国民主権に疑問符ついたことなぁい?
主権はどこにあるのか。
マニフェストは、国民に耳障りのいいことを並べて、実行しきったものはいくつあっただろうか。
万人のためになる政策とは、およそ、考え付かないけれども、人気とりのように見えたことはないだろうか。
一時、国民主権にふさわしい態度を、国民がとるべきなのでは、と考えたこともあったが、皆が皆、政治に関して学ぶというのもまたおかしな話で、なんのために専門があり、現場があり、委員会を開き、見識者の意見を募っているのかわからなくなってしまう。
そんなことを考えたのは、やはり、人気とりの選挙に対して、国民の批判の目を鋭くする必要があるんじゃないか、と思ったからだ。
突き詰めれば、選挙自体に意味がない、と、政治の世界のゴタゴタに国民を巻き込んで、主権を都合よく使っているだけじゃないか、と言えることが必要な気がしたからだ。
主権は、神、人の意思、何かしらの正統性を与えて、誰かに委ねられてきたものであるけども、今の民主主義の主権とはいったいなんなのだろうか。どこにあるのだろうか。国民は何のために主権を行使しているのだろうか。行使できているのだろうか。政権を握るための茶番劇に付き合わされているだけで、主権をきちんと行使していると言えるのだろうか。
そんな茶番劇はやめろと言えないところに、どこか、主権という言葉に虚しさを感じないだろうか。
果たして、政治家は、先生なのだろうか。それは、民主主義なのだろうか。
みんなで決めるとは、いったいどういうことなのだろうか。
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