘とイオルの能力を駆使して、何とかまだ捕まらずにいた。だが、だからといって逃げおおせるとが限らない。


「……!」


 オレは、ここでとんでもないミスを犯してしまう。逃げた先が、行き止まりだったのだ。飛び越えられる高さではない壁がそびえたっていた。オレはここから逃げ切れる打開策を考える。しかし、思い浮かばない。後ろから追手が迫ってくる。万事休すか。


「トオル、こっち」


 イオルが先導する。そこは、建物の小さな隙間だった。オレ達はそこに身を潜める。前にはゴミ袋やらが沢山積もっていた。やがて、奴らがここに来る。数は二人だ。オレ達は奴らが立ち去るのを、息を呑んで見守っていた。


 奴らはオレ達を見失ったのを不審がっていた。会話からそれがうかがえた。行き止まりの路。だから、奴らはこの周囲に隠れているのでは詮索する。辺りを探り始めた。


 一人の男が、オレ達が身を隠した方へやってくる。まだ、気づかれてはいないようだ。


「いたか?」


 もう一人の男がそう尋ねていた。


「いいや。いないな」


 オレ達の方に近づいていった男は、踵を返した。男たちはこの場を離れ始めた。オレは胸をなでおろす。


 だが、これで終わりではない。緊張はまだ続いていた。やつらの気配が完全に消えるまでは、気は一切抜けない。


 そろそろか……? と思った時だった。オレの携帯が鳴った。ピロロンと高い音程の短い着信音だった。メールだ。音は小さかったが、この物静かな場ではそれが大きく目立つ。そしてオレは叱咤する。まさか、こんな凡ミスをしてしまうなんて……。


 奴らは、引き返す。男たちは音がした方へ、オレ達の方へ足を運ぶ。目の前にあったゴミ袋を蹴り飛ばす。それで、オレ達の姿が露呈した。見つかってしまった。オレがもう駄目だと、諦めた時だった。


「ごめん、トオル!」


 後ろからイオルの声がしたと思ったら、イオルが、オレの背中を蹴った。いや、正しくは、踏み台にして、飛んだのだ。イオルは一人の男に飛びついた。男は意表を突かれて、イオルに押し倒される。そいつは、盛大に腰を地面に打ち付けた。イオルは綺麗に前転をする。オレは立ち上がり、広い路へ出る。イオルは間髪を入れずに、もう一人の男の方へ走っていった。立ち向かおうとしている。しかし、それは無茶だった。


「きゃっ!」


 イオルは男に手首を掴まれる。そして、両手を掴まれる。必死に抵抗をするが、振りほどけていない。オレはイオルを救出しようと走るが、さっきまで仰向けに寝ていた男に足首を掴まれる。そして、今度はオレが盛大にぶっ倒れた。そして、関節技をかけられ、身動きが取れない状態になってしまった。


「大人しくしろ!」そう言った。


「くそ!」オレ達は捕まってしまったのだ。あんな些細なミスで。こうもあっさりと。オレは抵抗するが、関節技を決められてしまっているので、動こうにも出来なかった。


 イオルはまだ抵抗をしている。両手首を掴まれてもなお、抵抗していた。後ろを取られないように、頑張っていた。


「諦めるんだな。こいつがどうなってもいいのか?」


 オレを人質にする腹のようだった。イオルは抵抗をためらった。そしてイオルは、力を抜くのだった。


「よし。いい子だ……」


 男は笑みを浮かべる。任務が完了したと思っている。


 オレは奥歯を噛みしめた。悔しさで一杯だった。オレの所為でこうなってしまってのが許せなかった。「ちくしょう……」そう口にするのだった。


「…………あ、あの……」


 すると、イオルが声を出す。恐る恐る口にする。上目づかいで、男の顔をじっと見ていた。


「何だよ」男は怪訝な表情で、イオルを見た。


 次の瞬間だった。異常が、異変が、起こったのだ。


「あれ?」男が間抜けな声を出した。そして、何事かと思うと、男はイオルの手をすぐにパッと放したのだった。「あ、すまん……」どういう訳か、男はイオルに対して謝るのだった。「こ、これは……どういう状況だ……? というか、俺は何を……?」


 男は、気でも狂ったのか、おかしなことを言い始めた。謎な言葉を発するのだった。しかし、それはどうやら本気で言っているようだった。本気で、戸惑っていた。そして、イオル以外の全員も混乱していた。状況を飲み込めないでいたのだ。


 オレの上にいた男がガンッ! という音と共に倒れた。気を失っていた。イオルが能力で缶を持ち上げ、それを男に投げ飛ばしたのだ。予期せぬ横からの攻撃により、男はその攻撃を防ぎきれなかった。そして、脳天に直撃したそれは男の意識を奪ったのだ。


 オレはイオルの元へ駆けていく。そして、手を握る。


「すまん。オレの所為で」


「いい。それは後」


 オレ達はこの危機から脱出した。イオルの能力ちからのおかげで。イオルが一体どんな能力ちからを使ったのかは検討会目もつかないが、とにもかくにも、イオルが、オレの犯したミスの尻拭いしてくれたのは言うまでもなかった。


 オレ達はまた走り始めた。あいつらは追ってはこなかった。


 オレは自分の不甲斐なさに呆れてしまいそうだった。恥ずかしかった。


 オレはここで改めてイオルを見直した。それは本人にとっては嬉しい事ではないかもしれないが。オレは逃げるという大変さを、今身を持って実感していた。それだからこそ、イオルの凄さが分かったのだ。この逃走を七年間もずっと続けていたのだ。もちろん、イオルの能力ちからの恩恵もあるだろう。だが、やはり感心せざるをえない。


 でも、本人にとっては、地獄の業火で焼かれるような苦痛な出来事でしかないのだろう。


 オレはどこかいい場所はないかと模索する。頭の中の地図を隅々まで詮索する。しかし、思い当たる節などありもしない。


「おう! 透!」


 オレ達は、予期せぬ人物に声をかけられた。松田だった。しかし、オレ達は松田に構ってあげる暇などは存在しなかった。だから、無視をするのだ。そのまま横を通り抜ける。


「おい! 無視すんな!」


 その行為に頭が来た松田は、オレ達を追いかけてきた。松田はオレ達に追いつく。並走してオレを睨み付けた。


「ちょ、何だよ!」


「何だよ、はこっちのセリフだ! どうしたんだ? そんな血相を変えて……」


「トオル……うしろ」


 また、追手がやってきた。新手だった。本当に、しつこい。虫のように湧きやがる。


「何だ? もしかして、追われてんのか?」


「……」オレは黙る。松田を巻き込むわけにはいかないから。だから何も言えないでいた。


「隠すなよ。ダメだぜ。隠し切れないぜ。この状況は」にやりと笑った。そして、「俺も混ぜろよ!」と言うのだった。オレは耳を疑った。


「面白そうな話じゃねぇか。俺も参加させてもらおうよ。その様子じゃ、行くアテもないだろう?」


「それは……」オレは口を噤む。図星で何も言えなかった。


「俺の秘密基地に来な。あそこなら、休めるし、仮に場所を突き止められたとしても、罠も張りやすい」


 オレは熟考する。しかし、それはそうしているフリだった。考える余裕など、オレには存在しなかった。


「わかった。すまないな。恩に着る」オレは、松田を巻き込むことを決めたのだ。


「いいって事よ」良い笑顔だった。


「……あり……がと」イオルも、松田に礼を言うのだった。


 オレ達は松田の秘密基地である廃工場に向かう事となる。それが目標となった。


「じゃあ、そうと決まれば、向かおう。とりあえず、後ろの奴らを撒けばいいんだろ。安心して俺について来い」


 オレ達は松田の言うとおりにする。松田は先頭を走り、オレ達を誘導していく。オレ達は松田の後を追うのだった。


 オレは胸に何とも言えないモヤモヤを作り出していく。事態が段々と悪くなっていくのを感じる。オレはその不安を払いのける。それを無理やり忘れ去らせようとするのだった。


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