第7話
オレ達は今日の疲れを感じる。長いこと歩いたのだから当然か。オレは自宅の鍵をポケットから取り出して、それを鍵穴に差し込む。捻ると、鍵が開く音が響いた。ドアノブを捻り手前に引いた。
だが、開かなかった。押しても引いても開かない。試しに、もう一度鍵を捻ってみた。すると、ドアが開いた。出かける前にはしっかり戸締りを確認したはずだ。二回捻って開いたということは、元から玄関は開いていたって事になる。
デジャブを感じる。オレは不穏な空気を察しとった。何か嫌な予感がする。昨日のイオルの出来事みたいに何か最悪な出来事が起こるようなそんな予感を。
オレはイオルを流し目でみる。イオルは眉を潜めたが、それはオレに対する怪訝だ。オレの様子がおかしいことに疑念を持っているだけに過ぎない。
オレは不安を胸に抱かせながら昨日とは違う、ただの思い過ごしになる事を祈りながら、家の中に入る。
玄関には何もなかった。いつも見る場所だ。昨日と違うのは、血まみれのイオルがいないという点だ。とりあえず一安心する。
「遅かったですね」
リビングから、声がした。それは男の声だった。オレはギョッとする。その声の主に対して身構える。男はリビングに電気をつけて、テーブルの前で正座していた。
男は眼鏡をクイッとあげる。そして、口角をあげて、オレを横目で見る。
「お前は……」
今日のあの時、デパートであった男だった。そいつがどういう訳かオレの部屋にいた。頭が混乱する。どうしてこうもおかしなことが立て続けに起きるんだよ。一種の憤りを感じる。
「黒木……!」
イオルが口にした。ピリッとした寒気を身体が感じ取った。オレはイオルから距離を置いた。イオルからは怒気のような殺気のような、そんなオーラが漏れていた。オレはこんなイオルを見たことがない。他人に対してこういった敵意をむき出しにするのを見たことがない。
「こっちに来たらどうですか? 透さん。そして、イオルさん?」
イオルの事を知っている? それにイオルもコイツの事を知っている。もしかして……。
「あいつが、『研究員』か?」
オレはイオルに耳打ちをする。イオルはオレの袖を引っ張りながら「そう」と静かに言った。目はとがったままだった。イオルの警戒は相当なものだった。
手に汗を握るとはまさにこの事だ。オレの手はひどく湿っていた。冷や汗が頬をつたる。オレはイオルを後ろにさせながら、黒木というやつと同じ部屋に入った。
「安心してください。私はただ話をしに来ただけですから」
ニッコリと笑う。それは簡単に作ったニセの笑いだと感じ取れた。
「お前……今日、デパートで会った奴だよな?」
恐る恐る奴に訪ねる。オレは警戒心を一層強くする。
奴は肩を大きく揺らしながら笑う。そして、「そうですよ」と口角をつり上げていう。
「お前らの目的はなんだ?」
黒木の目の前に立つ。オレは周りを警戒する。部屋には黒木だけだ。しかし、誰かが隠れているかもしれない。全神経を張り巡らし、警戒を怠らないようにする。
「安心してください。私しかいませんよ」
「……確かに。ここには……ね」イオルが言った。その言葉で黒木が小さく笑った。
「……分かるのか?」
イオルは「ここには」といった。それはつまり、外にはいるという事だ。
「気配で」さすがといおうか。ずっと逃げ続けてきただけはある。
緊張が高まる。心音がハッキリと分かる。
「さて。座ってください、話をしましょう。大丈夫です。何もしませんよ。あなたたちが変な気さえ起こさなければ、ですが。フフ。ここは平和的に行きましょう」
「黙れ。まず、さっきのオレの質問に答えろ」
黒木は「はあ」と深いため息をついた。
「わかりました。質問にお答えいたしましょう。なに。簡単な話です。イオルさんの捕縛です。理由も必要でしょうね。イオルさんが危険因子だからです。彼女は、彼女という存在は脅威でしかありませんから」
イオルも似たようなことを言っていた。ただ、能力者だからという理由で、そんな扱いにするなんて、間違っている。
「それがどうだっていうんだ。確かに、イオルには他の人が持っていない力があるが、それだけの理由で……!」
「なるほど。貴方はまるでわかっていませんね。彼女がどれほど危険なものか……」
「どこが危険なんだよ! お前らこそ、イオルの事を何もわかってないじゃないか。イオルはなどこにでもいる普通の女の子なんだよ。お前らがイオルの自由を、人生を、奪う筋合いはないんだよ!」
「……――トオル」
「ハハハハハハッ!!!」
黒木は大笑いする。上を仰ぎ見ながら、大口を開けて、笑うのだった。
「何が可笑しいんだ」
「いや、失礼。あまりにも貴方が滑稽なもので……。我々がイオルさんの事を知らない? 貴方の方が何も知らないじゃないですか」
「何……!」
「彼女は……」
「やめて!」
イオルが今まで出したことのない大きな声で、叫んだ。オレは目を見張る。
「フッ……。まだ良い子でいたいと。図々しいですね。……それだから友人を見殺しにできるんですね」
「黒木!」
イオルは黒木に飛びかかる勢いだった。オレはイオルを抑える。イオルは暴れる。怒りで周りが見えていないようだった。イオルは荒い呼吸をする。怒りを懸命に鎮めようとしている。奥歯をギシッと噛みしめる。
「そのまま押さえておいてください。下手に力を使われると厄介なので」
黒木は眼鏡を拭きながら、冷静に言った。
イオルは黒木を鋭い目つきで睨み付け、震えるような声で、「……リリィは……無事なの…………?」と言った。瞳には涙があふれていた。
オレは悪寒を感じた。どす黒いオーラがイオルからふつふつと湧き出ていた。まさに一触即発だ。これ以上イオルを刺激するなら、全てが終わってしまうような、そんな気が。
「貴女が見捨てたのでしょ? 何を今更……」
「違う! リリィは! わたしを庇って……」
一体何の話をしているのだ? リリィというのは誰の事だ? イオルが前に言っていた友達のことなのか?
「わたしは……わたしは……」
イオルはオレの腕からするりと抜けて。その場にしゃがみ込む。顔を手で覆い、むせび泣く。
「そうやって逃げてればいいんですよ。……さて。透さん。私たちでお話ししましょうか」
「……いや。その前に、だ。さっきの事を説明しろ」
「……ああ、リリィさんの事ですか? あれは三年前の話です。私たちが彼女を追い詰めた時です。リリィさんは彼女の代わりとして我々へ投降したんです。その間に、彼女は逃走したのです」
「そのリリィというのは、今はどうしてる?」
「機密ですからね。そんな事よりも私は早く用件を済ませたいのですが」
「それはお前の都合だろ。オレにはそんなの関係ない」
「やれやれ。貴方も強情な方ですね。世の中には知らなくてもよいことがたくさんあるのですよ」
「……トオル……いいよ。……黒木……! リリィは……わたしが……必ず、連れ戻す」
「やれやれ。そんな事は出来ませんよ」不敵な笑みを浮かべる。「そうそう。少しだけ思い出しました。リリィさんは最後に、「イオルに会いたい」、そう言っていましたよ」
「……! そんな……!」
「イオル!」
オレの声にイオルは我に返る。オレは危惧した。このままではイオルがイオルではなくなってしまうような。そんな事を。
「勘違いしないでください。私たちは彼女を傷つけるようなことはしていませんよ。そういう
「………………」イオルはふさぎ込んだ。脱力する。友を失くしたことによる喪失感、絶望、失望。あらゆる負の感情がイオルを襲っている。
「イオル。惑わされては駄目だ。これは、お前を動揺させるための罠だ。気をしっかり持て」
「……」イオルは頭を抱え、ふさぎ込む。そして、泣いているばかりだった。
「さて。透さん。話を戻しましょうか……?」
「…………」オレは答えない。何も聞きたくないし喋りたくもない。
「だんまりですか。それもいいでしょう。では、私が勝手に喋ります。今日来たのは他でもない。交渉です。イオルさんを我々に引き渡してもらえないでしょうか? なるべく穏便に事を済ませたいのです。分かりますでしょ?」
「……断る。誰がお前らなんかに……」
「ええ。そう言うだろうと思いましたよ」
「お前は……交渉が下手だな。その気でいたのなら、何故わざわざ煽ることをするんだ? 気分を害すことを言ったりするんだ? ……初めから、力づくで行く気だからじゃないのか?」
「……ふう。確かに、貴方の言うとおり交渉が下手なのかもしれません。……私はこう見えて、感情で先走ってしまうタイプでしてね。それが長所でもあり短所でもあります。私はね、透さん。我慢ならないのですよ。貴方たちみたいな、分からない人は」
「分からないのはお前だろ」
「貴方はイオルさんの事をどこまで知っているんですか?」
「どこまでって……それはどういう意味だ」
「
「それは……知っている。前からな。イオルから聞いたが、そういう
「なるほど。そういう感じですか。……少しだけ、補足で説明させていただきます。まずはですね。そのルーツから説明させてもらいましょうか」
そういうと、黒木は言葉を次々と紡いでいった。自分の記憶の中にある本を音読するように。
「これは一番有力な一説です。数千年前、この星に小さな隕石が落ちました。そこには、地球の外の宇宙から飛来した、ヒトに似た生命体がいました。それは容姿がヒトとそっくりなのですから、簡単にこの地球に溶け込むことが出来ました。その上で、この地に居づき、そして繁栄していったのです。その遺伝子は今でも続いているのです。そして、私たちの体の中にも、その遺伝子が組み込まれているのです。そして、その中でごく稀に産まれる希少種がいるのです。それは、この人間の遺伝子と、地球外生命体の遺伝子とが見事に半分に混ざり合った生命体です。それが彼女たちなのです」
黒木はイオルの事を説明し始めた。これは、イオル自身が言っていた事とほぼ同じことだった。黒木はさらに言葉を紡いでいく。
「『SMP』。私たちは彼女たちの事をそう呼んでいます。人並み外れた力。いわゆる超能力と呼ばれるものを扱える、そんな種族。先祖返りしたと言っても間違いはないでしょう。しかし、彼女はそれの亜種なのです。本来生まれてはならない危険因子。奇跡の中にある更なる奇跡から生まれた可能性。それは茶色の砂場から一つしかない金色の砂粒を摘まみ上げるがごとく。それ程の価値が彼女にはある。そしてそれと同様に危険でもあるのです」
「危険……? さっきも言っていたが、どこがどう危険だというんだよ。イオルは奇跡的に生まれただけなんだろ? それだけで殺す必要なんかないじゃないか」
「確かに、そうです。しかし、彼女の能力に問題があるのです。それは、彼女自身が一番よく分かってらっしゃることですよ」
「そうなのか……? イオル」
「……」イオルは何も答えない。ただうつむいているだけだった。
「例え話をしましょう。もし仮に、人語を理解し、話せる猿がいたとしましょう。さらに、その猿は異常に発達していて、人間とまったく同じように生活しています。社会のルールにのっとり、猿としてではなく、人として暮らしています。その猿は周囲に溶け込み、周りからの信頼も厚いです。しかし、中には快く思わない人たちもいます。なぜなら、猿だから。いつまた野生の心を取り戻し、人間を襲うかわからない。貴方も知っているでしょう? 野生の猿による被害が絶えない事を。つまり、そういった恐怖がぬぐえない限り、決して安全とは言えないのです。少しでも、その危険性があるとしたら、先に手を下すべきなのです」
黒木の長い説明が終わった。それはオレにとって理解しがたいものだった。
「なら、オレ達普通の人間でさえも、同じ人間を襲う可能性があるから、殺していいという事だよな?」
「いいえ。彼女たちは『SMP』なのです。我々人類に酷似していますが、別の人種であることには変わりません。別の進化、別の可能性。それが『SMP』なのです」
「別なものか。同じだろ。『SMP』であろうがなんだろうが、オレ達と変わらず、普通に人として産まれるんだ。そして、人として生きていくんだ。そんな理由で、生きる道筋を壊されてたまるか」
「少し、例えが悪かったようですね。それでもいいでしょう。さて、透さん。もう一度お尋ねします。その子を渡す気は……」
「ない!」
「……でしょうね」黒木はため息をついた。「しかし、我々は彼女しか狙っていません。『SMP』という希少種を絶滅させるわけにはいきませんからね」
「お前にとっての『SMP』とはなんだ?」
「ただの、モノですよ。貴重なサンプルでもあります。『SMP』は超能力、いわゆる第六感が異常発達しているのです。普通の人間にはあり得ない程に。今日まで謎である、理屈では説明しえないモノを解明できるかもしれないのです」
「なら何故、その『SMP』であるイオルを……?」
「先ほどの例でも申した通り、人間とは違うから。そして、人間の脅威になる可能性があるから。イオルさんは特別なほどに。それだけです」
「イオルが何をしたっていうんだよ。そういえば、さっきも……」
「私はね、本当は、貴方みたいな一般人を巻き込みたくはなかったです。が、仕方がありません。申し訳ありませんが、貴方はもう少し、彼女と関わり、それから彼女の事を知るといいでしょう」
「いったい何を……」
「すみませんね」
黒木はパチンと指を鳴らした。すると、玄関のドアが開く音がした。そして、数人の足音が、重なって聞こえた。
「……トオル!」
さっきまでふさぎ込んでいたイオルがオレの名前を呼び、そしてオレの腕をつかんだと思うと、不思議なことが起きた。
「(目、つぶって!)」頭からイオルと同じ声が聴こえたのだ。そして、「(早く!)」とその声は急かすのだ。オレはどういう訳か分からなかったが、咄嗟にその声に言われたとおりに目をつぶった。何が起きたか分からない。しかし、バリン! と上から何か割れる音がした。その破片がパラパラと落ちてきた。割れたのは蛍光灯か?
「くっ……!」黒木の声だ。オレは目をつぶっているため、音でしか物事を判断できない。壁にぶつかり、小さく呻く声だった。
イオルはオレの手を引く。そして頭の中の声が「(こっち)」と誘導する。オレはそれに従った。
すると、ドン! と大きなものが倒れる音がした。オレは目を開け、その物音がした方を向いた。辺りは真っ暗だった。蛍光灯が割れたせいだ。リビングについていた明かりはなくなっていた。そして、先ほどのあれは、収納ボックスが落ちた音だったようだ。いくら足止めする為とはいえ、無茶苦茶にするな。
「(窓から!)」と、また、イオルの声が頭の中に聴こえる。
窓がひとりでに開く。オレ達はそこから脱出する。イオルの能力ちからでの足止めが功を奏し、難なく奇襲を抜ける事が出来た。
「行く! このまま!」
今度はイオルの口からちゃんとして出た言葉だ。
「ああ!」
オレは頷く。手をつなぎながら、一緒に走る。
幸いなところ、こちら側に人員を配置していなかったようだ。なので、難なく家から離れる事が出来た。
オレは無我夢中で逃げる。手の握る力が強くなる。オレはこの手は離さない。そうしないと、イオルがどこかへ行ってしまうような、そんな気がした。だからオレは懸命に走るのだ。素足のまま、暗い夜道を駆けるのだ。
――走る。――奔る。
アテも見えぬ、先も見えぬ。そんな暗闇をただ夢中に、駆けていく。
――イオル。オレが必ずお前を守ってみせる。
オレのこの声はバイクの音でかき消され、イオルには届いていなかった。
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