自分の見方と、人の見方と、

独我論を知っているだろうか。


世界は、自分であるというものだ。


見るもの全て、自分が感じて、そうあると考えることで、存在している、という考え方だ。


つまり、自分がいて、感じているから、世界がある、という考え方だ。


他人と自分を切り離す。これは、ひとつ重要なことだと思う。他人をどうこうしようとすると、際限のない悩みに、ズブズブとはまっていくからである。ただ、それを、別のことに使ってはいけない。


他人を切り捨て、何をしようと、他人の勝手。そして、自分は自分の勝手である。そのように考えはじめると、周りとの繋がりが絶ちきれていく。自分の中にひきこもることになってしまう。


かくいうおれも、そうなりがちである。


自分の有り様を守るためであり、変化の土台を壊さないために、他人のすることと、自分のすることとを混同してはいけない。それだけのことである。


決して、唯我独尊となってはならない。


世界を感じるのは自分だが、自分によって世界があるわけではない。あくまでも、自分もまた何かしらの世界と呼ばれるところにある、繋がりを持った存在である。アドラーで言えば、共同体感覚が大事ということなのだろうか。


社会的自己を恐れる必要はないということだ。それは福沢諭吉氏も学問のすすめの結びに書いておられる。学び、気付き、自分に付け加え、それを堂々と、人に見せる。それに対する批判は、まず、意見である。一様の見方でないことを知る、気づく、思い出す、そういう機会である。議論なき意見は偏見であるというが、自分の見方だけが本質の同一と見ないために、他人の意見は、大切なことなのだということである。


自分の見方が、全てであると決めることは、世界を否定する。

独我論は、その点が危うく思われる。

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