第4話 再来と復活

 あれから僕は担任と教頭に呼び出され尋問を受けることとなり、彼女はその後数週間学校を休んだ。けれど頓狂な狂声を上げた事実は瞬く間に学校中に知れ渡り、教室へ入るだけで見も知らぬ生徒から指や声を掛けられる日々が続いた。終いには僕と乾が既にそういう仲にまでなっていたという根も葉もない噂までが校内に蔓延りだし、それを聞いた彼女は密やかに退学していった。残された僕は更にきまりが悪くなり、女子生徒だけでなく普段会話をしていた知己までもが鹿十するようになり、結局居たたまれなくなって学校を辞めたのであった。


 この突発的な出来事に動揺した母親は、僕をすぐさま他の高校に進学させようと、資料収集に努めていたが、当の本人は乗り気ではないから無駄骨にしかならず、しばらくは様子を見ようと極度な干渉を避けてくれた。入学してまだ一か月と絶たぬうちに辞めてしまった息子の、長い将来を鑑みての行為だとは重々わかっていながらも、僕は頑なに再入学することを拒み自室に閉じ籠ったのである。


 自尊心が深く傷つけられていた。身体の根幹を成す太いものがへし折られたような、修復の試みが断ち切られたような絶望が空っぽな胸奥を打っていた。佐倉実里との玉砕で治癒しかかった精神が、乾紀美子との一件で完全に壊れてしまったのだ。僕は立ち直るための算段を立てることができなかった。事件があって以降、僕は彼女と二回ほど会話をする機会を持ったのだが、あのような重苦しいことがあったというのに、彼女は素知らぬ顔で普段通り振る舞うことを辞めなかった。終始ニコニコと笑みを浮かべ、媚を売るような挑発的な瞳はしとしとと潤んでいたのである。それはまさしくこの一件に自分は無関係だと、非はこちらにないと言っているも同然であり、裏では口汚く罵っていたことをむしろ当たり前だと言わんばかりに、噂の立ち込める校内に嘲笑の自信を固辞し続けたのであった。


 そんな彼女の姿を見て、僕は欺けられた失望と、行場の無くなったエネルギーの拠り所が又しても無くなってしまったという悲観に強く駆られていた。佐倉実里の代替になるべく想いを寄せた人物が、あろうことかそれを疎ましく不快に感じていて、裏で友人たちと小賢しく嘲笑していたのである。それも、さもこちらに好意がある風格を装って。その行為は、よわい十五と生きてきた僕にとって自尊心という矜持を、再起不能なまでにズタズタに切りつけられ、女性に対する立ち直ることのできない精神的外傷を打ちつけられたも同然であった。つまりはこの一件で、僕は極度のトラウマ状態に陥ってしまったのである。


 黒板を眺めているだけで遠くから、何かこちらに視線を送っている女子生徒の翳が背後から現れて、気に留めようとせず板書に集中していると、それが乾美紀子の薄ら笑いとなって眼前に迫ってくる。蜃気楼のように茫洋と浮かぶ彼女の翳に慄いて、机に突っ伏すように目を閉じると、それまで意識することのなかった巷の喧騒が、耳元で怒り猛っている女子生徒の共鳴となって襲ってくる。塞いだ掌の間から、なにやら生暖かい囁きが鋭く突き抜けると、佐倉実里の描いた藍色の裸婦の姿が闇から這い出た光の如く煌めいている。


 これを持って僕は、もう二度と女性と関わることをしないと強く誓ったのである。閉ざされた佐倉実里との過去から乾紀美子に欺けられた現在に至るまで、僕は幾度となく相手側に情熱を注いでみたのだけれど、概してそれは実を結ばなかった。いくら相手に想いを寄せ近づいてみても、心情を赤裸々に吐露してみても、それは相手からすれば塵が動くにすぎぬ些細なことでしかなかったのである。己はまるで映画の主人公にでもなったみたく大恋愛を描き、宇宙まで膨らんだ想像の端々に星が煌めき、澱むものなど存在しない世界を創り上げていたのだけれど、享受する相手に届くまでにそれは消えてなくなってしまうのだ。つまり僕は自分に酔っていたのだ。終始僕の恋というものは妄想の範疇から抜け出すことができず、ただ己の陶酔のみを求めて楽しんでいたのだ。好意を向けられた相手のことなどなにひとつとして考えていなかったのだ。けれどそうは分かっていながらも、それを改めようとする気力ももはや無くしてしまった今は、閉ざされた部屋のひと隅に、こうして毛布の端を強く握って、カーテンから零れる早朝の気配に微睡んでいるしかないのだ。


 僕の周りに正直者など存在しないのだ。皆が僕を騙している。責めている。強迫観念に似た黒い靄が心を覆うと、闇一色の渦に身を投げ捨てて、もう元には戻れないのだと自分を強く戒める。すると身体の至る所から生気が抜き出ていき、夜明けの立ち込める部屋一帯に冷気が漂うと、その中に自分の身代わりが紛れているような気がして、一層このままどこまでも上へと昇って行けたらと強く願うが、微睡みの波が解けた瞬間に我に返り、リビングに入ってきた母親の足音とテレビから発せられる明るい現実に絶望の兆しが込み上げて、浸透しない虚無の身体を縮こまらせることが苦しみから逃れる唯一の方法だと、そう何度心の中で呟いてみても、空の身体は一向に動かないのであった。


 昼過ぎに腹の痛さで目覚め、冴えぬ頭のままトイレへと駆け込み、尻の痛む排泄に苦しむ時だけが過ぎていく。罪悪感と便秘の伴う不快感が腸の両側を蝕むと、堪え切れぬ悪寒にすぐさまベッドに戻り天井を見上げる。不安な感情を心に沈めていると母親が心配そうに水を持ってきて、「もうかれこれ三日はまともなものを食べていないでしょう」と囁き、「気分じゃなんだ」と喉から鬱陶しそうに声が滑り出て、骨の浮き出た右腕を緩くコップに掛けると、力のこもらぬ掌から抜けたコップが胸に落ちる。静かにシーツの四方に伝う水の行方を見つめていると、身体の起伏に沿って流れる筋が気になって仕方がない。布団を縫う水を眺め、止まることなく流れに沿ってどこまでも進んでいくことの難しさをひしひしと感じ、そんな自分が哀れに思えてくると、涙は出ないが泣きたい衝動に強く駆られ、布巾を手に持つ母親の忙しい振る舞いにまるでオレは介護者だなと独り言ちたのも束の間、腹の底から笑いが込み上げてきて止まらない。


 ハハハハハハハハ。寂しげな笑い声をひとり挙げる。強張る表情筋の伸縮にあやうく攣りかける。涸れた喉を掠める空気の流れが徐々にその声を高くさせ、最後の方は喘息患者のように咳だけが部屋にこだますと、僕ではなく母親の眼から涙が零れ出る。僕はその時母が呟いた「病院に行こうよ」という悲観な涙声と、顔全体から滲み出る苦悶の表情に、老婆のような醜い姿だなと嘲って、自然と頬を伝う涙の存在に気づかない。再び水を持ってきた母親からコップを受け取ると、縹渺とした意識の中それを含み、僕は日々拒否し続けていた精神科への診察を受け入れたのであった。


 医者に「自律神経失調症」と診断されても僕の生活は変わらなかった。なにしろ身体が動かないのだから。それに加え食欲も湧いてくる気配がない。昼頃に起床する日々は変わることなく続き、便を用してから薬と一杯の水を飲み、一番の好物であったハンバーグを食すのだけれど、四等分されたそれを一口頬張ったところで身体が拒否反応を示す。すぐさま吐き気と悪寒が身体中に走り、口腔は乾き、動悸は鳴りやまず、腹の喘鳴は治まる隙も見せない。

 それでも一欠けらを何とか食べ終え、もう一度薬を飲む時間がやってくると外は既に日が暮れていて、落ち着きを超えた孤独の翳がみるみるうちに身体を染めていく。母親が寝室に入ってしまうと家の中にあった光は消え辺りは一層沈んでいく。静かな部屋。日中聞くことのなかった喧噪。動くことのなかった私物が静まった空気に呼応して生き物のように蠢くと、幻聴と疑う心に陰鬱さが募って更に心苦しくなる。深い眠りに就ければどれほど楽だろうかと、机に構えてしばらく静止してみても、睡魔が襲ってきそうな気配がするだけでそれに陥ることができない。目を瞑って闇に意識を集中させ、何とかこの物憂さから抜け出そうと試みても、身体の至る所に不備が生じているのではと不安に駆られて落ち着かない。顔の裏側の筋肉が痛い。眼が悪くなったらどうしよう。もしかすると二度と立ち上がることができないのではないか。点けたはずのないモニターの電源が作動して眼前にブルースクリーンの淡い光が目に刺さる。静謐。徐々に作動音。


 机に突っ伏して尚も苦しさから耐えている。もうベッドに戻る気力も湧かないから、このまま夜を明かして眠りに就くほか術はないと、便意を伴う小腸の重さがじりじりと悪寒に迫ってくる辛さを堪えていると、暗闇に映えるスクリーンの光線が皮膚を通して何かを訴えかけるみたいに喚いている。外界から侵入した塑像が徐々に輪郭を成し、闇の中から鈴蘭のような面立ちの乾紀美子が現れ、魂のように薄明の中迫ってくる。冷たい感覚が斜めに走り、首や脇に汗が滲み出て金縛りのようにしばらく動くことができない。なんとか身体を突っ伏して目を逸らしても彼女の顔は消えない。悪かったオレが悪かった、と声を震わせて戦慄くも、乾紀美子の白い顔貌は衰えようとしないばかりか陰影までもがしっかりと目に入ってくる。いっそのこと向かい合って強く罵ってやろうかと咄嗟に思い、恐る恐る目を開けて直視してみると、眼前に在るものは塑像となった佐倉実里の麗らかな笑みであり、生き地獄じゃないかこんなもの、と半ばヒステリーの如く叫んで仰け反ると、そのまま襲いかかってやろうと自分を奮い立たせる気力が次第に甦ってきて、再び向かい合うように目を合わせてみるが、消えてしまった彼女の痕には闇が深閑と漂っているだけであり、どこからともなくわびしい寂寥が胸を突くと、僕は一目散にベッドに戻り布団被るのだった。


 縛りを解く際に抜け出た生気が戻ってくるような兆候と、それが明日になればまた消えてなくなってしまうだろうという気配の両方に苛まれ、目まぐるしく蠢く瞬間瞬間の変移に気おされそうになりがらも、自分を固辞し続けることが最善だと冷静に自覚した甲斐があってか、ベッドに入ってからはすんなりと溝に嵌ることができ、ようやく眠りに就くことができると安心したのも一瞬で、目を開ければ再び辛い現実と向き合わなければならないと悲壮を募らせながら、怯える子供のように苦悶の表情で寝息を立てるのだった。


 何かを変えなければと分かっていながらも、それが何かもわからないし、わかったところで動く気力もなかった。ただ一日いちにちと過ぎてゆく時間に身を任せ、何か好機が訪れる気配を窺う他なかったのである。けれど実際は、そんなことを考える余裕も冷静さも失っていて、瞬時訪れる苦しみに耐える他なく、一体いつまでこの時間に苦しめられなければと思うほどに、沈鬱の重みに耐えきれなくなって、何かを始めなければならないと強く乞う。けれど行動を起こそうにも身体か動かないのだから自然に焦りは怒りに変わり、一日に使う半分のエネルギーを費やして何とか身体を起こすことを試みるが、固まった筋肉は言うことを聞かず中枢神経は命令を下さない。神経がイカれているのだからなす術はないではないかと歯を食いしばり、もどかしさに血管が千切れるほど脈打つ血潮のざわめきが、危険の前触れに思えて不安が脳を過り、先刻余計にエネルギーを使ったばっかりに、白けた頭に浮かぶのは微かな光と、雲の上にでもいるような霞のみで、寝ている時よりも胸騒ぎが止まらないのだった。


 そんなことを日々続けていると、容姿はみるみるうちに悪くなる。昼夜ベッドに仰向けているから四肢の筋肉は根こそぎ剥がれ落ち、小鹿のような脚はぷるぷると震えトイレへ行く際は木柵を掴まなければ立っていられない。中でも頬骨の突き出た顔貌は見違えるほど悲惨で、三十路を超えたと思われても仕方がないほどに、目元を漂う黒ずみが辛苦を味わってきた中年を想起させる。水と薬と僅かな栄養食品で構成された脆い身体は最低限のエネルギーを残し、過去に培ってきた体力を失くしてしまったのだ。それに加えて風呂にも入らないものだから、油分と垢の溜まった頭皮は常に異臭を放ち、汗の吸い込んだシーツがより一層不快な空気を部屋中に醸しているのだ。


 そのため僕は病院に行ったきり外に出ていない。排便以外で自室から出ることもないのだから、外に出るなどありえない。もっとも、両足を地に付けることにも労力を要する僕にとって、外気に触れ周りを散策することなど疾うに夢のような話であり、ひとりドアを押し開けて外に出る勇気などなかった。単純に思考が内向的になったのが理由のひとつなのだが、何しろこんな姿を他人に見られたくない。部屋の中に一人ぼっちでいる際は、世界の中心は僕であり、誰に気にすることなく勝手に振る舞うことができる。他人の存在しない領域では何事においても慮る必要がないのだから、干渉の無い自由を存分に味わうことができるのだ。けれど外の世界はそうもいかない。何億と存在する人間の視線があるのだ。往来の激しい道ではすれ違いざまに互いの容貌を盗み見て、何かと自分と比べてしまう。優劣をつけてしまうのだ。一瞬のその出来事は即座に脳内で反芻され、疾うに過ぎてしまったことなのに、相手が醜ければそれほどに、自分の中で優の文字が自然と浮かび上がってくるのが怖かった。外見が可視化された数値ならば、こうも記憶に残らないであろうが、それを秘かに楽しんでいる自分に気づいた頃には、自分は劣の側に立つ人間だと慄然と察し、締め切った部屋は外界の侵入を防ぐように閉ざすことに努め、何百と突き刺さる架空の視線に怯えながら、醜い自分を正当化するべく王国を打ち立てると、その中でだけ気ままに過ごせるのだと安堵するのだった。


 僕を理解しているのは僕だけである。そして僕を理解できるのも僕だけである。自分を強く持つことさえできなくなれば、自ずと道は破滅へと進む他ない。一番身近で支えてくれた母親は、昼夕の食膳以外はなるべく口を出さないよう傍観に徹してくれた。社会から隔絶し、先の明るい未来に自ら終止符を打とうとしているひとり息子が、自分の将来なのだから口を挟まないでくれと、浮浪者のような出で立ちで嘯く様子に怖気づいたのか、それともそんな息子に何をしてあげればよいのかわからないのか、たまに口を開くと、「昨今は人手不足だから中卒でも働き手はごまんとあるのよ」と喚き、「こんど一緒にご飯を食べに行きましょうよ川崎まで」と不自然な笑みを向けてくる。そんな母親を猛禽類のような鋭い眼で睨むしか反抗の術がないのが何とも情けない。


 絶望の淵に立たされていた。このまま部屋に閉じ籠って一生を終えるのではと常に感じていた。母親は僕に復活の兆しがないと察し、遠くの精神病棟にでも預けようかと思案しているのか、近頃は小言ひとつと言ってこない。慣れてきた王国の主もあまりの干渉の無さに辟易としてきた頃、僕はようやく机に向かう気力が湧いてきた。やはり横になるだけの生活は身体の芯である精神が病んでしまうからか、ベッドの上で過ごす生活にも限界の兆しが見えてきたのだ。中学入学と共に与えられたデスクチェアに腰を下ろし、やることもないので眼前のパソコンを起動する。こちらも入学と共に母親が買ってくれたもので、調べ物や課題を数度こなしたきり使っていない。動作音が徐々に空気に乗ると、スクリーンから放つ微細な光が僕に、夜中で見た乾紀美子の幻影を浮かばせて思わず唾を飲む。けれどその時は、思いがけず威勢が内向を超えていき、彼女に対する反抗心みたいなものが自然と湧いてきた。お前のせいだ。俺がこんな風になったのは全部お前のせいなんだと、力のない怒気は口から零れたっきり空気に紛れ、感慨が全て無に還るいつもの自分に戻ると、突然身体を起こしたためか気分が悪くなってきて、力なく背もたれに寄り掛かり、スクリーンに移るインターネットを見るともなしに眺めていると、ある画像が目に付く。


 それは一枚の抽象画だった。ニュースまとめサイトの広告として現れたそれは、白いキャンバス一帯に絵の具がぶちまかれていて、下地の上に赤や黒の色彩が光っている。目を凝らして眺めると、無造作に見えたその飛沫は、一定の秩序を持ってキャンバス内を踊っている。どこからともなく始まった魂は中央で幾重にも交差し、けれど迷いのない力でそこかしこを飛び回っている。流れるように端から端へと進む直線の最後に、荒々しい筆力でその線は途絶えるのだけれど、薄っすらと飛び散った色彩と、それを終えるまでに続いてきた一筆の魂は漲る性を想起させ、荘厳とした美しさを絵全体から放っていたのだ。画像は一目で脳内を刺激し、神経が僕の記憶を遡らせた。


 美術の授業を受けていた時のことである。確かゴッホの作品を鑑賞しようという内容で、教員の持ってきた半生を辿るムービーを観ていた時分であった。当時中学一年生だった僕はあまり美術が得意な方ではなかったから、暗闇の美術室に蔓延る眠気に耐えていた。机上の教科書を漫画のようにパラパラと繰っていると、「美術史年表」というページで繰る手が止まり、そこに描かれていたひとつの絵画に見入った。

 それがまさしく今、目の前のモニターに映っている絵画だったのである。


 汚い絵であった。どんなに美術に関して拙い僕であっても、これくらいなら描けるのではないかと疑うほど、その絵画はどの写実と比べても劣っていた。キャンバスに絵の具を垂れ流したような乱雑な描写は、まるで未就児が慣れぬ筆で殴り描いたような印象を僕に与え、周囲の所謂ゴーガンやセザンヌと言った後期印象派の巨匠らと比べると、その幼さがより明快に思えてきて仕方がなかったのである。


 ひとたびその視点で物事を捉えると、中々その呪縛から解放されることができない。僕はしばらく絵の具がまき散らされた抽象のキャンバスを眺めていた。下の説明欄に作者と制作年が書かれていて、二十世紀中頃といったらつい最近ではないかと無心で吃驚し、下がりつつある瞼を何とか起こそうと、スクリーン上部の時計に目をやった。


 ちょうどビデオはゴッホの銃創の場面を映していた。意識が吸い寄つくように画面いっぱいに集中すると、風車小屋を歩くゴッホの背中が大きく見える。自殺を図るメランコリーがモノクロームの映像をコマ送りにさせ、凪いだ海のように流れるなだらかな時間は、空間を裂くように破裂した銃声で乱れ狂う。

 その時、僕は確かに果てたのである。


 とめどなく溢れる鮮血が風を切っていた。布を染める赤の、広がった獣畜に湧き出る性の気配が過去の記憶を取り戻そうとしている。執着から抜け出そうと穂をかき分ける後姿に管楽器の音色が乗り、それに合わせて打楽器の若干のリズム。強弱のはっきりした響音が雲を走らせると、途端に怪しくなった空に驟雨が散る。地平線まで続くシンフォニーが呼吸と重なって冷たくなった体温を感じさせる。葉先に擦れて漏れる血が手足の痺れを齎して雨が泣いている。顔を上げると、燃えるような糸杉の縮れが月を貫き乱舞している。三日月の黄疸が闇夜に浸る藍を消し、幾重にも連なる糸杉と共鳴している。地響き。鬱蒼と広がる麦畑は雷に打たれ騒いでいる。灰一色の世界に生き物の蠢きが音楽を走らせ、その中心に激しく鼓動を鳴らす自分がいると自覚する。けれど本当は、空っぽな瓶に閉じ込められたように森閑と辺りを見守っている。


 打ちのめされたような気がした。同時に僕の中で大きく何かが開かれた瞬間でもあった。それまで気にも留めなかった芸術というものに、こんな些細なきっかけで圧倒されるとは思わなかった。けれど今、目まぐるしく全体を律動させている存在に気が付かないわけにはいかず、すると先刻何の脈絡もないように思えた教科書の絵画が、抒情さと一定のリズムを含んで僕に押し寄せてきたのである。


 音楽に高低強弱があるように、静止された美術にも波のような流れが存在していて、まさにこの絵画はそういうものなのではないかと朧げに察した。「高尾」という題が付いたその絵画は、戦後の前衛芸術家が足で描いた〈アクションペインティング〉というもので、天井に吊るした紐に身をゆだねながら、床に置かれたキャンバスに足で描いていくといった過激なものであった。それを聞いた際にもう一度その絵画を眺めると、鳥肌が全身に走り、脇汗は止むことを知らず、鳴りやまぬ胸の高鳴りは尚も抽象に見入っている僕の全体に流れ、いつしかキャンバスの奥でうねりを上げる絵の具そのものが、血液を侵し身体を周り始めた。


 画面左端から発した太線が―バッツガガッツ―上部で唸るように曲線し―スースークルルクルズンズンズン―何遍も重ねられたであろう黒の塊が赤と交差し―プチッグチッガガガガスーンスーン―太陽色に染まった中央は淡い光を放っている―ピシャピシャシューンシュン―それを跨ぐように引かれた二直線の―グチャッグチャピシャピシャッスンンッスン―筆圧が強すぎて掠れ気味な中点に―ダバババッシュシュシュッツーンツーン―弧を描くように足された楕円の黄が―サーササササザッザッザスーン―そのまま左の臙脂色を侵す勢いで―ザザーックックックックルン―黒い魂となって下部まで降りるのだった―ピッピッピシュガッガッガザーンザザザザババババゴゴゴゴ―


 バッツガガッツ、スースークルルクルズンズンズンプチッグチッガガガガスーンスーン、ピシャピシャシューンシュン、グチャッグチャピシャピシャッスンンッスン、ダバババッシュシュシュッツーンツーン、サーササササザッザッザスーン、ザザーックックックックルンピッピッピシュガッガッガザーンザザザザババババゴゴゴゴ―


 僕の全身に交響曲が鳴っていた。感受性の檻に入ったみたい。多分気持ちがいいとはこういうことなのだろう。彩色に揉まれながら息づくよう絵画の荒波に身も心も陶酔していると、いつしかそれは本来の僕の身体にも現れ始め、これまで感じたことのない音色が、ゆっくりと僕の身体に、自室に閉じ籠りっきりの僕の体内に流れたのである。


 熱い気持ちが込み上げてきた。胸を締め付けていた物が剥がれ落ちたような爽快に、全体を流れるリズムに追いつこうと身体が自然と動いていた。僕は眼前の絵画に目を離さぬまま立ち上がると、鼓動と同じリズムで右足を鳴らした。タンタンタン。冷えた足先に血が滾ると、神経に指示されなくとも左足が動く。タンタンタン。久しぶりに楽しいという感覚と、身体を動かしたことによる喜びの両方が胸を打っていた。僕はこの振動を途切れさせないために、インターネットを繰って動画サイトを開くと、聴きなれた邦楽を大音量で鳴らした。


 数か月と味わうことのなかったこの気持ち―久方ぶりに生気を取り戻したような心持でリズムに乗っていると、内部にゆっくりと熱いものが湧き起って、それまで動くことのなかった細胞が一斉に喚きだし、居てもたっても居られなくなった僕はズボンを履き外へ飛び出した。吃驚した母親の顔が脳裏に過るが止まってなどいられなかった。足を止めればすぐにまた、孤独な自分へと後戻りしてしまいそうな気がしてならなかったのである。


 手に掛けたノブを押すと光が目を散らす。真昼の太陽が全身を焼き尽くすように僕を出迎えると、そのまま道沿いにずんずん走る。平日の忙しない道路に拡がる自動車と並走して、何人と行き交う者の眼も気にせず地に足を踏み入れる。もう数か月と外に出ていないものだから走る動作も忘れていて、腕を振る威力や、足を出す順序がおぼつかない。けれど

 確かに自分のリズムを、あの絵画のように身に宿した律動を体現するように、身体中のエネルギーを放出させ一心に進んでいる。


 全身が痙攣したように震えが止まらなかった。狭い王国に住み続けてきた弊害が如実に表れだしたのは、交差点に差し掛かり信号が赤に変わったところで、僕はその手前で立ち止まるとおろおろと迷子のように辺りを見回して、近所だというのにどこか遠くへ来てしまったような心許なさを感じ、後へ引き返そうかと迷った。足を止めたことによって無心に還り、それまで働き続けてきた律動が、徐々にその流れを緩めだしたのだ。それまで蠢いていた体内の生き物が、滅多に現れることのなかった音色の煌めきが、徐々に薄れていくように感じられた。


 その時何を思ったのか、僕は自然と歌を口ずさんでいた。家の中で幾度となく聞いていた邦楽。誰もが知っているであろう有名な歌手の曲を自然と口にしていたのである。すると寸前のところで止まるはずだった音色が、僕の歌と共に再び回り始めたのだ。


 身体に宿ったリズム。それは人間が原始から生まれ持ったものであろう言葉に出来ぬ響きが、何かのついでにふと身体に現れて、潜在能力のように思いがけない力を発揮する。僕のこの霊的な現象も、以前見た絵画による感動から直結して身体に生じたものであり、不意に訪れた音色の煌めきは、僕の感情が刺激され、理性を超えた時に爆発的に発生するものなのだ。そしてその感覚は、僕が初めてS校へ訪れた際に見た海―荒々しく波立つ自然の力を通じて、見る者に何かを訴えかけようとしているもの―と同じであった。あの時は不合格と佐倉実里との断ち切られた未来の両方が僕を刺激し、それを渺とした海原の美しさが体内の音色を導き出したのだ。そのため溜めていたエネルギーを爆発させるべく感情が湧き起り、思いがけず身体がリズムを刻んでいたのである。僕は大きく息を吸い込むと、青に変わった横断歩道を走りだしていた。邦ロックの歌い手の熱い叫びが、歌詞の意味が、メロディーの唸りが、身体全体に溶け込んで動く原動力となって僕に襲う。腕を高く振り、体温が汗となって全身に流れ出ていくのが心地よかった。不規則に息を吐きながらそれでも口ずさむことを、リズムを刻むことを止めない。目の前にどんな邪魔者や障壁があっても僕を止めることができない。壁全体に身体を打ちつけると衝撃が全身に走り、ひび割れた下部からぐらぐらと、音を立てて瓦礫が降ってくる。体当たりのように身体をぴったりと付け足を踏ん張ると、苦悩に揉まれ過去から脱却できるような気がして、痛みに苛まれ苦しみに足掻くことも忘れ、ただ前を目指すことだけを考え突き進む。


 闇の中から光が現れたような気がした。辻を曲がり住宅が犇めく坂道に突き当たると、僕は脚を懸け走り出す。急こう配の坂は腿の負担が多くなり呼吸の頻度が増えていく。止まらない汗に音色が反応して尚も隆々と動き続ける筋肉に意気込むと、責任感のような強い意志が湧いてきて、この丘の上まで上り切ってやろうと漠として抱いた時には悲観も憤怒も恐怖も起こらなかった。僕はただ、目前に放つ光の行方を辿りながら、全体を蠕動する音色に身を委ねていることが快感だったのだ。血の流れに呼応する原始のリズムに惹かれたのだ。僕は脳内で反芻する邦ロックを叫ぶように歌いながら坂を登った。汗の乾いた顔貌に風が吹き下ろすと、濡れた髪先に初冬の灌木が葉を散らす。涙が出る。鼻水が出る。それでも走り続ける。


 喚きたいような衝動に鳥肌が立っていた。僕の身体は今、まさにあの抽象画のように唸りを上げているのだ。赤と黒が錯綜するキャンバスが僕の自身なのだ。けたたましい音色に魅了されて全身が狂ったように躍動している。鳴りやまぬベースの低音が徐々にドラムのリズムを促して、ギターの反復するコードが脳を震わすと、気持ちいいという瞬間が絵の具のように溶けている。そのまま垂れ流す勢いでキャンバスに溢れた僕は、白い世界を自在に侵略し、ひとりの表現者になる。僕だけのリズム、僕だけの絵画、僕だけの詩を生み出すことこそが、この律動の全てなのだと気づいた時には、自信に打ち勝った感動の涙で絵の具が消えていた。


 立ち止まって空を見上げた時、随分遠くまで来てしまったのだなと、港から出る船をぼんやりと見つめていた。血圧が下がったように白んだ視界の奥に、僕の住む街並みが夕焼けに陰っていた。


 僕は過去の自分に打ち勝ったのである。

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