紛擾雑駁篇
第11話 王都帯ゼレハフト
殊更に黒々しい夜空を貫かんばかりに光の柱が夥しく屹立している。光柱の一つ一つは田舎に決して存在しないような高層ビルだ。更に向こう側にはそれらをも見下ろせる超高層ビルが天を衝かんと聳えている。しかし現地点ではまだその端が見えているだけに過ぎない。同様に光景は遥か数百キロメートル先まで延々と続いている。
精霊都市ドゥラを逃げるように発ってから約三日。慣れ親しんだロンボス大陸北部鉄道との別れも目前に迫る頃。
朱殷色の髪をオールバッグにした青年——セトラ・アカ・グランロッサは車窓の外、メガロポリスの夜景を静かに見つめていた。
名を王都帯ゼレハフト。ロマンフォルクス王国が誇る世界最大規模の巨帯都市である。
「ふう…...」
セトラは深く溜め息をついた。道中において一切の休息を取らず、不意の戦闘に備えてずっと魔力炉心をアイドリング状態で起動させていたのだ。尤も規格外の魔力量を持つ彼にとって肉体的負担はまるで問題にならない。それよりも常に敵襲を警戒していたことによる精神的負担の方が大きかった。
ロンドレイツを滅ぼしセトラたちの動きを完璧に読んでいた敵集団への対策として、一行は既定路線からの脱線を徹底した。このような状況では基本的に取らない方が望ましい非合理的な行動を意図的に織り交ぜたのは敵の予測の裏をかく意図があった。空路を使わず陸路を採用したこともそれらの一環である。
だがそもそも何故ゼレハフトに行く必要があるのか。そこにはゼレハフト特有の要素が関係していた。
(じきに大結界に突入する。あの内部なら俺たち二人を狙って街ごと襲うなんてトチ狂った真似はそうそうできねえ筈だ。)
王都帯の異名の通り、ゼレハフトには王族と関係者が住まう王宮が存在する。
そして王族の平穏を確固たるものにするため、ゼレハフトには幾重もの安全策が施されている。
中でもセトラたちが敵集団に対する抑止力として期待したのは以下の二つだ。
一つはゼレハフト全域を覆っている、全八層にもなる大結界。遥か大昔に魔力神ソトノが魔法によって創り出した超広範囲の結界は極大の概念防御機能を筆頭に複数の機能を有しており、内部では魔術を始めとする諸々の異能が制限される。
もう一つは王宮と同一の島内に置かれた王国騎士団総本部。地方の治安維持を主な任務とする地方騎士団、王族を始めとする要人の守護とゼレハフトの治安維持を担う近衛騎士団、防衛から侵略までありとあらゆる戦闘を専門とする専戦騎士団、王国全土の治安維持を至上命令とする公安騎士団、特異な人材の囲い込みを目的とする番外騎士団を統括し、有事の際にはこれらの五つの騎士団を指揮して問題の対処に当たる。
故にゼレハフトは巨視的に極めて安全度が高い土地といえ、かの地に住みつつ情報収集を行う方針を固めたのだった。
セトラは窓から隣のアディプトへ視線を落とした。
彼女は弟の肩を枕代わりにしてくうくうと微かに揖斐をかいている。口の端からやや涎を垂らし、時折びくっと寝返りを打とうとしては失敗して不機嫌そうな寝顔を浮かべる様はいつも通りの彼女そのものだ。
しかしいつも通りが当たり前ではないことをもう彼は知っていた。故にアディプトを護るためにリソースのほぼ全てを費やした。現実的に取れる手段の内、一切の妥協をせずにここまで来たのだ。その結果著しい金欠に陥ったが後悔はなかった。
(地方ならまだしも都市部なら基本的に仕事がある。ギルドに登録して早い内にガンガン稼げばギリギリ何とかなるはずだ。)
具体的には何をするか。改めてそんなことを考えている間にも列車が進行し、やがて彼らの前にゼレハフト北部のランドマークが見え始めた。正式名称をミレニアムフロンティニエといい、高層ビルを少しずつずらして積み重ねることで巨峰の如き様相を呈する超大規模な複合商業施設である。
(確かあれが目印だったな。)
「おい。姉ちゃん起きろ。」
「んんんん……」
セトラに肩を叩かれ、アディプトは低く唸った。平時はぱっちりとした大きな目をじとっと細く開け、じめった視線を隣へ送った。
「もうミレニアムが迫ってる。」
「えー……もうそんなとこぉ……」
眠そうに瞼を何度か開閉し、座ったまま上半身を大きく逸らして伸びをした。肩関節からポキポキとクラッキング音を響いた。続いて魔力炉心を稼働させ魔力を生成。回路と
「いいって言うまでちょっと魔力抑えててね。」
彼は頷き、努めて魔力の生成量を抑えた。
アディプトは瞑目し、何かのタイミングを測りつつ完全詠唱を行った。
「遍く及ぶ全天。星の紡ぐ続編。例外。特異点。凌領偽装。我らが血に証なく、只人だと取り零せ。」
スペルには魔力を熨せることで特定の現象を起こす文言である主詞、単体では何の現象も起こせないが主詞の効果を底上げするなどの機能を持つ文言である副詞の二種類がある。これらを一切省略せず詠唱することを完全詠唱と呼び、完全詠唱では術式のポテンシャルが最大限に発揮される。
「
術式発動と同時に二人を半透明な赤い力の膜が包み込み、かと思った矢先に音もなく弾け飛んだ。それと同時に炉心、回路、
「……これが大結界からの干渉か。思ったより自然な感じなんだな。」
「だから悪質なんだよね。体調の波が原因でパフォーマンスが落ちてるのか、術式の影響でパフォーマンスが落とされてるのかが分かりづら過ぎる。」
本来であれば大結界は二人に流れる魔力神ソトノの血を感知し、例外規定に則って二人へ支援を実行する。魔力炉心に対する魔力生成制限の撤廃、それに伴う超級以上の術式使用の解禁、大結界内におけるマナの優先権の移譲など魔術師としてはこの上ない類の支援である。
だがそうなっていないのは偏に
「このデメリットを被ってでもなるべく私たちの正体は隠しといた方がいいんでしょ。」
「また臓器目当てで殺されちゃ堪んねえからな。でも平気なのか?」
「大丈夫。術式は上級の規格で設計した。大結界のアラートは発動しないよ。」
「姉ちゃんの負荷はどうなんだ?」
「平気だよ平気。発動だけなら平均的な魔術師であれば誰でもできる程度の術式でしかないもん。」
「引っ掛かる言い方だな。」
「これの肝は発動タイミングにあるからね。大結界には同心円状の感知エリアが八個あって、ちょうど範囲内にいる時に使わないと何の意味もないんだよ。」
アディプトは目覚めた直後のように再び身動ぎし、座席の背凭れに深々と上体を預けた。語った言葉とは裏腹に早くも疲労の色が浮かんでいた。
「でもそのタイミングを図るのが難しいんだよねえ。大結界の影響そのものは感じ取れても大結界の存在感は殆どないじゃん。厄介なものを遺してくれたよ、ご先祖様は。」
「そんなんで後七回……いや、最後のはサムウーファー島外縁にあるから残り六回か。どうやってタイミングを合わせるんだよ。魔力感知性能が落ちてるのは姉ちゃんもだろ。」
「勘。」
「アバウト過ぎる。」
やや引き気味になるセトラを他所にアディプトはにやりと口元に自信を滲ませた。
「とにかく無茶だけはするなよ。術式の阻害なら寧ろ俺の方が適任なんだ。何でも頼れ。」
「じゃあはい魔導書。」
彼女はスペルや運用方法が殴り書きされた再生紙を手渡した。
「もうちょっと綺麗に書いてくれねえか。」
「読めるでしょ。」
「読めねえよ。」
ミミズが錯乱したような筆跡の字や図形はセトラをして判読できない。魔術関連の知識を頼りにした推測交じりの解読を試みたが一秒後には皆目見当もつかない記述に突き当たった。しかしできないことを放置した末の成長など高が知れている。大口を叩いた手前、彼は眉間に皺を作りながらともすれば落書き同然の魔導書と向き合った。
(まあ、万が一誰かに見られてもいいように半分くらい嘘書いてるんだけどね。)
彼はこの事実を知る由もない。
尤も偽りの記述の数々は正確な知識を踏まえて読み込めば必ず間違いに気付けるように書かれている。
きっとセトラなら正解に辿り着けると信じ、アディプトは悩む彼へ特に何の助言も与えなかった。
その後も大結界の感知層に入る都度、専用に誂えた術式で自分たちの正体を隠匿している内に終点に着いてしまった。
「結局分からなかった……」
「じゃあ宿題ね。」
終点、ゼレハフトノルドハウプトバーンオフは名前の通りゼレハフト北部における中央駅だ。北部ではここを基点に各方面への交通網が整備されている。構内は平日にも関わらず種族の異なる老若男女が行き交い、様々な足音や話し声、運行情報を知らせるアナウンスが混ざり合った喧騒で満ちていた。
旅仕様でパンパンに膨れているリュックサックを身体の正面で抱え、二人は列車を後にした。
「荷物酷くない?持ってようか?」
「結構重いぞ。」
「いいよ。貸して。」
メインの魔道具が左手の人差し指に嵌めた指輪であるアディプトと違い、セトラはディメンスィオ鉱石から削り出された直剣を主武装としている。
一般的なロングソードより長い刃渡りの片刃のそれは剣であるとともに極めて優れた魔術の触媒だ。素材のディメンスィオ鉱石は内部を経由した魔力の次元を一段階高める効果を有し、その巨大な塊から削り出されたであろうセトラの剣は仮に売れば一億ウェスタは下らない価値がある。だが短所がないわけがなく、造形故に閉所や密集地での取り回しが劣悪であった。
「重っ。」
「だから言ったろ。」
セトラはリュックサックの代わりに長剣を身体の前面に持ってきた。塚頭を天井に向け、通行の邪魔にならないようにして出口へと移動する。
「こんなに何入ってるの?」
「食料とか、後はちゃっちい使い捨ての魔道具だな。木片に上級までの術式を刻んであって魔力を流すだけですぐ発動できる。」
「セトラくんがその手の小物に頼るなんて珍しいね。どういう風の吹き回し?」
「魔力も術式も両方を高水準で扱えるのが強い魔術師なんだろ。どちらかといえば魔力でのゴリ押ししかしてこなかったから、いい加減克服しようと思ってな。」
「闇属性魔力ならそうするのが結局一番安定して強いんだけどね。
駅を出ると湿り気を帯びた髪の毛じみた熱風が頬を撫でた。もやもやとした不快な気温は夜遅くにも関わらず三十度を超えている。
「
すぐに冷却用の魔術を発動させ、アディプトは術式効果を全身に適用させた。皮膚表面の熱を僅かばかり移動させ、体感的に凄まじい冷感を覚えた。その状態で彼女はセトラの首筋に触れた。
「冷たっ。」
「もっと下げられるよ。」
「危なくない範囲で頼む。」
「はいよ。で、今日はこれからどうするの?駅前周辺で泊まって明日また移動する感じ?」
「そうしたいのは山々なんだけどな。」
「え、まだ動くの?もう最終ないでしょ。」
「だから現地までは人力で移動する。」
セトラはアディプトから受け取ったリュックサックを背負った。引き続き剣を片手に持ったまま、駅前の大通りを逸れたところでもう一方の腕で彼女を固く抱き寄せた。
「しっかり掴まっててくれ。」
セトラは足裏から噴出した魔力の勢いを受けて跳び上がった。途中にある構造物の壁面を足場にして力づくで重力を振り切り、やがて雑居ビルの屋上程度の高さに達してからは宙に放物線を描きながら移動を開始した。屋上から屋上を渡り、空中という最短経路を通って目的地を目指す。
目的地はかつて冒険者と呼ばれた流浪の者たちが可能性を追って踏む港町。アインザム海東岸にあるその町の名はアインガングという。
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