応援コメント

心ってなんだろうと思った」への応援コメント

  • 暑さ。寒さ。痛み。その他もろもろ(笑)

    それぞれで「地域差。個人差。環境差」

    目の前に見えるものが「全員同じ」訳じゃない。
    .


  • 編集済

    コメント、失礼します。

    正直、中々攻めたことをおっしゃるなと思いました。

    監視社会の話で、ネットは強者のみに許されたツールというようにおっしゃられていたと思います。

    いわゆる弱者というのを、単体にて影響力のない者というのであれば、確かにネットではどうしようもない存在です。しかし、私としては今の時代、なにかを変えるには国民主権を敷いていて多数決の原理が決定権を持つ以上、数を集めれらるのもまたネットな気がします。そのように考えれば、弱者のいられる場所としての側面も多分にあるのではないでしょうか。ただ結局、フィーチャーされて明るみに出るときに強者が介在するだけとも言えるのかと。

    そもそもとして、多数決の原理による決定以外で皆の納得のいく方法が見つかればいいのかもしれないですが、そうなると結局またその決定方法の決定で多数決の原理が取られ、その後変化があったとしても、その時のそれ以外の者は排他されてしまう。頭がぐるぐるするものです。

    長々とすいません。

    ただ、こうした内容は日常の中で一つもう一度考え直してみる機会になり、この活動も楽しく思えますので、また立ち寄らせてもらいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    まず、この記事については、ネットの利便性に対して、専門的知見の有無が、格差となっていることに重きを置いて、ポジショントークをしたものになります。

    コメントに応答致しますと、確かに、現状、民主主義という形をとり、そこに有識者の意見を以て、策をまとめる仕組みはあります。従って、多数の声を専門的知見を踏まえ、制度にしていく仕組みは、確かにあると私も考えます。

    主権と多数決を見ると、少数派の立場が弱いこともまた然りです。おっしゃる通りと存じます。そのために、秩序を乱す行為が対象を失わない状況が続く懸念があるかもしれないと考えたのです。

    そして民主的議論で決定する以上、加えて、事例が集まってから対策を練るために、どうしても、後手にまわりがちである側面はあると見ておりまして、今回のポジショントークを投げ掛けてみた次第です。

    お考えの材料になったことを嬉しく思っておりますし、そのお気持ちをお伝え下さったことに、感謝申し上げます。
    本当にありがとうございます。

    失礼致します。