第10話 キミの心を聴かせて

 毎年八月の暮れ、コミュニカッツア領の各地では精霊祭が開催されている。精霊信仰が盛んで魔術よりも精霊術が浸透しているコミュニカッツア領特有の行事だ。その中でもドゥラで行われる精霊祭は別格で、ロマンフォルクス王国における三大奇祭の一つとして扱われている。


 アディプト・アカ・グランロッサはシリアスな空気を換えるため、弟のセトラ・アカ・グランロッサをそのイベントへと誘った。しかし自分から誘ったはいいものの、彼女は借りてきた猫のようになっていた。顔が熱い気がして、動悸もやけにはっきりと感じた。手汗もいつもよりかいていないか心配で一度拭いたいのに、この状況ではそれも叶わない。


(……ど、どうしよう。)


 セトラのせいだ。彼はずっとアディプトの右手に指を絡ませ、決して離さないように固く握っているからである。。


「へえ……大精霊との交信は七時から公園の広場でやるらしいな。」


 無論、幼少期から彼とは数え切れないほど手を繋いでいる。だがその回数は成長につれて減り続け、ここ数年では全くなかった。ところが精霊祭に来た途端、まるで当然だと言わんばかりに恋人繋ぎをしてきた。今朝の言動で既に脳を焼かれていたアディプトには刺激が強過ぎる。


「確か交信のタイミングでマーキア様とコンタクトを取るって話だったよな。」


「あ、うん。」


 話題を振られてもどこか上の空で答えていた。せめて頓智機な受け答えは避けようと努めているが、その側から思考の軸足が滑るような錯覚がある。


「それから、何かあったらすぐ言えよ。どんな些細なことでもいい。少しでも違和感を感じたら即座に離脱するから。」


(流石に距離感詰め過ぎなのが気になります!)


 コミュニカッツア領特有の精霊信仰に根付いた儀式であるが故に、もっと厳かな雰囲気で行われているというイメージが強かった。しかし二人の印象に反し、精霊祭の雰囲気は奉穣祭と殆ど違いがないように思えた。


「それにしても人多いな。」


 だが会場規模や動員数は奉穣祭の比ではない。一地方のほどほどに田舎な町で開催される祭りと、地方とはいえ中心都市で行われる祭りでは集客力が段違いだ。


 人混みにそこまで耐性のない二人にはただ歩くだけでもそれなりに疲弊するものだった。


「これじゃすぐにでも逸れちまいそうだ。」


「あの、だからってこんながっちり握らなくても……」


「え、俺もしかして手汗かいてる?」


「いやそうじゃなくて……」


「じゃあいいだろ。」


「でも……」


「手離したくないんだ、もう絶対。」


 言葉に迷いも、言い間違えた気配もなかった。


 あまりにさらりと言われたせいで一瞬アディプトの理解が遅れる。


 だが理解してしまった次には、雷に打たれたような激しい動揺に襲われた。


「!?!?!?!?」


「いい歳して子どもみたいだよな。こんなのはただの我儘だ。」


「え、いや、あの、へ!?!?!?」


「でもせめて、この人混みを抜けるまででいい。俺の隣にいてくれ。」


 それを断る言葉を彼女は持たない。まるで酷く飲み過ぎた時の如く顔面が熱くなり、血に熱湯が混ざったような感覚を覚えた。


(ひ、人前でこうするのってヤバイ恥ずかしい!!!!!)


 真っ赤になった顔を見せまいと俯き、側から見れば初心な彼女を連れたカップルそのものな様子で二人は大精霊との交信が行われるという会場へと向かった。


 やがて目的地に到着すると、そこには既に夥しい数の人の海が出来上がっていた。巨大な公園の一画にある、中心へ向かうに連れて高くなる同心円状の塔に似た石舞台を人海は呑み込まんばかりであった。


 だがこと舞台の半径二十メートル以内であれば空間的余裕があるようだ。舞台を中心として円形に三角コーンが配置され、それらの間に渡したコーンバーと、密に配備された軽装備の騎士たち術式も利用しつつ警備に当たっているからだろう。


 そして騎士たちの装備品を一目見て、セトラは今回の精霊祭への参加が徒労に終わらないと確信した。


 やや緑がかった白を基調とした月光色の制服。襟元に縫い付けられているニリンソウをイメージした徽章。いずれも彼らの所属を端的に示している。


「リャーダム精霊騎士団……」


 それは全員が精霊との高度な交信が可能な上級司祭の有資格者で構成されている、コミュニカッツア家が擁立する私設騎士団の一つだ。魔術の亜種である精霊術に特化したエキスパート集団として、王国内外で高く評価されている。


「もっと近付いてみよう。」


 人混みの間隙に身体を滑り込ませるようにして前進していく。しかし分厚過ぎる人海は中々にセトラたちの接近を妨げていた。


 そんな折、どこからか唐突に巨大な鐘の音が鳴り響いた。


 音源はどこかと周囲を見渡して、不意に誰かが虚空を指差した。


 数々の指先が向けられた方向、塔の頂上には一人の人物が立っていた。


「姉ちゃん、言われた通り来てよかったよ。」


「へぇ……?あっ!」


 目を凝らせば、セトラたちにはその者の正体が一目で分かった。


 月光色の髪は以前と変わってボブカットになっており、この地方の伝統的な衣装を着用しているから印象は以前とやや異なっている。同性同年代の平均と比較しても小柄な体躯も相まって、人外じみて可愛らしい。だが透明感のある色白で瑞々しい肌と可愛らしさに溢れた顔立ちには成長が感じられ、記憶の中の彼女よりも一段と魅力を増したようだ。彼女は咳払いのような動作を何度かした直後、会場にいる全員の脳内へスピーカーを差し込んだように直接声を届けてきた。


(会場にお越しの皆様ー!わたくしの声が届いておりましたらどうか大きな声でお返事を送ってくださいましー!)


 彼女の声に応じ、会場は一気に沸騰したかのようなレスポンスを返した。


(はーい!ありがとうございます!わたくしはマーキア・フェス・コミュニカッツア!霊級司祭として本年度も大精霊様との交信の一切を取り仕切らせていただきますわ!皆様ご準備はよろしくてー!?)


 殆ど雄叫び同然の返答を受け、少女は満足そうに破顔した。彼女こそかつてのラクオン竜害で共に戦った仲間の一人だ。


 当時、南方に大量発生した竜の群れを処すため、直接指名された面子、国営ギルドを通じて募集された精鋭たち、王国騎士団の人員らで討伐隊が組織された。


 その討伐隊に対するマーキアの貢献度合いは群を抜いて高かった。精霊と交信して周囲に遍在するマナの制御権を掌握し、本人の魔力消費量がゼロのままマナの属性に応じた多種多様な術式を使用できるという精霊術師のポテンシャルを最大限に生かし、彼女は直接的な戦闘から負傷者の治癒まで幅広く全般的に活躍していた。


(それではただいま十九時を持ちまして本日のメインイベント!大精霊様との交信の儀を始めていきたいと思います!皆様とわたくしたち、この祝祭に携わる全員で素晴らしき神秘の当事者となりましょう!!!!)


 彼女の挨拶により会場の盛り上がりは最高潮に達する。


 その一秒後、精霊祭の神秘性はこの上ない形で明確に顕現した。まず周囲に満ちていたマナがマーキアに向かって収束。次にマナに引っ張られる形で各々からオドが引き出され、魔力同士が混ざり合ってオーロラのような極光が彼女から放たれた。更に彼女から拡散した極光がやがて雪の如く降り頻り、空間全土を埋め尽くすという幻想的な風景を作り出すと、場に居合わせた全員が他者の存在をより根源的に感じられるようになった。


(魔力の流れを介して各自の思念を直接伝達する仕組みだとは知ってたけど、ここまではっきり伝わるなんてね。)


 この衝撃にはアディプトも一気に頭が冷えた。知覚範囲が一部肉体の軛を超えて拡大し、どこにでも意識を飛ばせるような不思議な感覚だ。


(これが大精霊との交信か。想像以上だな。)


 通常であれば決して知ることのできないセトラの思考も、今ならばすぐ傍で実際に彼が話したかのように受け取れる。


 では今度は一体どの程度の思考まで伝達できるのか。アディプトが試しに林檎の姿形をイメージしながらセトラへ訊ねると、彼の側からもそっくりそのままな林檎の写像が伝わってきた。


(画像まで直接スムーズに伝えられるのはめちゃくちゃ便利だね。口頭だと説明しにくいものでもこれなら直感的に伝達できる。)


 コミュニカッツア領内の精霊信仰において精霊とは遍在する思念を指す。思念は物質に残留する場合やエネルギーに漏出する場合があるとされ、大精霊はこのような思念の集合体として解釈されている。


 大精霊との交信とは即ちマナに宿る思念に干渉し、マナをオドとより密接に接続させることで魔力を媒介とした思念のネットワークを形成することに他ならない。


(その内頑張って術式で再現しようかなあ。)


(無線での通信魔術すら実用化されてないのにか?)


(やってみる価値はあるでしょ。それにこの現象はどちらかと言えば既存の通信魔術の応用に近い。魔力を媒体として行う通信は騎士団とかが地下に太いケーブルで繋いでやってるけど、この場では空間のマナ濃度を極端に上昇させた上でマーキアちゃんがサーバー兼ハブ役を担って実現してる感じかな。)


(つまり俺たちがケーブルの中にいるような状態ってわけか。)


(そういうこと。凄い現象だけど根幹にあるのは魔力制御、オドとマナを同期させて有機的に制御する技術で、幾つか術式を組めば劣化コピーくらいにはなる。)


(……って、こんな話してる場合じゃねえ。どうにかしてマーキア様にコンタクトを取らないと。でもこれだけの魔力ネットワークを運用してるなら一人一人思念なんて認知しねえよな。考えろ……どうすりゃ届けられる……?)


 セトラの思念からは微かに焦りのようなものがあった。


「大丈夫。策ならある。」


 故にアディプトは敢えて直接声を掛けた。


「思考の内容を直接やりとりできるってことは、私の感覚をセトラくんに体感してもらうのも可能だと思う。今から指示と方法を送るからそれに従ってやってみて。」


 アディプトの拵えた策とは、セトラと二人の魔力操作の応用によるものだ。魔力を弾丸状に出力するイメージで、外側をセトラの闇属性魔力で、内側をアディプトの覇衝酔醒化させた土属性魔力で形成する。こうして作り上げた弾丸は闇属性魔力由来の性質があり、弾丸の周囲にある他者の思念を乗せた魔力を不活化させられる。一方で外側と内側とでは魔力の次元が二段階異なっているため、アディプトの魔力は不活化の影響を比較的受けずに思念の保持が可能だ。その弾丸を魔力ネットワークを通じてマーキアに打ち込むというのが彼女の作戦だった。


「この方法なら仮に途中でセトラくんの魔力が防がれたとしても後は私の魔力でゴリ押しできる。」


 尤もこの弾丸に殺傷能力はない。セトラが攻撃時に行うような魔力放射とは比にならないほど極々僅かな、超微小な魔力の塊でしかないからだ。薬品を服用する際に使われるカプセルの同様に、そのままでは人海からの思念で埋もれてしまう二人の思念を確実に彼女に届ける以外の効果は全くない。


 彼女からの情報を受け取ると、セトラは不安気な顔をした。


「俺に姉ちゃんの技量を再現できるのか……」


「そんなに自分が信用できない?」


「姉ちゃんとは比べものにならない。あそこまで繊細なコントロールは俺には……」


「じゃあ私を信じてよ。」


 対してアディプトは挑みかかるように笑って見せた。


「私が信じてるセトラくん自身を信じなさい。」


「……」


「準備ができたら教えて。それからスリーカウントで始めるよ。」


 それからセトラは目を瞑って何度か呼吸を整え、深く頷いた。


(……やれる。いつでもいいぜ。)


(じゃあやるからね。三……二……一……今っ!)


 アディプトの合図を契機に、それぞれが一流の技術で魔力を制御する。通常なら避けられぬミクロの遅延すら、感覚さえも同期できるこの状況と二人ならば起こずに済む。そして完全にタイミングを共にした魔力制御で弾丸状に出力し、勢いよくマーキアに対して射出、直撃した。


 それが契機となり、魔力ネットワークに致命的な異常が発生した。


 


▽ ▽


 赤焼けた荒野。見渡す限りの地平線の中に時折、台形状の巨石が幾つか点在している。目立った草木の類は見えず、水源も近くになさそうだ。空気はカラカラに乾き果て、上空から貫いてくる日光が地表に微かに残った水分すら容赦なく蒸発させていく。日照時間が短く、夏の期間も僅かなコミュニカッツア領にはない環境だ。


 そんな慣れない環境にいたせいか、こまめに水分を摂っていたにも関わらずマーキアの意識は朦朧としていた。


「……」


 尤も今は休憩中。地べたに座っていれば酷い頭痛と倦怠感も少しはマシだった。だが口の中の渇きはどうしようもなかった。水筒の中身ももう全部飲んでしまっており、我儘で水を多めに貰うのは気が引ける。次の補給タイミングまでどうにか騙し騙しやっていくしかない。


 その時、近付いてきた何者かが心配そうに声を掛けてきた。しかし音の所々が不自然に虫食いの如く欠落しており、酷く途切れ途切れになってた。


「マー ア様。顔色 優れ  ようで が大 夫ですか?」


 また蜃気楼のように揺らいでいて相手の姿は何故か見えない。誰かは討伐隊の面々と打ち合わせをしていた筈だが、いつの間にかマーキアの元へ様子を見に来ていた。 


「申し訳ありません、   様……実は先ほどから体調が芳しくありませんの……」


「精 術で 回復 式は試 れま  か?」


「それが……周囲にはエーテル属性のマナが不足していて……」


「分か まし 。 し ってくだ  。」


 すると誰かはやや離れた一団の方を向いて手を振った。


「姉 ゃん!グアリーレさん!ち  と来て ださい!そ か 予備 水も!」


 呼び掛けに応じ、小走りでまた誰かがやってきた。青白い死人めいた顔をした痩せぎすの神父と、また靄が掛かって姿が分からない誰かだった。


「どうされましたかな?」


「マ キア様が体 不良みたい  で 。診て げてくだ い。」


「どれどれ……」


 神父はマーキアの前のしゃがみ込み、目線を合わせた。


「どのような症状ですか?」


「頭痛と、目街がして……少し吐き気もありますわ……」


「それはいつから?」


「移動中から……」


「恐らく熱中症でしょう。大丈夫ですよ、すぐ治しますから。」


 グアリーレは掌を向け、生まれ持った回復魔術の術式を起動させた。


「     さんは何か日差しを遮る物を、   さんは軽めの冷却術式で彼女の身体を冷ましてください。」


 神父の指示に従い、誰かは即席で田舎にある屋根付きのバス停のような構造物を構築した。


 日差しが遮られるとそれだけでかなり快適だ。


「こ な  でいい?マーキ  ゃん。」


 また最初に来た誰かはマーキアの首元に手を当て、術式効果で彼女の体温を下げた。


「冷た  たらいつ も言 て ださい。」


 これはかつてのラクオン竜害の記憶に違いない。苦しくも楽しく、懐かしささえある思い出だ。


 だけど、分からない。


「マー ア様?」


「 ーキアちゃん?」


 姿は見えず、声すら曖昧で、そこにいたのかも定かじゃない。でも確かにいた気がした。ラクオン竜害だけではない。王都帯ゼレハフトで盛大に開催された祝勝会でも、東方領土をお忍びで訪れた時も、ゼレハフト魔術学院の入学試験の際にも再会を喜び言葉を交わしたんだ。心の底には絶対に会ったような実感があるのに、なのに--わたくしは何故、あなたたちのことを--何も知らないの?


▽ ▽


 一秒に満たない刹那、ネットワークを通じてセトラたちの五感がジャックされた。当時のマーキアの感覚がそのままの形で流入し、まるで彼女そのものになったように過去を追体験した。


「今のは……マーキアちゃんの記憶……!?」


「それよりマズイ。魔力が暴走しかけてる!」


 だが彼女の記憶の不審点について考えている余裕はない。舞台を頂上を見ると、先ほどまで元気に立っていたマーキアがその場で蹲っていた。


 また、ネットワークを構成した莫大な魔力は彼女の制御と肉体から離れ、眩い輝きを放つ光球と化した。光球はいわばいつ爆発するか分からない時限爆弾に等しい。そんなものがこの人口密集状況で炸裂したら最後、大勢の犠牲者が出る。


 タイミングからして原因はセトラたちの干渉だ。それで無関係の人々を傷つけるようなことはあってはならない。


「止めよう。」


 反射的にセトラはアディプトの身体を固く抱きかかえ、魔力放出による跳躍で人混みから上空へ飛び出した。同時に鞘から抜剣。落下中に詠唱した超級ソィロ・ミスティカ自由落下リベーラファーロで塔へ移動し、すれ違い様に光球へ剣を振り下ろした。剣身から解き放たれた闇属性魔力による一瞬で光球を不活化させると、セトラたちはすぐに会場から離脱した。


▽ ▽


「ああぁぁやらかしたぁぁぁ……」


 あれから即行でホテルへ逃げ帰り、幾重もの結界を厳重に展開してからセトラは頭を抱えた。


「伝統行事の妨害にマーキア様を失神させて……後ろ盾も何にもないのにこれとか……ヤバイ詰んだ……」


 彼の顔色や形相はともすればウスタリーで目覚めてすぐの頃より酷いかもしれない。


「ま、まあまあ!あんなのただアクシデントだよ!!」


 そんな彼の隣に座り、少しでも励ませるように努めて明るい調子でアディプトは相手の背中をパンパンと軽く叩いた。


「大丈夫大丈夫!人死にとか出たわけじゃないんだよ!?思念を共有する行事で思念が伝わり過ぎてしまっただけ!居酒屋で飲み過ぎて吐いたって居酒屋は悪くないでしょ!?セトラくんも私も何にも悪いことしてない!オッケー!?」


「いや、でも……」


「……」


「……」


 だがアディプトの空元気も一度失速すればそれまでだ。変な冷や汗が止まらず、心臓も不整脈気味に拍動し続けている。セトラに言い聞かせている内容だって都合のいい情報だけ切り抜いた暗示のようなものに過ぎない。こうして沈黙していると、やけに時計の秒針が動く音が大きく聞こえた。どこからともなく聞こえてくる喘ぎ声も非常にクリアである。入室時とは異なる居心地の悪さに辟易し、彼女はソファから離れた。


「姉ちゃん……?」


「……気晴らしにお風呂入ってくる。せっかくジェットバスがあるんだもん。セトラくんも入ったら?」


 はらりと服を脱ぎ、浴槽に湯を張りながらシャワーを浴びる。熱めのシャワーを受けて体温が上がると、それだけ若干のリラックス効果を体感できた。


(はあ……ああ言っても実際結構ヤバそう……)


 だがシャンプーで真紅の長い髪を泡立てている虚無の時間に再び悩みは浮上してきた。


(術式を使ってない精神攻撃とかいちゃもん付けられたらそれまでだからなあ……熱りが冷めるまでコミュニカッツア領には近付かない方がいいかも……)


 そう考えてながらシャンプーを洗い落としていた折、突然浴室のドアが開いてセトラが入ってきた。鏡越しに目と目があう。


「……!!!!!?????」


 一瞬何が起きたのか分からず、理解した直後に彼女は振り向いた。


「え?は!何してんの!?」


「え……入ったらって言うから……」


「一緒に入ろうって意味じゃないよ!」


「あっ……悪い……」


 珍しく姉に強い口調で言われ、彼は全裸のままとぼとぼと退いた。人一倍大きい筈の背中がこの数時間でやけに小さくなったようだ。


 だが咄嗟に追い返してから不意に思った。


(あれ……でも今日セトラくんに迷惑しかかけてなくない……?)


 アディプトは当初は乗り気でなかったセトラを精霊祭へ連れ出し、大丈夫だと豪語してマーキアとの接触に加担させた挙句、記憶の混乱を引き起こして彼女を失神させる事態を招いた。原因も責任もアディプトの側だ。


 それにも関わらず、これ以上の心労をセトラに負わせていいものか。また一人にしてしまうのか。


「セトラくん。」


 後を追って浴室を出て、またもソファで物思いに耽る彼に声を掛けた。


「ごめん。私が間違ってた。」


 存在抹消後、以前まで関わりが深かった相手と接触するのがこれほどリスクを孕んでいるとは思いもよらなかった。逆にそのような関係性の相手ならば思い出してくれるかもしれないと薄っすら期待さえしていた。そして同じ期待を彼にも持たせた。


「キミは何も悪くない。」


 アディプトはセトラの手を掴み、ソファから立ち上がらせた。


「お風呂にでもどこへでも、一緒にいたいなら来ればいい。」


 この行動も多分明日には後悔している。せめてお互いバスタオルくらい巻いてから話せと、今この時でさえ心の片隅に思っている。


「今のセトラくんを一人にはさせないから。」


 それでもこのドキドキが少しでも静められるのなら、案外悪くないかもしれない。

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