第2話

 自転車で行くこと十五分。それで目的地に辿り着いた。


 自転車を近くに止め、花屋で買い物をする。それを片手に下げながら、親が眠っている所に行く。桶に水をたんまり入れて、階段を上っていく。


 親の墓前へやって来た。手に持っているものを置いて、しゃがみ込み、両手を合わせて挨拶をする。挨拶を終えると、お墓のあたりに散らばっている落ち葉や雑草などを回収した。そうしてから、桶に入っている水を柄杓で掬いあげて上からかぶせる。スポンジに水を含ませて、きれいに洗う。花束や線香皿なども吹いて、最後にタオルで濡れた所を拭き取る。


 掃除を始めてから長い時間がたっていた。掃除は手練れているはずだが、綺麗にしてあげなきゃという気持ちが強くて、時間をかなり浪費させなければならなかった。


 一通り作業を終えると、花を添えて選考に火をつける。両手を合わせて拝借をして、この一年間何があったかを両親に話した。




 オレの親が亡くなったのはちょうど七年前。オレの十歳の誕生日だった。あの頃のオレは小学校四年生で、やんちゃな時期だった。少年野球に所属していて、ほぼ毎日練習に汗を流していた。野球チームではレギュラーを貰っていて、六番のサードだった。多分、あの頃が一番運動をしていた気がする。


 あの日、オレの誕生日を祝って、外食することになった。好きなものを食べさせてくれるといったので、オレは焼き肉屋に行きたいといった。母がちゃんと野菜も食べるのよ、と笑って言っていた。


 父が会社から帰ってくると、オレは父から青い包み紙で包装された箱を渡された。誕生日プレゼントだ。オレはすぐに包装をやぶり、中身を確認した。新しい野球用のグローブだった。オレはさっそくそれを手にはめて、飛び跳ねて喜んだ。


 あの事故が起きたのは、夕食を終えた帰りの時だった。オレはこの時の記憶がない。事故のショックで覚えていないようだ。だからこれは人づてに聞いたものだ。車同士の衝突事故が起きたらしい。そしてそれはありえないほどの大規模な交通事故となった。いや、事故ではなくもはやあれは事件というべきものだ。


 あの事故による死傷者は合わせて三十人を超えている。普通に考えてありえない現象だった。そのため、当時はこの事故について話題が持ちきりだった。しかし、突然ぱったりと事故の波は大人しくなった。ただの、衝突事故として扱われるようになった。


 生存者については分からない。怪我を負っただけで生きている人、それはいるだろう。


 オレは病院で目を覚まし、そこで両親の死を告げられた。即死だったらしい。死体は見せてはくれなかった。オレは、自分がどのような境遇にたたされたのかが、全然把握できていなかった。


 その後、オレは母方の祖父母の所に預けられた。祖父はすでに亡くなっていたので、祖母との二人暮らしだった。その祖母は二か月前に亡くなった。そしてまたオレは誰かに引き取られることとなる。父方の祖父母はやむを得ない事情があり、引き取れなかった。その為、叔父夫婦に引き取られた。


 その二人は仕事に忙殺されているため、オレの相手をしている暇がない。だから、あのマンションで一人暮らしをしている。こんなにいらないだろ、と遠慮してしまうぐらい多額な仕送りをもらっている。だから、そのおかげで、生活は不自由なくできる。だけど時々一人でいるのが嫌になる。この土地に戻って来て、昔の友達はいるのだが、寂しいのだ。一人でいると、不安になる。


 オレは今でも、あの事故がなければ……と強く思っている。


「それじゃあ、来年また来るよ」


 立ち上がり、薄く笑みを浮かべて目をつぶる。瞼の裏には、七年前から変わらない親の笑顔が浮かんでいた。


 オレは墓参りが終わった後、書店に寄っていた。欲しかった本をしばらく探していたのだが、どうやら在庫が切れていたようで、買えなかった。オレはないものはしょうがないと、その本を諦めて、その次に欲しい本を買った。そうして、店を出て、自転車を漕ぎはじめる。風を切っていく。柔らかい風がオレを包んでいるようだった。


 その暖かい風を体に受けていると、目の前に知り合いがいた。オレが通う高校で同じクラスの友人だ。オレは自転車をとめて声をかけた。あいつも、オレに気づいて、「よう、透」と明るい調子で言った。


「松田、偶然だな。それ、なんだよ?」


 こいつの名前は、松田彰吾まつだしょうご。小学校の時に同じクラスになったことがある。ここへ帰ってきて、時々仲良くしている。


「見ればわかるだろ?」


 オレは眉を潜めた。松田は、登山用のザックを背負っていた。どこかの山へ登りに行ったその帰りなのだろうか。オレは「登山が趣味なのか?」と尋ねた。聞いたことがない趣味だ。


「いいや。GWの間だけ、野宿してみようかと思って」


「何を言っているのかサッパリ分からないんだが……」


 こいつの考えが読めない。オレは薄ら笑いを浮かべて「はあ?」と言ってしまう。松田は肩を揺らして大きく笑った。


「近くに、工場の廃墟があるだろ? 最近そこを秘密基地にしていてさ、そこへ一回だけでも泊まってみたくてな。せっかくのGWだから、これはチャンスだ。そう思ってな。今、荷物を運んでいるんだ。手伝ってくれるかい?」


「工場の廃墟に寝泊まりするのかよ。大丈夫なのかよ。なんでそんな所を秘密基地にしたんだよ。というか秘密基地って、お前何歳だよ。あと、断る。」


「細かいところは気にしない、それが俺の座右の銘だぜ。なんだ。手伝ってくれないのか。残念だ」


 全然残念と言った顔ではなかった。えくぼを崩し、目を細めた。オレがどっちの答えを出しても同じ反応だろう。


「暇だったら遊びに来いよ」


「誰が行くものか」


 そういうと、松田は大笑いする。


「そういえば、今日誕生日か。一応おめでとう、と言っとくよ」


「一応ってなんだよ」


「何なら誕生日パーティーでも開いてやるよ」


「悪いけど、先約がいるんでね。気持ちだけは受け取っとくよ」


「矢頭の奴か? 相変わらずお熱いね」


「何言ってんだか」


 オレは肩をすくめた。松田の神経はわからない。だけど、楽しそうだ。それが羨ましくもある。


 こんな感じで軽い会話を続けていると、電話が鳴った。ポケットから携帯を取り出し、着信者を確認する。相手は史さんからだった。今現在、お世話になっているおじさんだ。母さんのお兄さんである。


 松田は着信を見て、「じゃあ。遊びに来い」ともう一度念を押すかのように言って去っていった。


「もしもし」


 電話越しから、久々に聴く声が耳に伝わる。


『透君、しばらくぶりだね。元気かい?』


「お久しぶりです。はい、お陰様で」


『今日は、君の誕生日だったね。誕生日おめでとう』


「わざわざありがとうございます」


『加奈の方も』奥さんだ。『おめでとうって言っていたよ。今、仕事が立て込んでいるから、連絡できないから代わりに伝えとくよ』


「ありがとうございます、と伝えてください」


『うん、わかった。ところで、佳苗の所にはもういったのかい?』


佳苗というのはオレのお母さんの事だ。オレは行きました、と小声で話した。


『そっか。僕も立て込んでる仕事が終わったら行くつもりだよ。それじゃあ僕も仕事が忙しいからそろそろ切るね。これから色々と大変になるだろうけど、頑張ってね。身体に気を付けて』


 そこで通話が終わった。そしてため息を一つ漏らした。一方的に話して終わったな。まあ、忙しいからしょうがないけど。でも、仕事の合間を縫ってこういうことを言ってくれるのは嬉しい。オレは頬を綻ばせながら、家に帰った。




 自転車を駐輪場に止めて、鍵をかける。鍵を回しながら自宅に足を運ばせる。オレの部屋番号は、一〇一号室。一階の隅にある部屋だ。自宅の鍵をポケットから取り出して、それを鍵穴に差し込む。捻ると、鍵が開く音が響いた。ドアノブを捻り手前に引いた。


「あれ?」


 だが、玄関の扉は開かなかった。押しても引いても開かない。試しに、もう一度鍵を捻ってみた。すると、扉が開いた。


 オレは眉間に皺をよせる。出かける時のことを思い返す。おかしいなと首をひねった。出かける前に戸締りをしっかりと確認したはずだ。鍵穴を二回捻って開いたということは、元から玄関の鍵は開いていたって事になる。


 急に緊張が高まった。段々と顔が強張っていく。ゆっくりと扉をあける。まさか、留守の間に強盗に押し入られたのか。オレは最悪の妄想をする。恐怖という感情の波がどんと押し寄せる。手が汗ばむ。震える。呼吸も荒くなる。オレは恐る恐る中を覗いてみた。


 するとそこにはとんでもない光景が目に飛び込んできた。扉を開けたその瞬間に、とんでもないものが視界に映された。オレの身体は、石にされてしまったように固まってしまっていた。見えない何者かに動くことを禁じられたようだった。


 玄関先で起こっている光景に目を疑う。そこには非現実があったのだ。オレは知らぬうちに、それに巻き込まれてしまった。


悲鳴をつい上げてしまう。なぜなら、玄関先の床が、赤一色に染まっていたからだ。出かける前にはこんな光景などなかった。


 赤く光る鮮血が生き物のように床を這いずり、進んでいた。その血の臭いに思わず口元をふさぐ。床の血は広がり進んでいる。その動きとは別として、オレの血の気はサーっと逃げるようにして引いていった。


 オレは目を大きく見開いた。予想の範疇を遥かに超えるこの不確かなような出来事に驚愕する。恐れおののく。限界はピークに達していた。


 その鮮血の主が一人の少女だった。その少女をオレは今までに見たことがない。正体がわからない。謎の少女。その少女は真っ赤に染まるその血のせいで、美麗な容姿を台無しにされていた。少女は白雪のように美しく、すぐに溶けていなくなってしまいそうなほど果敢無はかなく、春に吹雪く華やかでそのかわりにもろい桜のように儚い少女。


 オレはただただ茫然と立ち尽くしている事しか出来なかった。足を棒にして、バカみたいに突っ立っているだけだった。


 ――これがオレとイオルとの出逢いだった。

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