第13話 違法物件を訪ねて

 ロマンフォルクス王国において不動産を取り扱うには特定の資格が欠かせない。


 しかしことアインガングにおいては認可を得ていない違法建築物が多過ぎるために行政でも対処し切れていないという土地柄上、様々な商いを違法に行う業者が数多く、中には無許可で不動産業を営む者もいる。


 このようなもぐりの不動産屋を巡ること五時間、セトラ・アカ・グランロッサたちは未だにピンと来る物件に出会えていなかった。


 元々提示していた条件としては部屋の系統は問わない、部屋の広さは四畳半以上、キッチン付き、風呂とトイレを室内に備えるというものである。


 だが意外にもこれらの条件を全て満たす物件は少なかった。まず人口過密状態にある西口の物件は過半数が四畳半以下の狭さだった。次に近隣に安く食事できる屋台が多過ぎるため、キッチンを最初から備えていないか使い物にならない設備しかない物件が殆どだった。極め付けは大多数の物件が公衆浴場の利用を前提としていて入浴設備を有していなかった。要するにただ寝泊りするだけの住居しかなかったのであった。


 また違法営業不動産業者ならではの特徴として物件情報を共有しておらず、個々の業者毎で独占していることが家探しをより難しくしていた。通常であれば一つの不動産屋を訪ねてまとめて得られていた情報が、アインガングでは不動産屋を一つ一つ訪ねなければ分からない。


「はぁー……全然いいの見つからないね。」


 アディプト・アカ・グランロッサが溜め息をつくのも無理はなかった。結構な距離を歩いため汗をだらだらとかき、その都度送風魔術で衣類と身体の間に空気を循環させて涼んでいたが、猛暑と術式の連続使用は確実に彼女を疲弊させていた。


「少し休むか?」


「うん。」


 だが朝よりも更に人通りが多いここでは路傍に座っての休憩は厳しい。どこか休める場所を探してうろうろとしていた折、偶然にも古書店らしき店舗の前を通りかかった。


 店舗は通りに面していて、半ば道路にはみ出すように本が堆く積まれている。入り口から外にかけて古本独特の黴臭さが漏れており、昼ながら夜じみた店内は天井からぶら下がるカンテラの灯りで辛うじて視界が確保されている。収納限界を遥かに超えた本たちが室内空間を圧迫して、それらの壁が醸し出す威圧感は一介の中古本屋にあるまじきものだ。


 先ほどまで疲れた顔をしていたアディプトはこの店内を見た途端に目を輝かせ、ふらふらと中へ入った。


 仕方なくセトラも彼女に続いた。


 すると彼女は不意に店の奥まったところにあるレジカウンターの前で足を止めた。


 レジには小さい老婆が座っていた。態度からして古書店の店主だろう。


「こんにちは。ちょっと見せてもらっていいですか?」


「構わんよ。アンタらみたいな若い人が見ても面白い物じゃないが。」


「そんなことありません。ここにある本全部が魔導書ですよね。私、魔導書好きなんですよ。」


 アディプトは近くにあった本を手に取り、パラパラと捲った。


 空間操作系術式、結界魔術に関するページを開くとそこにはびっしりと書き込みがなされていた。


(心象風景の具現化、イメージで現実を上書きする魔術……間違いない。神級の魔導書!)


 魔術は下級、中級、上級、超級、覇級、神級、創級の七つの階級に分けられ、神級以上は魔法とも呼ばれる。


 今見ている古びた魔導書はその魔法について記載されている品だ。


「欲しかったら持っていきな。」


「いいんですか!?」


「放っておいてもその内捨てるだけの物さ。」


「ありがとうございます!」


 老婆はぶっきらぼうに言い、紙を扱う室内にいながら葉巻に火を付けた。葉巻を咥えたまま何度か息を吐いてしっかりと燃焼させ、それから深く煙を吸い込んで吐き出した。


「あんたたち、この辺の人間じゃないね。魔術学院の生徒かい?」


「いいえ、ただの旅人みたいな感じです。」


「要するに家出かい。じゃあ日没前には帰ることだ。ここはあんたたちみたいな人間が気楽に出歩けるような街じゃない。」


「帰りたいんですけどねえ。」


「ああもう続きは話さなくていい。厄介事の臭いがする。」


「実はアインガングに住もうと思ってて、もしよければ知る人ぞ知る不動産屋さんとか紹介してもらえませんか?」


「よしな。温室育ちのボンボンには酷な場所さ。」


「我々はただの一般の根無し草ですよ。」


 セトラが口を挟む。


「嘘をつけ。言葉遣いや態度で分かりづらくなっているが所作に教養が滲み出ている。どこぞのお貴族様の子弟か存じ上げぬがこの老婆にご協力できるとは思えません。どうかお引取りください。」


「何もただでこのような厚かましいお願いをするわけではありません。ボクは闇属性魔力を持つ魔術師で、彼女は土属性の魔術師です。何かお困りごとがあれば必ずやお力になれると自負しています。」


「その代わりに不動産屋を紹介しろ……と?」


「率直に言えばそうなります。」


「であればやっぱり無理な話だ。今の物件を世話してくれた不動産屋は先月逝っちまった。もうあたしにあの類の知り合いはいない。」


「そうですか……」


「だからあんたたちに紹介できるのは屋じゃない。不動産そのものになる。」


 こうして老婆が語り出したのは一軒の団地についてだった。


 アインガング駅西口から徒歩一時間圏内にそれは位置しているらしい。外観は碌に測量もせず設計したが故の歪な団地で、長年の雨風に耐えかねて金属製の屋内階段や落下防止用の手摺、トタン製の外壁は虫食い状に腐り果てているという。図面によれば部屋の広さは四畳半以上、キッチン付き、風呂とトイレはそれぞれ別で付いているワンルームとのことだった。


「だがね、あの部屋にはいるんだよ。」


「教えてください。何がいるんです?」


「そこまでは把握できていない。でも恐るべき魔物が確実にまだ何かが潜んでいるのさ。」


 老婆は眼鏡の向こうから鋭い眼光を二人へ向けた。


「今話した情報からこのアパートを見つけ出してみな。もし見つけられなかったらこの話はなしだ。」


 ▽ ▽


 二人はまず高所へ移動した。


 セトラは先に老婆が挙げた特徴に留意しながら眼下に広がる建物へ目を凝らす。しかし見れば見るほど建物の大多数があれらの特徴に当てはまることに気付いてしまった。


「そっちはどうだ?」


「今やってるけど……」


 その傍らでアディプトは目を瞑り、魔力回路と空白アルズウェック器官による擬似回路を通して感じ取る魔力の感覚に神経を尖らせていた。


「うーん…….」


 魔力には波形がある。波形は炉心によって異なっているものの、種族によってある程度類似したパターンに収束する。


 老婆は部屋に潜んでいるものの正体について魔物だと断言していた。


 そこで人間由来の魔力を除外し、それ以外の魔力反応にのみ集中して探知を行った。だが想定以上に駅周辺では人間以外の魔力が濃く、魔力源の特定には至らなかった。


「……ごめん。お手上げだね。」


「ってなると実際に現地に行って調べるしかねえか。建物の真ん前まで行ったら感知できるか?」


「やってみないと分かんない。けど流石に同じ建物とかなら分かると思うよ。」


「じゃあやるか。」


 それから一行は極めて地道に調査を行った。少しでも特徴と合致していれば実際に中まで入り、異常な魔力反応がなければまた別の建物へと移る。ひたすらこれの繰り返しだ。途中、近くの屋台で夕食を済ませてからも調査を続けた。しかし日付が変わるまで調べて尚、芳しい結果は得られなかった。


 こうして「本当はそんな団地はなく、老婆が二人を追い返すためにそれっぽい条件を出しただけなのではないか。」という諦観論が彼らの心中で盛んに叫ばれ出した頃、二人は宿への帰還を決めた。


 姉を抱えながらセトラはいつものように跳躍した。闇属性魔力を放出した際の斥力で重力を振り切り、宿を目指して次々に建物を跳び移っていく。


 アディプトは彼の腕の中、疲労が白みがかった頭ながら周囲に対する情報収集を続けた。地上を歩き回って成果は得られなかったが空中からなら何かを見いだせるかもしれない。故に一瞬、違法建築ビルディングの狭間を通過した一秒未満の時間、ほんの些細な違和感を辛うじて捕捉できた。


「止まって!」


 すぐさまセトラが着地し、何事かと戦闘態勢を取った。


「どうした!?」


「何かあるよ。」


「特に何も感じなかったが……」


「大丈夫。この距離なら見つけてみせるから。」


 やっと見つけた手掛かりを前に疲労は吹き飛んだ。今日一番に全身の魔力回路を鋭敏化し、空間一帯のマナの動きを感じ取る。


(店主の口ぶりからして私たちが探している物件は何らかに魔物の影響下にある。だから魔力でも術式でも何でもいいから魔物の痕跡を探していたわけだけど、よく考えたらそのまま外界に晒しているとは一言も言ってない。寧ろ見ず知らずの私たちにまで色々忠告してくるあの人が関わっているならそんな危険な状態の物件を不用心に放置しているとはちょっと考えづらい。恐らく何らかの術式である程度の対策を打ってるはず。)


 特定の場所や空間に対して干渉する術式の主流は結界術式だ。だが結界魔術は主に面で展開するため、他の魔術と比較してその存在に気が付きやすい。規模、効果、隠蔽度合の寒天から世界最高峰の一つに数えられる、王都帯ゼレハフト全域をカバーする大結界でさえ集中すればそれ自体を発見できるほどだ。ましてや通常の結界であれば昼間にいたビルの屋上、違和感を覚えた地点のすぐ傍から魔力を探っていて見つけられないわけがない。


 しかし現に先ほどまで手掛かりすら発見できていなかった。そのためアディプトらは結界はないと判断し、魔物の痕跡を直接追ってしまっていた。一見すれば論理的な判断である。


 けれどもしも結界はないという認識が何者かに歪められたものであるとしたらどうだろうか。


 全身の魔力回路と魔術師としての知識を総動員させ、魔力の動きから術式の解を導く。数分間に渡ってぼそぼそと独り言を呟き続け、やがて憑き物が落ちたように口にした。


「そっか……そういうことだったんだ。」


 認識阻害。朝方にシャワールームをピッキングした折、セトラが行使した術式の上位互換が結界に対する認識を歪めていた。


「見つけた。私たちが今立っている場所がきっと問題の団地だと思う。」


「!」


 セトラは驚愕を禁じ得なかった。実際に降り立っているにも関わらず全く異常を感じていないのだ。そこが散々探し回って見つけられなかった団地だと主張されても素直に受け入れられなかった。


「最初に団地を覆う形で結界が展開されてて、そこへ更に認識阻害の術式を併用して結界や建物を認識させづらくしてるみたいだね。」


「ちょっと待ってくれ。だとしても姉ちゃんが最初に分からなかったのは何でなんだ?周辺のマナなら昼間も調べて……いいや、あるな。」


 だが彼も話している最中で自ら理由に気付き、はっとした表情になった。


「ゼレハフトに入ってから私たちはずっと大結界からの制限をそれとない形で受けてる。あからさまに日頃できてることができなくなったら不審に思うけど、魔力神ソトノ渾身の大結界は対象に違和感を与えるなんてダサい設計じゃない。」


「知らない内に俺たちのスペックが落ちてたから発動中の魔術に気付けなかったってことか。」


「自覚してるつもりだったんだけどね。こりゃ一本取られたよ。」


「……で、ここからどうする?内部に侵入して魔物を撃破するなら今すぐやるぞ。」


「やめておこう。場所に当たりは付けられたんだし今日のところは帰るよ。明日あの古書店のお婆さんに話してみて、それで本当にここで合ってたら魔物を討伐する感じでどうかな?」


「分かった。それでいこう。」


 方針を決めると彼らは足早に団地を去った。宿に着くとセトラはまた口を酸っぱくして「何かあったらすぐ知らせろ。」と言い、アディプトは過保護な言葉を話半分で聞き流して、二人はそれぞれの部屋へ戻った。


「はぁー……」


 部屋へ戻るなり彼女は大きく息を吐き、デニムとシャツを脱ぎ捨てた。ブラジャーとパンツのみの無防備な姿と化し、掛け布団の上に大の字で横になった。身体が、特に瞼が著しく重かった。


「ふぁ……あぁぁー……」


 ついつい欠伸が出てしまう。このまま眠ったらさぞ快楽的だと確信した。けれど欲望を抑えてむくりと起き上がり、リュックサックを弄った。中から真紅のイブニングドレスを取り出し、暫くの間じっと見つめていた。

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